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振動がアルバトロスの体を揺さぶる。揺れの元を辿ると、扉から部屋全体へと伝わる様が視覚的にもはっきりと認識できた。
「おーい、そろそろ起きようよぉ、もうお昼だよ?」
ドカッ、ドンッ、ドカッ、と鈍い音を立てながら、部屋ごと扉が揺れる。その中に、妙に間延びしたアンナの声が紛れていた。
「もう随分前から起きている。ただ、考え事をしていただけだ」
激しさを増す音と振動に耐えかねたアルバトロスが部屋の扉を開くと、拳を構えたアンナの姿が視界に飛び込んできた。
「考え事? 私とどうやって仲良くなるかとか?」
「生憎、そんな下らない事ではないな」
「下らないってひどくない!? いつまでもそんな態度だと、私がアルバに愛想尽かしちゃった時に後悔するよ」
「職務を放り出しさえしなければ、構わない。もっとも、そうなった時に後悔するのはお前の方だろうが」
「うっ……クールすぎる」
崩れ落ちていったアンナを、アルバトロスは平然と見下す。
「特に用事が無いのなら、戻らせてもらうが」
「まぁまぁ、そう言わないで。気分転換にお出かけでもしようよ」
一転、足元からアルバトロスの腰にしがみ付こうとしたアンナは、おざなりに払われる。
「愛想を尽かすのではなかったか?」
「だって、アルバに構うのも、私の職務の内だし」
「それにしても、護衛の範疇ではないと思うが」
「いいのいいの。ほら、お昼とか食べに行こうよっ」
妥協として掴まれた腕を引かれ、アルバトロスは部屋から引きずり出されていく。
「何も外に出ずとも、夕食のように取り寄せればいいだろう」
「だって、ずっと引き籠もっててもやる事ないし、暇なんだもん。あっ、一人で出かけろとか言わないでよ。一応、私アルバの護衛だし、そういうわけにもいかないんだから」
「だからと言って、自分の外出に護衛対象を付き合わせるのは本末転倒では?」
「大丈夫、私に付き合わせるんじゃなくって、二人で出かけるだけだから!」
廊下を抜け、リビング代わりの広い一室も抜け、エレベーターを下りビルの外に出る。
「それで、どこに行くつもりだ?」
「どこってわけじゃないけど。ただ遊びたいだけだから、アルバが行きたいとことか、したい事とかあるなら付き合うよ」
「つまり、何も決めずに連れ出したのか」
呆れの息を一つ、アルバトロスは少しだけ表情を引き締める。
「したいかどうかはともかく、今の俺がするべきは控えた決闘の対策だと思うが」
「あー、だよね。いや、私もわかってはいるんだけど」
バツの悪そうな笑みを浮かべ、アンナが頭を掻く。
「一日だけ、今日だけ私に付き合ってくれない?」
「つい先日も外に遊びに出ただろうに。それほど退屈は嫌いか」
「うーん、それもそうだけど、あの時はこういう事になるとは思ってなかったから、ちょっと心の準備的なものが。何となく遊びに出た、って感じだったし」
口調は何でもない事のように軽く、だがアンナの瞳は真摯にアルバトロスを捉えていた。
「ダメ、かな?」
「……そうだな、そういう事なら付き合おう」
「本当? やった、ありがと、アルバ!」
感極まった様子で駆け寄るアンナを、アルバトロスは寸前で躱す。勢い余ったアンナは
たたらを踏み、なんとか転ばずに体勢を立て直した。
「わわっ、ちょっと、今のは流石に受け止めてくれても良くない!?」
「知らん」
「付き合ってくれるって言ったのに! 彼女に対していきなり冷たい!」
「先の言葉が俗的な意味でなら、考え直すのもやぶさかではないが」
「わかりました、私が悪かったです。だからこのまま一日遊んで下さい」
頭を下げたアンナの上、今まさに昇る最中の太陽が雲間からわずかに覗いた。
頭に過ぎるのは、甘い既視感。
噛みしめるのは、自らの歯牙。
アンナ・ホールギスにとって、今この時はかけがえのない、それでいてどこまでも代わりでしかない、そんな瞬間だった。
隣に並ぶのは、痩身の黒の少年。
アルバトロス・フォン・ヴィッテンベルクの名を冠するには物足りなさすら感じさせるその姿を、しかしアンナは豪奢な白の魔術師としての姿よりも多分に好んでいた。
単純な異性の外見としての好みでは、どちらが上か。それを冷静に判断できない自分を自覚しながら、それでも明確に装飾の無い素の姿のアルバトロスを好む。
首元に並んだ二つの黒子、普段は髪に隠れているが、ごくまれに覗くこめかみ横の小さな傷跡。そういった余分なものをこそ、今のアンナは愛するしかないから。
「……ね、次はどこに行こっか」
触れ合いは邪険に払われ、それでもその意味はあの時とは違う。
それが嬉しくもあり、だけれどやはり哀しい。
だから、今だけは何も考えずにいるために、アンナはただ笑い続けていた。




