19
店長達に事情を説明した後、僕は真優良との旅のために義三さんから受け取ったお金の残りの殆どを、店の修理費とかナントカ費の名目で返した。
店長も宮子さん姫華さん達みんな義に厚くて全然気にしていない様子だったのが、本当に驚きだ。そもそも姫華さんはバイト代が高いから続けていると言ってたけど、こんな店で働くのは義に厚いからなんだろう。今思ったけど、義に厚いってなんだろ。
そして残ったなけなしのお金で、電車に乗って僕は家に帰った。
真優良の制服も置いておくわけにはいかないから家に持って帰ってきたのだが、下着とかも入っていたから家族からあらぬ誤解を受けたし、千沙は一日僕に抱き付いて離れなかったりしたけど、大体元通りだった。
そして日曜日になって、月曜日になった。
「おはようカズ坊!」
「カズ坊はもうよしてよ。恥ずかしいから」
「そんなこと言わずに……おや?」
北斗が朝迎えにきて、真っ先に目を向けたのは僕のズボンの裾を引っ張って離れない千沙だろう。
「どうしたの?」
「家にいるとずっとこうなんだよ。また僕がどこかに行っちゃわないかってね」
お婆ちゃんも困ったようにしている。悪いのは僕と言えど、こうもべったりされてはいかんともしがたい。
「こうなったら学校休もうかな?」
「お兄ちゃん、それはダメ。サボったらいけないんだよ」
「それちーが言うことじゃないよ」
そう言うが、千沙は手を放しそうにない。真面目だけど、まあいなくなった僕が悪いのは仕方ない。どうしたものか。
「とかく北斗は先に行ってなよ。僕は千沙を宥めてから行くから」
「ちぃも行く」
「いや、駄目だから」
こればっかりはどうしたものか。強引に登校したら泣き喚いてどうしようもなくなりそうだ。
「大丈夫だって。ほら、確かに三日くらい帰ってこなかったけど、今はいるでしょ? 一週間もいなくならないから」
「やだ!」
「ほらちぃちゃん、先生も待っているから」
結局はお婆ちゃんが強引に引っ張って、僕は学校に行くことになった。
「やだあああああああ! 兄ちゃああああああああああ!!」
「絶対に帰るから。大丈夫」
千沙の頭を撫でて、僕らは逃げるように家を出た。
自転車を進める足が遅いのは、千沙が心残りなだけではない。
学校に行って真優良と顔を合わせてみたらどうなるか。
僕らは結局どういう関係なのか。言ってしまえば互いに好きだと告白したようなもので、つまりはカップル成立って感じだけれど、そんな感じは一切しない。
はて、どんな顔をして会えばいいのか。
「にしてもさー、驚いたよー! まさか駆け落ちするなんてさー!」
「駆け落ちじゃないよー! 旅行に付き合っただけー!」
もしも執事城田から逃げ延びていたなら、それは立派な駆け落ちだったかもしれない。でもあれじゃ旅行して、家の人が来たから帰ったって形になる。ごく普通の展開だった。
「だったら今日も放課後にまゆっちと話しなよー!」
「なっなんで!?」
「雑談倶楽部じゃーん!」
僕の狼狽は明らかだったと思うけど、北斗は自転車で先行していたから気付いていない様子だった。
しかし雑談倶楽部か。僕はもう、意味というものを知ったから必要ないんじゃないだろうか。
「……大丈夫だよ」
「なんてー!?」
僕の呟きは、あまりに静かだったらしい
「なんでもなーい!」
言って、僕はただ進んだ。
やはり、もう一度くらい話してみてもいいかもしれない。
学校では驚くほど何もなかった。
例えば学校をサボったとか、年下の生徒を誘拐したとか、そんなことで滅茶苦茶怒られることも覚悟したのだけれど、ただ佐藤がやかましいだけだった。
「なあお前本当か!? 本当に宝物院さんと今日の今日まで一緒にいたってのか!?」
「いや、土曜日くらいまでだよ」
「なんだってぇ!? お前、お前なぁ! お前ってやつはよ! すげえよ! すげえよ!」
「君もある意味凄いよ。君がいると僕は、ああ学校に戻ってきたんだなぁって思うよ」
「照れるぞ、それ!」
本当に、ちょっと安心する。変わらない日常っていうのは素敵な感じだ。
でも僕は変化を求めていたのだろう。だからこの無謀をして、今充足感に満ちている。
「あれ、お前そこ赤くなってないか? 大丈夫か?」
城田にぶん殴られた顔を無遠慮に撫でてきた佐藤を、僕は振り払った。
「大丈夫じゃない!」
痛いから。顔はマシだけど、腹はマジで。
放課後になって、北斗が僕の元にやってくる。
「それじゃ、行こう」
「大丈夫、一人で行くよ」
「そう? ……ふふ、変わったね。立派な顔付きになったもんだよ。この旅でカズ坊も成長したわけだね」
「なに大人ぶっているんだか」
「大人だよ。もうカズ坊もカズ坊なんて呼べないかもね」
寂しげに去る北斗は、どこか昔の姉御肌のある姿を思い出させた。
懐かしき思い出だった。北斗と和女のことを思い出すけれど、今は真優良だ。
三年生の教室、一人夕焼けの斜陽を浴びる彼女は、どこか物憂げで、大人びて見えた。
「真優良」
呟くと、彼女はその寂しげな、ぼーっとした表情をこちらに向けた。
「うん」
既に机は向かい合うように並べられている。如月先輩の手配だろうか。
「随分気の抜けた顔だね。元気ないの?」
もしかしたら転校させられるぐらいの覚悟は僕もした。けど駆け落ち未遂という前例があるのにまた学校に来ているのだから、それはないのだろう。
ならどうしてそんなに寂しそうなのか、彼女は口を開いた。
「私のことが好きって言ってたわね」
弱みを握られたような気分だけど、表情を変えずに真優良は続けて言う。
「何が悲しいの?」
悲しいけど君が好きだ、なんてのは確かに男としたら告白として最低レベルで、女性からしてみれば意味不明な言葉だろう。自分のことがますます嫌になる。
「説明しようか?」
真優良は恐る恐る頷いた。
嘘を吐く意味もないだろうから、正直な自分の本音を語ろう。
「君はさ、本当に子供っぽいし、自分じゃ何もできないし、けれどとても可愛らしくてアイドルみたいで、しかも家は世界的な大金持ちときた」
はぁー、とわざとらしく溜息を吐いて、もう一度真面目腐った顔の真優良に事実を突きつける。
「そんな君を好きになるってさ、僕が凄く浅はかな男みたいじゃない? 見た目と家に引っ張られただけの、小男だよ。まあ、なんで好きになったかは自分でも分からないけど」
「うそじゃないの?」
真優良はそう聞いてきた。僕にはその疑問の意味が分からない。
「どうしてこんな嘘を吐く必要があるのさ?」
「こう、私が連れ去られて、二度と会えなくなるかもしれないから、最後に良い思い出を作るみたいな感じで」
二度と会えないけど実は両想いだった、というシチュエーションが真優良は好きらしい。けれど僕はそれを鼻で笑ってやった。
「それって、君が僕のことを好きだっていう前提があってじゃないか。真優良、僕はそこまで自惚れちゃいないよ。君が僕のことをどう思っていようが、僕が君を好きなんだよ。はぁ」
何度も言ってますます自己嫌悪に陥る。本当にどうして真優良と一緒にいたいとか、喋りたいとか、そんなことを考えてしまうのだろう。恋は本当に病のようだ。
「……本当に私のこと、好きなの?」
「疑うねぇ。そんな嘘を吐く意味ないじゃないか」
「言葉じゃなくて態度で示してよ。和男のひょろひょろした言葉じゃ信じられない」
真優良は弱気な女性の顔を示しながら一歩も退かない意志の強い言葉を発した。
態度、態度で示せと?
僕はまた溜息を吐いて、ゆっくりと立ちあがった。
そして隣まで歩いて、彼女を見下すようにして言う。
「僕はね、君を傷つけるような真似はしたくないんだよ。こういう好きの形なんだよ」
「そんなの! ……やっぱり、嘘なんだ」
呟く真優良は、悲しそうに顔を俯かせた。
「信じてくれないの?」
「信じられないよ」
「前に言ったじゃないか」
真優良の肩を掴んで僕の顔を見させるけど、真優良はまだ疑っているらしい。
「何を言ったの?」
ああ、もう、態度で示すというか、正直に動くというか。
真優良に覆い被さるように僕は椅子に乗りかかった。
「一昨日だっけ? あの夜以上の、あれ以上のことを、しちゃうかもしれないって」
まだ校舎、放課後。廊下には生徒も先生も来るかもしれないし、人に見られたら、あまり嬉しくない場面になる。
けれど今後ろ姿を見られたら、してようがしてまいが、そういうことをしていると思われるだろう。
どっちでも変わらないならしてしまえばいい。
僕は真優良に口づけをした。
僕はその間、目を閉じていた。恥ずかしいからなのか、こういうのは雰囲気が大事なのか、分からないけどそうしていた。
そして体を離すと自然を目を開けた。彼女の目はその時には開いていた。
「……嘘?」
「何が嘘なんだよ」
「だって……いえ、ごめん。そう、いつもあなたは私の想像を超えていた」
「そんな立派なもんじゃないけどさ」
「ううん事実。だって私の想像だもん」
真優良はそう言って、ようやく笑った。まあ真優良の想像にまで口出しはできない。余程僕の評価は低かったのだろう。
やっと一段落、と体を離そうとしたら真優良は素早く僕の手を掴んだ。
「いや、この距離で話すのは……」
「そうだけど、でも」
こういう真優良の微妙な反応はよくわからない。一緒にいなきゃダメなのか、離れてもいいのか。
「いやぁ仕方ないなぁ真優良は本当に甘えんぼさんなんだから僕がいなくちゃ駄目なわけだははははははは!」
思い切り剽げてみると、真優良はムスッと頬を膨らませて、どんと押してくる。
「もういい!」
「怒った? ごめんごめん」
「もういいから!」
まあやはりというか、真優良は怒って何度も僕を突き飛ばす。こうなると、辛いのは僕だ。
「なんか、嫌われているみたいだからやめて」
「そっ、そういうつもりじゃないから!」
もう以心伝心なのかもしれない。でもこれ以上いちゃつくのもなんだか悪い気がするので、そろそろ雑談を始めよう。
軽く吐息して真優良と向かい合う席に座り、僕は人懐こい笑顔を浮かべる努力をした。
「顔、変だよ」
「ちょっと待ってそれは本当に酷い」
結局は、普段通りの顔にした。
「それで、何か話す?」
「ねえ、和男から話したいこととかないの? ずっと私から話してたし」
真優良はそう期待に媚びるような目で言う。
「家で平気だった? お父さんとか、あの城田って執事とか、義三さんとか」
「あんまり変わりないわ。ただ、城田には辞めてもらうことになったけど」
「えっ!? なんで?」
「腹立たしいから」
これがお嬢様か、と内心驚いた。腹立たしいという理由だけで辞めさせられるなんて、いやそれは労働基準法だとかに反しているだろうし、なんか組合とか作られるまでもなく宝物院家が大きな問題になるだろうけど。
けど真優良は何も気にしていない様子だった。これじゃ旅に出る前の世間知らずお嬢様と同じじゃないか、とほほ。
「ああ、城田さんに一言謝りたい気分だよ」
「だったら、うち来る!?」
今度は喜びと期待に瞳を輝かせていた。
「今から?」
「うん!」
「あのさぁ真優良、僕は君の家族からしてみれば、娘をさらった憎き男なわけだよ。君は好きだの結婚だの言うけれど、家族仲は最悪じゃないか?」
というか僕なら殺す。最悪どころじゃない、宝物院家のような力があるなら物理的だろうと社会的だろうと必ず殺す。物騒なのは分かるけれど、そりゃもう真優良みたいに可愛い娘なら猶更ね。
「そんなことないよ? お父さん、見直してたし」
「見直してた? 城田さんを?」
「なんでそうなるの……。和男のことに決まっているでしょ? 意外と行動力もあるし、娘のことを大事に想っているようだとか言って」
僕はその話を半信半疑で聞いていた。確かに行動力ある行為をしたし、真優良を大切に思っての行動も何度かしたけれど、かの大社長がこんなことで評価するわけがなかろうて。
「いや、やっぱり家はいいよ。今日は帰る」
言ったら殺されかねない。きっと油断させて僕を殺す気だ。これは懐疑主義が伝染したかな?
「そんなこと言わないでよ。ねえ、私のことが好きなら来て! ……これは、ちょっと恥ずかしい台詞ね」
「だったら言うなよ」
「でも、そういうこと。嫌なら、そういうことだと思うから」
真優良はそう言い切って、今度は冷めた顔をした。
「なんて狡い女だ。そういうことばっかり言うから子ども扱いされるし、一人前だと思われないんだ。分かってる?」
「知らなーい。つーん」
目を閉じ、そっぽまで向き始める始末。どうしようもない女だ。
「分かった分かったよ、はいはい、愛してる愛してる、世界で一番大好きだ。家でも地獄の果てでも一緒に行くよ」
「うふふ、言質は取ったから」
そして真優良は上機嫌で歩き出した。ああ、僕はその家で気まずい想いをするのだろう。




