西日本豪雨災害について(覚書)
平成30年7月6日
仕事から車での帰宅途中
広島の中野東にて
帰れなくなりました。
広島市内の職場は18時頃には出ましたが
道路がかなり混みあっていて
海田町方面の道路を通り、ここもかなり、水が溜まっていました。
少し船越にあるスーパーによりましたがお客は少なく物はまだこの時点ではそれなりにありました。
ダイソーが隣接しているスーパーだったので、明かりになるものと電池を購入しました。
こちらには私がいるときにはお客さんはいませんでした。
もとポプラだった。向かい側のキンキホームこちらにもかなり水が店内に入っている様子が見られました。
この通りも込み合っていたので裏の線路側を通ってみましたがこちらのほうがかなり水が多い様子が見られました。
西城方面に向かう頃には21時を過ぎていたと思います。
そこから瀬野川の横の道路を上がっていたのですが
徐々に込み合ってきました。
一旦西条バイパスのほうに上がろうとしましたがもうすでに道路は土砂でふさがり
進めない状態があったのです。
上下ともふさがっておりバイパスの方面には出れる状況にはありませんでした。
この時の様子を携帯のカメラで撮ってみたのですが後で見てみると周りの様子はあまり確認できない様子がありました。
時間は22時32分ごろ。
同じような車がたくさんおりバイパスから一般道に降りようとしましたが、なかなか一般道までもたどり着けなかった。
バイパスから一般道の間の坂道で渋滞にはまっている頃が私は一番生きて帰れる気がしませんでした。
下り車線なのでがけ側ではないものの車道には大きな石や砂利が多く。雨も強くいつ崖がくずれ
土砂が流れてくるか分かりませんでした。
この時遺書を書くべきかどうか悩んだのですが、取り合えず携帯がつながっていたので家族に連絡し、生きて帰れないかもしれないと告げました。
荷物はまとめて車を捨てて逃げようかとも思いましたが、逃げるところがどこにもなく。ひとまず様子を見ていました。そののち一般道側まである程度おりることが出来ました。消防署の人がいたので状況を聞いてみましたが
一般道はどちらも崩れており通れる状況にはない。
来た道を戻ってください。と言われました。
バイパスのほうから来たので崩れていないと消防署の人は思ったのでしょう。
状況を私や近くの運転手さんが伝えると、消防署の人もなんとも言えない。
絶望的な顔をされていました。
ほかには通れそうな道がないのかと一応訪ねてみましたが、
いつ崩れるか分からないが、崩れた道を通っている人もいる。
ただし、そこをどうしても通るなら我々は責任をとれない。
自己責任で通ってください。
と言われました。
消防署の人の言い分も分からなくはないですが、
正直この時は専門職として卑怯な言い分と思いました。
この状況で責任を取れとは思いませんが、
明らかな自己保身に走ろうとするのは止めてほしかった。
責任の所在云々より生き残る方法とまでは言えないけど、せめて生き残る確率を上げることを考えて欲しかった。
高いところに逃げてくれくらいは言ってもいいんじゃないかと思いました。
そんな言葉もなく私が消防署の人から聞けたのは上記の自己責任云々の話だけでした。
正直公務員系の人の一番に出る言葉が極限だと自己保身なんだなと感じました。
結局、自己責任において私はどのルートを通ったか正確には覚えていませんが、ラムーの駐車場までは非難することができました。
さすがにラムーも臨時休業をしていました。
ただしトイレは使える状況にあったのでこれはほんとに助かりました。
そのほかにも店内の電気や自販機も生きており自販機で飲み物を買ったりして過ごしました。
車の中で夜間は過ごしましたがスーパーの駐車場もかなり水がたまっており雨の降り続く中ここも大丈夫なんだろうかという気持ちでいっぱいでした。
パイパス近くの坂にいる時よりは絶望感は少なかったですけどね。
夜中になるにつれて水がどんどん上がってくる様子がありました。
車はエンジンを切って節約していたのでポケットラジオをずっと聞いていました。
臨時のラジオが30分おきに状況を伝えてきます。
命を守る行動をとってください。と何回も続けてきます。
同じように非難している人もラムーの店の前のベンチに移動したり
落ち着かない様子が見られました。
1人声をかけられましたが60歳台の人で「こんなんじゃね寝れんよのう」
と言われました。
こんな時はほんとに人と話をしても会話する余力もなかったです。
車の中に薄いひざ掛けや着替えを持っていたので着替えて
掛物をして座席を倒して横になりました。
うとうとはしていましたがほんと数分を寝たり起きたり繰り返して過ごしました。
雨がずっとふっておりここも土砂崩れでやばくなるんじゃないかと思っていました。
次第に明るくなって雨脚も弱まり状況が確認できるようになり、付近で抜ける道がないか確認しましたが、そのときは車で脱出できる道はなく。
結局ラムーに戻ってくるということを、かなりの人が繰り返していました。
8~9時ぐらいだったと思いますが、ラムーは臨時休業のままでしたがとなりのコーナンは一時店をあけるというアナウンスがあったため、いつまでこの状況が続くか分からない状況でしたので
列に並んで買い物を行いました。
コーナンも店内はくるぶしくらいの水が溜まっており店員が水をかき出しながら営業を行っていました。
水はすぐ売り切れたため買うことはできませんでした。
私が購入できたのはお茶とお菓子、カップラーメン、体を拭くための手口拭き、歯ブラシを購入しました。
外では中野東付近は断水があったためラムーのトイレで鍋を持った人が水を取りに来たりキャンプグッズをもった家族が駐車場でレトルトのカレーを温めたりして食べていました。
状況が少し落ち着いたので携帯で写真をとったりされるかたがこの時間は多かったように思います。
中野東駅横のセブンイレブンはずっと営業をされていました。
少し時間が経つのをまって、道が通れるか確認したりしましたが、
どのルートも冠水していたり、車を乗り捨ててあったりして車で通れる道はありませんでした。
瀬野駅の裏手の道は完全に土砂や水で通れない状況で、表側もスーパーの駐車場くらいまではいけましたが、駐車場部分で無理すれば通れないことはないけど、膝くらいまでの水が流れていて流れもかなりあったため、歩いて通ることを諦めました。そこを通ったにしてもその先の状況が読めないということもあったので、結構ながれがあるのと下がコンクリートの駐車場だったのですが、その時は土砂や土で道が不安定で足を取られる状況がありました。小さなお子様だときっと流されるような感じでした。
そこで、車は中野東駅のロータリーに乗り捨てて広島方面に歩いて脱出しました。
線路の上を通る方もちらほらいました。
比較的広島方面に歩いて出る分には車でさえなければ脱出は容易でした。
ただし、脱出する際に一か所橋を渡ったのですが渡る最中にとても揺れるなと思ったのですが渡り切った後に、その橋の出口付近で進入禁止の黄色いテープが誰かの手によって破られていたのに気づきました。
ちょっとぞっとしました。
あとはそんなに難しいような場所もなく無事に脱出することが出来広島方面にある親戚宅へ避難しました。
自宅が東広島方面だったため7月6日から7月12日まで自宅へは帰ることが出来ませんでした。
熊野から抜けるルートはあったようですが、広島方面で仕事をしていたため、いったん戻ったにしてもいつまた出てこれるか分からなかったために私の場合はそういった選択をしました。