4-13
ニグル・フーリア・ケッペルという青年は、ティア・エルシア・ウィットランドにとっては兄の親友であり、そして自分にとっても第二の兄とも呼べる存在だった。
若くして国王直属護衛隊の長に上り詰め、マレストリ王国ではアーチライトを除いて唯一、ヨーラッド討伐隊に参加を要請されたほどの実力、そして深い思慮に穏やかな気性を兼ね備えたニグルは、兄の死後、ティアにとって大きな心の支えとなっていた。
「随分傷だらけじゃないか。アンナにでもやられたかい?」
足元にアルバトロスが倒れ、隣にはヨーラッドを携えていながら、一歩、前に踏み出したニグルの薄笑みは、ティアがこれまで頼ってきた彼の顔と何ら変わりが無く。
「なぜ、アンナにやられたと?」
だからこそ、それが妙に恐ろしく思えて、無意識に剣に手を掛け、距離を取る。
「ティア相手に傷を負わせられる相手となると、かなり限られてくるからね。火ですぐに思いついたのは、アンナくらいだったってだけだよ」
「そんな事はどうでもいい!」
叫びは、唐突だった。
「そっちから聞いておいて、それはひどいな」
「なぜ、ヨーラッドが? それにアルバトロスも! お前は、アンナは、何なんだ?」
纏まらずに口から零れた声を、それでも理解したかのようにニグルは笑う。
「何か、と聞かれれば……そうだね、ティアの見ての通りだよ」
稲光が空間を照らす。ティアの手の中の魔術剣が雷の先の僅かに反った刃物を受け止めていたのは、ただ偶然にも刃と身体の間の位置に剣があったからに過ぎなかった。
「僕は最初から、このヨーラッドと組んでいたのさ」
ニグルの言葉に動揺しながら、言葉を返す余裕はティアには無かった。
目で追うことすらできない雷の攻勢を、先読みと風の速度でどうにか凌ぎ続ける。互いに思考から動作まで僅かなラグがあるからこそ成立する戦法は、だがどうやっても時間稼ぎ以上にはならない。
「引いた方がいいよ。そんな状態でヨーラッドと戦うなんて、無謀に過ぎる」
加えて、戦場からアンナとの戦闘を通して消耗したティアの肉体は、とうに変成術に耐え得るような状態ではない。一度防御を行う度、防ぎきれない魔術や武具の攻勢と、自らの魔術による過負荷、二つの傷がティアの身体に刻まれていた。
「見逃して、くれると言うのか。随分と、甘く見られた、ものだ」
口を開く事ができたのは、余裕からではなかった。ニグルの言葉に同調するように緩んだ雷の攻勢が、どうにか会話を許可してくれているだけに過ぎない。
「ティアが死んでしまうのは、僕にとってどうしても許せない事の一つだからね」
発言の意味を頭が理解するまでの時間が、ティアにはとても長く感じられた。雷の速度に狂わされた時間の感覚が、実際には一瞬に満たない刹那を限りなく引き伸ばしていく。
「……私が一番許せないのは、他でも無いこいつだ」
手加減されてなお、反撃の手など一手も打てない状況で、だからこそティアの瞳は自らへ向かい来る雷に混じり気の無い憎悪を向ける。
「こいつと組むなんて事は、どう――」
「それでも、僕にはやらなくてはならない事があるから」
断絶を告げる声を合図に、雷が一際大きさを増す。
正面からの一撃を肩口への傷と引き換えに受け、更に詰めて来た雷は突如として上方へと逸れた。かと思えば、気を緩めるような間も無く反転。文字通り落雷と呼ぶに相応しい一撃に、傷口が開くのを無視して剣を割り込ませる。
「――――」
だが、必死の防御を嘲笑うように寸前で軌道を変えた白い光に、ティアにできる事はただそれを認識することだけだった。
「……終わったよ、アーチライト」
自らの部屋となって久しい、王国騎士団の護衛長室。そこに横たわる白の魔術師と、親友の妹である金髪の少女、そして自身のすぐ隣に立つ黒装束の仮面を眺め、ニグル・フーリア・ケッペルは小さく呟く。
「いや、これからが大変なのかな」
怠慢な歩調でティアの横を通り過ぎ、足はそのまま倒れたアルバトロスの元に向かう。
「……今思えば、貴方で良かったのかもしれませんね」
輝くような白の髪の下、僅かに覗く黒色をニグルは視界に捉えていた。
「きっと、私と貴方のやり方は同じだ。これから良い関係を築けると嬉しいのですが」
「――それは思い違いだ、ニグル」
飾り気のない、それでいて芯の通った声。
「アーチ、ライト?」
親友の声に良く似たそれが、一瞬だけ誰の口から発されたかわからずに。
「俺は元々、小細工無しに最強だったんだから」
目の前で起き上がる少年の正体に、ニグルはすぐに思い至る事ができなかった。
「……アルバトロス卿。死んだふりなどしていたとは、少し意外ですね」
「死んだふり? 面白い事を言う、最初から俺を殺すつもりなど無かっただろうに」
鮮やかな白髪は、艶のない黒色へ。絶えず虹色の変化を繰り返していた瞳も、深い暗色に留まり続ける。白の装束を除けば別人にも見えるアルバトロスの姿、そしてその左手には金色に光る短剣が握られていた。
「リネリア、アーチライトの剣ですか。しかし、道具が何であろうと、それだけでは」
「なら、試してみるか」
アルバトロスの言葉は、淀みなく最後まで紡がれた。
その事に、ニグルはひどく動揺する。
「тилла ранг」
謳うような詠唱と同時に、金色の光が短剣の先から迸る。
「……っ、なっ!?」
効果を発揮しなかった薬指に続いて、人差し指が動いたのは反射だった。寸前で生まれた土の壁が光を受け、ニグルの背を冷や汗が伝う。
「アーチライト・コルア・ウィットランドは、当時のマレストリ王国騎士団長、ガルベス・ラス・ウィットランドの長男、第一子として生を受けた」
土の壁の先、滔々と語るような声が響く。
「父の友人の息子であるニグル・フーリア・ケッペルと共に幼少期を過ごしたアーチライトは、妹のティア・エルシア・ウィットランドが生まれるのとほぼ同時期、魔術を学び始め、すぐに大きな壁に直面する」
その声は、アルバトロスの転生術の依代、今は亡きアーチライトについて語っていた。
「代々、身体の多くを風の元素で構成するウィットランド家の長男でありながら、アーチライトは五大元素の全てをほぼ均等に身体の内に飼っていた。魔術師としての資質に悩む日々、更に妹のティアが歴代でも有数の割合で風の元素を身体に有している事が発覚する」
「……そんな事は、知っています」
唐突な朗読は、ニグルも良く知る無二の親友の生涯。
「それでも自身の魔術を探求した結果、アーチライトはやがて架空元素『光』を操る事に成功し、マレストリ王国では最高位の大陸式魔術等級十四を授かる」
「だから、それが……」
「そして、その力を買われて招集された、大陸最悪の魔術師、ヨーラッド・ヌークス討伐戦において、ヨーラッドに辛勝するも――」
「っ!!」
ニグルの両手、全ての指が閉じると同時、床、天井、壁、全方位からの土の杭がアルバトロスへと襲いかかる。
「――その直後、背後から何者かの襲撃を受けて死亡」
だが、その全ての杭が、アルバトロスに辿り着く遥か手前で白い雷光に破壊されていた。
「つまり、これはヨーラッドの偽者、いや、偽物だ」
土の残骸の上、黒装束と仮面が落ちたその場所には、人型の宝石の塊があった。
ニグルは、目の前の光景を信じる事ができなかった。
自らの計画、そして魔術の結晶とも言えるヨーラッド・ヌークス、そう名付けた宝石人形がアルバトロスを守るべく動いた事実が意味する事を、混乱した頭でどうにか考える。
「……最初から、騙していたというわけですか」
土人形の魔術は、およそ数百年前からあったとされる伝統的な土の魔術だ。土の元素に属する物質、土や石、あるいは鉄などを操り、術者の代わりに近接戦闘を行わせるその魔術は、多くの兵の入り乱れる集団戦闘や、変成術を扱えない中位から低位の魔術師の戦闘において、現在でも広く使われている土元素の代表的な魔術でもある。
ニグルの操った宝石人形の魔術も、原理としてはそれと同じ。
違うのは、人形として操るのが元素の集合体として形作られた宝石、それも架空元素『雷』で構成された宝石の塊である事。結果として『雷』自体を操る事が可能となっていたのは、ニグルがヨーラッドの塒から持ち帰ったその宝石自体が内に膨大な雷の元素を秘めていたからであり、宝石から元素への変換自体は魔術師の基本中の基本に過ぎない。
しかし、宝石人形の魔術の難度の低さは、誰にでもそれを操る事が可能であるという意味とイコールではない。
他者の魔術の支配下にある人形を乗っ取るなど、土の魔術師でも高位の者が成せるかどうかの業であり、ましてや、マレストリ王国において、ティアと並び最高位の等級十二を誇るニグルから奪うとなると、その難易度は想像を絶する。現代魔術においては低位、過分に見積もっても中位の魔術師が精々のアルバトロスに、そんな真似は不可能と言える。
だから、ニグルがヨーラッドと名付けた宝石人形を奪われた現状は、それこそ現代に転生された直後、ティアに敗北した時からすでに、アルバトロスがその力を紗幕に隠し、あえて虚実を身に纏っていたとでも考えなければ辻褄が合わない。
「違うな、騙してなどいない」
だが、ニグルの予想は、心なしか艶を失ったアルバトロスの声に否定される。
「そのお姿でそんな事を口にされても、信じようがありませんね」
すでにアルバトロスを象徴するまでになっていた、鮮やかな白髪と虹色の瞳、その両方を深い黒に変えた姿は、今の姿こそが本来の彼の姿である事を如実に示している。
「これは装飾魔術を解いただけだ。そのわずかな負荷をも惜しんだのは事実だが、それだけで騙していたと言われるのは不本意だな」
たしかに、姿が大きく変わった事自体は、アルバトロスの魔術の実力とはそれほど関連はない。完成度が高いとは言え、装飾呪文自体は可視光線の操作、闘技場やこの場で見せた虚像の術の下位互換に近く、それ自体がアルバトロスの魔術の技量とは結びつかない。
だが、飲み込まれるような黒の瞳は、良く似た暗色のニグルの瞳を捉えて離さない。
「むしろ、騙していたのはお前の方だろう」
「……そこまで気付いていましたか」
「当たり前だ。この脳髄には、前の所有者の息絶えるまでの記憶が鮮明に刻まれている」
自らのこめかみ辺りを指で突き、アルバトロスは自嘲するように笑ってみせた。
「結局、それに頼る事になったのは不本意だがな」
「頼る?」
「この魔術、その理論と対策をアーチライトに教えたのは、他でもないお前だろうに」
「ああ、なるほど。たしかに、そうでしたね」
宝石人形の魔術、その理論自体は、アーチライトが命を落とすよりも遥か前からニグルの頭にあり、親友であり高位の魔術師であるアーチライトに意見を求めた事もあった。
理論を実現するに十分な宝石の塊が存在しなかった事もあり、実際に披露した事こそなかったものの、自らの魔術の裏の裏まで知るアーチライト、その記憶を引き継いだアルバトロスだからこそ、宝石人形の魔術を奪う事ができたという事実。
疑問が解けた、とばかりに顔を上げたニグルの表情は、なぜか晴れやかだった。
「他でもないアーチライトに阻まれるなら、それはそれで本望だ。彼なら、僕のこの計画には反対するだろうとは思っていた」
アルバトロスにでも、無論自らの宝石人形に対してでもなく、遠い目をして独り呟く。
「違うな」
そんなニグルの意識は、冷たい断定に引き戻された。
「誰がどう思うかなど、一切関係ない。お前を阻んだのは、この俺だ」
歪んだ笑みは、甘い幻想を嘲笑うかのようで。
「アルバ、トロス――」
次の瞬間、横向きの落雷が、ニグルの身体を貫いていた。




