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放課後に教室を出る直前、北斗から熱い眼差しとサムズアップを送られた。
僕は一睨みだけして、真優良のところに行って、その途中少しだけ恥ずかしくなった。
今、彼女に会いに行っているのだ。
そんな関係性を示す記号のようなネーミングに恥ずかしがる必要もないし、そもそもそのネーミングに意味なんかないはずなのに妙に意識してしまう。馬鹿か僕は。
教室には既に真優良がいて、入れ違いで教室を出てきた如月先輩が『がんばれ男の子』とか言ってくるのを振り払って、僕は真優良に対面した。
「やあハニー」
「なにそれ? ふふっ、よろしくダーリン」
この無意味さ、少し落ち着いてきた。
僕らは関係が微妙に変わったというが、根本的には何も変わっていない。お互いに家庭には大きな問題を抱えていて、そのために僕らの奇妙な考え方を少しだけちょっと普通にして、互いの確執をなくし、家の問題に集中できるようにする、というだけ。
たぶんこの関係性も、真優良の家庭の問題の解決に必要な一要素だからなっただけだ。と思う。
「それで、今日は何話そっか?」
「そう言われると悩むね。あ、そうだ、大学はどこに行くつもり?」
昨日執事の義三さんの話を思い出して僕は尋ねた。
「大学かぁ……まだ考えてないの。とりあえず学力に合わせて、できれば理系の学部がいいかなって思うんだけど」
「あ、そっか一年はまだコースが分かれてないんだったね。三組だから文系なのかと思ってた」
「どっちかと言うと文系なんだけどね。将来のことを考えると……」
「それって、君が選んでいるのか社会が選んでいるのかって分かんないね。勉強したいこととかないの? 将来の夢とか」
真優良はその質問が予想外だったらしく、しかも将来のことをまるで考えていないようで顎に手を当てて考え込んでしまった。
真優良の将来性の無さに呆れるところだ。けれど何もかも親の決めつけ通りにしてきた彼女にとって将来を考えることは日常とかけ離れているのかもしれない。
「したいこととか、やりたい仕事とかさ」
「……深く考えたことはなかったかなぁ」
「全く、親に反発するだけで何も考えてないんだね。それじゃ世間知らずの小娘だって思われても仕方ないよ」
「う、うう……」
「ただの我儘の癇癪持ちだよ。真優良は頭が悪いんだなぁ」
「だって……」
「だって、なに?」
真優良は屈辱に耐えかねるように、諦めるように呟いた。
「……うう、無意味だと思うじゃない。どうせ、そのうちまた親に縛られて生活することになるんだから」
「なんだ、知ってたんだ」
「知ってたんだって何よ?」
「昨日義三さんが言ってたよ。高校だけは自由にさせて、反発心を削ぐんだって」
「うそっ!? それは聞いてないわよ!?」
目を丸くして真優良は一オクターブ高い声を出す。
「あ、そうなんだ。悪いこと言っちゃったかな?」
どうやら父親の妙計に彼女は気付いていないらしかった。
でもそれは義三さんがあっさりと外部の人間である僕にそういうこと言っちゃうから悪いのであって、僕が悪いわけじゃないだろう。
真優良はショックを受けた様子だったけれど、またさっきみたいに考える姿勢になった。対策でも考えるのだろうか。
「……どうしたらいいかな?」
「それ、僕に聞いているの?」
そう言いながらも、真優良の怯えにも似た助けを請う視線は僕にしか向けられていない。
「……お父さんを説得するか、逃げるか、なんてどうせどっちもできないから」
「無駄だからしないわけだね?」
「……それは」
「無駄だったらしてもいいんじゃない? やってもやらなくても」
「うー、無駄なことはしない主義ってわけじゃないけどさぁ……」
「選んでもらう人生に未練があるからそんなこと言うんだよ。もしくは家の財産に執着が」
「そんなのないわよ! 一人で生きていけるかって言われたら、そりゃ大変だろうけどさ」
「どうせ逃げようと説得しようと子供の我儘程度にしか思われないよ。若いうちにたくさん失敗すればいいさ。ほら、無駄な抵抗しよう」
「あんたねぇ……」
呆れたように言う真優良だけど、たぶん僕は間違ったことは言ってない。
「真優良は何が怖いの? 何が嫌? 怒られるのはそりゃ嫌だろうし、泣いちゃうかもしれないよね」
泣くって軽く言っているけれど、人が涙するっていうのは感情をとても大きく揺さぶられることになる。その後の人生にも多少影響することにもなりえる。
でも、だ。人生なんて大した意味はないんだ。多少変わっても問題ない、意味もない。
問題に真正面からぶつかり、考える真優良に、僕は背中を後押しする。
「チャレンジ精神を持つんだよ。僕は姉さんみたいに楽観視はしないから、失敗する可能性の方が遥かに高いと思うし、っていうか最終的には選ぶんじゃなくて、選ばれる人生になると思うよ。でも言うだけ言って、やるだけやってからなら、ああ人生は無意味だったんだなぁって素直に受け入れられるよ」
「それは受け入れたら駄目じゃない?」
「それを受け入れてくれたら、僕は嬉しいんだけど」
誰にも共感されないから。
真優良は色々考えてむむむと唸ったけれど、最後に大きな溜息を吐いて椅子に全身を預けた。
「難しいよ、どうしたらいいか分からない」
「考えればいいよ。相談にも乗るし」
できる限りのことはするつもりだ。無論、できる限り。
「……じゃあさ、一緒にしてくれる?」
「一緒に……、何を?」
「説得するのと、逃げるの」
「両方?」
「うん」
「断る」
「ダメ」
「駄目ってなにさ?」
「ダメはダメよ。ここまで来たんだから手伝って! 付き合ってるんだから付き合うくらいいいでしょ!?」
机に両手をついて、顔を近づけてきた真優良の迫力に、日常が崩れる音を聞いた。
それで、僕達は説得作戦(通称メッテルニヒ)と逃走作戦(通称エルバ)の制作に取り掛かった。
真優良はまず、とにかく父の束縛から脱することを目的とするため、この作戦では嘘も二枚舌外交も辞さないとのことだ。
ということでメッテルニヒでは真優良と僕が宝物院家に行き、真優良の父こと宝物院喜央と対話することで真優良の人生をどうにかする、という計画になった。
もし勘当されたら、彼女はそれでも構わないとまで言った。この年で家も親も無くしてしまいどうするのだろうか。そういうところが抜けていると思うけれど、でそこを喜央氏に言われたらもう駄目なんだろうけど、そこは彼女に自分の甘さを知ってもらおうと思う。
言ってみればメッテルニヒは捨て作戦、敗北前提。会議は踊る、されど進まずと言うもので、説得できるのがベストだろうけど、喜央氏は簡単に説得できるほど柔ではないだろう。頑固者、と言うよりきっと柔靭というやつで、臨機応変ながら一番大事な部分は守り切る融通の利く人なのだろう。
ならば説得も可能かと思うが、今の真優良が、噂に聞く海千山千の古強者の意見を曲げられるとは思えないのだ。
それで次の計画がエルバ。メッテルニヒの途中、もしくはそれが終わった後に僕が男らしく真優良を連れ出して、逃げられるところまで逃げるというものである。
こっちの計画もあまりの具体性のなさに僕は思わず笑ってしまったけれど、真優良はそれでも満足そうであった。たぶん、親に迷惑をかけることが凄く楽しいんだろう。
そう考えていて、結局彼女は選ぶだとかなんだとか言うよりも、寂しい生活を送って家族や誰かに目をかけて欲しかったのだろうと分かった。
きっと何の解決にもならないだろうけど、それは敢えて言わないでおいた。
彼女はそれに気が付いているだろう。それでも、そうすることを選んだのだから。
「じゃあついてきて」
「どこに?」
「家」
話し合いが終わって彼女はいきなりそう言うのだから、真優良には困ったものだ。
「あのさ、僕には家族がいるし大事な妹もいるんだよ? しかも金はないし、もしエルバのBルートだったらどうするの?」
Bルートとは説得している途中に急に逃げ出すパターンである。でAが普通に駆け落ちじみた逃避行をする作戦。
「そこはあんたが何とかしてAルートに持っていけばいいじゃない。なんとかなるって、きっと」
「そこは疑えって!」
僕は少し声を荒げたけど、真優良は上機嫌で前を歩いていった。家族を困らせるのが楽しいだけだってはっきりと分かる。
話の流れで、説得に失敗したけどすごすご引き下がるなんて、彼女にできるだろうか? 僕だってそんな、腹案あるまま手を引くなんて賢い方法を取れる自信がないのに。
校舎を出ると義三さんのリムジンが待ち構えていた。いつから待っているんだろうか。
「おや、平様? これは一体……」
「私、この人と付き合うことになったから」
「ほ!?」
「今からお父様を説得します」
「なんとっ!! ……では、こちらにどうぞ」
義三さんは本気で驚いた様子だったけど、直後には普段みたいな穏やかな笑みを讃えていた。たぶん予想の範疇だったけど、真優良を喜ばせたくて大袈裟に驚いてみせたんじゃないだろうか。
大きな車は僕と真優良が向かい合って座ることができて、シートの触り心地も凄く良い。
「運転は義三さんがしているんですね」
「ええ、不肖ながら運転させていただいています。腕に自信がなく、途中ご迷惑をおかけするかもしれませんが、絶対に事故は起こしませんので」
なんて凄く不安なことを言ったけれど、走り始めから校舎を出るまでのスムーズな動きはやっぱり卓越しているんだろうと思った。謙遜にしては言い方が誇張されていたけど、これほど鮮やかな運転をこの大きな車でするんだから、やっぱり宝物院家ってのは凄いんだなぁ。
「でさ、和男、あんたってしたいことある?」
「したいこと? 将来の夢みたいな?」
「ううん、なんかちょっとやってみたいなー、みたいなこと」
尋ねられたけれど、具体的な例も浮かばず全然分からない。そもそもなんかちょっとしたいこと、なんて無意味じゃないだろうか。
「真優良は?」
「あるよ。カラオケとかファストフードは高校に入って友達としたんだけど、旅行はまだだから」
外国とか散々行ってるくせに、と思ったけど、その素敵なワードは僕の心を掴んだ。
「旅行? それは僕もしたことないなぁ」
例えば北海道でクラーク博士の銅像を見てメロンクマに襲われたりとか、東北でねぶたを担いでなまはげに襲われたり、京都で金閣寺を見て清水の舞台から飛び降りるとかが一般的なんだろうか? 世界遺産とか、って考えると国内だけじゃ収まらないなぁ。
「真優良はどこに行きたいの?」
「まずはエルバでしょ? そしたら……無難に京都辺りかな。どれくらい遠くに行けるか分からないから」
楽しそうだった真優良は、語尾だけちょっと寂しげだった。エルバ作戦でどこに逃げるか、という話だろう。別に義三さんになら話してもいいと思うんだけど。
「じゃあ今度、京都に行こう。そうだ京都に行こう! 鹿苑寺でも慈照寺でも付き合うよ!」
それを聞いたら、真優良は無言でにっこりと笑って言った。
「やっぱりあんたって嘘臭いわよ」
つられて僕も笑うと、突然車が急停止した。
ちなみに後部座席って確かシートベルト着用の義務がないもんだから、僕は窮屈な感じが嫌でそれをしていなかった。ということで急ブレーキされると体が慣性の法則によって前に弾きだされるわけだ。
僕は真優良の体に覆い被さるように飛んだ。
小さな体が、僕の中で一瞬ビクンと跳ねた。
「ちょ、ちょっと!?」
「わざとじゃないわざとじゃない」
顔を赤くした真優良が僕を見上げる。その吐息が首元を擽って、僕もつられて熱くなる。
「おやすいません、運転技術が拙いもので」
義三さんがダンディに呟く。この人は完璧な執事なのかもしれない。真優良にとって良いことかどうかは分からないけど。
「暮林っ!」
真優良が怒鳴ると、義三さんは楽しげに笑った。




