悪役令嬢の脱出。百合エンドなんて、お断りします。
ドンという体に衝撃が走り、右肩からそのまま倒れ込む。その瞬間、女の子たちの悲鳴がホールに響き渡った。私は何が起きたのか分からず、頭の回転が追い付かない。この日のためにわざわざ仕立てた真新しい薄紅色のドレスは、その衝撃で所々が破れてしまっている。
私はズキズキと痛む肩を押さえながら、なんとか上体を起こした。見上げたそこには、私を突き飛ばした当人がいる。私のドレスと同じ色の髪に、黒い瞳。短い髪をかき上げながら、眉間にシワを寄せ、睨みつけている。人を突き飛ばしたのに、それでも足りないと言わんばかりだ。
「もうこれ以上、お前には付き合ってらいれない。ルーシア・カルテット、お前との婚約を破棄させてもらう」
「リオン……様?」
「とぼけても無駄だ。幾度となく、お前より身分が低いからと言ってこのクロエへ嫌がらせをしたのは分かっているんだぞ。挙句、飲み物に毒を仕込むなど。もうこれ以上黙ってはいられない」
リオンの横にクロエと呼ばれた女性が立っていた。黒く長い髪をハーフアップにし、大きな紫の瞳。愛らしく、誰からも慕わせる存在だ。
私はこの場面を何度も見たことがある。そう、何度も。でも、いつでも私はクロエ側だった。断罪する王太子のリオンに寄り添い、しなだれかかり、涙ながらにその光景を見つめるという。しかし今実際に私はルーシアなのだ。断罪する側ではなく、断罪される側であり、今まさにそのクライマックスのシーンにいる。
どうしてこんなことになったのだろう。痛む肩が、これは現実だと教えてくれている。そもそも、確かに先ほどまで私は駅のホームにいたはずだった。混雑する朝の通勤時間、プラットホームで電車を待っていた。私がいた位置は前から2列目。待ちながらゲームをしていると、後ろで諍いが起こった。サラリーマン同士が割り込んだとか、何かもめ出したのだ。それが取っ組み合いにまで発展し、数名が止めに入った。混雑するホームでそんなことが起きれば、必然的にともいうように体が押される。
誰かの悲鳴が聞こえた。ちょうど電車が入ってくるタイミングで、押された前の子がホームに落ちかけたのだ。危ないと思って、私は手を出したのか、その子に掴まれたのか。あっという間に、二人はホームへ落ちた。覚えている記憶はそこまでで、おそらくその時、死んでしまったのだろう。
問題は、今私がいるこの世界がその時やっていた乙女ゲーム『転生令嬢は華やかに愛される』だということだ。しかも私の一推しであるメイン攻略キャラ、リオンルートだ。悪役令嬢であるルーシアは、自分の婚約者から想いを寄せられるクロエに嫉妬し、数々の嫌がらせをした挙句、毒殺を試みる。しかしそのことに気付いたリオンに、阻止されるのだ。そして本来ならば、この婚約式にて正式な婚約者となる場で、断罪される。リオンルートのルーシアは悲惨だ。罪を認めなければ、王族への毒殺容疑で斬首、認めたところで牢屋にて獄死。どちらにしても、この先には死しかない。
なぜ私は今、このタイミングで記憶を取り戻してしまったのだろう。巻き込まれて死んだ上に、もう一度死ぬ運命なんて。
「泣いたところで無駄だ。お前が今までしてきたことを考えろ」
「私が……私が今までに……なにをしてきたというのですか」
ただゲームをしていただけ。あとは平凡な毎日を送り、何か悪いことをしてきたわけでも、なんでもない。
でもこうしてルーシアになってみると、ルーシアも被害者でしかないように思える。二人が仮の婚約を交わしたのは、まだ5歳の時だ。公爵令嬢だったルーシアへ王家より白羽の矢が立った。そこからは毎日のように厳しいお妃教育が始まった。親元に帰れるのも年に数回ほどで、どれだけ泣いても、どれだけ嫌がってもお妃教育が許されることはなかった。そんな過酷な教育の支えとなるべきリオンは、自分ではない他の人間を愛した。ゲームの画面を通して見ていた時には、毒殺なんてしようとするからと思っていたのだが、どこからともなく現れたヒロインに自分の婚約者であるリオンをとられるのである。こんなに屈辱的なことはないだろう。与えられた人間を愛さないのならば、初めから自分の好きになった者しか無理だとなぜ言ってくれなかったのか。捨てるつもりなら、初めから構わないで欲しかった。そうすれば、もう少しは幸せな人生を歩めたはずなのに。
ざわざわとするホールの中心で、ただ見世物のようにさらされている。どうしてここまでのことをさせられなければいけないのだろう。しかも、こんなに人がいるのに、誰一人手を差し伸べてもくれない。ただ遠巻きに事の成り行きを見ているだけだ。
「私は何もしていません。リオン様のために、ただずっとお妃教育をしてきただけで」
「恩着せがましいにもほどがある」
近づいてきたかと思うと、リオンは倒れたままの私のドレスを踏みつける。ここまでくると、もう我慢の限界だった。
「恩着せがましい? 私を婚約者にと望んだのは王家でしょう。私が望んだことではありません」
どうせもう断罪を回避できないのならば、言いたいことぐらい言ってもバチは当たらないだろう。それくらい言う権力ぐらい、私にだってあるはずだ。
「貴様」
リオンが私の腕をきつく掴む。折れるのではないだろうかと思うほど強く掴まれ、痛みから涙があふれてくる。本来、こんなシーンはゲームにはない。R15指定もないため、ただ断罪されてルーシアが亡くなったということが、エンドロールのすみにほんの少し出るだけだ。シナリオ通りに進まないことが、そんなにいけないことなのだろうか。
泣きながらリオンを睨み付けると、リオンが反対の腕を振り上げた。周りの悲鳴が聞こえ、叩かれる。そう思った瞬間だった。
アニメのワンシーンのように、リオンの体は弧を描くように吹き飛ぶ。そのあまりの光景に、思わず涙も止まった。周りの人々も、何が起きたのか分からず、ただ静まり返っている。リオンを吹き飛ばしたのは、他でもないクロエだった。
「リオンさま、すみませーん。クロエ、足がすべっちゃって」
足が滑って、吹き飛ばすなんてことはあるのだろうか。唖然としつつ、クロエを見ると、クロエはとてもうれしそうな顔を向けた。
「ああ、なんて、かわいそうなルーシアさま。リオンさまにこんなにひどいことされて。肩なんて、血が出てしまっているじゃないですかぁ」
「な、なにをするんだ、クロエ」
「えー、何をって。本当はこんなはずじゃなかったんですけど、リオンさまがクロエの最推しのルーシエさまに、あんまりひどいことするんだもーん」
「さいおし?」
最推し。今、確かにクロエはそう言った。何、どういうこと? クロエって何?
しかしよく考えてみれば、このゲームは転生令嬢は華やかに愛されるだ。ヒロインは私と同じ転生者だ。同じ世界で、同じゲームをしていたとしても、おかしくはない。
「ルーシエさまに近づくには、リオンさまといるのが一番だったんですよねー。で、わざといじめられたフリをして、ルーシエさまを断罪ルートに無理やり押し込んで孤立させて、弱り切ったところでクロエが助け出す」
「クロエ、それはどういう意味だ。フリとは、そなたはこのルーシエから嫌がらせを受けていたのではないのか?」
「すべては、ルーシエさまを手に入れるための手段に過ぎないですわ。それなのに、リオンさまがルーシエさまに乱暴するんだもの。繊細で、この綺麗な顔に傷でもついたら大変だわ。もー、隠しルートはやっぱり難易度高ーい。ルーシエさまが壊されちゃったら、ゲームみたいにやり直しもきかないから、思わず助けちゃった」
にこやかなのに、どこか残酷気なクロエの笑みに私の顔は引きつった。このゲームに隠しルートなど本当にあったのだろうか。もしあったとしても、転生している時点でもうここは自分にとってはゲームの世界ではないはずなのに。それなのに、ただそのルートを見たいためだけに、ルーシエを手に入れためだけに、1人の人が死ぬかもしれない断罪ルートに追い込むなんて。
「あなた、おかしいんじゃない」
「えー、せっかく助けたのに、そーいうこと言うんですかー。ひどーい。ルーシエさまのこと、クロエは誰よりも愛しているのに。どうにもならないなら、また一緒に死にましょ?」
クロエが私の手を握りこむ。ゾクリと、背筋に寒気が走った。
「また? またってどういうこと」
「わたしのために、一緒に転生してくれたんでしょ?」
恐怖から、手を振りほどく。私はこの子を知っている。
「いたーい。この前は離さずに最後まで掴んでいてくれていたのに」
クロエがニタリと笑った。転生した時点で、転生ゲームだと分かった時点で、どうして私は気付かなかったのだろう。あの時一緒にホームから落ちた子も、転生しているかもしれないということに。声にならない悲鳴を上げた。体が小刻みに震えている。どんな断罪よりも、こんなに恐ろしいことはあるのだろうか。
「私が何をしたと言うの」
「やだなぁ、一目惚れですよ、一目惚れ。ルーシエさまも、ルーシエさまによく似たお姉さんも、クロエだーいすき」
「百合エンドなんて、私は望んでない」
「なに言ってるんですかー。ヒロインはクロエですょ。選ぶ権利は、ルーシエさまにあるわけないじゃないですか。だって、ゲームってそういうものでしょ」
この子、おかしい。私は静かに首を横に振った。
「この者を、不敬罪で連れていけ」
リオンの一言で、控えていた兵によってクロエが連行されて行く。
「ルーシエさま、すぐに会いに行きますからね」
「ルーシエ、これはその」
「……慰謝料を請求します。このケガに対してと、名誉棄損、それからお妃教育で時間を無駄にしたことに対して。もちろん、払って下さいますよね」
「それは、その……」
「次期国王であるあなたが、こんなことをして謝罪も賠償もないなんてことは、ありませんよね?」
「分かっている」
「それに、ここに集まっているご令嬢方、次のお妃候補はあなたたちの誰かですわ。泣いても、寝る時間も自由になる時間も全くない拷問なような日々をプレゼントいたします。誰も助けて下さいませんでしたものね」
辺りを見渡すと、皆は一様に私から目を背けた。でも、背けたところで誰かが選ばれることに変わりはない。私はこんな暴力男からも、ストーカー女からも絶対逃げ切ってみせる。ストーリーなんてもうまっぴらだ。
「絶対に逃げ切ってみせますから」
もうこれは、ゲームであって、ゲームではない。誰かの駒になって選択権を与えたりなんてしない。絶対に私は私として逃げ切ってみせる。
破れたドレスと、傷ついた重たい体を引きずるように会場を後にした。誰1人、私を止める者はいなかった。
長編の他に、さくっと電車の移動時間や寝る前の10分程度で読める短編を書き始めました。至らぬ点もあるとは思いますが、読んでいただければ幸いです。
他にもこんな作品を書いていますので、よろしければご覧下さい。
悪役令嬢の鳥籠~ハッピーエンドがバッドエンドで、バッドエンドがハッピーエンドのようです~
https://ncode.syosetu.com/n4093gv/
悪役令嬢の涙。好きな人ためなら、悪役でも構いません。
https://ncode.syosetu.com/n6535gv/