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午後の授業を終えて放課後になる。
「カズ坊、今日も行くよ!」
「えー、毎日あるわけじゃないよね?」
「毎日あるよ!」
「土日は?」
「ない」
あっけらかんと言うので、少し笑ってしまったけれど、平日毎日毎日個人情報を垂れ流すことになるとは、嬉しくはない。
けれど僕がうろちょろしても北斗は僕の手を引いて、例の場所まで連れて行くのだ。抵抗は無駄だ、諦めろ、という奴っぽい。
「そんなに毎日話して何の意味があるのかな? 習い事みたいに週一回とかの方が効果あると思うよ。ほら、頑張りすぎって体に良くないし、僕も結構忙しいし」
「何が忙しいの?」
「何がって、ほら……、思ってたより忙しくはないけど」
悲しい話、千沙との時間を大切に過ごすくらいしか時間を使っていないのである。父を失い、母が自暴自棄になっている今、僕のことを実の兄だと思っている千沙には僕が寄り添ってあげるのが一番だと思うのだ。まあ祖母でもいいかもしれないけど。
「じゃあいいじゃん、行こうよ行こうよ!」
「分かりましたよ、はいはい」
教室を去る時、佐藤の恨みがましい視線から目を逸らした。
三年生の教室に来た直後、如月先輩が堂々と近寄ってきた。
「それじゃ今日も真優良に任せるから、いこ、相島」
「うん、それじゃカズ坊はここでまゆっちを待っててね」
と、二人に手を振られて、残されてしまった。
帰りたい気持ちが沸々と沸き上がるけれど、ここで帰ったらたぶん真優良は僕との連絡手段を持っていないのに、僕が帰ったと確信するまで待ち続けるんだろう。
そんな無駄な努力は、どうせ全部無駄だと分かっていても迷惑をかけるのでさせない。つまり僕は彼女を待つという少し無駄な時間を過ごすことにした。
他人の席に座るっていうのはちょっと気が引けるけど、昨日もしたことだ。遠慮なく如月先輩の席を借りよう。
座って待つ間、ぼんやりと窓の外を見る。昨日も見た夕焼けだ。空は毎日変わるというけれど、その変化をいちいち記録している人はいるのだろうか? 変わるだけ無駄なのに変わるなんて、空も大変だなぁ。
変わっても変わらなくても意味がないっていうのは悲しいね。でも人だって記録されようとされまいと、いずれ死ぬし、死ねば変わる意味はない。死なんて意外とすぐなもんだ。
「あ、こんにちは、平先輩」
妙に淑やかな声が聞こえた。
そこには女々しい仕草の真優良が立っていた。
なんでだろうと思ったけれど、普通に人がいるから隠しているのだろう、本性を。
「こんにちは、宝物院さん、本日はどういったご用でしょうか?」
僕も多少はそれっぽく相手して見るけど、彼女はムッと表情を怒らせた。
「言ってませんでしたが、私、名字で呼ばれるの好きじゃありませんの」
ありませんの!? ありませんのって何!? とまた笑いそうになるのをぐっとこらえた。
「そうでしたの? ごめんなさいの」
駄目だ。意地悪をするのはダメだと分かっているのに、くく、と笑い声が漏れてしまう。
そんな感じに笑っていて気付かなかったけれど、真優良はピクピクと眼筋が震えて、今にも叫びそうなほど顔が怒っていた。
「ご、ごめんなさいのくはーっ! ふ、ふふふふふっ!」
繰り返して言うと、僕はついに爆笑した。
「あ、あんたね……」
真優良もかなりピクピクが早くなっていて声が震えているけれど、これはもう僕が悪いとは限らないんじゃないだろうか?
「い、いやだって、くふふ、好きじゃありませんの、って、あははははっ!」
「も、もう、ふふふっ! あはははははっ!」
突然、堰を切ったように真優良が笑い出した。
「自分だって笑ってんじゃん!」
「だって、私だって変だって分かってるもん!」
周りの生徒は何事かとビックリしているみたいだけど、真優良はむしろすっきりしたような、爽やかな笑顔を見せた。
それは昨日今日見た真優良とは全く別の姿みたいだ。まあ、二日目だからそんな姿くらいはいくらでもあるだろうけど。
「はー、本当に、こんなに笑ったの何年振りだろう」
「そんなに笑ってないの? 私は毎日笑ってるけど」
「本当に笑えているの? ふーん。……それにしても、ありませんの、かぁ。くふふっ!」
「も、もうやめなさいよ」
ああ、本当にいくらでも笑えるよ。そしたら涙が出てくるんだ。
「……あんた、大丈夫?」
「何が? ああ、笑い過ぎるとね、人って涙が出るんだよ」
「……それ、違うと思う」
ドン引きしているのかと思ったけど、その顔は人を心配する時の顔だった。彼女は僕を心配しているんだ。
「違うって?」
「なんで泣いているの?」
「笑ったからだよ」
「違うよ」
今度ははっきりと、彼女は否定した。
「泣くのは、辛いから泣くのよ」
「それは悲観的だね。嬉しくて泣く人だっているでしょ?」
「そんなのいない」
随分、やっぱり高圧的と言うか傲慢な意見だと思う。
なのに、そんな悲しそうな顔をして言われると、反応に困る。
「いるよ」
「いない」
「いや、いるね。絶対だ。賭けてもいいよ」
「賭けなくても分かる」
「相変わらず傲慢だよ。もっと他人の意見を受け入れる広い心が必要なんじゃない?」
「……」
彼女は無言で僕の顔をじっと見ている。何か喋ろうという気はないらしい。けどその目はやっぱり悲しさとか心配とか、そういうのが含まれている。
「いるよ」
僕はもう一度、涙を拭いながら言った。もう涙は流れてこない。
真優良はそれでもじっと僕を見ていた。何なんだろうねこの熱視線?
「感動の表現の仕方ってのは人それぞれなんだよ。感極まって涙を流す人くらいいるさ。君があんまりハイレベルなユーモアセンスを持っているから驚いちゃったわけだよ」
「……そう」
「うん、そう。まあそもそも僕がどういう理由で泣こうと、泣いたとして泣いてなかったとして大した意味はないんじゃない?」
「どうして意味がないと思うの?」
「昨日言った通りだよ。ま、所詮人の命なんて儚いもんだからね」
「そう言ってなんでも知った風なこと言って」
「死んだことはないけど、意味なく死んだ人は知っているからね」
真優良は顔を赤くして怒って何か言おうとしたけど、言葉が出る直前のところで止まった。
それを機会に無言が続いた。真優良はしばらく僕を睨んでいたけれど、不意に視線を窓の外にやった。
僕もそれに倣って窓の外を見る。空は綺麗だ。変わろうが変わらまいが綺麗なことに違いはない。
そう思うと、目の前の真優良が素直に綺麗な人だと受け止められた。
なんと言うか、彼女も人との付き合い方を変えるけれど結局は宝物院真優良という変わらない人で、その共通な部分っていうのはやっぱり優しさが目立つ。
「君は良い子だよね」
真優良はぽかんと口を開けた。僕もぽかんとしていた。
僕は何を言っているんだろう?
「あんた、本当に大丈夫?」
「大丈夫じゃないかもしれない。本当に意味ないことを言ったね、今」
「まあなくはないけど」
「ないでしょ」
「ちょっと嬉しかったけど」
「それに意味があるの?」
「あんたって意味分からないわね」
「ないからね、意味が」
ついに、はぁー、と溜息を吐かれてしまった。
「とらえどころもないわね」
「ないないづくしだ。僕にも何かあるかな?」
「甲斐性なしで覇気もない。何もないんじゃない?」
「そうだ、人生は空虚だ。全く悲しいことだよ」
「悲しくなることはないんじゃない? 空虚だからこそ、何も考えずに我武者羅に頑張ればいいのよ」
「その努力も泡沫と消えるんじゃ、虚しいじゃないか」
「周りの人はそう思わないでしょ? 人間っていうのは互いに認め合って生きるものじゃない?」
「周りの人もいずれ死ぬじゃん」
「それはそうだけど」
ここで彼女が認めてしまった時点で、話は終わってしまった。
うーん、と腕を組んで真優良は考え込む。その間に僕はまた空を見た。
運動場からは部活動で走り込みの掛け声が聞こえる。自転車のブレーキ音、ボールを蹴ったり打ったりする音も聞こえる。
みんなのどれだけがその努力に意味があると思っているのだろう。運動で成功してプロになる人なんてほんの一握りだって言うじゃないか。ただ楽しいからするなら、努力はやっぱり無駄なんじゃないだろうか。
楽しむだけなら所詮は遊びだ。後白河法皇じゃないんだから遊びに人生使っちゃ駄目だよ。でも人生が無意味だって分かってるから、それだから楽しんでいるんなら、立派だよ。
「寂しくない?」
真優良がまた真剣な顔で、そんなことを言った。
「寂しくないけど」
「私ね、家族が嫌いなんだ」
どういう話の繋がり方なんだろう。僕の返事に対して唐突過ぎるんじゃないかな?
「お父さん、世界でも有数のお金持ちで日本の政治とかにも口を出せる人らしいんだけど、家族サービスは全然してなくて、私、お母さんと何年も会ってないの」
「へえ、大変だね」
あんまり僕の声に感情がないから、彼女はいつもみたいに怒るかと思ったけど、真優良は表情を変えずに続けた。
「高校に入るまで、会食だとかパーティに参加させられて、習い事とかもたくさんさせられて、何の自由もなかったの。ああいうのが本当に意味のない生き方だって思う。そりゃ世界的に見たら、世界有数の人々が集まる場所で互いの縁を深めるとか、大切なことなのかもしれないけど、今まで私って本当にお父さんの道具でしかなかったの。私にとってそれって何の意味もない人生だった」
真優良の話す人生は何とも想像しがたい。現実にそういう人がいるとはとても思えない、というのが正直な感想だ。
「でもね、高校に入ってからは違うの。日本人とコネを作るとかまたくだらない理由だけど、初めて私の人生だって自信を持って言える。私がいろんなことを選んで、今この場にいるの」
「はあ、突然何の話をしてるの?」
「隠し事をしていたら何でも嘘くさく聞こえるものよ? 腹を割って話すの」
となると、僕は今真優良の秘密の話を聞いたわけだ。
そして放課後雑談倶楽部のみんなが持つという重大な秘密の一端を垣間見ている、というところだろう。彼女の家庭の事情が問題とは聞いていたけど、その家族との関係が彼女にとって大きなものだったのだろう。
「だから、和男、あんたの人生って絶対に無意味じゃないよ。だってあなたが生きて選んでいるんだもん」
「いや、猶更ないね。だって死んでるみたいってよく言われるし」
「じゃあ生きなさいよ。生きて、選んで掴み取るのよ、大切なものを」
「君はそれができてるの?」
一所懸命説得してくれているようだけど、僕はその上から目線とも言える態度に快く頷けなかった。
「私はまだよ。でも、絶対に私が選ぶ……!」
答えた彼女は、僕と言うよりも彼女自身に誓っているように見えた。
「ふーん、まあ頑張ってみて」
「もちろん! だからあんたも頑張んなさい」
「別に君が頑張るから僕が頑張る理由にはならないよ」
「ほんっとに冷めてるわね! 普通の男子なら泣いて喜ぶわよ、こんなこと私に言われたら」
「たぶんあんまり普通じゃないんだろうね、僕。普通にしてたつもりなのに」
「……あんたって本当によくわからないわ。したいこととかないの?」
「ないなぁ、意味がないじゃない」
と僕が言ったところで最終下校のチャイムが鳴った。無言の時間が昨日よりあったかな?
呆れた様子の真優良が、溜息交じりに呟いた。
「明日はあんたのしたいこととかに焦点当てて話すわ」
「明日もやるんですね」
「当然です」
口調を真似て言った真優良は、赤い舌をべっと出して、鞄を持って帰って行った。
やっぱり見た目相応の振舞いをした方が可愛いな、なんて死ぬほど意味がないことを考えた。




