プロローグ
*若干の百合要素があります。また、作品の都合上百合成分は序盤のみとなるのでご了承下さい。
人は生まれながらに不平等。私が幼心にもそう思いを馳せたのは、何時だっただろう。
容姿も技量も人柄さえも、私は小生意気に世論から突出した代物を宿していた気がする。
それは勿論優れているという意味で飛び抜けているのであり、私を看破してくれる傑物がいない事によく腹を立てた事を覚えている。
何故分からないのだろう? 最善の行動は目に見えているのに、それを起こそうとしないのだろう?
その心境はいかばかりかと、私は今日の先刻まで分からずにいた。
だが、そんな私にも遂に理解する時が来たのかもしれない。
「ちょっと何言ってるか分からない」
「だから、俺は……!」
夕刻の淡いセピア色に支配された放課後の教室。古臭くも最上級と言える青春の舞台に、私と彼は二人っきりだった。
事の発端は、私が高校生活に舞い上がってしまった入学式当日にある。
「まずは、ご入学おめでとう御座います。我が校もお陰さまで創立20周年。ここを心機一転の起点とし、初心を忘れずに生徒と共に教育を育んで行きたいと思っています。そんな重要な区切りと言える今年に皆さんを迎え入れられた事を大変誇りに……」
開会式、校長の言葉。長々と能書きを並べる校長の姿に保護者、生徒、教員が雁首を揃えてご静聴する時間。
入学式当日という、今まで自分が積み重ねて来た成績を全てチャラに出来る″特別な魔力″が働くこの日だけは、誰もが集中して教員の言葉に耳を傾けるものだ。
「…………」
「では、お配りした栞の4ページ目。通学案内の欄をご覧ください」
校長の号令を合図に、紙をめくる音だけが絶えず会場を席巻する。
当然、新入生は一丸となって栞に目を通す。
校門で配布されていた学校案内の栞。そんなものは受け取り、会場に着くまでの流し読みで済ませた。
全員が校長と共に校風を学んでいる間に、私は真剣に栞を眺める新入生達の顔を一人一人目配りして頭に叩き込んでいた。
その顔はまるで鏡の顔で、高校での規律ある生活を推奨する栞の文字を映し出したかの様に、これからが本番だ。と書いてあった。
「雪衣。余裕そうだな?」
そんな私を温かく卑下する声が直ぐ横の席から訪ねてきた。
ツーブロックの髪を整髪料で軽くトップに纏めているダンディーな男性。
小綺麗に整えられた髭には、例え父とは言え魅力を感じる。
「そんなんじゃ無いって。ただ友達付き合いは大事でしょ? 特に女子との関係は……さ。……っ」
私は自身の表情が完全に腹黒タイプになっている事に気づき、慌てて優美を取り繕った。
誰だって妄想癖はある。そして決まって淫らな顔になるのはもう神様の至らなさとしか言いようが無い。
「雪衣は人当たりもいいし、簡単に友達100人作れるさ。嘘じゃ無い」
私の心中を気遣ってなのか、それとも単に気づいていないのか、父は校長の元へ顔を戻すと、独り言の様に答えた。
横から見れば更にクールと言うもので、私の持つ容姿、ないし才覚は、殆どこの父から受けた″七光″であろう。
なぜ私がここまでに父を絶賛するのかというと、私は男性を主観では無く、普遍的観点から評価する節がある。
その結果、父は男性の平均的パラメータを上回っていると判断したまでだ。
「私を私として産んでくれてありがとう。でも、私を同性愛者として産んだ事は今でも時折恨めしく思う」
当然、私は心の奥底で、密かに呟いた。
人は生まれながらに不平等。私が幼心にそう思いを馳せたのは、小学生の頃にある女子生徒にフラれ、泣いて帰った夕方の記憶だった。
〔これにて平成27年度開会式を終了します。新入生、保護者の皆様。御起立下さい。最後に国家、並びに……〕
私が永い回顧に入り浸っている間に、校長のお言葉はとうの前に終わりを告げており、第20期生を迎える儀式は閉会となっていた。
私は慌てて起立に従う。そして、苦い追憶の思い出が混濁する脳内から歌詞を絞り出し、震える声で校歌を歌うのだった。
少し話を掻い摘み、私は父と共に帰路に着いていた。
エンジン音が私の鼓動を急かす。父の運転が普段よりも荒いのだ。
それは決して機嫌を損ねた訳では無く、寧ろ私の扱いに途方に暮れている証拠だった。
「私に触れる事を臆している」、まるで小さな一個の爆弾を助手席に置いている様な様子。
申し訳なくなり、私は嫌々にも口を開く。
「まだ正午だし、暇つぶしがしたい」
今現在、私が出し得る全力投球だった。
そして、父はその変態球を易々とキャッチする。
「本当余裕だな。よし、数ヶ月前に出来た和菓子屋でも行こうか! 多崎さんに教えてもらったんだ。あの味覚王の多崎さんだからな、期待できる」
多崎とは、私の住む家の隣人夫婦だ。そして味覚王と呼ばれているのは旦那の方である。
何でも父が昔勤めていたIT企業の同期らしく、一度オススメのラーメン店に連れて行った所、オーナーだけが知る秘蔵のスープの作り方を味だけで言い当ててしまったのだとか。
「成る程、あの人が言うなら間違い無いね。まぁ、私は例の逸話信じてないけど」
「でも舌が肥えてるのは確かだろ? 善は急げだ。3分程で着く」
そこからの運転は実に華麗なもので、一切の不備は見当たらなかった。
父も母も″私の秘密″を知ってはいるが、口に出す事はない。
失恋のあの日。泣きながら訴えたあの日以来、家族の中で私のレズ事情にはタブーとして触れて来なかったのだ。
父の運転が変貌した事に、私は心境を悟られていたと確信し、全身が若干熱くなったのを感じた。
「甘……無量? はは……オモシロイネ」
到着し、下車した私を迎えたのはこじんまりとした和喫茶店だった。
モダンではあるが、しっかりと配備の届いた清潔さに僅かがら現代の風貌を感じさせる。
私は父を待たずして暖簾をくぐる。
「いらっしゃいませ。お一人様……失礼しました。お二人様で宜しいでしょうか?」
入店すると、即座に店員と思しき女性が定型文を言い放つ……が、遅れて入ってきた父を鑑み、謝罪と改竄を瞬時に熟した。
接客業は手慣れている様ではあるが、その背丈は少し低く、高校生、もしくは中学生にも見える程童顔である。
第一印象としては、可愛いだ。
妖艶さや顔の整い具合で言えば私と比べれば少し拙い部分はあるが、特筆すべきはその可憐さだ。
それはもう恐ろしく美人で、可愛らしさで言えば下手なジュニアアイドルなぞよりも目に見えて秀でていると判を押せる自信がある。
「……!」
「座席はカウンターとお座敷が御座いますが何方になさいますか?」
「座敷でお願いします」
「当店は全席禁煙と……」
父が私に変わって店員と言葉を交わしている。
その間、私はその美少女に釘付けになっていた。
正直、これは間違いなく一目惚れと言うヤツなのだろう。
一際華奢な躰つきも、化粧っ気の薄い純粋な顔つきも、私とは違うモノを持った彼女に私は酷く嫉妬した。
手に入れたい。私は彼女の物になりたい。
体の奥底から沸々と煮え滾る欲望が次第に私を支配していく。
レズとしての本能、異常性欲が涙と吐き気を催す程に爆発した。
世論なんてどうだっていい! 私はこの娘を彼女にする!!
「今すぐ告白を」、そう私が足を踏み出した時だった。
「ッ……!?」
不意に眼の前で閉じ、鳴り響いた乾いた音響が私を瞬時に無我の境地へと追いやった。
父が、私の前に立ちはだかり、手を叩いたのだ。
「そう焦らなくても、和菓子は逃げないぞ?」
「あぁ……うん……」
危ない所だったのかも知れない。異常性愛の恐ろしさは、その隠蔽性にある。
他人に一切打ち明けられずに溜まりに溜まり、行き場の無くなった欲情はある日不意にcapacity overを起こす。
臨界点にまで達した欲望は、例外なく本人の人生に多大な変化を促す。
それは幸福か、はたまた不幸か、その塩梅が末恐ろしい。
「あの、大丈夫ですか……? トイレなら真っ直ぐ進んで右手に……」
店員が上目遣いで此方の様子を伺っている。トレイを強く握りしめ、右手の人差し指で小さくトイレを指差していた。
あぁ!! やめて!! 折角我慢したのにそんな悩殺ポーズされたらまた爆発しちゃうから!!
「……大丈夫です……グフッ!!」
遂に私は耐えきれなくなり、鼻血と吐血を同時に吹き出して膝をついた。
父と店員、そして裏方に回っていたであろう筋骨隆々とした青年がティッシュを持ってきた。
「ご迷惑お掛けしました……あの、この杏仁豆腐で……」
「俺は宇治抹茶ぜんざいで」
「杏仁豆腐と京の宇治抹茶ぜんざいですね。かしこまりました」
事は辛くも終息し、私は両鼻の穴にティッシュを詰めてオーダーを済ませた。
そして、店員を一目見てから打ち明けたいと思っていた事を父に話す。
「あの店員。私と同じ学校だ。多分……」
「どっちだ? 女の子の方か?」
「うぅん。何方も。男子の方はA組。女子の方は……私と同じ、B組」
私は記憶力には一家言あり、入学式で20期生の顔を一通り覚えた。その中にあの二人は居たのだ。
そして、自然と指定されたいた席は組み分けされたものだと言う事を教員同士の会話から聞いていた。
「いいチャンスじゃないか? 話しかけてみたらどうだ?」
確かに父の意見は最もであり、的確なものであった。
しかし、今の私は暴走が事を起こす寸前に収まったいわば″病み上がり″だ。
せめて今日は、なるたけ彼女と対面しない方が吉だろう。
「いいよ。まだ名前知らないし」
「そうか。じゃあ明日がんばれよ」
嘘だ。既に二人とも名前は覚えている。私を貧血に追いやった彼女の名は海豹大和。
そして、その修羅場をフォローしたがたいの良い青年の名は泡吹紅葉。
栞と一緒に何冊かの参考書が配布され、入学式が始まってから大半の生徒が名前を書いており、それを可能な限り頭に叩き込んだ。
ただ、この旨を説明するのは流石に気分を害されるだろうと配慮して今回は黙っておく事にした。
「はぁ、なんか気持ち悪くなってきた……」
「大丈夫か……?」
「あぁ大丈夫。我慢できるレベルだから」
気持ち悪いと言ったのは容体が良くないと言う事ではなく、何から何まで普通ではない自分に若干の嫌悪感を抱いた事を指していた。
「お待たせしました。自家製杏仁豆腐と……京の宇治抹茶ぜんざいです。ご注文は以上でお揃いでしょうか?」
「はい」
「ごゆっくりどうぞ」
彼女はふくよかな笑みで私達に深々と頭をさげる。その笑みは公務の為の作り笑い。
大衆に向けて仕上がった姿だと言う事は重々承知だが、私の中で彼女への好意はますます肥大化していった。
気を紛らわせるために前に置かれた杏仁豆腐を乱雑にスプーンですくい上げ、口内へと放り込む。
「美味しい……」
「だな! 流石多崎さんだ!」
食した杏仁豆腐の美味しさは、事を忘れて純粋に食事にのみ没頭出来るほどの魅力を有しており、私はその時多崎さんとの長い付き合いの中で最も感謝の念を抱いた。
「有難うございました! またのご来店をお待ちしております」
他に客が居なかったからなのか、あるいはあれが甘無量本来の在り方なのかは分からないが、私達は手厚い接待を受けた後に店を出た。
薄暗くなった街並みに、信号や街灯、あらゆる光源が無性に美しく見える。
優しく揺れる車の中で私はつい小さく言葉を漏らしてしまった。
「これから1年間一緒かぁ……」
恋愛・・・「(おたがいに)恋をして、愛を感じるようになること」(三省堂国語辞典参照)