第一部 2
逮捕されたデモ参加者、すなわち生き残りは共産主義戦線戦士同盟の学生組織である共産主義学生同盟(共学同)といくつかの労組であった。通例どおり、彼らは公安部が担当することになるだろう。そして、完黙・非転向原則ーそれは昨年から始まった「短期的な」戦時体制の中で非合法化されたのだがーを貫くのだろう。戦時に慣れた今でも、拷問で血まみれになった取調室を見る時はいつも、「模範国民的」に反応するのが難しい。そういう時は、家族のことを思い出すのだ。
あれは去年の7月16日、午後1時13分のことだった。忘れもしない。その日は火曜日で、桜田門に登庁していた。妻は多摩の自宅にいた。その上、一人娘も高校の試験休みで自宅にいたのだった。今となってはなんと忌まわしいことか・・・。
米朝関係の悪化と、北朝鮮での核実験の再開により自衛隊が「合法的」に「北東アジア治安維持活動」として韓国周辺に派遣されるようになったのは2018年の冬からであったが、市民はといえば、その翌年の6月、最初のミサイルが岩国基地近くの安芸灘に着弾し、臨戦体制に入るまではまだ自らの関心事に頭を悩ませている余裕があった。
突然テレビ・スマホが警報音を鳴らし出したのだ。J-SIREN、空襲警報である。そして、しばらくして、テレビでは、多摩地区にミサイルが直撃したとして、臨時番組となった。1時間くらいしてからだろうか、私の自宅のある沿線が破壊されたとの情報が流れ出した。動揺はどんどん強まっていく。そして、夕方4時前に、最寄駅の南
0.6kmにミサイルが落ち、半径150メートルが壊滅したとの速報が入った。2人の無事を祈ったが、この事態により対応に追われていたため、21日の未明にようやく妻と娘の死を知ったのだ。泣く余裕もなかったが、今日でも家族を殺された悔しさを、こういう時に思い出すようにしているのだ。
その日は、首都東京の市街地への初の攻撃だった。それまでテレビ・新聞が謳っていた、北朝鮮の主力兵器による半径数キロの被害に比べれば被害もそこまで大きくはない局地攻撃で、境界線付近に軍を待機させる日韓米に対する追い詰められた示威行動だったのだろうが、米軍は即座に北朝鮮への空爆を開始した。日本国政府も、「自衛のために憲法に則り最大限の対応をとる」と即日会見で宣言し、翌日には内閣が宣戦布告を発議、与党日本自由党、義人党はもちろん、野党最大の民主憲政党をはじめ左派までも、すなわち全会派が賛成にまわり、圧倒的多数の賛成により可決した。反対した少数の議員は所属の党やメディアからバッシングを受けたが、中でも国会内最左派の人民労働党に至っては、機関紙「赤衛」において、造反議員の名前をあげて次のように攻撃したのだ。
「北朝鮮の軍事力による挑発は、世界と地域の平和と安定にとっての重大な脅威であり、人民労働党はたび重ねこれを批判してきた。今回の攻撃は、国際社会の『対話による解決』と『核兵器のない世界』への追求を裏切るものだ。人民労働党は、国民政党として、危機打開と問題解決のために、日本政府が自衛隊を活用し国民の生命を守ることを支持するとともに、引き続き『対話による解決』を武力制裁と一体に行うこと日本政府に求めている。今回の坂田、中野両名の造反は、日本国民の自由と権利ならびに、国際社会の平和のためのねがいとたたかいを裏切るものであり、絶対に許せない。」
17日深夜には、陸海空自衛隊の主力戦力が境界線を越えて、攻撃を開始した。韓国も、世論の反対にも関わらず、日米との合同作戦に参加した。圧倒的軍事力の差により、3カ国軍はみるみる北上した。
18日、内閣は、憲法第73条の2に基づいて、治安維持令を発令し、国家の安全を脅かす者に対する遡求性のある略式裁判の導入、国家の安全のための国民、企業への協力義務を定めた。同時に、内閣府下に特別保安局を設置した。特別保安局は、警視庁、警察庁の公安部、法務省公安調査庁、防衛省からの出向者などが中心となり、米軍の支援のもと、同令に基づき通信機器のバックドアの通信事業主への提供を義務付け、バックドア記録のAIによる常時監視を開始した。野党人民労働党や民主憲政党が反対したのはもちろん、義人党も慎重な対応を内閣に求めたが、もはや後の祭りだった。共産主義戦線戦士同盟をはじめとする戦闘的新左翼に対しては、2018年末からテロ等準備罪の適用がなされ、資産没収、活動の違法化が行われてはいたが、この治安維持令以降、7月中にはこれら勢力の残党や、マルクス主義者同盟といったテロ等準備罪が適用されていなかった新左翼セクトがまず「国家の安全を脅かす者」として逮捕された。そして、8月になると人民労働党や民主憲政党などの国会議員の大量逮捕も始まったのだった。
三木哲三は、ただ命令された職務をこなすことに集中してきた。それは命令を受けたのだからというありふれた理由でもあったが、同時に、警察組織内部でも職務に疑念を持ったと思しき人間が「連れていかれていた」ことを目の当たりにしてきたからでもあるかもしれない。あるいは家族を失った悲しみからかもしれない。
スマートフォンとテレビが鳴り出した。空襲警報のJ-SIRENだ。オフィスにいた者は、皆、一斉に廊下に避難した。




