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私がお弁当を作り続ける事情

作者: 坪山皆

 福田(ふくだ)陽太(ようた)、十七歳。県立○○高校の二年生でバスケ部のエース。すっきりと整った顔立ちと、程よく鍛えられた長身の持ち主で、これで勉強が出来ればまさに完璧なのだけれども、残念ながら成績は中の下、いや下の上……良く言っても下の中か。彼の名誉のために言っておくならば、赤点を取った事はギリギリでまだない。多くの女子生徒のフィルターにかかれば、それは福田陽太の評価を下げるどころか、バスケに夢中なんだから勉強なんて出来なくて当たり前、むしろ完璧じゃないところがより一層彼の魅力を掻き立てる、らしい。

 彼のファンである友人曰く、


「試合のときの凛々しい表情と、八重歯の覗く可愛い笑顔のギャップが素敵」


 福田陽太。私こと早瀬(はやせ)夏見(なつみ)のひとつ年上の幼馴染みである。





 年が近く、家は一軒隔てた隣。その上、元々母親同士が仲が良いとなれば、当然その子供達も仲良くせざるを得ないだろう。実際、小さい頃は毎日と言っていい程遊んでいた。小学校に上がり他に友達が出来るとその頻度は下がったものの、それでもお互いの家への行き来はあったし、毎年家族ぐるみでの旅行もあった。

 違う家に住んでいる兄妹、お互いそんな認識に近いのではないだろうか。それは多分、今でも変わらない。




「はい、お弁当」

 

 今日も五時起き、頑張った。

 玄関の前で待っていた陽太に、お弁当が入ったトートバッグを差し出すと返ってきたのはたった一言。


「おう」


 おう、だと? おうって何だよ、あんたはオットセイかそれともセイウチか? という心の声は当然出さないけどちょっと、いやかなりむかつく。大体、こいつの分まで作らなければ後二時間以上は余裕で寝ていられるのに。思わず舌打ちが出そうになるのを何とか堪え、トートバッグを受け取りさっさと歩き出した陽太の後に続く。






 私のお弁当作りは高校入学して一ヶ月も経たないうちに始まった。






 保育園、小中学校と給食で、お弁当と言えば遠足か運動会くらいだった。幼い頃の私はお弁当の日が来るたびに、今とは違ってわくわくしたものだ。大好きなから揚げやハンバーグ、黄色いふわふわ卵焼き。彩のために入れられた普段は好んで食べないほうれん草やピーマンも、お弁当に入っていれば何故か美味しく感じられて、その内に平気で食べられるようになった。

 けれども、高校に入れば毎日お弁当なのだと内心喜んでいた私を待っていたのは、母の「お母さんはお弁当は作りません」宣言だった。


「お母さんにだって仕事があるんだから、毎日これ以上早起きしておかずを作るのは無理。ただでさえあんたは食事に対してあれこれ煩いし。嫌よ、お母さん頑張って作ったお弁当にケチつけられるの。コンビニか学校の購買でなんか買って食べてなさいよ」


「お金は?」


 恐る恐る尋ねた私に、母はあっさりこう言った。


「お小遣い、あげてるでしょ。足りなかったらバイトでもすれば?」


 ごもっともな言葉の数々にぐうの音も出ず、しばらく母の言うとおり昼食は購買で菓子パンなどを買って過ごしていたが、すぐに飽きてしまった。私は根っからのご飯党なのだ。その後コンビニのお握りに替えたのだが、その他にお惣菜などもつい買ってしまって出費がかさみ、財布が寂しくなったので、長続きはしなかった。

 バイト? そんな根性はありません。





「夏見弁当作ってるんだって? ついでに俺の分も作れよ」


 どこからか、十中八九母親同士の情報網だろうが、私がお弁当を作っている事をいち早く聞きつけた陽太は、何故か命令形で言ってきた。


「え、何で? やだよ、めんどくさい」


 ついでなんだから面倒臭くないはずだ、から始まり、購買の惣菜パンがいかに油っぽく胃にもたれるか、菓子パンが甘すぎて胸焼けし、午後の授業にどれだけ支障をきたすかを熱弁し、最終的にはおばさん(陽太のお母さん)の料理が薄味すぎると愚痴まで言い始めた。馬鹿だと思う。


「いいから作れ」


「やだって言ってるじゃん」


 意地になった二人の言い合いは平行線を辿りつつあったのだが、私の心を揺り動かしたのは陽太の母親である優子おばさんの一言だった。


「なっちゃんが陽太のお弁当作ってくれるなら、おばさんお小遣い奮発しちゃおうかな」


 お弁当一回に付き五百円。週五日だから一週間で二千五百円、一ヶ月で大体一万円? 美味しすぎる。


 後に私の母によりいらぬ苦情が入り、半額の月五千円となったのだが、それでも万年金欠の女子高生としてはありがたい。私はその提案に乗る事にした。


 とは言うものの、自分ひとりだけだと残り物や冷凍食品を多用していた物を、いくら気安い幼馴染みとは言え他人が食べるのだから多少なりとも気を遣ってしまい、作るとしてもせいぜい卵焼きくらいだったのが一品二品と増え、さらに見た目にすら気を遣うようになった。


「まじ眠い」


 毎朝アラームを止めながらそう呟く。



  


 誤算だった。

 

「ついでだし、夏見が起きた時に起こして」


 報酬を出すのだからと、図に乗ったヤツは要求を上乗せするようになった。

 毎朝起こせ、メールじゃ気付かないかもしれないから電話で。


「別にいいけどさあ、登校まで時間結構あるよ。何すんの?」


「眠気覚ますためにランニングする」


 それで疲れて授業中爆睡したら意味ないと思うんだけど、まあ他人事だしどうでもいい。朝起きていちいち文章打ち込むのも面倒臭いから電話のほうが楽だし、走るのも授業中寝るのも勝手にすればって言う感じ。


「まあいいけど」


「って事で七時には家出るから、それまでに作っといて」


「はあ?」


 すっかり忘れていた。陽太はバスケ部、朝錬があるのだった。


 後で学校に届けると言う私に、早弁するかもしれないから登校前に渡せ、ついでに一緒に学校行こうと言われ、この時点でお弁当を作る作らないの言い合いに疲れていた私は折れ、


「じゃあ朝はそれでいいから、昼休み食べ終わったらお弁当箱持ってきてよ」


 せめてそれくらいは、と頼むと「二年が一年の教室に行けるか」と訳の分からない事を言われ、ならば帰宅前に私の家に寄るか、それとも夜洗ったお弁当箱を届けるかどちらかにしろと言うと、もの凄く面倒臭そうな顔をされ、何故か私がヤツの部活が終わるのを待つ事になり、結果的に登下校を共にする羽目になった。

 毎月親から貰うお小遣いと同等の報酬のためとは言え、流されていると我ながら思う。なので、どうせ待つんだったらマネージャーでもすれば? というお誘いは固くお断りさせていただいた。

 登校してから授業が始まるまでの一時間あまりと、放課後部活が終わるまでの二時間ほどを、私は宿題を終わらせたり、机に顔を伏せてうたた寝したりスマホをいじったりして潰している。

 なんだか無駄な時間を過ごしているような気がする、と母に零すと、


「どうせうちに居ても似たような事しかしてないんだから、宿題してるだけまだ有意義なんじゃない?」


 またもやごもっともな事を言われてしまった。





「ねえねえ、昨日のドラマ見た? テン君ちょうかっこいい! 終わった後即リピったし」


「あー、ゴメン見てない」


 私は朝がとても早いので、大体夜九時を過ぎると自然と瞼が重くなる。だから彩花さやかが言うところのテン君(人気アイドルグループの中の一人、ナントカ十夜、通称テン君)が出演する、話題の深夜ドラマを見たことがない。

 夜十時就寝の朝五時起き。花の女子高生にあるまじき、なんて健康的な生活なんだろう。


「えーまじ? 夏見も見たほうがいいって、絶対惚れるし。ねえ樹奈(じゅな)もそう思わん?」


「うーん、さやかちゃんには悪いけど、あたしはテン君より堀君なんだよね」


 樹奈が同じドラマに出演していると言う人気若手俳優の名前を挙げる。


「そっちかー」


 だってテン君てなんかチャラくない? えー、そこがいいんだって、チャラさの中に時折見える真剣なとこがさあ……

 ドラマを見ていない私は話に着いていけず、微妙な疎外感を感じながらふりかけご飯を一口頬張った。


 私が昼休みを一緒に過ごしているのは主に二人、彩花と樹奈だ。

 彩花は小学校からの友達で、同じ県立高校に入学した新入生の中で私と陽太の仲を正しく知る数少ない人物である。

 樹奈は高校に入ってから新しく出来た友人だ。声を掛けてきたのは樹奈からでその第一声は、


「あの、早瀬さんって福田先輩の知り合いなの?」


 だった。

 その言葉から察せられる通り、樹奈の狙いは陽太だ。けれども、私をダシに使い猛烈に自分をアピールする事は無い。樹奈の今の一番の目標は私と友達になる事により、なるべく多く陽太の視界に入る事なのだと言う。


「ちょっとでも目に留めてもらえたらな嬉しいなって」 


 まあ、奥ゆかしい。控えめな発言どおりのいかにもな女の子らしい仕草が見ていて可愛らしく、話もそこそこ合うしで、彩花と私は樹奈と行動を共にする事が多くなった。






 だから絶対テン君のほうがかっこいい。堀君だって! この前中学の友達もそう言ってたもん。いやそれ関係ないし…… 

 アイドルをめぐって言い争いを繰り広げる私達(正確には彩花と樹奈)だったが、不意に樹奈が慌てたように口をつぐんで前髪を整え始めた。不思議に思っているうちに私の左側に影が差す。振り仰ぐと、そこには学校で一二を争う人気者の福田陽太様の姿が何故かあった。

 一年の教室に来るのは恥ずかしいんじゃなかったの? と疑問に思った私を前に陽太が不機嫌そうに言う。 


「ピーマンばっかり入れてるんじゃねえよ」


 陽太は基本的に単細胞なので、何か気に入らない事があっても部活をして汗を流せば帰宅時には忘れてしまう。だから、今の怒りを忘れてしまわないうちに私に(じか)に言いに来たのだろう。教室にまで来ると言う事は余程むかついているらしい。

 

 確かに今日はピーマン尽くしだと自認している。

 メインはピーマンの肉詰め。サブはソーセージとピーマンと赤いパプリカのソテー、みじん切りのピーマン入りの卵焼きに、母親作のピーマンの佃煮。


「しょうがないじゃん、おばあちゃん家からいっぱい送られてきたんだから」


 流石にあれは無いと思った。父親が単身赴任で不在中の、母と私の二人住まいにダンボール一箱分のピーマンとパプリカ。一体どう消費しろというのか。


 その言い訳は半分は本当、でも半分は嘘だ。


「何、陽太君ピーマン嫌いなの? 子供かよ、まじうける」


 ぎゃはは、と女子としてあるまじき笑い声を上げる彩花に、陽太は苦々しげな顔をして反論した。


「別に嫌いじゃねえし、ちゃんと食えるし。ただ入れ過ぎだって言ってるだけなんだよ、変な芝生みたいな葉っぱも入っているし」


 芝生みたいな葉っぱ……。こういう所が、陽太が一年上であるにも関わらず、「先輩」呼びするのを躊躇わせるのだ。


「それ芝生じゃないから、オカヒジキって言う野菜だから」


「見た目芝生だから芝生って言ったんだよ、あんなもん食えるか」


「てかそれ、ピーマン嫌いって言うよか野菜嫌いなんじゃん? 七夕の短冊に書いとけば、どうか野菜が食べれるようになりますようにってさー」


「うるせえ彩花、食えるっつってんだろ」


 事実なのに何を格好つけているんだか。充分野菜嫌いと言えるくらい陽太は苦手な野菜が多い。苦味のあるピーマンやゴーヤ、茄子の浅漬けの独特な食感とかトマトの種付近のドロっとした感じ、トロロにオクラ、モロヘイヤなどのねばねばした野菜、中でも春菊は論外との事。

 後輩達の前だからって見栄張って、わざわざ教室にまで文句を言いに来てそんなの通用するわけがないと思ったのだが、結局イケメンは何をしても許されるらしい。福田先輩野菜苦手なんだってー、やだーかわいい。別グループの女子のひそひそ話が漏れ聞こえてきた。

 樹奈はいい加減静電気が立つんじゃないかってくらい手櫛で必死で前髪を梳いているし、彩花は彩花で、うける、皆に教えよーっと、とスマホを手に取ると私の食べかけのお弁当箱をカメラに収め、メッセージを打ち始めている。何この状況。


「陽太君、食べ終わったんならお弁当箱あるんでしょ。かしてよ、持って帰るから」


 敢えて全てをスルーして、陽太に向かって手のひらを差し出すと、ヤツは自分の両手を交互に見た後何故かポケットを探り、こうのたまった。


「ない、置いてきた」


「えー何それ」


 今日も放課後居残りかー。思わず天を仰ぎ、溜め息を零した。


「おい! それよりもピーマン……」


 ガタッ! 陽太の言葉を遮るように音を立てて立ち上がったのは、明るい髪色の毛先をゆるくカールさせた、長い睫毛とピンクのチークが可愛らしい、女子力かなり高めのクラスメイト、佐藤(さとう)愛里(あいり)さんだった。


「あ、あの! 」


 周りの、頑張れー! と言う声援に頬っぺたをピンクから赤に変えて頷くと、佐藤さんは陽太に向かって声を張り上げた。


「もし良かったら、あたしが明日からお弁当、作ってきましょうか? こう見えてあたし結構料理得意なんで!」


 握りこぶしまで作って力説する姿が大変愛らしい。彩花が視線をスマホの画面から佐藤さんに移し、おーやるじゃん、と感心したような声を上げ、前髪をいじるのをぴたりと止めた樹奈の顔が、すっと無表情になる(怖い)。どこからかリア充死ねよ、という呟きが聞こえてきた。


「あー」


 流石は校内で一、二の人気を争う福田陽太様。周囲のざわめきに全く動じる事もせず、面倒臭そうに後ろ頭を掻いて地雷発言をして下さった。


「いいや、どうせ明日もこいつが作ってくるし」


 ご丁寧にこいつと言いながら私を指差すオプション付き。






「早瀬さん、ちょっといいかな?」


 案の定、放課後呼び出しを食らってしまった。


「早瀬さんって一体どういうつもりでいるわけ?」


「そうそういくら福田先輩の幼馴染みだからってさー、調子乗ってない?」


 佐藤さんを中心とした数人のクラスメイトに囲まれている。とても見覚えのある風景。大変不本意ながら、私はこういった呼び出しにも慣れてしまっていた。





 陽太は中学に入り、それまで平均以下だった身長がにょきにょき伸び始めた。バスケ部に入った事により筋肉も鍛え上げられ、私が中学に入学する頃には見事と言って良い程の変貌を遂げていたらしい。

 まあ、しょっちゅう顔を合わせていた私にはそれ程の変化は感じられなかったのだが。


「あのチビでヒョロい陽太君がアイドル扱いとか、ありえなさ過ぎてむしろ笑える」


 という彩花の意見には大いに頷くものがあった。小学校時代の陽太は丸刈りで小柄、手足が細くまるでマッチ棒のようだった。その性格はご覧の通り。良く言えば名前の通り陽気、普通に言えば単細胞、正直に言わせてもらえるならば馬鹿、だ。陽太が小学校生活の六年間の中でとった最初にして最後の百点満点のテスト用紙は、額縁に入れられ誇らしそうに未だ部屋の壁に掛けられている。

 そういう訳で、幼い頃から陽太のあれこれを嫌と言うほど見てきた私には、ヤツが中学校で異性として女子生徒から高い人気を誇っていると言う事が、しばらく信じられなかった。呆然、と言う奴である。

 周りの女子はそうは思わなかったようで、入学式に互いの母親と共に連れ立って歩いている私と陽太を目ざとく見つけたお姉さま方によって、翌日生まれて初めての呼び出しを受けた。


「何なの、あんた」


「むかつく」


 に始まり、うざい目障りは挨拶言葉。

 いくら幼馴染みとは言え先輩のことを呼び捨てにするのは「生意気」かつ「馴れ馴れしい」と、呼び出しの度に言われたので、陽太の事を君付けで呼ぶようになった。当の本人は気付いているのかいないのか、おそらく気付いていないのだろう、「ようやく夏見も俺の偉大さが分かったか」などと、私に君付けされるのに満更でもない様子だった。


 最初の内こそ怯えうろたえていた私だが、数をこなすうちに、目に余るような酷い暴言を吐く輩達の対処法を編み出した。

 

「わかりました。二年三組の高木(たかぎ)舞衣(まい)先輩と平岡(ひらおか)奈々美(ななみ)先輩、二年五組の湯沢(ゆざわ)風香(ふうか)先輩に、ぶさいく女むかつくお前みたいなブス陽太君の近くに居るだけで目障りなんだようぜえ今すぐ陽太君の前から消えうせろと言われたので、私からはもう話しかけないと本人に言っておきますね」

 

 こう言うと、大抵の女子は怯んだ。


「な、何、もしかして陽太君に言うつもりなわけ?」


「え、だって急に話しかけなくなると向こうも不思議に思うだろうから、事前に説明しとこうかなって」


 軽い頬笑みと共に付け加えると、目に見えて彼女達はこれまでの勢いを失くしていく。

 前述の先輩達は私を敵視するより取り込んだほうが得策と思ったのかその後けっこう可愛がってもらえ、中学時代をわりと平穏に暮らすことが出来た。





 けれどもそのすべを今使うのは悩むところだ。高校に入って三ヶ月弱。少しずつではあるがまとまりかけているクラスの空気を悪くしたくない。


「あ……べ、別に早瀬さんをいじめてる訳じゃないよ、ただ」


 俯いて考え込む私を見た佐藤さんが慌てたように急いで首を振る。


「ただ、今日の福田先輩、なんか怒ってたし。言い方悪いけど、そうやってわざと気を引こうとしたのかなとか思って。ていうか……えーと、ごめん。正直言うと八つ当たりみたいな感じ? あたし、皆の目の前で断られちゃったし。だからさ、顔上げて! ごめんってば」


 慌てるのはこちらの方だ。どうやら泣いていると思われたらしい。


「や、泣いてないから、全然平気だし! なんか、こっちの方こそごめんね。嫌な思いさせちゃって、ごめんなさい」


 深々と頭を下げる。


「ちょっ待って、謝らないでよ! なんかまじであたし達がいじめてるみたいじゃん」


「うちらだって調子乗りすぎとか言っちゃったし」「そうそう、ごめんね早瀬さん」「いや気を悪くさせたのはほんとの事だし、ごめん」「だから謝らないでってば!」


 それからお互いの謝り合いがしばらく続き、途中でなんだか馬鹿らしくなって皆で笑った後、ばいばいと明るく手を振って別れた。






 大いに反省した。佐藤さんが言っていた事は正しい。今日のお弁当をピーマンだらけにしたのは確かにわざとだった。ただ気を引こうとか、そういうのではない。


「はい、お弁当」


 と手渡しても、返ってくるのは「おー」とか「あー」で、酷い時には無言。逆に食べ終わったお弁当箱を返される時は、


「ん」


 何でもいいから文章喋れ。お金を貰っている身とは言え、毎日五時起きしてせっせとおかずを作っている自分が馬鹿みたいに思えて来る。うだつが上がらないとうちの母に評判の父でさえ、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、ごめんなさいは言えるのに。

 

 結局ピーマン責めは、小さな鬱憤が積もりに積もった私の、ほんのささやかな意趣返しのつもりだったのだ。ただ、悔しがる陽太を横目にばーかとほくそ笑んで、ストレス解消にでもしようと思っていた。

 それが蓋を開けてみれば、激昂した陽太が教室に突入して、そのせいで佐藤さんはクラスメイトの面前で公開告白のようなものをする羽目になった。佐藤さんの身になって考えれば、諸悪の根源は当然私だろう。呼び出されるのも当然だ。

 全ては自分がまいた種。


「あーあ」


 陽太の部活が終わるのを待つ間、自己嫌悪の溜め息は尽きない。






 いつもの帰り道、そう言えば随分と日が長くなったなと夕日に照らされた影を見て思う。陽太と他愛もない話をしながら、気付けば自宅前まで来ていた。


「じゃあね」


 と言う私に、


「ほら」


 と、トートバッグを差し出す陽太。

 ほら、ね。あーそうですか、まあ今日は仕方ないけど。

 思わず力無い笑いが出てしまった。


「あの、さあ。明日からちょっと陽太君のお弁当休んでもいいかな」


 五千円の収入減は痛い。かなり痛いけど、これは自分への戒めだ。


「あ? 何で」


「やー、昼休み言ったじゃん? おばあちゃん家からピーマン送られて来たって、あれほんと半端ないからね。しばらくピーマンを見ない日はないって言うくらいだし、嫌いな物食べさすのも悪いかなって」


 嘘、では無い。半分くらいは冷凍保存するけど、それでも食卓に上がる回数は多いだろう。今朝冷蔵庫に豚肉ロースと竹の子の水煮があったから、多分夕食はチンジャオロースかな、ピーマンメインの。個人的にはガパオライスが食べたい。


「まじかよ……」


 陽太はげんなりとした顔をしている。ピーマン責めは、思いのほかヤツにダメージを与えたようだ。


「まじまじ。だからさ、ピーマン地獄がひと段落着くまでは休もうかなって。おばさんにも言っといてよ、その間のお小遣いは要らないって。あー、えっと、あとそうすると朝起こせないし、自力で起きて」


「はあ? それと弁当作りとは無関係だろ。自力で起きれたらそもそも夏見に頼んでねーし、どうせ一緒に学校行くんだからついでに起こせよ」


 こいつは……。思わず大きな溜め息をついた後、「だからね」とまるで小さい子にでも言い聞かせるように分かりやすく説明した。


「一緒に登校してたのは朝錬に間に合うようにお弁当を渡さなきゃだったからでしょ。陽太君の分作らなくていいなら、帰宅部で朝錬あるわけないし委員会にも入ってないから、あたしは七時ちょっと前に起きれば全然余裕なわけ。その頃って陽太君家出る時間だよ、そんな時に起こして間に合うと思う?」


 ここまで丁寧に言えば、さすがの陽太も理解してくれるだろう、と思ったのだが、


「一緒に行かないって事?」


 今さらな質問に「そうだよ」と答えると、「何で」と返ってきた。おかしいな、いくらなんでもこんなに話の通じない奴じゃ無かったと思うんだけど。


「だからあ、朝錬も無いあたしが陽太君と同じ時間に登校したって、授業が始まるまで一時間以上あるの、その間の時間もったいないの。ゆっくり寝てたいの、わかる?」


 堂々巡りの会話にイラついて、語尾がきつくなってしまった。ちょっと考えれば分かるだろうに、陽太の眉間に刻まれた皺はまだ消えない。

 

「でもさ」とか「だってよ」とか言いつつ、その後に続く言葉が思いつかないのだろう。何か考えあぐねては口を開こうとし、すぐ閉じる。そこに納得した気配は到底見えなかった。


 いくら日が長くなったとは言え、既に太陽も落ち辺りは薄暗くなり始めている。このままではいくら経っても埒が明かないと、私は陽太に向かって昼休みの時と同じく手を差し出した。


「ねえもしあれだったら忘れないうちにアラームセットしとこうか? 陽太君のスマホ貸してよ」


 差し出した私の手から逃れるように陽太は一歩後ずさる。


「か……」


「か?」


 続いてヤツの口から発せられた言葉に、私は思い切り脱力してしまった。


「皆勤賞取れなくなったら全部夏見のせいだからな!」


 そのまま陽太は駆け出して、自宅へと入っていった。


「朝錬に皆勤賞なんてあるのかよ……」


 やっぱり陽太は馬鹿だ。そう改めて確認し、私も玄関の扉を開ける。

 何にせよ、明日はいつもよりゆっくり寝ていられる。久々に夜更かしをしよう、そう思った。





 筈なのに。


「何で目が覚めるかなあ」


 寝起きの体は非常にだるい。昨日は日付が変わる前には寝たけれど、いつもに比べたら随分遅い。そのせいか頭は大変に重く、これ以上動くなと体が拒否反応を起こしていた。アラームは午前六時五十分にセットしておいた。それなのに、今部屋の時計の針が指すのは、午前五時五分。あくびは出るが頭は冴えている、これで二度寝は無理だろう。日々の習慣って怖い。


 まだ眠りについている母を起こさないようにそっと部屋の扉を開け、忍び足で一階に降りる。

 台所に着いて冷蔵庫を開けると、昨日のうちに仕込んでおいた肉料理の数々が目に入った。


「やっぱ、ばかだよなあ。何やってんだか」


 全部陽太のせいだ。その腹いせに、いつもより三十分遅く陽太に電話をかける。

 コール一回二回三回……十一回目でやっと繋がった。


「は――」


 はい、と出る前に切ってやった。五分後、二度寝を決め込んでいるであろうヤツを再び呼び出す。再び出た瞬間に切る。着信履歴を見た陽太は狐につままれた気分で居る事だろう。






 昨日の夜、洗い物をしようと私と陽太のお弁当箱の蓋を開け、思わず一瞬動きを止めてしまった。私の一.五倍はあるお弁当箱の中身、ご飯が一粒も残っていないのはいつもの事として、あれだけ文句を言っていたピーマン三昧のおかずや、芝生とまで称されたオカヒジキも、単なる飾りとして添えられたパセリでさえ綺麗に食べ尽くされていたのだ。

 気が付くと私は近所のスーパーのレジに並んでいて手にしたカゴの中には、唐揚げ用の鳥もも肉をはじめとする陽太の好きな物ばかりが放り込まれていた。

 そのまま会計を済ませ、食材の入ったビニール袋を手に家路に着くと、一足先に帰宅していたらしい母が夕食の支度をしながら、


「遅かったのね、あら買い物してきたの? 言ってくれれば帰りスーパーに寄ってきたのに」


 と、私が手にしたビニール袋を目にして尋ねてきた。


「んー、ちょっと。明日のおかずをね」


 何となく中身を見られたくなくて、後ろ手に隠しながらそそくさと冷蔵庫にしまった。 





 別に、明日からお弁当作りを休んでもいいかって聞いただけで、作らないとは言ってないし。考えてみればやっぱり五千円は大きいし。

 別に、空っぽのお弁当箱が嬉しかったわけじゃないし、から揚げとか肉団子とか、アスパラベーコン巻きとか、今日のお詫びもほんのちょっとは兼ねてるけど、私が食べたいと思ったから作るだけだし。

 それに、ピーマン地獄が続くって言ったけどそれは主に夕ご飯の話で、お弁当に絶対入ってるなんて言ってないし。言ってない、と思う。

 だからこうやって二人分の下ごしらえをしているのは別におかしくないし、何の不自然もない。ないったらないんだよ。


 他ならぬ自分に脳内で言い訳をし続ける私は、きっと陽太と同程度には馬鹿なのだろう。

 

 冷静になったのは、全ての準備が終わってお風呂にも入ってさあテレビでも見よう、と腰を落ち着けた頃で、


「揚げ物するんなら、明日またシャワー浴びなきゃじゃん」

 

 途端に今までの高揚し浮かれていた自分が、なんだかとても恥ずかしく思えてきた。

 ばかみたいばかみたい、何なの、めんどくさいああもう止め止め、ぶつぶつ言いながらアラームを午前六時五十分に設定しなおした。

 明日は残り物と冷凍食品を駆使した、詰めるだけお弁当にしよう。さっきの食材は夕ご飯に活用してもらう、そうしようそれがいいとテレビのリモコンを手に取った。

 今日は夜更かしする、絶対。もう決めてた事だし。


 でももし、万が一、早く目が覚めてしまったら……


 その時は、彩のプチトマトだけは断固として譲らない。誰がなんと言おうと、教室に来て文句を言われようと絶対に入れてやるんだから。

 

 

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― 新着の感想 ―
[一言] これは続きあって欲しいですね! 次の日起きれたんだろうか?起きれたんだろうな← でも2人の物語もう少し見たかったです。
[一言] 幼馴染っていいですねえ! 羨ましくなりました。 素敵なお話をありがとうございました!
[良い点] なんでしょうね。彼女と彼は、弁当を作って、食べているだけなのでしょうが、すごく、微笑ましい、心が暖かくなる小説でした。食べ物って暖かいですね。 良い短編でした。
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