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食べ物のこと

食べ物の記憶・岐阜

作者: 南 彩人

人間には3欲(食欲、性欲、睡眠欲)があると言いますが、自分の場合には食欲と睡眠欲にかなり偏っています(相手のいない自分には性欲はどうしようもないので)。

加齢とともに代謝も落ち、腹がボッティチェリ(の絵にあるような)状態になった今でも食べることは好きですが、それは思い出とともに積み重なるから、かもしれません。脂肪を積み重ねるのは厳に慎むべきなのでしょうが。


食欲だけで生きているような面があるためか、食べたものの記憶が結構残っている。


祖父宅があったので、小中学生のときには結構岐阜に行った。

祖父は(当時、もうかなりの年齢だったためか)外出好きではなかったようだが、孫の来訪に喜んだのか、滞在中、少なくとも1回は外食に連れて行ってもらったものだった。


定番のルートは市内循環線で柳ヶ瀬へ、自由書房で本を物色してから近くの鰻・とんかつの店に行き、カウンター席で昼食に鰻。とんかつを折り詰めにしてもらってから店を出、マクドナルドでサンデーを食べて帰る、というものだった。とんかつはその日の夕食。鰻は皮がぱりっとして歯ごたえがあったような記憶があるし、とんかつも楽しみだった。

1回だけはバスが逆回りで確か柳ヶ瀬西口で降り、近くのうどん屋に行って素うどんを食べたこともあった。250円という値段と、うどんの上の鰹節が揺らぐ姿、色の薄いつゆは今でも何となく脳裏に浮かぶ。そのときには私のために「こちらにはうどんを2杯」と店員に注文していたので、当時から大食いの気があったようだ。1回だけになったのは、おそらく、うどん屋から自由書房まで歩くのが祖父にとっては大変だったからだろう。

それ以外だと、新岐阜の百貨店でおこわ(確か「こわい」と書かれていたと思う)を買って帰ったこともあった。どれも「おいしかったもの」として、懐かしい思い出の一部となっている。


大学の頃だったか、もう祖父宅は人手に渡っていたと思うが、思い立って店を探しに行ったことがある。うどん屋は残念ながら見つからず(1回しか行かなったことが、記憶の曖昧さを招いたようだ)、鰻・とんかつの方は見つかったものの、たまたまタイミングが悪かったのか店に入ることはできなかった。

このときにはまだ、元・祖父宅の家屋そのものはあったので、外から大きな変わりがなさそうなのをついでに眺めて帰った。


卒業後、出張のついでに再訪したときには、まず元・祖父宅に行く手間自体がかなりかかるようになっていた。祖父母存命のうちは市内循環線(のちメモリアル循環線)が最寄りを通っていたし、忠節長良線の校前町行きがそれなりの本数あったように思う。しかしこの頃には既に、市営バスとの統合に伴い循環線は向井ではなく本町を通るようになっていたし、校前町行きもそこに行くにはあまり便利ではなくなっていた。

結局、北高前から歩いて見に行った。ただそこには家の跡形もなく、更地が広がっていた(ただ記憶が曖昧で、既に新たな道路ができていたかは覚えていない)。また、グランド・スーパーも閉店していたようで、何となく「寂れた」印象を持った。

そこから町中に戻るのも大変で、柳ヶ瀬まで延々歩いたようなおぼろな記憶がある。しかしこのときには既に、件の鰻・とんかつ屋は営業時間を縮めていたのか、またしても食べることはできなかった。


一昨年(2016年6月)、出張のついでに岐阜を訪れた。北口自体かなり大きく変化しており、すっかり「きれい」になっていた。記憶を甦らせるものもさっぱり見当たらない。

一応、元・祖父宅のあたりにも(再び北高前から歩いて)出かけてみたものの、最寄りバス停の前にあった伊奈波中学も今はなく、宅の向かいにあった清流園も改装したのか見覚えのない姿になっていた。祖父宅は一部は道路、一部は北郵便局の駐車場で、思い出すよすがもない。活気はやや戻ってきているようで、また若干記憶にある崖も残っていたものの、総じて見れば、もはや自分の「思い出の地」ではないな、と強く思わされた。

今回も延々歩いて(前回とは異なり昼間だったので、背広での長時間散歩は暑かった)、柳ヶ瀬に向かった。ただあまりに暑く、伊奈波通まで行って結局短距離だけバスに乗る、というはなはだ非効率なことになったのだが。

今回は事前に営業時間を調べていたこともあり、ついに件の店に再訪を果たすことができた。30年余ぶりの鰻を、と思ったものの、鰻の提供は既にやめているとのこと。カウンター席を見ても、思い出せるものがなにひとつなかった。自分の記憶は残念なことにまったく当てにならないようだ。

とんかつを食べれば何か思い出がよみがえるかも、と期待したのだが、とんかつはとんかつで記憶の触媒にはならなかった。味云々や好き嫌いよりも何より、「何か」を思い出したかったのにそれを果たせなかったのが心残りだった。「まだ数年は続けたいと思っているんですよ」という店の方のお話にも、ぼうっと生返事してしまったことは今思い起こしても申し訳なく思う。


岐阜は祖父母を通じて、自分には縁のある土地だと思ってきた。でも、すべてが「切り離された過去」となってしまった今となっては、もう自ら岐阜を訪れることはなさそうだ。


もう、岐阜から離れて相当になるので、場所等が分かったところで個人情報になるものでもありません。(現在も営業されているので)お店の名前を伏せた以外は、バス停や施設等の固有名詞もそのまま書くことにしました。


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― 新着の感想 ―
[一言] 思い出と食事。関係があるように思いながら、改めて訪れてみると昔とは趣が異なるようですね。祖父母様との繋がりと、食事のことは縁があるように思えて、実際は「違う」と感じるのだろうと思います。 上…
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