自分新聞
10歳の時、成人まで後半分だから。とかいう理由で、これまでの人生を振り返った自分新聞を作る授業があった。
0歳から10歳までの自分の写真を用意して、その写真1枚1枚に記事を書く。
そう説明を受けた日の放課後、押入れの中からアルバムを引っ張り出して写真を探した。
姉のアルバムは5冊以上あり、弟のアルバムも5冊以上あったと思う。俺のアルバムは3冊。それでも多い方なのかどうかは分からないが、明らかに可笑しいのは、赤ちゃんの俺と、3歳位の俺の写真が別人レベルで顔が違うのだ。更に可笑しいのは3歳より前の写真が極端に少ない事。その枚数は、驚愕の2枚。
0歳から2歳までをたったの2枚に凝縮させた、至極の2枚である。
写真が用意出来ない歳がある事は異常だと感じた俺は、至極の2枚を0歳と1歳とし、3歳頃の写真を2枚用意して、それぞれを2歳と3歳にした。とは言っても何処が4歳でどれが5歳かなんて俺にも分からないので、後半は本当に適当に選んだ。
こうして写真は用意出来たものの、何故自分の写真だけ極端に少ないのかが気になり、思い切って母に尋ねてみた。
すると母は意外な事にちゃんと教えてくれた。
俺は産まれた瞬間には息をしておらず、蘇生してからは酷い黄疸とアトピー。顔はパンパンに腫れていたらしい。
医者から直接言われはしなかったが、母は直感で「この子は3歳まで生きられない」と思ったそうだ。
3歳までの写真がないのは、晴れ上がった顔を残したくなかったから。
しかし、実際の俺は3歳でアトピーを克服し、顔立ちもスッキリとした。だから3歳からの写真はあったのだ。




