奪 ※
花火大会当日、薄暗くなっていく窓の外を眺めながら今頃は皆楽しんでいるのだろうか?と考えた。
来年は花火大会に行けるのだろうか?
これから何年先も行けないのだろうか?
人ごみが苦手なんだからどの道行かないクセに、妙に絶望した気分になった。
翌日、昼12時半頃に昼食の準備を始めた。
献立は素麺。
少し軟らかめに茹で、完全に冷やさずに温めの素麺を祖母の口に運ぶ。
昨日まではおにぎりだったので急に別の食感に驚いたのか、祖母は素麺を吐き出した。それでもめげずに2口目、また吐き出される。
すする事が出来なくなっていた。その時にそう気付いていれば、もしかしたら違った結果になったのだろうか?
俺が人間の体液に平気だったのなら、確実に結果は変わっただろう。
吐き出され唾液で糸引く素麺を見て気持ち悪くなった俺は、トイレに走った。吐く物がなく胃液しか出ずに喉が痛み、耳までキンと痛んで、しばらくトイレから出なかった。
完全に落ち着いてトイレを出てみれば2時頃。
流石に素麺は伸びきってしまっただろう、片付けて今日もおにぎりにしよう。
そう思いながら祖母に近付き、思考が停止した。
力なくボンヤリと開けているだけの目、口からは数本の素麺が出ていて、そこからダラダラと唾液が流れている。手を鼻に近付けるが何も感じない。
呼吸が、止まっていた。
スグに119番通報して、救急車が到着するまで心臓マッサージをする。
しばらくして現れた救急隊員は電気ショックを使うから離れろと俺に言い、何か機械を取り出したが、啖呵で運ばれるまでの間に結局1回も電気ショックをしなかった。
「駄目ですね、ご家族の方に連絡をしてください」
祖母を担当した医者が緊急治療室から出て来るなり俺にそう声をかけて来た。
震える手で公衆電話から親父の携帯にかけようとして、何度も打ち間違える。
何とか親父と連絡が付いたのだが、まだ仕事中だった親父が病院に来たのは電話をしてから8時間ほど経ってから。
担当医が説明をしたいからと俺達を別室に案内する途中、集中治療室にいる祖母の姿が一瞬だけ見えて、手を挙げて挨拶をして来たように見えた。
俺と親父は、
「このまま入院って事になったら高ぉつくなぁ」
なんて言い合いながらホッとしたのだが、別室で聞いた担当医の説明はそんな俺達の余裕を光速で打ち落とした。
感情も何もない声と表情で、淡々と一言、
「駄目ですね」
そこから追加で説明を始めたのだが、親父はもうボロボロに泣いていた。
この時の祖母は完全に脳死状態になっていて、薬で無理矢理に心臓を動かしている状態だったのだ。手など挙げられる訳がない。
親父から連絡を受けた従兄弟が到着し、弟も来て、最終的な事を医者から言われた。
「このまま薬で生かすか、それとも薬を止めるか」
本当にこんな聞き方なのだ。
従兄弟は同じ経験をしており、ここで生かす方を選んで何年も医療費を払い続けたというので、親父に薬を止める事を強く勧めた。
生活費にローンと親父には金銭的な余裕がない状態。答えは初めから出ていた。
「もう、止めてください」
号泣している親父が、医者にそう告げた。
「では止めます」
看護師が点滴を祖母の腕から外すと、心電図に出ている数字が徐々に減っていき、それを眺める事しか出来ない時間が静かに流れる。
ピッピッピッ……。
従兄弟も、弟も、皆泣いていた。
金銭面に余裕がなかった俺達は、病院が推し進めてくる葬儀プランを全て断り、自宅に祖母を連れ帰った。
エアコンの設定温度を1番低くして部屋をキンキンに冷やし、ドライアイスで覆われた祖母を寝かせる。
ドライアイスの料金はカードも後払いも受け付けてくれずに現金払いしか無理で、親父と弟3人がかりでギリギリ支払う事が出来た。
従兄弟と、姉を加えて酒を飲む親父は、デロンデロンに酔っ払い、祖母の顔にかかっている白い布を捲り取ると祖母の頬を抓り、
「キレイに化粧してもろてなぁ、はよ起きぃ」
と、泣いた。
それを後ろで見ていた姉の目にも涙がにじみ、弟も目を覆う。そんな中で俺は歯を食いしばって込み上げてくる感情を押さえ込んでいた。
病院で親父を待っている8時間の間、医者から色々話を聞かれた。
病院に運ばれて来た時には既に亡くなっていた事、推定時刻が2時前後だった事。原因は喉に詰まった素麺での窒息だった事。
「昼食は何時頃に食べさせましたか?」
「12時半頃です」
「随分時間が空いてるんですねぇ」
口の中に素麺を入れたのは俺だ。それを吐き出す祖母に、ちゃんと食え。と。
もしかして、あの1口目から喉に素麺が詰まっていた?
苦しいから吐き出していた?
眉間に皺を寄せて鬱陶しそうな顔をしていたが、それはもしかして苦しかったから?
それなのに俺は吐き出される光景に耐え切れずにトイレに走り、2時まで放置した。
俺が親父から祖母を奪ったのだ。
俺のせいで祖母はたった1人で、助けすら呼べずに苦しんだのだ。




