3-6
「日も暮れて随分と経つ、そろそろ戻るべきかと思うが」
夕食を済ませ、更に何処へか向かおうとするアンナをアルバトロスが止める。
「えー、子供の門限じゃないんだから。今日が終わるのはまだまだ先だよ」
「闇夜の護衛に難儀するのはお前の方だろうに。それに、俺も襲われたいわけではない」
「あ、そっか。一応、アルバって狙われる立場だっけ」
抜けた言葉を発するアンナには、音のない息が返される。
「そんな顔しないでよ、冗談だから」
「この時代の、というよりもお前の冗談はわかりづらい」
「いやいや、流石の私だって、仕事の最中に仕事内容を忘れたりは……しないよ?」
「そうか、やはり俺自身でも最低限の警戒はしておこう」
何かを思い出したかのように首を傾げるアンナに、今度ははっきりと溜息。
「護衛の役目を思い出したところで、帰るとしよう」
「あー、待って。最後に一つだけ、行っておきたい場所があるんだけど、ダメ?」
「そんな場所があるなら、最初に行っておけば良かったものを」
「そこはほら、何と言うか、色々と思うところが……ね」
説明の足らない言葉に、しかしアルバトロスは軽く頷く。
「わかった、行こうか」
「うん、ありがと。やっぱりアルバも優しいね」
微かに眉をひそめ、アルバトロスはアンナの示す方へと共に歩み始める。
「……ねぇ、アルバ」
歩みの最中、前触れのない呼びかけが夜の闇に溶ける。
「本当に、決闘を受けるつもり?」
「受けるかどうかで言うなら、あの時に既に受けてしまった」
「なら、戦うの?」
無駄なやりとりを排するように、アンナは直線で切り返す。
「そうあって欲しい、というと語弊があるか。勝算が無ければやむなしだが、できる事ならば戦い、そして勝つのが最も望ましい」
「一週間後」
「?」
唐突にアンナの口にした言葉に、アルバトロスが首を傾げる。
「決闘、一週間後だって。まだ提示されただけだから、変更はできると思うけど、それでも引き延ばせて数日。それまでにアルバはあれより強くなれると思う?」
「戦いに勝つには、必ずしも相手よりも強い必要は無い」
間を置かず返したアルバトロスに、アンナは顔を歪めて見せる。
「……それは、昔は一番強かったアルバの台詞じゃないね」
「俺にだけ控えろと言うのは少しばかり勝手というものだろう」
「うん、そうだね」
言葉少なに、そのまま会話は途切れる。
「着いた、ここだよ」
ようやく再度アンナが口を開いたのは、その歩みが止まるのと同時だった。
「ここは……」
「知らない、わけないよね。いや、あくまで希望的観測なんだけど」
二人の辿り着いたのは、特に何の変哲もないいわゆる空き地。あえて言うならば、それが街中、店や民家が所狭しと立ち並ぶ区画にしては、少しばかり過分に空間を余らせているように思えなくもないが、それもあえて特筆するほどではない。
「ああ、知っている。もっとも、正確な名称まではわからないが」
「だろうね。そもそも、そんなのあるかどうかも微妙なとこだし」
だが、アンナとアルバトロスは空き地についての知識を共有するように語り合う。
「じゃあ、この場所は私にとってどんな場所?」
一人は自らの思い出から、その場所を特別として。
「アンナ・ホールギスとアーチライト・コルア・ウィットランドが初めて顔を合わせた場所、と言わせたいのだろうな」
そして、もう一人、アルバトロスは、二度目の生を受けた瞬間から頭の中にあった記憶を基に、アンナの望むであろう答えを導き出した。
「そっか、覚えててくれたんだ」
柔らかな笑みを浮かべるアンナに対し、アルバトロスは無表情で宙を見る。
「ありがと。もう少し、こうしてていいかな」
控えめな問いかけへの答えは、無言の首肯。
「……そう、もう少し、もう少しだけ」
アルバトロスは知っていた。
そう、知っていたのだ。
それはあくまで知識でしかなく、思い出などでは断じてない。だが、それでも、それはどうしようもなく記憶だった。
頭に浮かぶのは、まだ幼い少女の顔。その少女は、赤髪を短く切り揃え、赤色の瞳が見えなくなるくらいに目を細めて満面の笑みを浮かべていた。
アルバトロスは知っている。
その記憶が、元は自らの転生の依代となった身体の持ち主のものである事を。
だから、アルバトロスは知らざるを得なかった。
覚えのない記憶の中の赤髪の少女、彼女が年を経るにつれ、『彼』に好意を向けるようになっていった事を。そして、それに『彼』が気付いていなかった事も。
それ故に、アルバトロスは知るしかなかったのだ。
今、隣に並ぶ赤髪の女、アンナ・ホールギスが自らに向ける感情が、どういった類のモノであるのか。
知っていたからこそ、アルバトロスは、ただ黙って時の過ぎるのを待った。




