魔法学者の応用実践
二作目となります
儂の名はリクレサ・ナオウィート。
しがない魔法学者じゃ。
普通、魔法学者といえば、年を経た宮廷詰めの魔法使いや魔女がなるものだが、儂は魔力が人より、ほんの少しばかり多いだけの、頼りない市政の魔法使いじゃった。
魔法使いが、宮仕えになるためには、一般常識と数学と体術に秀でてなくてはならんのじゃが、全部がギリギリで引っ掛かっとる半端モノじゃったわけじゃ。
しかし、そんな儂にもたった一つ優れたことがあった。
忍耐力じゃ。
馬鹿にするものも多いじゃろうが、こればかりはおいそれとは換えがきかん。
時間を必要とする仕事は、自然と儂が受け持つ事となった。
ある日、儂は魔法知識の経験と応用という本を書く事となった。それに抜擢された云えば聞こえは良いが、いま思えば面倒を押し付けられただけであった。
だが、これが思いほか評判がよくての、儂はしだいに有名になっていった。
しかし、本を数多く刷られるにあたって、悪いことも増えてきた。
例えば、儂に対しての、名指しの非難や依頼が来るようになった事が良い例じゃろ。
初めのうちは、依頼ではなく、名指しで苦情を言いたいだけの市民とか、税金で何をしているだとかの非難でいっぱいであった。しばらくすると家庭教師をしてほしいとか、工房の品質向上やお菓子の味の審査だとかに変わっていった。
これは、市政には都合が良くない話しで、一官吏を優遇したりすれば、全体が乱れる。
本と云っても、市政発行の小冊子。
それが、どうしてこのような展開になってしまったのか、市政の上役も儂も理解できずにいた。
かと云って、この面倒が多そうな、その時には既に面倒な小冊子は書くのを誰もが嫌がったので、結局は儂が書くしかなかったのじゃ。
小冊子は集めるのが大変だという声をうけて、正式に出版されるに至ったとき、てっきりこれは市の出版になると思って居ったら、儂の名で出すという。
もう、すべては儂の意向などは関係なく、勝手に進んでいたのじゃ。
そして、決定的に変わったのは、首都グリベリウスでの新聞の書評に載ったことだろう。ただの書評ならともかくも書家、文筆家としても名高いメルウッツ卿のお墨付きとあれば事は大きくなる。
そうすると現金なもので、残っていた批判もピタリと止み、市長からは表彰式だとか言い出す始末。
儂としては、普通の官吏で良かったのだが、もはや、その事態は果ての涯までとんでいって、どうにもこうにもしようがなかったのじゃ。
こうなれば、覚悟を決めるよりなく、いまのような市井のしがない魔法学者となったわけじゃ。
『世界は幾重にも重なり合い、解けていく』と言ったのは、文豪のカルネストだったか。
これは、魔法の真理でもある。
世界を大きく把握しておるものが、戦いに勝利するのにも似ている。
つまり、何を言いたいのかと云えば、儂の忍耐も擦り切れたということじゃ。いいかげんで、つまらない依頼を熟すことに飽いてしまったのじゃ。つまらない小さな勝利には飽き飽きしている。
そこで、儂は自分の為に高高度魔法を掛けることにした。
『若返り』
嗤うでないぞ。
歳を取るとは、そういうことじゃ。
これは、原型は『魔法使いの時代』からある古い魔法なのからして、由緒ある古典魔法なのじゃ。
では、何故これが世界に広まらないか?
もちろん理由がある。
最初の問題は、本人が耐えられないのじゃ。
身体は若返る。が、寿命はそうではない。術の途中で命を失くした者も多い。それを耐え抜けても、ひと時の若さに酔っているあいだに死んでしまう。
問題の一つが寿命じゃな。
これが、最大で最悪のもの。
次の問題は『意識が切り替わらない』事じゃが、年老いた精神と若い身体の整合性が取れず、精神が病んでしまう場合じゃ。
稀に、身体に引っ張られて、心まで若くなる場合もある。
しかし、あくまで稀じゃ。術ではなく、本人の資質の問題では話しにならない。
次の問題は『時期を指定できない』じゃ。
正確な魔力量が分らなければ、赤ん坊まで戻ってしまう可能性だってある。この辺りは正確な資料が残っておらなんだので、勘で進めるしかないが、十年単位を想定して徐々に戻すので大丈夫じゃろう。
さて、人によっては、これが最も重要な案件かもしれんな。
『容姿は変えられない』じゃ。
これは、意義の問題で、ここに価値を置く人間には若返りは無意味なものとなるかもしれんな。美醜というのは、今も昔も厄介じゃからの。
まあ、昨今の魔法化粧は、魔女たちの弛まぬ努力によって、別人かと見まがうほどじゃし、これは別の意味で本人の資質の問題じゃろ。
さて、本題とまいろうか。
『若返り』
魔法としては『育成法』に属し、魔術としては『鏡瞑術』に属される。
縦軸に魔法を、横軸に魔術を配する、ラスティ陣に依れば弱い魔法、強い魔術の最高位のものになる。
正式な名称は『グラレッサ』
これは『グラレッサ』という魔女の考案したものだということじゃ。
一説には、もっと昔からあったとも云われるが、四百年も前に名付けられたのなら、たいして違いはないじゃろう。
長きに渡って、存続した魔術であるだけに、派生技術には事欠かない。
もっとも、面倒な技術ばかりで、それが原因で廃れてしまったのだが、今回、用意するにあたって、何度か投げ出しそうになった。
『グラレッサ』の本来の用途は、年を取らないようにするモノじゃった。
今回の魔術検証で判明したことじゃが、人間は準備さえしておけば、一年ぐらいの若返りならば、負担なく若返ることが出来るのじゃ。
『グラレッサ』の魔法と魔術の概要はこうじゃ。
まず、ゴーレム機関に現在の自分自身を写し取る。この時のゴーレム機関は、魔力にあふれた状態ではいけない。最低限でよい。一年を掛けて『グラレッサ』の魔術の発動に必要な魔力を自然と貯めるように仕掛けておく。
そして、一年後に、自分の若い容姿を写し取り『グラレッサ』の完成となる。短期の若返りならば、このように事は比較的容易い。じゃが記憶も曖昧な過去の自分に若返るなどと云うのが、本当に可能であるのか、・・・試してみる以外にあるまい。
ゴーレム機関には、使い方は色々あるのじゃが、基本は、一定の行動や、様子、状態をトレスするのが目的に造られておる。
例えば、神殿で云えば、石造りの巨大な扉が開閉する。教会じゃと、パイプオルガンの再生じゃろうな。
今回の場合は、容姿の肉体的過去構築。
まず、優れた『過去見』の魔女か魔法使いであるか、もしくは魔道具が必要となる。
えてして、過去は美化されるものじゃから、ここにも障害があるのう。容姿が問題となるのは、こういうところにもあるわけじゃ。魔道具を使うのが良い筋じゃろ。
『鏡瞑術』に属するのは、人の過去を望むのであるから当然じゃな。
ゴーレム機関は、魔法魔術の基本であるからして、いくつかの流派というか派生がある。今回は人が若返るという膨大な魔力から考えて、機関八型が最も適しているじゃろ。
この八型に『過去見』に特化した鏡瞑器を取り付ける。
最近の『科学』でも証明されたが、距離とは時間じゃ。エーテル光学を駆使して、望む時間までの距離を圧縮する。これが『過去見』じゃが、矛盾が生じやすい回路でな、そんなものに特化した鏡瞑器はなかなか手に入らん。
が、これで『グラレッサ』の基本は押さえた。
次に寿命の問題じゃ。
これは、偶然というか、運命というべきか、一人の魔女が解決した。
本人が何処まで分っておるのか、分っておらぬのか知る術はないが、画期な発明であった。
その概要を見たときは、感嘆しか出てこなんだ。
新規たる魔法、魔術は、万人の共有財産とするものじゃが、危険度が高いとみなされた場合は、議会秘匿される。
これは、どちらかと云えば秘匿魔術であるべきと、儂なら考えるが、まあ、秘匿されなかったおかげで、寿命の問題を解決できたのであるから僥倖であろう。
画期的な魔術『魂の魔力薇の代用』
論文から抜き書きしよう。
魂とは何か?
魂とは人の根幹である。
根幹を私はエーテルだと見た。
生まれたときにエーテルは、さして巻かれておらず、心身の成長と共に巻き上げられ、老成していくうちに解けていくものだと。
人や生命には、濃いエーテルが満ちている。
それを巻き上げる生命力が、魂を形作る。
生命ゴーレムは、エーテルの緩んだ遺体に、特殊な魔力薇によって魂を巻き上げることによって創られた命のようなゴーレムのような曖昧なものだ。
儂はこれに天啓を得た。
緩んだ魂を巻き上げてしまえば、精神が若く巻き戻るのではと!
しかし、これを無暗に実験するわけにもいかん。
奴隷制度の廃止から百年はたっておるし、そんな都合の良い被験者などいるものではない。
儂は、唯一である生命ゴーレムに会っては見たかったが、相手が『星の魔女』の持ち物では、迂闊なことはできん。もちろん狼藉を働くつもりはないが、調べるとなれば、ゴーレム機関を兼ねた筈の魔力薇を試してみたくなるというもの。
『星の魔女』はグルトネイヤの秘術を使ったのじゃろうか? 真の魔女に、一平凡な魔法学者では位が違いすぎる。
創造された魔術を、しがない年老いた頭脳で想像するのは限度がある。
しかし、やらねばならん。
誰が望んだわけでもなく、儂自身の為に。
さしたる目的もなく生きてきたが、些細な経験と実績だけはふんだんにある。
過去の仕事はすべて分類し保管してある。
忍耐力を発揮して、使えそうな仕事を選り分けよう。
魔力薇とは何か?
いわば魔力薇とはゴーレム機関である。
では、魔力とは何か?
魔力とは人に備わる資質の一つである。エーテルに干渉する力であり、思考や感情に干渉される力。
それでは、エーテルとは何か?
世界を構成する海のようなもので、星による満ち引きのある様精。命の根幹。
感情とは何か?
身体言語であり、本能に根差すもの。
魔法と魔術の違いは何か?
魔法は『我々の住む物質世界』の事象構成を読み解き思考したもの、それによって世界に干渉するのを魔法と呼ぶ。計算、土木など、魔法発展の為の派生は大きい。
魔術は『人間が構築する世界』の感情力学を整理し制御するもの、それによる世界の構成そのものを魔術と呼ぶ。舞台など芸術に於いての魔術的干渉は大きい。
うむ、学生相手の家庭教師が役に立った様じゃ。今の干からびた頭脳では、こうまで端的に解説は出来んし、時間が掛かり過ぎるじゃろう。多少の誤謬も儂の中では消化済みじゃ。
魔力薇のゴーレム機関的役割とその差異を考察するとしよう。
ゴーレム機関は物質に関与する魔法魔術である。生まれた初めはスイッチをするだけの簡単な玩具であったが、長い年月による創意工夫が、複雑な動きをトレス出来るまでになった。
魔力薇は、その派生といえよう、当初は一型の十二と呼ばれていたはずじゃ。
発条薇は、玩具や時計の動力に使われる。
魔力薇も、似たような用途に使われるが、魔力とエーテルが複雑に絡む為に、自在に使いこなすのが難しい代物であり、『生命ゴーレム』までに新規の画期的な使用法は生まれていなかったはずじゃ。
ゴーレム機関は魔力が満ちたときにエーテルのリレーが働く。つまり、エーテルと魔力が一体となった場合に、物質に力を働き掛ける事が出来る。エーテルはその濃淡はあれど普遍的に存在し、魔力は生命から派生する為、世界にその痕跡を残す。
うむ、何を言っておるのか儂にも分らなくなってきた。
エーテルと魔力と思考と感情を分けて整理するのは土台無理な話しなのかもしれん。
魔法をある程度以上使える者にとっては、言葉の説明は煩わしいものだ。何しろ現象を見たほうが話しは早いのじゃから。
一般にしても、ゴーレム機関が何故に動いているかは説明出来なくとも、使うは容易いからのう。
しかし、今回は失敗は出来ん。
出来うる限り、理論整理をしておかねばならん。
魔力薇は、魔力とエーテルを渦にした二重構造じゃ。
片側にエーテル触媒、反対側に魔力触媒の発条薇構造。その割合などは各工房に於いては秘中の秘となっとる。『星の魔女』がどの様な割合で発条を作ったかは分らんが、儂が必要とするものではないことだけは確かじゃ。
何しろ、死人をゴーレムにするのと、儂を若返らせるのでは仕様が違いすぎる。
『星の魔女』が創ったゴーレムは、確か年若かったはず。
つまりは、その場の魂の再生をしたと考えるのが良かろう。
脳にある記憶から魂を巻き戻した筈じゃ。
と、考えれば比較的容易い。
魔力は、身体に残っておる分でよし、エーテルも死後どのくらいの時間が立っていたのか、判らんが補充せねばならん程ではなかったはず。
儂の場合、まずエーテルが足らん。そのあたりの石や枯れ木にもう近い。
大量のエーテルを取り込みつつ、ついでに魔力も増やしてしまおう。若い頃は、それで随分と苦労したからな。どうせ、一度限りの冒険じゃ、理想を少々混ぜても良かろう。
さて、随分と掛かったが、『若返り』の準備は整った。
こうして、細々と記しては於いたが、役に立たんことを祈っとるよ。
万が一、記憶まで巻き戻してしまった場合、こんな手記でも役に立つはずじゃ。まぁ、精神の安定と仕様の目的確認と見直しには随分と役立ったし、無駄ではなかった。
記憶をなくしたとしても、新しい人生を始めるのであれば、それはそれで有りじゃろう。
儂は八型に魔力薇を仕掛けた。
今は、螺旋の魔力触媒を描いた八型内部で眠るようにいる。
『グラレッサ』の記述通りならば、一年を一日で巻き戻していた。
自然力というやつだな。
今では技術の進歩は目覚ましい。
魔力薇の巻き上げ型を使えば、十年を一日にすることが可能となっとる。
この実在魔方式が間違っておらねばの話だが。
一応、ラットで実験を考えたのだが、魔術ラットの大繁殖などを、考え出したら怖くて出来んかった。
儂も、今更、青春をやり直したいと考えておるわけではない。
勿論、甘くも酸っぱい記憶に惹かれる気もあるのじゃが・・・
まあ、そんなのは、今の若者の特権だ。
三十前後に戻って、結婚をしてみたいと思う。
独りで気楽にやってきたが、伴侶というものを持ってみたくなったのだ。
そのためには、死ぬ間際の老人につき合わせるよりかは、若いほうが女にとっても、はるかに良いと考えたんじゃが、間違っているだろうか?
さて、ひと眠りしよう。
起きた時には、五十前後の歳になっている筈。
そこで、想定外の事態になった場合は、構成を考え直さなくてはならん。が、まあ、子供になっていることはないだろう。人体の質量は増やせても減らすのは至難の技だからな。
眠くなってきた。
さて、楽しみなことじゃ
なんとか、今年最後に間に合いました。