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食卓に僕を含めた四人の家族が並ぶ。
「おいしいね、千沙」
「うん!」
「おや、ありがとうねぇ」
感謝の言葉が祖母から出たということで、料理を祖母が作ったと分かる。
そしてお弁当も、これはお昼食べた時に知ってたけど、味つけから祖母が作ったと分かるのだ。
気付かれないように母の方に目をやると、相変わらず黙々と食べていた。
母は働いている。インターネット関係のデザイナーみたいな仕事らしいけど、まあそれがどうしたって感じだね。
僕も淡々と食事を続けた。さっき笑顔を浮かべた千沙も祖母も徐々に無表情に変わっていく。きっとこのまま、いずれ誰もかれもが淡々と生きていくのだろう。
まあそれもやむなしだ。笑顔で食べようが無表情で食べようが広い世界において何の意味もないだろうからね。
祖母の家なんて正月とかお盆に数日来るくらいだから、暮らすなんて慣れないと思っていた。
けれど実際に来てみると、緑色の絨毯が広がる二階のこの一室、祖父の書斎だったと言うけれど元々本棚と勉強机しかなくて、テレビに布団にといろんなものを置いてもまだスペースがある。
内装はそのせいで少し殺風景で、広々とした部屋で寂しげだが、気持ちに余裕はある。
少し早目に就寝しているところに、誰かが部屋にやってきた。
時間は朝の一時だ。その時間にもっとも似つかわしくない人がそこに立っていた。
「お兄ちゃん、おきてる?」
心細そうな千沙の声に、体をゆっくりと起こした。
「どうしたの、こんな時間に?」
「一緒にねていい?」
母さんは? と尋ねようとして言葉を止めた。千沙の頬はぶたれたように赤くなっているように見えた。
もちろん、夜で部屋は真っ暗だから殆ど見えない。だから僕の気のせいって可能性も充分ある。
それにほら、千沙もまだ子供だ。四歳児。お父さんが亡くなったばかりできっと誰かと一緒に寝たいんだろう。
でも、千沙は母と寝ているはずなのになぁ。
深く考えないようにはしたいけど、母が千沙を叩いた可能性は充分ある。けどそれは聞かない。
「こっちに来なよ。今日は一緒に寝よ」
「うん!」
喜んで布団に飛び込んでくる千沙を、そっと抱きしめて頭を撫でた。黒い髪は流れるように梳くことができる。子供の髪ってのはいいね。
「おやすみ、千沙」
「……ん」
けれど僕は少しの間寝られなかった。
今日のことを思い出す、母のこともあるけれど、雑談倶楽部の真優良もなかなか印象深い。
お金持ちの令嬢で一年生らしい彼女は、日本人離れした見た目なのに身長が低くて残念だ。
能力は様々な点で優秀らしいけれど、話している感じじゃ人生に苦労している雰囲気だった。
教室ではどんな風に過ごしているんだろうか。人を疑う主義でまともな人付き合いなんてできそうにないけど。
でも考えるだけ無駄だね。眠いから寝る、そんな本能の行動に僕は従う。
また学校だ、やんなるね。
自転車通学のおかげで朝の軽い運動がてらに登校できるのはいいけれど、学校自体に何の興味もないのが問題だ。
ただでさえ勉強は嫌いだし、しかも難しくもない。運動は嫌い。
何より雑談倶楽部で話すという時間の無駄と思われるアレ。本当に良い経験か何かになるのだろうか? 如月先輩、信じ切れないなぁ。
「おい和男」
自転車に乗っている時に声をかけられたので、校門前で降りて後ろを見た。
「なんだ、佐藤。どうしたの?」
「お前昨日放課後、相島さんに連れて行かれたの、やっぱあれか?」
「あれって?」
「とぼけんな! 雑談倶楽部に行ったんだろ!? 放課後雑談倶楽部によ!」
「ああ、行った行った」
朝から佐藤は濃い顔をますます濃くして騒ぐ。余程彼にとって雑談倶楽部は重要らしい。やれやれ。
「ど、どうだったんだよ? 一体何の話したんだ?」
「僕の家族とか、そんな感じ」
「普通だな……」
「雑談だからね。なにを話すと思ってたの?」
「いや……それは特に考えてないけど」
佐藤は悩んだ様子で言った。どうやら本気で何も考えていなかったらしい。たぶん、この人は頭が悪い。
「でも実際によく喋ったのは真優良だけだから、そんなにみんなと仲良くなったわけじゃないよ」
「なっ!! おま、おま、お前―っ! 雑談倶楽部人気ナンバーワンの宝物院真優良様を名前の呼び捨てで呼ぶなんて暴挙が許されると思っているのか?」
「年下の女の子を呼び捨てで呼んだら駄目なの? それに芸能人だってみんな呼び捨てにしているじゃないか」
「お前なぁ、大人なんだからその辺りは分別つけようぜ」
ぽんぽんと、佐藤に肩を叩かれて宥められるとなんだか嬉しくない。
「にしても、人気ナンバーワンって?」
「分かるだろ? 高貴な振舞い、日本人離れした美しい外見、守ってあげたい愛らしさ、欠点のない成績! 家柄! 逆に欠点を挙げてみろよ」
「性格が悪いでしょ、背が低いでしょ、んで自意識が高い。傲慢だね」
「はぁ……お前なぁ」
呆れてたまらない様子の佐藤の後ろに、例の車が見えた。
「あ、あれ」
「お、おおお! 朝に真優良様のお車を見られるなんてついている! お前もちゃんと真優良様をもう一度見て、その歪んだ目を治せよ」
「君こそその節穴に眼球を入れた方がいいと思うよ」
ぐぐぐ、と肩を思い切り握ってくる佐藤に、僕は腹の肉を引っ掴んでやった。けれど彼の腹は存外逞しくて、掴むというより抓む感じだった。
そうこうしている間に、車から白髪でスーツのお爺さんが降りて真優良をエスコートしている。
そこから出てきた真優良は、もう僕の知っている真優良じゃなかった。
「宝物院さん、おはよう!」
「あら、皆さんおはようございます」
その穏やかで暖かみを帯びた笑顔の慈愛と母性は、昨日の自愛に満ちた真優良とはまるで別人だった。
「真優良、おはよう」
同級生だろうか、背の低い女子が近づいて挨拶すると真優良も軽く手を振って同じように近寄る。
「おはよう、白、宿題はちゃんとやった?」
「あ、忘れてた」
「また、どうせそれ目当てのくせして」
喋り方自体は昨日のそれと似ているようだけど、その表情の一つ仕草の一つ一つがまるで別人だ。あの無愛想で怠そうな男勝りな姿と比べると、月と鼈、提灯に釣り鐘、クジラとイワシ、駿河の富士となんとやら、ウサギとカメでアリとキリギリス。意味不明。
「はえ~、やっぱり真優良様は天使だぜ~」
隣の佐藤は本当に真優良教に帰依しそうな雰囲気で両手を合わせて南無南無と拝んでいる。それは仏教だけど、気持ちはちょっと分からないでもない。
麗しい、というのが感想だった。
けれどああ、なんてことだろう。
ゆっくりと校門の方に、つまり僕達の方に近づいている真優良を見て、僕は耐えられなかった。
人生は意味がないけれど、意味がないからこそ僕は無意味なことも有意義と言われることにも参加する。
けれど人に迷惑をかけるだろうことはしない主義だったのに。
真優良には、それをしてしまうことになってしまう。
耐えきれなくて。
「ぷふっ、ぷふふふ、はははははっ、ふふっ!」
佐藤と真優良の友達、そして真優良も怪訝な顔付きで僕を見る。
「くくっ……ごめん、真優良」
「な、なんですのこの方」
「うっ! もう勘弁してっ!」
似合わない、その麗しさが似合わな過ぎて、堪らない!
そこで真優良も顔を赤くしてだんだん近づいてきた。
「ちょっと、失礼ですよ」
と大きな声で近づくと同時に、耳元で言った。
「やめてよね、そう言うの!」
「ご、ごめんごめん、でも本当に久しぶりに笑ったよ」
震える自分のお腹を抑えながら、しみじみと思い出す。
本当に久しぶりに笑った。あの人が死んでからは初めて笑っただろう。
「……まあ、馬鹿にしているわけじゃないなら、いいですよ」
真優良はちょっと困った風に頬を膨らませて、そっぽを向いた。そのまま友達と一緒に横を通り過ぎて行った。
僕は、またその女の子らしい仕草につい噴き出してしまった。
「く、くくくくくっ……」
「おいおい、お前何がおかしいんだよ? おかしくなったか?」
「そうかもしれないね。あははっ、くく……」
「あー、いるよな、笑い過ぎて泣く奴。なんで泣くんだろな」
「さあ、なんで泣いているんだろうね?」
暫く僕は、笑いながら泣きながら、そのまま教室へ歩いていった。
「だっから、お前は幸せもんなんだよ! 分かるかその境遇の良さ! 転校生のくせに!」
「転校生だから分からないんじゃないか。っていうか君も暇だね」
お昼休みに、わざわざ佐藤は僕の机にくっつけてお昼ご飯を食べている。昨日は他の友達と一緒に食べていたのに、だ。
僕はちらりと北斗を見たけど、彼女は彼女で他の友達と一緒に食べている。この教室の人達は誰とでも食事を共に過ごせる訓練でも受けているのだろうか。僕は以前は決まった人としか食べなかったのに。
いくらかの同級生は佐藤を誘いに来たけど、なんか彼は『今日はこいつにがつんと言わなければ気がすまん』とか言って追い返していた。今日は、って昨日と今日しか一緒に過ごしてないのに。
佐藤はお弁当箱を広げながら、箸を僕に向けて喚く。横から刺す陽射しが彼の暑苦しい顔を更に暑苦しくしていた。十一月と思えない熱意だ。勉強に向けなよ、それ。
「いいか、放課後雑談倶楽部は全男子生徒の憧れだ。もしそのうちの一人とでもお近づきになれたら、それだけで一日はクラスの会話の中心になれるぞ」
「なってないじゃん、僕」
「それは、まあそうだけど」
多分彼が過剰に憧れているだけなんだろう、口をもごもごさせた後、おかずをくちにはこんでもぐもぐして誤魔化していた。
「それに、そんな楽しいもんじゃないよ? なんかすごくけなされた気がする」
「誰に?」
「真優良」
「お前、もしかして幻覚見てたんじゃねえか? それか狸に包まれたな」
「それを言うなら狐につままれるね。まあ確かに胡蝶の夢然り、世界五分前説然り、僕の記憶や経験なんか所詮無意味で事実か嘘かも分からないからね、結局はこうやって疑う自分自身の存在しか証明できないんだ」
「ごめん何言ってるか全然分かんねえ」
言って佐藤はまたパクパクと食事を進めた。不思議と家族と食べている時と違って、彼は無言というよりも本当に食に集中しているという雰囲気が出る。絵になる男だ。
で、僕がまだ半分も食べていないのに彼は空になった弁当箱に蓋をして、改めて口を開いた。
「ともかくだ。宝物院真優良様はさっきも言った通り、欠点なしの人気ナンバーワン女子。一年生にして人気ランキングがあれば一位は間違いなしの人気者だ」
「へー、笑っちゃうね。真優良が一位なら君は二位だよ」
「冗談じゃねえって! 逆になんでお前がそんなこと言うのか分かんねえ。ちょっと話してみればすぐにいい子だって分かるだろ」
ちょっと話してみた結果こうなっているのに。とは思うが、彼がそういう理由も理解できる。
真優良は面の皮が厚いのだ。騙すというと人聞きが悪いが、よく外面が作られているのだろう。
「まあ、そうだね。優しい子だとは思うよ」
嘘の面でも本音でも、たぶん人を思いやる気持ちは充分ある。あと僕をどうにかしようという責任感も。
「だろうだろう?」
彼は自分のことのように満足そうに頷いている。彼は一体どういう立場なんだろう? アイドルの布教をするファンのようなものなのだろうか? それほどに真優良にはカリスマがあるのだろうか?
けれど、昨日あれだけ罵られたにも関わらず、確かに一概に彼女が嫌な奴とは言えなかった。それはきっと彼女の本当の人間性にあるものなんだろう。とか適当に考える。




