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Sunset

作者: 夜凛 ナコ

  病弱だった。

 生まれつき免疫力が弱かったのか、風邪を引きやすかったり、傷が化膿したりと、病気や怪我が絶えない子供だった。

 そのため、10歳を過ぎてもあまり家から出ることなく、自室にこもって生活していた。両親はそのほうが安心らしく、たいして何か言ってくることはなかった。

 兄は父について、家業を継ぐべく勉強しているようだった。

 自分は将来何になるんだろう、などという漠然とした不安を抱えながらも、いつものように部屋から窓の外を眺め、空想にふけるのだった。

 そこそこ名の知れた貿易商の父に、温和な母親、優秀な兄。肩身の狭い思いをしたことがない、と言えばうそになる。

 それでも、居心地が悪いというほどではなく、とにかく体さえ丈夫なら、外に出てやりたいことを見つけられるのに、と年齢を重ねるごとに自分自身の歯がゆい思いが募っていくのみであった。

 フリスタ・サイファーンは、そんな12歳だった。


  自室の窓からは、遠くに大きな樹が見えた。

 街の中心部に位置するこの家から見ることはできないが、その先には港がある。毎日たくさんの商業船や、海賊船、軍の船も出入りするという。活気にあふれ、人や物が行き交い、たまに海賊同士のケンカが起きたりと、とにかく賑やかだそうだ。

 記憶にある限り、港に行ったことのないフリスタにとっては、想像するしかない世界なのだが。

 その世界を、生き生きと語ってくれる幼馴染が、今日も――。


  少し開けた窓の隙間から、さわやかな風が部屋に吹き込んできた。 カーテンが、それに誘われてやわらかくはためく。

 と。

 コンコン、と、窓ガラスをたたく音がする。

 フリスタは、椅子から立ち上がり、カーテンを引く。

 あらわになった窓の外には、ニカッと、癖のある笑顔を浮かべた黒髪短髪の少女がいた。少女は、少し開いたドアを開け放ち、勢いをつけてサッシに体重を乗せ、窓枠にちょこんと座った。

 よく見ると、頬や体を支える両手、シンプルなワンピースの裾からのぞく脚には、たくさんの小さな傷がついていた。

「久しぶり、フリスタ。元気だった?」

 笑顔を絶やさず、少女は言った。

「おかげさまで」

 すましていったつもりだったが、うれしさを隠しきれてないような気がして、気恥ずかしかった。

 そんなフリスタの気持ちを知る由もなく、少女――シュノーは、部屋を見渡し、風に乱された髪を乱雑に整えた。

「で? 今日はどこに行ってきたんだ?」

 フリスタは、椅子に戻り、机に頬杖をついた。

「港!! 相変わらずあそこはいいな!! すっごいんだ、大きな船が何隻もあってさ!!」

 目を輝かせて語るシュノーを、フリスタは何度うらやましいと思ったことだろうか。

 シュノーの語る風景を、自分の目で見てみたい。

 それがかなわない今は、シュノーのはなしを聞くのが何よりの楽しみだった。


  シュノー・ゲルライドは、サイファーン家と仲のいい格式高き家柄の一人娘だった。

 家柄とはまっ反対に、彼女は自由奔放に成長した。家の中で勉強するよりも、街中を走り回ってたくさんの発見をするほうが楽しい。

 両親は、そんな娘をいつも心配していた。家を飛び出したかと思えば、帰ってくると傷だらけ、泥だらけ。

 どこへ行っていたのかを問い詰めても答えようとせず、もう少し小淑女として品のある行動をと何度言い聞かせても、娘は反発した。

 反発しかしなかった。そんなつまらない事なんてやってられない、と。こんな狭い家の中で何を知れるの、と。

 両親は、最後の頼みだとばかりに、前々から交流のあったサイファーン家の二男と、シュノーを会わせた。サイファーン家は、貿易商として名の知れた家で、その品の良さをかっていたことから、サイファーンの二男と会うことで、シュノーの何かが変われば、と考えたからだった。

 結論から言えば、それは見事なまでに期待外れに終わった。

 サイファーンの二男、フリスタと仲良くはなったものの、彼女の行動や品性がどうこうなることはなかった。もう手の打ちようがなかった。

 シュノーは両親と口をきこうとせず、両親もまた、手の施しようのない娘に、口うるさく言うことが無駄だと悟った。彼女もまた、両親に反発することを徐々にやめ、軽くあしらうようになっていく。

 こうして、ゲルライド親子の関係は、儚く脆いものになっていった。


  窓枠に座る彼女は、それはもう、とても楽しそうに語っていた。彼女の見てきたものを、ことを、風景を。

 彼は、彼女の話を、そっけなさを装いながら、心から楽しんで聞いていた。彼の見てみたいものを、ことを、風景を。

「でな、おととい見た夕日が、それはもうすごくきれいでさ!! なんていうんだろうな、でっかい真っ赤な太陽が、自分の周りの空と海を赤く染めながら地平線に溶けていくんだ!! あぁ、フリスタにも見せたかったなァ」

 その言葉が、フリスタの想像力を掻き立てる。

 青い青い、どこまでも続くかのような地平線に、溶けて沈みゆく太陽……。

 何故だろうか、想像してみて、いつも以上にそれを見てみたいと思った。この狭い部屋から出て、あまりに大きなものを前にした時、何か変わると思ったのだろうか。

 なんにせよ、心から見てみたいと思った。

 今まで聞いてきた風景の、どれよりも強く、強く。

「シュノー、その夕日は、次はいつみられる?」

 気が付けば、そんな言葉が口をついて出るほどに。

「フリスタ、見たいのか?」

 少し驚いたように、男勝りな、いつもの口調で、シュノーは問う。

 もはや、迷いや心配などなかった。

「うん、見たい」

 力強く、頷いた。

 にぃ、と。彼女の顔に、笑顔が広がる。

 八重歯がのぞく、その口から放たれる言葉は。

「よし、連れてってやる」

 その容姿とは、あまりに不釣合いだった。


  青い空と海の間の、どこまでも続くかのような地平線に溶け行く、大きな夕陽を見たい。

 その願いは、二人の約束となった。

 夕日の傾き行く時間になって、そんな太陽を見つけたら、きっと、必ず、呼びに来るから。だからちゃんと、窓は開けとけよな、と。

 彼女と小指をからめ、東洋のまじないだという『ゆびきり』なるものを交わした。

 それから、夕方が待ち遠しくなった。

 シュノーが、部屋の窓をノックするのを、心待ちにしていた。

 そんなフリスタの心なんてお構いなしに、約束した二日後から、三日ほど立て続けに雨が降った。どんよりと立ち込める雲を眺めるたび、気分まで曇ってしまうようだった。

 いや、実際曇っていたのだろう。無性に、泣いてみたくなるくらいには。


  コツコツッ、と。

 ガラス戸を叩く音がして、自分が寝ていたことに気がつく。

 慌ててベッドから飛び起き、半分閉じられたカーテンを開ければ、そこには満面の笑みをたたえたシュノーが。

 窓を開けば、いつものように、上等そうなシンプルなワンピースとは不釣り合いな格好の、ぼろぼろな彼女が、ひょいっと部屋の中に入ってきた。

 冊子に腰掛け、部屋を見渡し、よし、と呟く。

 何事かと問うより先に、彼女は言った。

「フリスタ、行くぞ」

 差し伸べられた手を、取らないという選択肢なんてなかった。

 きっとこれが期待なのだろう、というもので、自分の心がいっぱいになるのが分かる。

 入った時と同じように、慣れた動きでひょいっと外に出た彼女に倣い、窓のサッシに足をかけ、ちょうど家の裏側にあたる庭に飛び降りた。

「ほら、靴」

 指さされた場所には、何処から持ってきたのか、一組の靴があった。

 足を突っ込んでみれば、見事にサイズもちょうどで。

「何処から持ってきたの?」

「秘密。それより、いそがないと間に合わなくなっちゃうぞ」

 シュノーは、フリスタの手を取って、家の壁伝いに周りを窺いながら歩き始めた。

 人の気配を探りながら、少しずつ少しずつ進むスリリングな行動に、期待は膨らむ。

 久方ぶりの、自由な外だ。

 裏門から屋敷の敷地を出れば、馴染みのない景色の中にとけてゆく。何か所か、見覚えのあるような道を横目に、街中を縫うように歩く。

 少し足早なシュノーを、遅れないように追いかける。

 だんだんと、潮の匂いが近くなる。レンガ造りの町並みが、どんどんと簡素になってゆく。

 住宅街を抜け、市場を抜け、たどり着いたのは一本の大きな樹が立つ小高い丘の上だった。

 その木が、いつも家の窓から眺めていた木だと気が付くのに、そうそう時間はかからなかった。

 水平線を見渡す。

 遮るものなど何もなく、沈み始めた太陽が、今まさに、空と海を赤く染めあげようとしているところだった。

「間に合ったな」

 満足げに呟いた彼女は、一本だけの大きな樹に手をかけ、上り始めた。

 するりするりと、幹に枝に擦れ、あちこちがほつれるワンピースなどお構いなしに、一本の枝までのぼり、こちらを見下ろしてきた。

「何してんだよ、ほら」

「でも」

 言いよどめば、ニタリと笑むシュノー。

「なんだ、登れないのか。お前、一応男だろ」

「一応ってなんだよ!! ……今いく」

 木登りなんて、した記憶はない。

 けれど、言われっぱなしも癪だ。

 シュノーより年上だし、フリスタだって男だ。

 ぎこちなくも、一生懸命に登ってくるフリスタに、シュノーは感嘆の溜息を洩らした。

 ほどなくして、なんとかシュノーのいる枝まで登ってきたフリスタを、シュノーは場所を開けて迎えた。

「のぼ、れた」

「はじめてフリスタの男らしいとこ見た気がする」

 息も絶え絶えなフリスタを、シュノーはからかうように笑う。

「なんだよ、それ」

 フリスタはふてくされて見せるが、そんなことお構いなしにシュノーはフリスタの肩を小突いた。

「気にすんな! それより、ほら」

 指さされる先は、水平線。

 今にも海に飲み込まれてしまいそうな、大きな大きな太陽が、少しずつ傾いてゆく。

「うゎあ……」

 しっかりと幹につかまりながら、その光景に目を奪われた。

 ゆっくりゆっくりと落ちて行く太陽が、水平線から自分たちまで、何もかもを赤く染めあげて消えてゆく。

 風は凪ぎ、時間が止まってしまったかのようにさえ感じる中、太陽だけが息をしていた。

 本で読んで想像していたものとは、勿論シュノーに聞かされた話から自分が想像していたものよりも、遥に雄大で、フリスタはその様子を表し得る言葉など思い浮かばなかった。

 太陽が沈むにつれて、天頂から闇に覆われてゆく。

 水平線の向こうに消えてしまっても、暫くの間赤い光はその存在を示すように、水平線からはみ出していた。

「……さて、帰るか」

 シュノーの声に、はっと我に返った。

 あまりの感動っぷりに、我を忘れていたと告げれば、彼女はまた、小ばかにしたように笑った。だけどそんなことなんてどうでもよかった。

 今はとにかく、あの景色の余韻に浸りたっていたい。

「そういうのは帰ってからにしろよ。早く戻らないと、メイドが晩御飯呼びに来るだろ」

「……そういえば」

 だからほら、フリスタから降りろ、と急かされ、慎重に木をおり始めた。

 それでも、脳裏にはあの夕景が焼きついていて。

 何度も何度もフラッシュバックするそれに、一瞬、意識を奪われた。

「フリスタ!!」

 ぐらり、と体が傾いたことに気が付いた瞬間、体中に激痛が走った。


  見ているこっちがヒヤヒヤするくらい、ゆっくり、ゆっくりと枝伝いに降りていくフリスタについて、シュノーもその後をおり始めた。

 一歩分遅れてあとをついていくが、前を行くフリスタは、ふとした拍子に心ここにあらずといった状態になっているようで、より一層シュノーをヒヤヒヤさせていた。

 と。

 次の枝に足をかけようと伸ばすフリスタのそれが、枝の中心部分を捕えていないことに気が付く。

「フリスタ!!」

 どうにか意識を引っ張り戻そうとするも、時すでに遅し。

 ドッ、と嫌な音がし、下を向けば腕を自らの身体の下敷きにしてフリスタが倒れていた。

 急いで木を滑る様に降り、フリスタに駆け寄る。

「おい!! 大丈夫か!?」

「痛い……」

 うつぶせになっているフリスタを仰向けにし、下敷きになっていたほうの腕の袖をそっとまくれば、すでにあおじんで腫れ始めている。

 折れている、そう察知したシュノーは、木から程よい太さの枝を折り、自分のワンピースの裾を裂いた。

「男だろ、我慢しろ」

 言いながら、枝を添え、裂いた布で患部を固定した。

 何か言いたげだったフリスタも、ぐっと唇をかみしめ、今にも泣き出しそうなのをこらえていた。

「よし、これでいい。立てるか?」

「……うん」

 振動が伝わる度に痛むのだろう。シュノーに支えられ、緩慢な動きで何とか立ち上がった。

 顔を夕日で赤く染められながら嬉しそうに眺めていた先ほどまでとは打って変わって、隣を歩くフリスタは真っ青な顔をしている。

「……ごめん」

 道も半ばにさしかかった時、無意識に口からぽつりとこぼれた言葉に、隣のフリスタは驚いて顔を上げた。

「アタシがのぼらせたから、無理させたから」

「……そんなこと、ない。夕日を見たいって言ったのは自分だから。落ちたのも、自分」

 それでも、と、何か言いかけた言葉は、フリスタを呼ぶ声に遮られた。

「フリスタ様!!」

 声の主は、家のメイドの一人だった。部屋にフリスタがいない事に驚いて探しに来ていたのだろう。

 駆け寄ってきて、フリスタの様子を見ると、彼女は小さな悲鳴を上げた。

「なんてこと……!! ご主人様も心配しておられます。急いで帰りましょう」

 メイドに急かされるまま、フリスタはさっきよりも足早に歩き始めた。

 メイドに何と声をかけようか迷っているフリスタの後ろを、俯きながらシュノーは追った。


  パシン、と、乾いた音が鳴り響いた。

 広い玄関に共鳴したそれは、静まり返った水面に投げ入れた石のように、見えない波紋を作って消えた。

「お前と言う娘はッ……!!」

 殴られたはずの頬は何故か全く痛まなかった。

「違うんです!! 僕が連れて行ってって頼んだから」

「いや、フリスタくん。今回ばかりはどういう理由があろうと、見逃すわけにはいかないんだ」

 庇おうとしたフリスタに、シュノーの父親が低い声で言った。

「直に医者が来るだろう。お前は部屋で待っていなさい」

 フリスタの父親が、メイドに付き添うよう言いつけると、フリスタは小さく返事をして部屋へと戻っていった。

 幾度もこちらを振り返っては、心配そうな顔をするフリスタに、小さく苦笑して見せた。

「……何をわらっている」

 頭上から、聞きなれた父の低い声がした。

「……いえ、何も」

 そっけなく答えれば、怒りに震える父の罵声が響いた。それを真っ当に受け止めるつもりは毛頭なかった。

 今日の事は完全に自分の落ち度だ。自分が先に降りていれば、受け止めるなり出来たかもしれない。そもそも、フリスタを連れ出さなければ。そんな自責の念はあった。

 けれど、父の罵声の内容の半分以上は、フリスタの怪我を気遣うものではない。

「……あの」

 場に不釣合いな、控えめな声にその場の一同が振り替えれば、医者らしき人が罰が悪そうにそこにいた。

「あぁ、すみません。先生、こちらです。……私はフリスタに付き添ってきます」

 フリスタの父親は、そう言ってこちらに背を向けた。口調こそやわらかかれど、顔は決して笑ってなどおらず、むしろ怒りをこらえているようであった。

「……それでは、私たちはひとまずお暇させていただきます。本当に、申し訳ない」

 自分もフリスタに付き添いたいと言うよりも早く、父はそう言って頭を押さえつけ、自身も深々と頭を下げた。

 反論する間も与えられず、強く腕を引かれ、そのまま家に連れ帰られた。


  その後のことは、よく覚えていない。

 なんでお前はそうなんだと言ったような趣旨の、説教を延々とされた気がする。

 しばらくすると、それはどんどんと違った方向にずれていって、いつぞやかのタイミングで、シュノーの堪忍袋の緒がブチ切れた。

 こんなかたっくるしい家で生きていけるか、と叫び、呆然とする家の者達に向かって、二度と帰ってきてやらねえと捨て台詞を吐いて、夜に沈む街に飛び出した。

 両親と喧嘩した時、度々世話になっていた宿で一夜を明かし、翌朝市場で少しの手持ちのお金で、少しの食糧と武器を買った。

 これから先、どうやって生きていこうかなんて、考えもしなかった。どこへ行こうか、そんな期待でいっぱいだった。

 そうだな、はじめは内陸の方へ行きたい。農業が栄えた都市があるらしい。

 山間の、谷底のようなところに、農業や林業で発展した都市付近には、山賊なども多いと聞く。

 喧嘩や自衛ぐらいなら、ある程度できる自信はある。港で海賊と喧嘩した時も、そこそこ対等に渡り合うことはできた。

 とりあえず、ナイフは2本買ったし、行くならこのまま街を出なければ、最寄りの村にたどり着けず、野宿をすることになってしまう。

 家に寄るつもりなど毛頭ない。

 お金なら、いつもいつも無理やりつけさせられているペンダントがある。レースがあしらわれた豪奢なワンピースを徹底的に拒否した結果、質素だが上等なワンピースと、ペンダントだけはつけろと言われていた。

 着飾ることに何の意味があるのか理解できなかったが、使いようによっては成程、役に立ちそうだ。これを相応の値で売れば、しばらくは食と寝床には困ることなく過ごせるだろう。

 お金を作ったら、まず衣服をどうにかしよう。さすがにワンピースのまま街を出るのは危険すぎる。靴も、もっとヒールの低くて歩きやすいものにしないと。それから、地図も買おう。行きたい場所の目星をつけよう。

 頭の中で買い物のルートを描きながら、太陽が真上に上り切るころまでにはこの街を離れようと決心した。


  うちの家は比較的大きな商人の家だ。この街に根付いた店は、だいたいうちの息がかかっている。

 うちとのつながりが疎遠な店を選んで不必要なものを売り、必要なものを買った。

 昼近くになって、やっと売買を終え、十分だと思う程度の装備を整えられた。

 タンクトップに、ショートパンツととロングコート、少し大きめのベルトとひざ丈のブーツ。

 2本のナイフといくらかのお金と、少しの食糧は全部コートの裏のポーチに仕舞い、ベルトで閉じる。

 準備万端となったところで、少し早い昼食を済ませて、買ったばかりの地図を広げた。

 この街から、南東方向に行けば、半日もかからず村につける。

 そこで一晩過ごして、あとは3日かけて農業の町へ。

 考えるだけでわくわくした。

 ルートを確認したところで、地図を仕舞い、見知った街を進み始める。街を走っていれば、顔見知りの街の人々に声をかけられる。また家出かい、今日も元気だねえ、おやっさんに宜しくな。

 皆、勝手なことをを言うものだと思うが、不思議と嫌な気持ちにはならないのだ。

 この街に未練がないと言ったらウソだ。皆いい人たちだし、シュノーみたいな不良娘にも、笑って話を聞いてくれたり、食べ物を分けてくれたりした。

 港町だけあって、モノの流通も人の交流も盛んで、元気で、明るくて、少しうるさいぐらいのこの街が、大好きだ。

 だけど、どうしたって家は好きになれなかった。体裁ばかり気にして、仕事一筋で、ろくろくかまってもらった覚えもない両親。

 活発に育ってしまった自分とは、長いことそりが合わなかった。仕方のないことだ、と言ってしまえばそれまでなのだけれど。

 そうこう考えているうちに、フリスタの屋敷に着いた。屋敷の裏手に回ると、一か所、生け垣に穴がある。

 猫とシュノーぐらいしか通らないそこを潜り抜け、いつものようにフリスタの部屋の窓ガラスをノックした。

 中では、ドタバタと慌てる音がする。フリスタらしいや、と苦笑していれば、程なくして窓が開いた。

「シュノー!! どこ行ってたの、みんな探し」

「しーっ」

 まくしたてるフリスタの口元に指を立てれば、ハッとしたように静かになった。ひょいっとブーツのままサッシに乗り、フリスタを見下ろした。

 折れた腕は真っ白い包帯に包まれている。首からつりさげるように固定されたそれは、ちょっと仰々しくも痛々しく、罪悪感がふつりと湧くのを噛みしめた。

「父さんと喧嘩した。もう家には戻らない」

「……どうするつもり?」

「どうとでもするさ。……まずは、内陸の街を目指す。それから、世界のあちこちを回るんだ」

 いいだろ、そう言って笑えば、フリスタは顔をしかめた。

「皆、心配してるよ」

「……家の奴らには、これぐらいのがちょうどいいんだよ。自分で、自分のやりたいこと見つけて生きていく」

 心配なんかしてないだろ、とは言えなかった。現にフリスタは心配してくれていた。その気持ちを無下にはしたくなかった。

「腕、大丈夫か?」

「うん、骨が一本折れてるらしいけど、応急処置がよかったおかげで、変な風にくっつかずに済みそうだって」

「……そっか。ごめんな」

 そんな、謝らないで、とフリスタは言うが、どうしたってこの負い目は消せない。消してはいけないとも思う。

「もう、あそこには行くなよ」

 ひょいっとサッシから庭へと飛び降り、改めてフリスタと向き合う。

「本当に、ごめん」

「あやまらないでってば。僕はあの夕日を見に行ったこと、後悔なんてしてない。シュノー、ありがとう」

「……そっか。アタシはもっと、世界中を見てくるよ」

 何時ものように笑って見せると、フリスタはふと寂しそうな、それでも少し困ったように笑って言う。 

「また、話きかせてくれる?」

「私の話が聞きたいなら追いついて来い。その時は、話でも何でもしてやる」

「約束、だよ」

「あぁ」

 じゃあな。そう言って、さっき通って来た抜け道へと引き返す。

 追いついて来いなんて言ったけど、フリスタも次男とはいえ商家の子だ。真面目で病弱な彼が、親を振り切って自分と同じ道など行けるはずもないだろう。

 じわりと滲んできた寂しさを押し殺すように速度を速めて歩き出した。


  また明日、と言うのと何ら変わらぬ態度で、彼女は消えていった。

 しばらく、シュノーが消えていった方向を眺めていると、メイドがやってきて、ドアをノックした。

「フリスタ様、お昼ご飯のお時間でございます」

「……はい」

 名残惜しげに窓を閉め、シュノーのことは絶対に誰にも言わないと、心に誓った。

 ささやかだけれどはじめての、親への反抗だった。

その後シュノーは海賊に、フリスタは海軍になったのはまた別の話。

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