遠くを流れる時間
夏が近付いてきた。
床擦れに注意が必要だと看護師さんが言い、いつも座っている椅子に座布団を巻きつけた。それでも腰の骨が出っ張っているのでタオルを丸めてそこに圧力がかかり難いようにしたりして予防をしていたつもりだったのだが、オムツを替える時、体を拭こうとして背中に赤い痣を見つけた。
初期段階の床擦れである。
清潔に保ってください。
看護師さんはそうアドバイスをくれたので親父と2人がかりでお風呂に入れた。
「ありがとう」
祖母は親父にだけは喋る。とは言ってもハッキリではなく、子供のような話し方で、しかも俺には決して見せる事はない微笑付。
自分では体の向きを変えてくれない祖母と2人きりの日中、1本の電話がかかってきた。その日は点滴の日ではなかったのだが、俺も色々と麻痺していたのだろう、至って普通に電話に出た。もちろんいつもの看護師さんだと思いながら。
「天神祭り一緒に見ぃへん?」
電話の相手はシマからで、7月にある花火大会の生中継観賞の誘いだった。
見に行ける訳がなかった。
見に呼ぶ事だって、出来る訳がなかった。
暑さでバテそうになりながらもエアコンを利かせる訳にもいかず、部屋の中は暑い。
祖母にとっても汗は天敵だったのだが、動いていない祖母にとっては少しエアコンをつけただけで寒く感じてしまうのだ。
点滴が終わり、看護師さんに相談をした。
夏バテを起こしているのか、祖母の食欲が更に落ちてしまったからだ。
「素麺とかならスルッと食べてくれるんちゃうかな?」
なるほど。と、俺は祖母をベッドに寝かせて素麺を買いに走った。そして家に戻ると見覚えもない靴が2足。うち1足は子供用で、不思議になって祖母の部屋に入ると、そこには姉と姪の姿があった。
「お前バァちゃん置いてどこ行ってんねん!」
素麺を買いに、とは口に出ず、どうしてここにいるのかが不思議でしょうがない。
「なんで?」
この言葉もちゃんと声になっていたのかどうか不明である。
姉は1度髪をかき上げるとかなり小声で、
「オカンがな、おばあさんの顔、もう見れんくなるかも知れんから見て来いって」
と言った。
顔が見れなくなる?見て来いってなんだ?
「おばーちゃん、曾孫やで~、分かる?」
姪を紹介する姉に怒りが込み上げてくる。
祖母は元気だった頃、散々曾孫の顔が見たいと言っていた。それを伝えても無視し続けていたくせに、なんでこうなってから来るんだ?もう少し、せめて1ヶ月でも早ければまだ意識はハッキリしていたんだぞ?
姪の手を握りながら祖母は笑顔で、
「可愛いねぇ、可愛いねぇ」
と、何度も言っていた。




