どちらさま?
ボーッとしている時間が増えた祖母は、時々不思議そうな顔で俺を見ていた。
この頃になると箸を持つ事すら難しく飲食はほとんどが手掴みだったので、ご飯は小さく握ったおにぎり。薬を飲んでくれなかったので、具は細かく砕いた薬。
きっと、物凄く不味い代物だったのだろうが、その時は薬を飲ませなければならないという事しか考えられなかった。
自分から進んでは食べてくれないので1口1口無理矢理にでも食べさせていたのだが、極度の栄養不足から足が異常にむくみ始めた。
1週間に1回受けていた点滴が3日に1回、2日に1回と増えていく。当然病院に連れて行く事が出来ないので、看護師さんが点滴をしに家にまで来てくれていた。
「今から行きますね」
そんな電話連絡を受け、祖母の部屋に行って腕をまくったり、換気をしたりしていると、もうあまり喋れなくなっていた祖母が何かを言い始めた。
「なに?」
看護師さんが来る前に水と栄養剤も飲ませたかったので、俺は急いでいた。
「今日のお前はー…」
後半部分が聞き取れなかった。
「だからなに?」
少しイライラして聞き返した俺に、祖母は穏やかな表情で言った。
「今日のお前は、仏さんみたいな顔してるなぁ」
これが、祖母が俺に対して言った最後の言葉になったと思う。
「は?そんなん言うてんとちゃんと飲んで!」
折角穏やかだった祖母に向かって怒鳴り、半場無理矢理に栄養剤を飲ませた。
祖母は看護師さんが来て点滴を受けている間、子供のようにワンワンと泣いていた。
そんな事があった後、祖母は俺を見て弟の名前を呼び始めた。
弟には弟の名前を、親父の事はマー君。
酷い仕打ちをし続けていた俺の存在が祖母の中で消えたのだ。
点滴をしに来てくれる看護師さんは、祖母にいつも名前を聞いた。
「おばーちゃん、お名前は?」
その日もいつもみたいに聞いていたのだが、祖母は数回頷き旧姓を名乗った。
「木場さんじゃないの?」
看護師さんはまた尋ねるが、その瞬間から祖母は木場である自分を忘れた。
あまり喋らない祖母と2人きりの家、食事を食べさせてオムツを替えて。
歩かせれば良いのか、動かさない方が良いのかも分からず、ベッドと椅子の間の3メートル程を手を引いて歩かせ、痛い所がないかと尋ねるがジッと顔を見られるだけで無言である。
「マー君!マー君!マー君!」
俺を親父と勘違いしているのか、それとも親父の姿を探しているのか祖母は時折発作のように親父の名前を叫び始める。朝や昼間だけじゃなく、真夜中であろうとも。
「明日仕事なんや!大人しく寝ろ!」
1階に降りて親父が怒鳴るが、なんの効果もない。
きっと1人が寂しかったのだろう……今ならそう思う事が出来る。




