ヤンの旅立ち
エルフの里に逃げ込んだ血だらけの2人を見て、ヤンは驚き駆け寄った。その血は返り血だ。領主夫婦を襲った惨殺の印だ。
「エヴァは?エヴァは無事なの?何があったの?エヴァはどこ?」
ゲオルクは魔法生物からひらりと降りて、鼻で嗤う。
「エヴァ?王国の雌犬のことか?」
「なんてこと言うんだ!」
アンも薄く笑って冷たく告げた。
「エヴァは変わってしまったのよ」
「そんなはずない」
ヤンは、懐かしい少女の魔力が宿る革のブレスレットに触れる。
「そんなの、捨てちまえよ」
乱暴に手を伸ばすゲオルクに反発し、ヤンはひらりと跳びすさる。
変わってしまったのは、この2人だ。
明るい少女エヴァがいる優しい領主一家。彼らがこの血塗れの状況を作ったとは思えない。
「いつからそんな風に思ってたんだよ」
警戒しながら、ヤンは冷静に尋ねる。
「は?なに呑気なこと言ってんだ?」
「そんなの、残虐王が即位してすぐに決まってるでしょ」
「エルフ弾圧体制下で王国を離脱しない領主どもなんか、なに擁護してんだ?」
「あいつは卑劣な雌犬よ」
こいつらはダメだ。
ヤンは思った。
そんな根拠のない憎しみを腹に隠して、エヴァとにこにこ遊んでいた。
お前らの方がよほど卑劣で醜悪だ。
だが、エルフの里人の見解は違った。もうかなり昔から、過激派が主導権を得ていたのである。ヤンはそれを知らなかった。
街から里へと逃げてきた者たちは、この2年の間に半数以上が環境に適応できずに死んだ。
思えば、みな穏健派だった。ヤンは立場をわざわざ表明したことはなく、過激派ともそれなりに上手く付き合ってきた。
だから、気がつかなかったのだ。
気の強い妹や、穏健派の両親が「森林域適応障害」とやらで衰弱して命を失ったとき、与えられた薬がなんであるかを。
また、その兆しとされた目の中の変色とやらが、ヤンにはちっとも見分けられなかった理由を。
身の危険を感じたヤンは、その場で里を逃げ出した。
話を聞く限り、エヴァは生きている。
良かった。
エヴァを助けなきゃ。
でも、どうやって?
今街に行っても、優しい人たちに迷惑をかけるだけではないのか?
ヤンは力を得るために、別の里へと行くことにした。そこには父の師匠がいる。父は昔、エルフの戦士であったのだ。
隣国との戦争が終わり、父は剣を捨てて放浪した。平和な時代に生きる道を求めて。そして得た妻とともに、ヒンベルの街で飾り職人になった。
ヤンは父の剣を学ばなかった。学ぶべきではないと教えられた。
ヤンは剣を知らなかったし、剣を持つタイプにも見えない。だから、里の者たちも見逃してくれたのだろう。
父は、移り住んだ森の里で、戦士だった昔を知る者と再会し、指導を請われ断った。その場には運悪く気の強い妹が父と共にいた。妹は、胸を張って平和を説いてしまったのだ。
ヤンもおそらくは見張られていたのだろう。しかし、過激派だったゲオルクとアンの友達だったから、生かされていたのだと思われる。
この目で世界を確かめる。
ヤンは決意した。
優しいエヴァを守るため。
正しく力を使うため。
まずは世の中を観て学びながら、父の師匠を訪ねよう。
家に駆け戻ると、ヤンは魔法の鍵をあける。何もない床が開いて魔剣が現れた。
見た目は無骨な鉄の平棒。握りと剣身の境目に素朴な返しがついている。何の飾りもなく、刃も鈍い、訓練用の剣である。さらに言えば、剣というよりは遠国の鉄尺と呼ばれる小さく細長い鉄の板切れのようだ。
しかしそれは父の愛剣。「帰らずの魔剣」と呼ばれる、魂ごと滅ぼす恐ろしい剣であった。
その剣を掴むなり、ヤンは全速力で走り出す。
師匠の住む谷の里を目指す道すがら、ヤンは多くのエルフと出会った。エルフたちは、殺されたり、売られたりと散々であったが、それでもなんとか逃げたり隠れたりして生き延びていた。
人間たちにも、エルフを助ける人たちがいた。もちろんこっそりと。
ある時ヤンは、廃墟となった古城の庭で、突然の雷雨を避けていた。そこへ、数人の集団がやってきた。血のにおいがする。雨で余計に強く感じる。ヤンは危険を感じて身を隠す。
「ひでえな」
「なんだ、屋根ねえのかよ」
「だな、意味ねえ」
「とりあえず休もうぜ」
「屋根あるかと思って走ってきたのに」
口々に文句を言うのは、見るからに不潔で凶暴そうな男たち。1人だけ、細くか弱そうなエルフの子供がいた。
まだ魔法が上手く使えないのだろう。雨除けの魔法も乾燥の魔法も使うことなく、ずぶ濡れである。
売り払われるか、賞金を得るためにエルフ弾圧主義な国王派に突き出されるか。いずれにせよ子供エルフに未来はない。
ヤンは帰らずの魔剣にありったけの魔力を乗せて、ならず者の集団へと飛び込む。エルフの子供は、魔剣の恐ろしい力を感じとったようだ。真っ青になって動かない。
ヤンにとっては、それが却ってありがたかった。下手に逃げ回られると、子供を避けるのが難しくなってしまう。
ヤンはまだ剣技を習っていない。魔力を纏わせた鉄塊に過ぎないものを振り回すだけだ。
魔剣の効果を引き出す方法も知らない。
それでも、エルフの子供は禍々しい気配を感じ取って怯えている。
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