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 相変わらずの黒い車の中には、骨が折れた黒い傘が入ってあった。

 無言でそれを一瞥し、そして運転する義三さんに挨拶した。

「どうも。義三さんはお咎めなかったんですか?」

「ええ。辞めさせられる覚悟はありましたが、旦那様はただ笑うだけでした」

 そんなわけあるまい。あの時突然車を降ろしたのも、城田が尋常でなく必死に真優良を連れ帰ろうとしたのも、少なくともどちらかは宝物院喜央が原因だろう。

 義三さんは喜央氏との付き合いが長いらしいから、結果良ければ許されたのかもしれないが、現に城田が職を辞さねばならないというのは、何かしらの責任を取ったとみて間違いないだろう。

 けど僕は愛想よく笑っといた。真優良の前で深く追及するものではない。

 相変わらずリムジンなのにどこかの電車みたいに向かい合う席で、真優良は能天気な笑顔だ。

 ごめんなさい義三さん、やっぱり真優良は阿保です。同じく阿保の僕がしばらく面倒見ます。

 その後、義三さんは初めて車に乗せてもらった時のように急ブレーキで僕と真優良の体をくっつけさせようとしたけど、しっかりとシートベルトをつけていたのでそんな展開にはならなかった。

 でも、今度あんな風になったら、キスくらいしてもよかったかもしれない、なんて色情的な考えをする程度に僕はませていた。



 相変わらずの洋館で、お出迎えは変わらず冴子さん。

「お久しぶりです、冴子さん。お咎めはありませんでしたか?」

「お客様がお気になさることではございません」

 あったんだ、お咎め。この対応の違いが、義三さんと冴子さんの年季の違いを感じさせる。

「それじゃ、お父さんに挨拶して」

「えー……殺されない?」

「あのね、お父さんは別に殺し屋じゃないから」

「でも間接的には大量の人を殺してそうだよね。なんてったって世界的大企業の社長様だもの」

「和男様、あまり旦那様の悪口をおっしゃられると……」

 義三さんが妙に低い声で言うので、すぐに口を噤んで頭を下げた。僕はとんでもないことを言っていたみたいで、ああやっぱり疲れているんだなぁと思った。とりあえず、そういうことにしておこう。

 冴子さんに案内されて屋敷の奥へと進んでいく。

 やがて同じ場所に辿り着いた。

「いらっしゃい、まあ、座りなさい」

「ご無沙汰しています」

 まるで喜央老人は、あの数日間から一歩も動いていないかのような雰囲気でそこに鎮座していた。

「先日は申し訳ございません、いきなり突飛なことをいたしまして」

「いやいや、若いうちはあれくらい奔放であるべきだ」

 そう老人は吃吃と笑うが、どうにも油断ならないのは、僕が以前より真優良を大切に思っているからだろう。

 しかし、多忙であろう喜央氏がここにいるということは、僕がここに来ると恐らく今日知っているからだろうので、真優良が僕を誘ったのは偶然ではない可能性が高いのじゃないかと思う今日この頃。

「それで何かご用でしょうか?」

 だから僕は喜央氏に尋ねた。

「なに? 君がここに来たんじゃないか?」

「そうですけど。でも何かあなたの方から話したいことがあるなら先に聞こうかと」

 何もないならそれに越したことはないけど、彼は両腕を合わせて、腕を全てすっぽりと裾の中に入れて、厳粛な雰囲気で言った。

「二人とも、座りなさい」

 最初に言われたのに、そういえば僕は立っていた。どうも近寄りがたい雰囲気があるので無意識に警戒していたのかもしれない。

 言われた通りに座ると、後からおずおずと真優良も座った。

 隣に真優良、正面にその父親、正座で畳、これは『娘さんを僕に下さい!』っていう場面を思い出させて、妙な緊張がある。恐らくいずれ言うことになるが。

「さて和男くん、君は真優良のことをどう思っている?」

「どう、と言いますと、女性としてですか? 人間としてですか?」

「君が真優良について思っていること、全て話してもらいたい」

 この答え方が何かを左右するだとか、喜央氏が何を考えているか、みたいな下種の勘繰りはやめて正直に答えることにした。それで認められないなら、その時はその時だ。

「まず――第一印象は、いえ今もそうですが、生意気で口ばっかりの小娘ですね。一人じゃ何もできないくせして偉そうで、けれど憎めない人柄です。子供は我儘なほど可愛い、という奴でしょうか。初対面の時は驚きましたが、外見も声も性格も、あどけなくも一所懸命で、可愛いです」

 初対面は僕のことを知るために、掃除用具箱から出てきたのだ。とんでもない女だよ。

「ははは! 子供扱いじゃないか、真優良」

 隣の真優良は黙ってうつむいて、耳まで赤くして恥ずかしそうだ。ここで騒がないのは、少し意外だったけど。

「なあ和男くん、下世話な話になるが、君はどういう女性が好きかな?」

 佐藤がしてきそうな話を喜央氏は穏やかな笑顔を浮かべて尋ねてきた。

 ここまでくればどういう意図か分かりそうだけど、気にせず正直な気持ちをぶつけることが大事、と言うほど僕は世界が美しいとは思えないが、喜央氏には下手な嘘を言えない。

「特定のタイプが好きということはないですね。あ、でも今回……メイドとかよかったですね」

「はははっ! そうか、ふむ……」

 彼は真優良を見たようだった。その真優良は変わらず俯いている。

「まあ、それだけ聞ければいい。では本題だが、和男くん、君には今回大きな迷惑をかけてしまったな」

「迷惑? むしろ僕がかけたと思うんですが」

「いやいや、我儘で、一人じゃ何もできない小娘が、こんな大胆なことをしたのは初めてでね。今までは口で何か言うだけだったのに、家を出て、電話もしないと来たものだ。友達にカラオケに行ってもいいかどうかすら、電話で私に相談していたのにな。まさか、メイド喫茶でバイトとは」

 喜央氏は耐えきれなくなったように声を出して笑う。まあ、笑っちゃうよね。

「ちゃんと働けていたのか?」

「ええ、真優良のメイド、喋り方もちゃんとしていましたし、凄く可愛かったですよ」

 言うと、初めて真優良が僕の腕を掴んだ。照れ隠しだろう、ちょっと強く握っただけで、顔はやっぱりそっぽを向いたままだった。

「そうか、ふふ。それで、私は迷惑をかけてしまった君に、何か償いをしたい。欲しいものはあるか?」

「では、僕に娘さんを下さい」

 ちょっと流れが急だったかもしれないが、僕はそう言ってまっすぐ喜央氏を見つめた。

 彼は一度開眼したものの、まるでそれを予測していたかのように僅かに笑んだ。

「私に決定権はない。それは、当事者同士が決めることだ」

「そうですか。じゃあ、真優良」

「いや待て、君についての話は以上だ。まだ真優良にしなければならない話がある」

 瞬間、僕を掴む真優良の腕が震え、また喜央氏の表情が厳格なものになった。

 僕についてはお客様の、そして本当に感謝すべきだと思って優しく接していたのだろう。だが、真優良についてはお説教、というやつなのだろう。

「悪いが和男くん、出て行ってもらえないか? できれば二人きりで話したい」

 さてどうしたものか、悩みつつ真優良に顔を向けると、彼女は小さく頷いた。

 任せてくれ、と言うにはあまりにも頼りなげな面持ちだが、一人じゃ何もできない彼女だが、彼女の成長とやらを見たいのは、喜央氏だけではない。

「それじゃ、僕は帰るとするか」

 去り際に、少し真優良の頭を撫でてから、僕はそこを後にした。

 そして、廊下で出会ったのは意外な人物だった。



 私服のラフな若者じみた格好の城田と遭遇した僕は、夜に染まりつつある空の下で彼の言葉を待っていた。

「僕は間違っていたと、君もそう思うかい? 平和男くん」

 どこか飄々と、投げやりな感じで城田は言う。お道化た雰囲気、まさしくピエロのような。

「君も、っていうことは、誰かがあなたを間違えていると言ったんですか?」

「みんなだよ。褒めてくれたのは喜央様くらいだ。姉さんも暮林さんも、あまりにむごい」

「姉さん?」

「城田冴子、君とも馴染み深いと思うけど」

「兄弟でしたか。それは気付きませんでした」

 しかし言われてみれば、どこか強気な面持ちは似ていなくもない。目元が……と言おうとしたけど、よくある言葉なのでやっぱり閉口した。

「みんなが間違っていた、ですか。城田さんは間違っていたと思うんですか?」

「渡でいいよ。僕は……分からないな。あの時は……まあ愚痴っぽくなるんだが、暮林さんと姉さんが解雇されかかっていてね、急いでお嬢様を連れ帰らなくてはならない状況だったんだ」

 言われて、僕の中の何かが張り詰めるのを感じた。それ程までに大きな問題になっていたとは想像だにしなかった。

「だから僕はお嬢様を、何にもまして連れ帰ろうとした。君に手荒な真似をしてしまったことも、今思えばやりすぎたかもしれないと思う。でも、必死だったんだ」

 姉と、尊敬する人のためにだろうか、彼は彼なりに正しいと思うことをしていたのだろう。

「けれど結果はこれだ。お嬢様に嫌われたから、そんな理由で僕がここを去ることになった。なんていうかさぁ、やるせないよな」

 それはやるせない。お道化たくもなる。

「冴子さんと義三さんはどうなるんですか?」

「たぶん変わらないよ。二人は今まで通りさ」

「なら、意味があったじゃないですか」

 結果的に彼は一人犠牲になることで、その二人を救えた。それは確かな意味と言えるだろう。

「かもな。でも、不服だ」

「でしょうね。それでも、僕は自分が間違ったと思わない限りはいいと思います。誰がなんと言おうと、自分自身が間違ったと思わない限りは」

「そうかい? でも暮林さんに言われると、傷つくんだよな」

「でも結局義三さんが辞めさせられていたら、どう思いますか?」

「それは……! ……はぁ、やっぱり今の形が一番なのかもしれないね」

 最初の嫌な雰囲気と違い、彼は諦めを享受したように呟いた。

「そうですよきっと。世の中に全部まとまるハッピーエンドなんてないんです。何かを失っても、それで得られる何かがあるんです」

「何もかも見知ったように言うね」

「何もかもは知りませんが、僕も今回のことでいろんなことを知りましたから」

「何を?」

「意味っていうのは自分で感じられればいいんですよ。無意味とか有意義とか、誰が決めるじゃなくて、自分自身で決めるんです。たった十秒でも、この間の三日間でも」

 僕を見る彼の目は妙にしょげかえっていた。

 励ましているつもりなのだが、今の僕は彼にとって眩しすぎるのかもしれない。

「自分で決めるか。言われずとも分かっているつもりなんだけどね。でも、真優良お嬢様にとって、今回の旅があった方が良かったのか、なかった方が良かったのか、それだけは僕には決められない」

「はい?」

「お嬢様はやんちゃが過ぎるけれど、良家の令嬢って身分は変わらない。貰い手が沢山ある、会社にとっても重要な人物だ。今回の火遊びは経歴に泥を塗ることになる。その点でも、僕は間違ったことをしたとは思っていない」

 なるほど星を見上げるような彼の視線に迷いはない。その観点なら、彼は間違っていないだろう。

「真優良本人の楽しみを考えれば、僕は今回のこと、そしてこれからのことも間違っているとは思いません」

「これから?」

「ええ。良家の人と釣り合わない泥があるなら、僕が泥を拭ってやりますとも」

「それは……、いや、君はなんというか、凄いな。普通じゃない」

「そうですか? 男ってのはここぞとばかりに決めるものだと思うんですけど」

 彼はたまらなくなって笑い出した。真面目に言っているつもりなのに、不快だ。

「じゃあ僕は行くよ。新しい就職先を考えなきゃならない」

 そう彼は自分の手荷物をもって立ち上がると、どことも知れない方向へ歩いていった。

 後悔せずに進み続けることは簡単じゃないかもしれない。

 けど今の僕には、きっとそれができる。何故かそう思えた。


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