15
気が付くと、真優良が退屈そうに僕を見ていた。
「こ、ここは……」
「睡眠薬で眠らされている間に密室に連れてこられた人、みたいね、なんちゃって」
かつての僕のような減らず口を叩く真優良は差し置いて、時計を見ると既に午後の五時。
「三時間くらい眠ってたけど、これからどうするの?」
「それよりその間どうしてたの?」
「ぼーっと。ここは暖かいし、公園で待つよりよっぽどマシよ。水もあるし」
そう笑顔を見せる彼女は、公園の時よりかは随分タフに見える。良い成長だよ。
「そっか、ごめんね」
「いや、平気だって。それよりもこの後、ご飯も食べたし、どうするの?」
「そうだ、京都に行こう、に限る」
「今から?」
「今から」
何か考える様子の真優良に僕はキリッと言う。
「でも、時間が……」
「その辺りでカラオケか何か見つけて泊まればいいんだよ」
「と、泊まるって……」
「なに?」
困惑した真優良は、若干怒るような、恥ずかしがるような仕草を見せた。
そうだよ、僕らは若い男女じゃないか。密室で二人きりで泊まるなんて嬉恥ずかし悲し卑しの経験を、しかも年下だ。しちゃいけない、大問題。
とは思うけど、ここは反論。
「今更何を恥ずかしがっているんだ君は。君だって僕の前で寝姿を晒し、僕だって君に無防備な姿を見せたわけだよ。もう運命共同体さ、今更君の体をどうこうしようなんて思わないし、そもそもそんなこと言ったらこれからずっと眠れないじゃないか」
「で、でもさ……なんか共同睡眠場みたいなのないの?」
「君は本当に面白いことを言う。そんなのあるか。ホテルとか民宿だって部屋二つも取れないよ、金の都合でね」
「お金って重要なんだね……」
ようやく現実が見えてきたらしく、僕もほっと一息。けれどまだ問題が山積みなのは変わらない。
「とにかく、京都にでも行こうか」
「うん」
真優良は忠実に立ち上がってついてきた。よかったよかった。
五時半くらいの電車に乗って、京都に着いた頃には七時前だった。
そんな時間でも駅にはたくさん人がいて、道とか全然知らず、地図とかもない僕らは、とりあえず多くの人が進む方について行くことにした。
「バスとかなら、なんとか寺行きとかがあるから、それに乗ろう」
つまり、駅に着いた時点でもう目的は達成したも同然だった。
でもお寺にも開園時間みたいなのがあるから、今日はそれを楽しむことができない。はぁ、残念。
「それで、どうするの?」
どうするの、が口癖みたいになりつつある真優良とはぐれないように手を繋いで、声が聞こえるようにと引っ張って囁く。
「とりあえずそういう街並みにあるお店で働かせてもらおう」
「どういうこと?」
嫌がるように真優良は逆に引っ張って駅の壁際にまで僕を運ぶ。うーん、今のはちょいと過激すぎたかもしれない。普段の僕らしからぬ行動だった。
「なんか義理人情に厚そうな人を見つけて、どうか働かせてください、って事情を説明して、泊まり込みで働かせてもらうんだ」
「そんなバカなことある? そんなこと言うの、この世で相島先輩くらいだと思ってた」
「あっはっは、もう僕も楽観主義者の仲間入りさ。今のところなんだってうまく行っている、だったらこれからも何とかなるさ!」
若干投げやりに言うと、真優良も笑っていた。いいほぐれ具合だ。イライラしながら旅するよりかは、こんな風に軽く笑いながらの方が良い。
どうせなら楽しく、なんて現実逃避でしかないけれど、今はそれでいい気分だった。これが享楽主義という奴だろうか。僕は頭の中に、あの頭のねじが二、三本外れた工藤のことを思い出していた。あんな風になれたら、もっと世の中楽しいのだろうか。
ともかく僕と真優良はバスに乗って、適当な停留所のところで降りて、また適当に進んだ。
適当ばかりだけれど、街並みは最初の時と比べて風情がある。といってもあっちの方向には古い町並み、こっちの方には商店街みたいに店が並ぶ歓楽街、って感じだけど、僕と真優良が楽しめる分、その方が助かった。
「じゃあ、お店でも探そうか」
「うん……ねえあれ」
歓楽街に入って数分も経たずに真優良が僕の裾を引っ張って指さす。
その方向には『義に厚い! 武士メイド喫茶!』とかいう偏差値三十を切ってそうなくらいのお店があった。
「凄く凄く頭が悪そうだね、あはは、面白いものを見せてくれてありがとう。じゃあ……」
「義に厚いって」
そう書いてるよ、なんて真優良は言いたそうだった。
どうやら彼女はそのつもりらしい。そこで泊まり込んで働こうなんて考えているらしい。
「真優良、君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし、馬鹿と付き合えば馬鹿になるって言うもんだよ。あんなところで泊まり込むどころか、あのお店に頭下げてここで働かせてくださいって言った時点で僕らはこの旅で得た大切な何かを失ってしまうよ。それどころか人間として大切にしてきた何かすら失ってしまうよ。っていうか恥ずかしくてたまらないよ。千沙に顔向けができない」
それどころか、亡くなった二人の父と和女にも顔向けできない。何が悲しくて武士メイド喫茶で働くんだ。悲しすぎるよ、それ。
「ねえ和男、どうせなら全部楽しみましょう」
「楽しくないよこれは!」
「じゃあ晩御飯食べるだけ、良いでしょ?」
「良いでしょって……ああいうお店は割高だから」
「私の旅でしょ!? 付き合ってくれているんだから、文句は言わない!」
と、強引に真優良は笑顔を爛々と輝かせて僕を引っ張って行く。
「あああ、こういうのは僕の役目じゃない。僕のキャラじゃないのに」
「そんな悲観的にならないの。さあ、エンジョイしましょう!」
キャラじゃないよ、君も僕も。
内装自体はシックな感じで、フローリングにテーブルってところもあれば、奥の方には畳みの座敷もあって悪くない雰囲気だった。
壁には本物みたいな刀が飾ってあったり、掛け軸や手裏剣のレプリカが張り付けられていて、もう武士関係ないなって思う。
で、入るとすぐに黒い髪のメイド服と浴衣を合体させたみたいな服を着た人がやってきて、一言。
「よくぞ戻られたお侍さま! ささ、こちらへ」
「ンフッ!」
変な声が出てしまった。だってこんなのズルい、笑うに決まっている。
武士メイドは一瞬笑った僕を怪訝な顔付きで見るけど、そこは真優良が外国人そのものの風貌だから、そして真優良が笑顔だけど物珍しい物を見る時の観光客特有の表情を浮かべているから、付き合ってやっているだけだと判断してくれたらしかった。
席に着くと、早速メニューを見て真優良は唸る。
「ねね、何食べる? 何食べる?」
「うん、何食べようか……フフフッ」
駄目だ、耐えられない。お侍さまだって、なんだよ、よくぞ戻られたって、どういう設定だよ、戦争中なのかな? よくぞ戻られたお侍さま! 食事しに来た人にそれ言うの、大変だよ。
「……注文が決まれば参られよ……」
「クハッ!」
義務だったのだろう、おっかなビックリそう呟く武士メイドはそう言うと恥ずかしそうに裏方へ行った。参るのかよ! 参ったのはこっちだよ、本当にもう参った参った。
胸元の名札には『お華』と書いてあった。それが呼び名なんだろうな。
「和男、何か食べたいのある?」
そう真優良がメニューを見せてきた。
内容自体は、値段は意外と良心的で、しかも和食も、メイド喫茶にあるようなよくわからない滅茶苦茶なメニューもある。
例えば鯛茶漬けとか、鳥なんばうどんみたいな幅広い和食もあれば、萌え萌えじゃんけんだとかハート・きゅんっ・オムライスみたいなのまで。
「凄いメニューだね。こういうお店って空回りしてそう」
つい本音を出してしまうと、お華さんが凄く睨んでいるのを見つけてしまった。うわぁ、不味いこと言ってしまったなぁ。
「空回り? それってどういう?」
「ああ、その会話はもう駄目、止めよう。僕はこれ頼むよ」
と適当に指さしてメニューを真優良に渡す。
すると真優良はかつてない怪訝な顔付きをした後、鯛茶漬けを頼んだ。
「それじゃ、ま、参る? ぷぷっ!」
ああ、また意地の悪いことを言ってしまった。僕ってなんて性格が悪いんだろうか。我ながら惨めとまで思える、情けない、他人を見下すような。
「ええ、行きましょう」
真優良は立ち上がって、バーカウンターみたいなところにいる人に告げた。
「鯛茶漬けと、運命の赤い糸を結ぶメイドさんとラブラブスパゲティを一つずつください」
「ちょっと待ってください真優良さん。聞いてないんですが」
「だって指さしたじゃん」
真優良は不機嫌そうに言う。その不機嫌はきっと嫉妬なんて可愛らしいものじゃなくて、数日共に過ごした僕がどうしようもない変態野郎だって知ってしまったからなんだろう。ああ、もう、なんでもいいや。無駄無駄と割り切ってしまおう。無意味なことに変わりはないし。
「それではご注文、復唱しますね、鯛茶漬けおひとつ、運命の赤い糸を結ぶメイドさんとラブラブスパゲティおひとつでよろしいですね?」
「はい」
「ではお願いしまーす」
カウンターの武士メイドが言うと、裏方の人にも伝わったのだろう。なんだか珍しい制度のお店に尻込みしてしまう。でも、僕はそれ以上に真優良との関係に困ってしまう。
互いに椅子に座って向かい合うけど、彼女の不信の目は見るも恐ろしい。
「でさ、僕が適当に選んだって気付いていないの?」
「メイドさんとラブラブしたかったんでしょ? そういう言い訳で」
懐疑主義者の本領発揮と言うところか、彼女の目は僕が町中で集い叫ぶ若者に向けるようなゴミカスを見る蔑視と同じだった。甚だ不服だけど、仕方ない疑われ方かもしれない。途中で諦めたし。
「まあそれでいいよ。真優良は差し置いてメイドさんとラブラブするさ」
「開き直るんだ。へえ、やっぱり」
「何がやっぱりだよ」
「べっつにー」
気まずいのは気分が良くない。
と、そんな風に話していると、お華さんがまた近づいてきた。
「ご主人様、お気にいられたメイドはございますか?」
「あれ、武士じゃないの?」
「注文するメニューによって態度が変わるんです、ご主人様。つまりご主人様がメイドのメニューを注文なされたので、私は今メイドとなっているのです」
「へえ、まあメイドさんは誰でもいいよ。じゃあお華さんで」
「かしこまりました」
言うと彼女は裏方に戻って行った。
また、真優良は怪訝な顔付きをしていた。そういえばこの子は冴子さんに見惚れていた時も僕のケツをひっぱたいたね。
「メイドさんとか好きなんだぁ、ふーん」
「いやいや、こんな頭悪そうな店、一人じゃ来ないって」
今の言葉は数少ない客達も僕を睨ませる原因になったけど、気にせず続ける。
「むしろ来たいと言ったのは君じゃないか。僕が僕なりに楽しんだっていいじゃん」
真優良はじぃっと睨むけど、やがてそっぽを向いた。
「もういいよ」
「そうだね、不毛な争いだ」
言って、僕は配られたお冷を飲んだ。
やがて鯛茶漬けが先にやってくる。
「あ、これ、塩焼になった鯛からいい出汁が出て……」
聞いているだけでこっちも空腹を掻き立てられる。なんで彼女はこんな食レポみたいな真似をするんだろう、嫌がらせだろうか。
けどおいしそうに食べる真優良の表情は純粋無垢そのもので、むしろ普段よりも可愛らしくて、とても嫌がらせには思えなかった。幸せそうで良かったとすら思える。
安心安心、とほっと一息ついている間に、僕のスパゲティもやってきた。
「ご主人様、運命の赤い糸をメイドさんと結ぶラブラブスパゲティでございます」
「それ何度も言って恥ずかしくない?」
つい純粋な疑問をお華さんにぶつけると、彼女はきっと僕を睨みつけた。そりゃ恥ずかしいに決まっているか、申し訳ない。
早く裏方に戻らせてやろう、と皿を取ろうとしたけど、何故か彼女はそれを頑なに放さなかった。
「なんですか?」
「いえ、なんですかと申されましても……」
言いながら、親の仇を恨むような殺気と、愛するご主人様へ向ける笑顔が混然一体と成した、つまり汚い笑顔で皿をテーブルに置き、フォークでくるくるとナポリタンを巻き取った。
そしてそれを僕に近づけて、こういうのだ。
「あーん」
思考停止。
沈黙と虚無が支配した時間が一刻も過ぎないうちに、お華さんは再び口を開いた。
「どうかなさいましたか、ご主人様?」
「いや、君の方がどうかしているよ……」
常軌を逸した事象を目の前にして僕も少し混乱している。なんせ昨日今日は今までにないアグレッシブな冒険をしていたんだ。大航海の果てに大いなる海の幸を得たかと思えば蛸に似た名状し難き化け物と対面したかのようなガッカリ&奇天烈な経験に、嬉しいとも悲しいとも言えない不思議な感じだ。
「どうかしているなどと言わないでください。私は! あなただけの! メイドでございます!」
もはやお華さんは何かを決意するような感じで熱々ナポリタンを徐々に近づけてくる。
「やめてください。謝りますから、一人で食べます」
「何を仰いますか! こちら運命の赤い糸をメイドさんと結ぶラブラブスパゲティは特別商品で私共の愛を大いに伝えるためにパスタの一本に至るまで私共が味わわせるのです、それがメイドの本懐なのです!」
そう言ってくれているものの、お華さんはもうヤケクソと言わんばかりに顔を赤くしてフォークをさあ! さあ! と槍を突き立てるがごとく押し付けてくる。
「後生です。料金はそのまま払いますから、チップも何なら払いますから」
「何を仰いますかご主人様! 私共はそんな卑しい気持ちで働いてはおりませぬ! ただご主人様への愛と忠義故に……」
メイドだか武士だか女中だか分からなくなっているお華さんを諌めようと再び口を開いたところ、半ば強制的に鉄の四叉を口に突っ込まれた。
もうメイドの色香に惑わされたとは言わない。お華さんの努力に免じて味わおう。
ただこのナポリタン、油ぎっとぎとで全然美味しくない。
「お味はいかがですか? ご主人様」
「これなら僕の方が美味しく作れるよ」
正直に言うと、お華さんは驚いてみせた直後、笑顔で尋ねてきた。
「ご主人様、お料理が得意なのですか?」
「得意ってほどじゃないけど、十年くらい前から母さんが料理しない日があってね、炒飯にナポリタン、焼きそばみたいな炒め物は同世代の同性の中ならトップクラスだと思うよ」
「それはそれは! 親孝行なさる素晴らしいご主人様です」
お華さんは感激した風に言ってくれた。なるほど、こんな風に褒めてくれるのはちょっと嬉しいかもしれない。これがメイドの魔力。
ただ、真優良が面白くなさそうな顔をして僕を睨んだり、店内のあちこちに目を向けるのは気分が良くない。
「それで、ご主人様は普段何をなさっているのでしょう?」
言いながら二回目のフォークを差し出してくるので僕は頬張りながら答える。
「ただの学生ですよ。なーんにもしてません」
はぁ、本当に全部食べさせるつもりなんだろうか。麺は固いし味付けは雑だし油はギトギトだし、僕の方が上手いよ、無駄に。
「お味はいかがですか?」
「さっきも聞いたよね? 麺どれくらい茹でてる? 市販品の方が全然美味しいと思うけど? あと油どれくらいひいてる? っていうかこんなこと聞くまでもないよね。ごめん、嫌味で」
性格が悪いのは自覚している。こんな些末な男の人生が人に迷惑をかけるのは、やっぱり悲しいことだよ。
でもお華さんは全然嫌な感じの顔をしなかった。
「いえ、ご主人様の仰る通りです。ご主人様はどれくらい油をひきますか?」
「どういう質問?」
なんかきな臭くなったので、ちょっと強い語調で尋ねると、お華さんは返事を濁らせながら、またフォークを差し出した。
「いえ……どうぞ、あーん」
「……あーん」
時間がかかるし、不味い。
その後もまた、僕はメイドさんと運命の赤い糸を弄びながらラブラブするのであった。




