苗字が思い出せない
ゴールデンウィークの直前だったか、直後だったかにレクレーションがあった。
何処かに行って、何かを見学して、キャンプか何かをする。そんな内容だったと思う。
実際何処に行って、何を見学して、キャンプは何処でどのようにしたのかも、なにもかも俺は知らない。
何故なら、行っていないから。
ヒロやヨネゾーと友達である自分に完全には慣れていない中で、タムとも友達の振りをしなければならない。それはナチュラルなボッチ暦の長かった俺には難易度が高過ぎた為、極度の緊張から体調を崩してしまったのだ。
それに、タム自身も急に友達とか言われても納得がいかなかったのだろう、ヒロやヨネゾーの目がない所ではタムと俺は「贔屓される側の生徒と、されない側の生徒」のままだった。それなのにキャンプ?
恐ろしい目に遭うに決まっている。それでも行かなければ欠席になるので、俺は教科書を持って登校し、図書室だったか、視聴覚室だったかで行われたレクレーションに参加しない生徒の自習授業を受ける事になった。
この授業に出ていればレクレーションに参加した事になると言うのだから、本当に熱が出て寝込んでいる生徒以外は全員来ていたと思う。
そんな生徒の中に1人見知った顔があった。
同じクラスの生徒は俺以外全員がレクレーションに参加していたので、その子は違うクラス。しかも同じ小学校出身者ではない。それなのに知っている顔。
「あれ?木場君ちゃうの?」
クリッと大きな目は相変わらずで、笑い顔も変わってないその子の名前はユカちゃん。幼稚園の時に同じ組だった子で……サクラ組全員のファーストキスの相手。
「久しぶり……」
「懐かしいー!眼鏡かけてたっけ?外してみて」
ニコニコと話しかけられ、圧倒されてしまった俺は言われた通り眼鏡を外して見せた。だから何かリアクションがあるのだろうと思ったのだが、実際にはユカちゃんからは何もなく、ユカちゃんの隣にいた女子が聞き取れない程の小声と早口でブツブツと言った。
何を言っているのか本当に分からないものの、単語がいくつか聞こえた。その1つが「タマおすわり」で、後はゴニョゴニョと「頭が悪い」だの「背が低い」だのと、ただの悪口を延々とブツブツ言っている。
その女子の名前は武田(仮)。
「ゴメン」
静かに椅子に座ったユカちゃんは、後はもう教科書に目を落として一言も発さなくなってしまった。
なので俺も教科書に視線を落とそうとして、武田の方をチラリと見た。
細い目を更に細くして、笑っている。女子に笑顔を向けられていると言うのに、少しも嬉しくない。嬉しくない序に軽く聞く事にした。
もちろん武田にではなくユカちゃんに。
「何でタマなん?」
ユカちゃんは俺の方を見もせずに黙り、教科書で顔を隠してしまった。
聞かれたくない事だったのだろうか?だったら謝った方が良いのかな?
パタンと教科書を置いて身を乗り出した所で、さっきまではゴニョゴニョとしか喋らなかった武田が、ハッキリとした声で、しかも何処か演技掛かったような喋り方で言った。
「太ってて丸いからタマ!タマはタマ!皆も今日からタマって呼びや!」
それを聞いた何人かは笑い、何人かは唖然とし、その中の1人がユカちゃんに尋ねた。
「あんなん言われてるけど、ええの?」
するとユカちゃんは下唇を噛んだまま、
「太ってるし」
と篭った声で言った。
「はい、タマ!タマ。タマはタマ!タマって名前可愛いし」
武田は教科書に目を向けたまま、誰も聞いていないのにいつまでも声にする。そして徐々に声が小さくなり、ブツブツと聞き取れない声で何かを言い、そして笑顔を何故か俺に向けてから黙った。
怖いと思った。武田の事は良く知らないが、それでもこの人は苦手だと思った。それはきっと静まり返ってしまった自習室にいた全員が思った事だと思う。それなのに、自習授業が終わる頃、皆ユカちゃんとタマと呼んでいた。
「木場君もタマでえぇよ」
俺はこの時ユカちゃんと苗字で呼んだ。それなのに、いくら思い出そうとしてもユカちゃんの苗字が思い出せない。




