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020‐××××‐××××‐114106

作者: 蒼原凉

作者はポケベル世代ではございません。ポケベルの表現等でおかしな部分があるかもしれませんが、ご容赦願います。

「パパ~、このぼろっちいの、何」

 6歳になる僕の娘が言う。今は引っ越しの最中だ。押し入れの中をひっくり返していたら、埃をかぶったものが2つ出てきた。

「これは、ポケベルって言うんだよ。昔の携帯みたいなものさ」

 そう言って僕は娘の小さな手からもう動かないポケベルを受け取る。何年も触っていないそれらは、とっくの昔に電池が切れて、灰緑の画面には何も映ってはいない。買ったときは最新だったそれらも、もう時代遅れで、電池が入っていても使えない。

「あらあら、それはもう捨てかしらね」

 僕の妻が言う。5歳年下の妻とは、7年前に職場結婚した。それ以来妻は専業主婦に徹して、僕らの二人の娘を育ててくれている。

「いや、これは持っていくよ。なんかね、捨てられないんだ」

 そう言って、僕はそいつをそっとポケットに滑り込ませた。

「もう、使えないじゃない、それ。何か思い入れでもあるの?」

「ああ、これはね」

 妻の問いに僕は一瞬躊躇した。でも、妻はそういうことを許してくれるだろうし、もう時効だろう。

「僕の、初恋の思い出なんだよ」

 そう言えば、もう10年以上前になるんだよな、最後にこれを打ったのは。




 彼女との出会いは、小学6年生の時だった。転校してきた彼女と同じ団地に住んでいたのが仲良くなったきっかけだったと思う。僕から話しかけたのか、それとも彼女からだったのかはもうよく覚えていない。ただ、団地前の公園でよく遊んだのを覚えている。

「ねえ、これ知ってる?」

 そう言って彼女がポケベルを取り出した。当時はポケベルはとても珍しくて、僕はそれが何なのかわからなかった。

「え、なんだろ。なにかのタイマー?」

「ブッブー、違いま~す」

 そう言って彼女は手で大きく×を作った。

「正解はポケベルでーす。なんかね、電話をかけるとこれが鳴るんだって。お父さんのスーツからくすねてきたの」

 そう言って彼女は笑った。その笑顔がとても素敵で、僕はそんな彼女に淡い恋心を抱いていたのだと、後になってから知った。

「これで私に連絡取れるよ。ここに電話かけてね」

 そう言って彼女は素敵な笑顔で砂に番号を書いた。




「じゃ~ん。どうだ、最新型だぞ」

 そう言って、僕は彼女に買ってもらったポケベルを見せびらかした。彼女が持ってるのがとても羨ましくて、親にねだって、ねだり倒して買ってもらったポケベルだった。

「最新型で、数字も送れるんだぞ」

「おお、すごいじゃん」

 そう言って彼女は手をたたいた。でも、ちょっと調子が悪そうだ。

「あれ、何かあったの?」

「あのね、パパが大事なものだから返しなさいって。取られちゃった」

 そう言って、彼女はさみしそうに呟いた。

「だったら、僕に連絡してよ。僕は買ってもらったからさ。ほら、これが番号だよ」

 そう言って僕は無理に笑顔を作って砂に番号を書いた。それでも彼女は笑ってくれた。無理な笑顔かもしれないけど、彼女は笑ってくれた。それが僕にはとてもうれしかった。

 彼女は僕に毎日のように連絡をくれた。彼女がメッセージに1とくれた時は遊べるということで、2とくれた時は今日は無理だということだった。それが僕ら二人のルールで、そうやって彼女と遊ぶのはとても楽しかった。




 そんなある日、メッセージのナンバーが3と書かれていた。

「じゃ~ん、パパに買ってもらったんだ。同じタイプだよ、お揃いだよ」

 いつもの公園で彼女は買ってもらったポケベルを見せびらかした。

「これで二人とも連絡できるね」

 僕はしばらく意味が理解できなかった。けれど、それを理解した瞬間、とてつもない喜びが僕を襲った。

「やった! やった! やった!」

 飛び跳ねて砂場を荒らして、近所のおばさんにこっぴどく叱られたのを覚えている。




 それから僕らは、頻繁にポケベルで連絡を取り合うようになった。家の電話を毎日のように占領した。悪戯に使ったこともあった。悪戯に使ったりもした。相変わらず1とか2とかのつまらない数字のメッセージしか届かなかったけど、でもとても楽しかった。意味が分からなくても、彼女と繋がれている。それが、なんだかうれしくて、楽しくて。

 でも、ある日唐突にそれは終わった。

「私ね、引っ越すことになったの」

 3のメッセージで呼び出された彼女は、唐突に話を切り出した。3が使われたのは、これが2度目で、そして最後だった。

「引っ越しても、ポケベルは使えるはずだから、連絡頂戴ね」

 そう言って彼女は去っていった。僕に伝えるだけ伝えて逃げ出すように。僕は泣いた。彼女が僕の前から走り去っていった時も、彼女の家から家具が運び出されて、トラックが去って行った時も。

 このころには僕はもう気づいていた。僕は、彼女が好きだったんだってことに。彼女が僕にとっての初恋だったんだってことに。それはとてもショックで、僕はただただ泣いていた。一年も一緒にいなかったのに、途轍もなく、悲しかった。

 ポケベルを捨てようと思った。このまま川に、思い出ごと捨ててしまおうかと思った。彼女の存在ごと、捨てて忘れてしまおうかと思った。でも、そんな事をする勇気もなくて、僕は、ただ握りしめていただけだった。

 気が付いたら僕は、彼女の番号に1をつけて送っていた。そんなことあるはずないのに。そんな彼女の答えは必ず2だった。なんでそんなことをしたかなんてわからない。気まぐれだったのかもしれないし、律義に約束を守ろうとしたのかもしれない。ひょっとしたら、記憶違いで、彼女からのポケベルが最初だったのかもしれなかった。ともかく、僕は毎日のように1を送り、そして毎日のように2が返ってきた。それにすがっているうちは、まだ彼女が僕の近くにいるようなそんな気がして、そんな気がして、僕は送り続けた。僕の初恋を、終わらせたくなかった。終わらせるのが怖かった。




 そのうち、僕の周りでもポケベルを持つ人が増え始めて、僕も連絡を取るようになった。そして無骨な1と2だけじゃなくて、0840(おはよう)だったり、0833(おやすみ)だったり、そんな言葉を打つようになった。ただの十進法の文字列だけど、ただのデータのやり取りでしかなかったけど、でも彼女と交わしたメッセージはとても暖かくて、とても優しかった。遠く離れていても、彼女と繋がれている、そんな気がした。

 本当は、10105(いまどこ)とか、724106(なにしてる)とかも送ってみたかった。33414(さみしいよ)とか、11014(あいたいよ)とか、打ってみたかった。でも、なんとなく迷惑になりそうな気がして、できなかった。本当のことを言えば、まだ伝えるのが恥ずかしかった。

 でも、そんなこんなで僕が悶々としているうちに、彼女からの連絡は、パタッと止まってしまった。2の一文字すら、帰って来なくなってしまった。

 僕の初恋は終わった。




「昔話もいいけど、ちょっとは手を動かしてね」

 僕の話を聞いていた妻が言う。そういえば、完全に手が止まってたな。いけないいけない。

「お引越しお引越し~」

 6歳になる娘が歌う。3歳になる娘は、今日は妻の実家で預かってもらっていた。

「そうだな、よし、もうひと頑張りするか」

 そう言って、僕はもう使わなくなった私物をごみ袋に入れだした。雑誌だったり、フィギュアだったり、思い出がどんどん捨てられていく。でも、ポケベルほど愛着のあるものはそこにはなかった。

「でも、どうしてそれを二つもあなたが持ってるの?」

 ふと妻が呟く。

「ああ、それはね、ここからが、本番なんだよ」

 そう言った僕は、手の中でポケベルを回した。




 僕のポケベルに久しぶりに彼女からメッセージが届いたのは、連絡が止まってから一年くらい後のことだった。

 500731(ごめんなさい)、彼女からのメッセージは灰緑の画面にそう表示されていた。知らない番号からだったけど、彼女だ。そう直感した。

 すぐに続けて送られてくる。すぐに送られてくることもあれば、ちょっと時間がたってからのこともあった。でもそれを見て、確信した。彼女しかいないと。僕にはそれほど頻繁に連絡を取る相手がいなかったというのがその理由だ。009104571、0059306、307910500、30610936、0100910。順に送られてきた5件のメッセージ。数字の数に制限のある中で、彼女から送られてきた40個の数字。その意味は、すぐには分からなかった。定型に当てはまらなくて、解読するのに苦労した。確か、4時間くらいかかったと思う。そうして僕が解き明かした答えは『りれき10しかない』、『うわがきされる』、『みれなくてごめん』、『みれるときみる』、『またおくって』だった。

 それを解き明かしたとき、僕はとてもうれしかった。とっても嬉しくて、体の芯の底から温まったような、そんな気がした。まだちゃんと、細くとも彼女と繋がれているんだ。そう感じられた。

 僕もメッセージを送り返した。0510(わかった)と。そのメッセージを彼女が見たかどうかは知らないけれど、それからは時々彼女からも届くようになった。それは0840(おはよう)とか、0833(おやすみ)とか、そっけない言葉だったけど。僕はそれで十分だった。僕は相変わらず自分の気持ちに臆病で、好きだってことは伝えられなかったけど、それで満足していた。

 僕はメッセージを毎日送っていた。それは、ずっと前から変わらずに。でも、前よりも、ずっと満足感がある中で、それを打てていた。メッセージを彼女は読めないかもしれないけど、それは彼女が僕を拒絶してるわけじゃないんだって思えたから。

 だから、彼女からのメッセージがパタッと止まった時も、僕のメッセージが見られていないだけだと思っていた。世間では携帯電話が主流になり、携帯を契約してもポケベルを持ち続けた。1999年にポケベルが020に変わってからはその番号にかけ続けた。ノストラダムスとか2000年問題とか関係なく、僕は毎日送り続けていた。大学に入って、就職しても、その習慣は変わらなかった。ただ、返事が返ってくることはなかった。




 僕のポケベルはもう何年も鳴っていなかった。友達ももう捨ててしまっていたし、持ち続けていたのは僕くらいのものだろう。でも、そんなある日、僕の携帯に電話がかかってきた。知らない番号だった。僕以外で僕の携帯番号を知っていたのは、会社の同僚と彼女だけのはずだった。

 電話の主は、彼女の友人だったと名乗った。そして、ポケベルのことで、僕に会いたいと話した。僕は、彼女に会えるかもしれない、そんな淡い期待を抱いて、その誘いを受けることにした。




 彼女は、死んでいた。とっくの昔に、連絡がつかなかったときに交通事故で亡くなったらしい。

「七回忌でね、遺品を整理してたら、見つかったの。そこにあなたの電話番号があったから、かけてみたの」

 彼女の友人は言った。僕は驚いて、何も言えなかった。心にぽっかりと、穴が開いてしまった、そんな気がした。教えてもらった墓碑にもちゃんと名前は刻まれていたし、久しぶりに会った彼女の家族は、遺影を残していた。その姿は、小学6年生のあどけない笑顔とは大きくかけ離れていた。

 ずっと、僕の中で彼女は小学6年生のままだった。親に買ってもらったポケベルを受け取って喜んでいた、あの姿のままだった。大きく変わって、大人っぽくなってしまって彼女の遺影は、僕には辛すぎるものだった。

「ねえ、これ」

 去り際に、彼女の友人から、彼女のポケベルを渡された。

「あなたが持っていた方が、きっと彼女のも幸せだと思うの」

 僕は、それを受け取った。それしか、僕の受け取れる彼女の遺品は残っていなかった。




 でも僕は、相変わらずポケベルを鳴らし続けていた。小学6年生の彼女が、相変わらず僕は好きだった。それを鳴らしている限りは、天国にいる彼女にメッセージが届けられているような、そんな気がして。10105(いまどこ)とか、724106(なにしてる)とか、彼女が生きていた時には伝えられなかったことも聞いた。さみしい時には33414(さみしいよ)とか、11014(あいたいよ)なんて打った。転勤するとき、出世した時には、3の一文字だけを送った。何も思いつかないときは1だけでも送った。毎日毎晩、僕はメッセージを送り続けた。その間だけは、僕は彼女との思い出に、すがっていられる。そんな気がした。小学6年生の彼女と、ポケベルでつながっていられる気がして。

 2007年3月31日、ポケベルが使える最後の日、僕が彼女に送ったメッセージは3470(さよなら)だった。それまでは、何があってもそのメッセージは送らないと決めていた。まだ別れたわけじゃなかったから。まだ、繋がっていられていると信じていたから。でも、ポケベルの終わりと同時に、僕の習慣は終わりを迎えた。僕の初恋は、本当の意味で終わったのだ。




「もちろん、今は君のことが好きだし、子どもたちも大切に思ってるよ。ただ、彼女が生きていた証拠を、ちょっと残してたいだけなんだ」

 もう梱包を終えて、がらんとした家で僕は妻に言う。妻は溜息とともに呟いた。

「いいけど、いらないものを増やさないでよね」

「わかってる、これだけだ」

 そう言って、僕は家を後にした。これから妻と娘と、新しい場所で暮らしが始まる。これは、僕の部屋の机の奥底にでもしまうことになるだろうな。

 ポケットに手を突っ込むと、使い慣れたスマホが手に触れた。こうしていると、途轍もない時間の流れを感じる。ポケベルから始まり、携帯電話を使い、今は当たり前のようにスマホを使う。次はAR機能でも付くのだろうか。それが、なんとなく、寂しかった。

「よし、行こうか」

 我が家、いや、我が家だったものを後にする。彼女の思い出をポケットに忍ばせて。




 久しぶりに、ポケベルを使ってみようか。今はもう、サービス自体がやっていないけれど、彼女の番号にかけてみようか。そう思った。彼女が生きていた時も、そして死んだ後も、伝えられなかった言葉が、今なら伝えられる気がする。僕はスマホのキーパッドを立ち上げそして打ち込んだ。020‐××××‐××××‐114106。

 直後、ポケットの中が振動した気がした。

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