話術の勉強にと
乗り物にも、人にも酔う俺では満員電車に乗るのは難易度が高過ぎたので、大阪の秋葉原。と、言われる日本橋まで2時間かけて自転車で行った。
オタクの町として知られている日本橋だが、ホビーショップが立ち並んでいるのは恵比寿町。という細かい事はさておき、この町に来た理由はパソコンのグラフィックボードを買う為。
グラフィックボードを新調するならマザーボードとCPUも変えた方が良いか……だったらメモリも?この際だからハードディスクも……。
組み立てられたパソコンではなく、自作する場合には相性問題が生じてくるので、パソコンに詳しい店員がいるショップにしか行かないし、相性返品の利く店にしか行かない。
そう言うと物凄いパソコンに詳しい人だとか勘違いをされそうだが、全く違う。
分からないから、店員さんの意見に頼っているだけである。
普段は人見知りで、あがり症で、人との会話なんて緊張してまともに出来ない俺でも、必要な所ではそれなりに喋る事ができる。
それでも、常に思うのだ。
緊張しないで、自然体で喋りたい……。
2軒回ってグラフィックボードを購入し、3軒目のショップに向かっている途中、前方に立っていた男性と目が合った。
嫌な予感がしたので引き返そうかとも思ったが、周りには沢山の人がいるし、紛れてしまえば大丈夫だと思い、歩みを少しだけ速めた。にもかかわらず、物凄い笑顔の男性はササッと近付いてくると、物凄く自然な動作で俺の行く手を遮ったのだ。
正面にドンと立ち止まられてしまうと、立ち止まる他ない。
「何か買われたんですか?」
完全にショップのロゴ入り紙袋を持っているのに、可笑しな質問だ。
「まぁ……」
とりあえず立ち去ろうとする俺に、男性はまた、
「ゲームか何かですか?」
質問をしてくる。
「いえ、パソコンの……」
言いかけて口を閉ざした。詳しい事を教える筋合いなど少しもないからだ。
「あー、そうなんですかぁ。ゲームとかは好きです?」
ゲーム商品の押し売りだろうか?
前方にある信号が赤になれば、周囲の人の流れは止まる筈。
そうなってから適当に話を切り上げて人ごみに紛れてしまえば、この男性から逃げる事は簡単に出来るだろう。
呼び止められた時から分かっていたんだ、この男性が俺に何かを買わそうとしている事が。
それなのに、信号が赤に変わって、思った通りに人の動きが止まっても、俺はその場から動かずにいる。
話を、聞こうと思ったから。
その理由は、興味を持ったから。
もちろん、男性が進めてくるだろう商品にではなく、この男性がどう言う風にして俺を説得しようとしてくるのか、その話術にだ。
こういうセールスでは話術が全てだろう。その技を体験し、なにか学ぶ事が出来れば、人見知りの激しい俺でも最低限の会話くらいは緊張せずに話せるようになるのではないか。と、妙なスイッチが入ったのだ。
「ゲームですか?好きですよ」
ゲームが好きと答えた俺に男性は、ゲームデザインをしている何人かの絵師の名前をあげて、絵を見に来ないか?と、誘ってきた。もしゲームに興味がないと言えば、きっと他の所から話題を出して、そこから絵師の名前を出し、同じ誘い文句を言うのだろう。
こうして俺は男性の案内でマンションの一室に連れ込まれたのだった。
フローリングの部屋の中はだだっ広いフロアになっていて、真っ白な壁と間接照明、そして何枚かの絵が壁やイーゼルにかけられていた。
少し薄暗く感じるそこは喫茶店のような落ち着いた空間のようにも感じられるが、窓から外が見えないという物凄い怪しさ加減。
広いフロアの中にはいくつかのテーブルセットがあり、俺の他にも何人かのお客さんがいて、なにやら熱心に絵を進められている様子だ。そしてその中の1人は、残念な事に何かの書類にサインをしてしまっていた。
椅子に座って少し経ってからやって来たのは、声をかけて来た男性とは別の、ニコニコとした親しみやすい雰囲気を惜しみもなく醸し出しているスーツ姿の女性。
「絵を見られますか?」
と、言うので1枚ずつゆっくりと見て回ってみるが、始めに説明があったゲームの絵師作品は1枚もなく、なんというか、非常にポップな仕上がりの版画ばかりだった。
個人的な好みもあるのだろうが、綺麗と言われれば綺麗だし、お洒落だと言われればお洒落だけど、お金を出してまで欲しいとは思えない代物。
この絵を、どう勧めて来るのだろうか?
椅子に座ると、女性は1番近くに飾られている絵を眺めながら、
「色使いが良いでしょう?部屋に飾ると運気まで上がりそうですよね」
と、早速絵の勧め作業に入った。
勧められている絵の色は確かにカラフルだが、運気?俺は余程幸が薄そうに見られているのだろうか?
「風水的な物ですか?」
絵ではなく女性をジッと見ながら言うと、
「元気な色を見てると元気になるでしょう?あの絵にはそう言う、人を元気にさせる力を持っているんです」
どうやら、元気がないように見えているらしい。
もう1度ジックリと絵を眺めてみるが、あまり好みではないので元気をもらえる要素が少しも感じられない。
「良く分かりません」
再び女性を見つめながら言うと、今度は違う絵を指し示しながら、
「あの絵の、どの部分が好きですか?」
と、急に質問をしてきた。
指し示されている絵は、まるで赤と白の縞々の服を着ている人物を探させる絵本のようなゴチャッとした作品だった。
これは縞々の人物ではなく、好みの部分を探す事を目的とした作品か?
かなりの時間眺め、なんとか見付け出したのは、人物の動きが細かい。と、いう第一印象を具体的に言葉にしただけのものだった。
「人の動きが面白いですね」
「でしょう!私も同じ事を思っていました」
かなり食い気味に同意して来た女性、きっと何を言っても同意して来たに違いない。
女性は何故か物凄く嬉しそうにその絵を持って来て、それによって目の前で見る事になった絵。
やっぱりこの絵からは、ゴチャっとしている。位しか感じられない。
どうですか?と、今にも聞いてきそうな雰囲気に目を背けて他の絵を眺めてみる。
「何か気に入った絵がありますか?」
特にありません。そう出掛かった声を押さえ、もう1度ジックリと絵を見る為にフロア内を歩き回り適当に1枚の絵を選ぶと、女性はゴチャっとした絵を元の位置に戻し、俺が適当に選んだ絵を壁から外してテーブルまで持って来て、この絵を選ぶなんてお目が高い!的な事をズラズラと言ってきた。
押し売り感満載である。
話術が凄いのは呼びかけていたあの男性だけなのだろうか?その男性だって話術が優れていたのかどうかは怪しい。
もしかして、ここには学べる事はない?
「それはどうも、じゃあこの辺で帰……」
「あ、ちょっとゴメンなさい。私他に仕事がありまして、少し待っていて下さいね」
女性は、そそくさと行ってしまった。




