足りないもの
「俺らには、大事なものが欠落してると思う」
特に何もしていない日の、特に何もしていない時、俺に背を向けていた弟は突然そんな事を呟いた。
何が?と即答したかったが、弟からのこの言葉は2度目になる。
1度目は母と姉が家を出る事が決まった時。
その時はどうにかフォロー出来たのだと思ったが、2度目だ。
俺のフォローでは不十分だったのか、それとも「大事なものが欠落してる」と思う切欠があったのか。
「どこが?」
会話を終了させたくなくて、とりあえず質問をしてみると、弟は少し考え、
「なんか、大事なものがないと思う」
と、もう1度同じような事を言った。
「何でそう思ったん?」
そう聞いた俺に、
「オカンの事、どう思ってる?」
質問を返してきた。
しかも、かなりの難題だ。
産みの親に違いないけど、育ての親というには抵抗があり、恨みの対象かと聞かれてもそうでもないし、身内と言われれば違和感はあるが赤の他人という感じでもない上に、会ってない時間が長過ぎて正直顔も薄っすらとしか思い出す事が出来なくなっていた。
そんな相手に対して思える事など、何もない。しかしそれでは流石に弟に発表出来ない。
何かないか?
そうだ、考え方を変えてみよう。
「オカンが出て行った時、離婚するってなった時、どうしてた?」
質問に対して質問で返した弟に、更に質問を返した。
「特に、何もしてへん」
うん。
何もしなかった。
「嫌や~出て行かんとって~。離婚せんとって~。とか、一言も言わんかったやろ?」
可笑しな事に言わなかっただけでなく、思いすらしなかった。
「言うたって無駄やし」
言い出したら人の話なんか聞かない母と姉が手を取り合って「出て行く」と宣言したのだ、もう何を言った所で無駄なんだろうとその時点で俺達は諦めていた。
「流れに任せたよな」
最後まで出て行くなと言っていた親父を手助けする事も、しなかった。
「うん」
弟は頷き、俺を見上げた。
まるで俺達がとった行動が間違いだったかのような態度と表情だ。
間違っているのは子供を置いて自由を求めた母ではないのか?
母と祖母の不仲を放置し続けていた親父ではないのか?
少しも歩み寄ろうとしなかった頑固な祖母ではないのか?
それを煽る形で母に加担し、一緒に出て行った姉ではないのか?
少なくとも、当時まだ小学生だった弟はなにも間違った事をしていない。
弟の年齢は母が出て行った頃の俺と同じ歳だったので、何か思う切欠はそこにあったのかも知れない。
「それって、逆に俺等が大人なんちゃう?」
「人に対する優しさとか……分からんもん……分からんやろ?それで大人なん?」
中学生でそんなモンが分かっていたら思春期って言葉なんて存在してないだろ、と茶化しそうになるのを堪え、少し言葉を選んだ。
「優しさがないんなら友達も出来んのとちゃうか?けどお前にはいっぱい友達おるやん」
そして俺は自分の人間関係を棚の上に放り投げ、相変わらず見上げて来る顔に、
「足りんもんなんかない」
と、多少の嘘をついた。




