壁ドン
隣人がかなりの勢いで五月蝿かった。
今も夜中に掃除機をかけたり、洗濯機を回したり、ドンドンと太鼓を叩いたり、テレビかラジオの音が物凄い音量だったりと、かなり五月蝿いのだが、当時は今とは違った五月蝿さがあった。
夫婦喧嘩、である。
お隣とは長屋になっているので喧嘩の内容までが結構聞こえてしまう。そしてガシャンと何かが壊れる音と共にドォンとドアを閉める音。
それらが夜中に繰り広げられるのだ。
「えぇ加減にせぃ!」
親父は布団から出るなりそう怒鳴り、壁をドン。
これが俺の知っている「壁ドン」である。しかしながら最近では相手を壁に追いやってドンと腕を突く行動がそう呼ばれるようになっている。
そんなロマン型壁ドンを体験したのは小学校4年の時だった。
給食で残りがちになるパンは家に持って帰る事が許されていたので、俺は「いただきます」の直後に、給食袋の中からビニール袋を取り出してパンを持って帰る準備をする。すると1人の男子が手を伸ばしてきて、
「ビニール貸して」
と。
これはパンの日には毎度繰り返されている事だったので、俺は特に何も思わずにビニール袋を貸していた。
自分で使う為のビニールも給食袋に入っているので何の問題もなかったのだが、ある時母に「ビニール使い過ぎ」と注意を受け、それからは出来るだけ貸さないようにした。
ある日の事、給食に男子が苦手とする黒糖パンが出た。
「今日は貸してやぁ」
両手を合わせて頼んでくる男子、しかしここで貸せばきっと明日からも貸してくれと言ってくるに違いない。そうなれば母に怒られるのは俺だ。
「嫌や」
「なんで、貸して~」
「嫌や」
そんなやり取りを数回繰り返し、俺は牛乳パックを洗いに行く為に手洗い場に向かって歩き出した。
廊下にまで着いて出てきた男子は俺の行く手を遮るようにして立ち塞がり、全身を使って壁に追いやって来ると、
ドン。
「頼むわ」
そう。やった方ではなく、やられた方なのである。




