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大樹の下で  作者: 飛鳥
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06.異変

 先日の日向ぼっこの件から薄々分かっていたのだが、側室同士の交流は案外少なくはないようだった。

 通路を歩けば侍女が襲い掛かり、撃退すれば手紙を落として行く珍現象を数度体験して、リンデンは「他の側室にできるだけ関わらない」という選択肢を諦めた。

 手紙の内容はこうだ。本日ホニャララの刻にナントカの間でお茶でもいかがでしょう。これが一日に平均3件。

 太陽を仰ぎ見て時間を確かめれば、すでにその時刻を余裕で過ぎていたりする。相変わらず下準備たる探索に精を出すリンデンを探して右往左往した結果だろう。部屋に直接赴けば、勝手にクインスが取り次いでくれるというのに、奴らはとことん自分と手合わせをしたいらしい。

 最初の日は慌てて部屋に戻り、アキレアに手紙を渡して小走りに移動した。時間は大幅に過ぎていた。部屋に入った途端に降り注ぐありとあらゆる投擲物を捌いて、飛んでくる拳やら足やらを弾いて、やっと席に着いたときにはリンデン一人が草臥れていた。叩きのめした大勢の侍女たちのことなど知らない。

 次の日、ふと思い付いてリンデンは陰から見守ることにした。アキレアをエスコートするクインスをフォローできるだけの距離を保って遠くで開いた扉から、凶器は何一つ飛び出してはこなかった。クインス曰く、武器を構えた集団は、リンデンがいないことに気付いてがっかりした様子で茶会の準備を整え始めたそうだ。

 つまり、リンデンが参上しなければ雇い主の周囲は平和なわけだ。一度は諦めた「他の側室にできるだけ関わらない」に一文を付け加え、「他の側室に、リンデンはできるだけ関わらない」と訂正した。こうしてのんびり歩いていると野良侍女とエンカウントすることはあるが、荒野を進んでいる間に魔物に出会うようなものである。

 筆頭侍女ではない彼女たちは、恐ろしいパワーこそ有しているが、単体あれば血を見る戦闘まで発展することはないレベルだった。武器を流して鳩尾やら首筋に一撃を叩き込めば終わることも多い。それならさして面倒はない。

 そういうわけで雇われてから1週間が経過した現在、リンデンは全てを無視して周囲の環境を整えることに専念していた。

 部屋に仕掛けてあったトラップを解除し、進入防止のトラップを仕掛け、非殺傷戦闘用の武器を揃えた。殺傷用だって役立つかわからないが、やはり万が一にも王宮で側室付きの人間を殺すというのは良くないし、何より寝覚めが悪そうである。

 ある程度の経路の把握は済んだ。隠し通路もそれなりに脳に叩き込んで、アクナイトが突然壁から湧き出て来るような珍現象にも結構慣れた。

 あれを始めにやられていたら、もしかしたら今頃命はなかったかもしれない。足下からいきなり手が伸びて足首を掴むとか、どういうホラーなのか。さすがのリンデンも引き攣った悲鳴を上げて思い切り肉厚な手を全力で踏みにじる対応しかできなかった。


「リンデン様、今日もお疲れ様です。これどうぞ!」

「ああ……悪いね、ありがとう」


 毎日のようにふらふらと王宮を歩き回っているリンデンなので、当然顔見知りも増える。

 買い物帰りらしいメイドの一人が──重要なことだが、メイドは極普通の女性だった──押し付けるようにくれた焼き菓子に顔を綻ばせる。大したことではないと彼女は首を振るのだが、自分で食べるために買ったものであろうに、朗らかに譲ってくれる心根が嬉しい。

 上気した頬の必要以上の血色の良さに掠めるように触れる。


「今日は暑いから、倒れないように気を付けな」


 はい! と良い子の返事をリンデンに納めて弾んだ足取りで去って行った。

 良いなあ、と物欲しそうに指を加える兵士に数個差し入れて、行儀悪く自分も口に放り込む。触ればほろほろと形をなくす歯応えは物足りないが、控えめな糖分が舌に優しい。指に付いた欠片も舐め取り、残りをポケットに割れないよう突っ込んだ。

 戦争屋は職業柄嫌われがちではあるが、決して社交性がないわけではない。そもそも戦場において、孤軍奮闘ではどうにもならない戦いというのは多いのだ。チームを組んで連携を取るにあたり、人見知りでは実力の発揮など遠い話である。よって、コミュニケート能力はそこそこ培っている。

 ともあれ、リンデンたちを恐れなく受け入れるのは基本的にはやはり戦場。戦に遠い人間が気楽に話しかけて来るのはこの国の特異性のおかげだろう。そりゃ、あんなマッスル超人たちが闊歩していれば、リンデンなんぞは一般人の範疇に見えるに違いない。

 周囲が怯えず嫌わず接してくる、というのは中々気分の良いものだ。上機嫌を自覚しながら、普段より軽いように思う足取りで通路を抜ける。

 少し開けた場所には、井戸が一つ場違いに佇んでいる。余所に比べて随分侘びしい風景だが、リンデンはそこを気に入っていた。第一に涼しい。第二に人気(ひとけ)がない。第三に見付かり難い。どこにいてもマッチョ族が湧き出てくる魔窟における、唯一の憩いの場である。

 アキレアの部屋で休めると思うな。あそこは一番の戦場だ。


「……あれ」


 いつもなら朽ちかけた井戸による単身の出迎えだというのに、今日は傍らにこぢんまりとした姿を従えているようだった。首を傾げるリンデンの小さな声に、落ち着いた女官服を纏ったその人はゆっくりと振り向いた。


「おや、お客さんかい。こんにちは」

「どうも、お邪魔します」


 先客たる老婆が、皺だらけの顔をくしゃくしゃにして優しく笑った。リンデンを呼ぶ手に誘われて無造作に近寄る。

 彼女はここで洗濯をしていたらしかった。リンデンが悠々手を回せるサイズの洗い桶は小柄な老婆に相応しい。わずかに濁った水と、桶の側の水を流した跡。桶の中身は多くはないが、老婆が運ぶには濡れた重みは曲がった腰に響くのではないだろうか。


「これはもう濯いでも?」


 しゃがんで指さすと、皺に埋もれた目をぱちぱちと瞬いて、また破顔した。


「手伝ってくれるのかい。すまないね。忙しいんだろうに」

「サボリに来たんだ。気にしないでくれ」


 布地を押さえながら水を切り、汲んだ水を注いで混ぜる。何度か繰り返すと濁りがなくなった。

 絞っても良いものか迷いながら引き上げた洗濯物は、大判の黒い一枚布だった。リンデンが全身を余さず包めるそれは、悪い布地ではないが随分と古い。痛みは生地に穴を開けるほどではないが、念のため雑巾よろしく捻るのは止めた。

 両手で圧縮するようにぎゅうぎゅうと水を切るリンデンに、老婆は自分をカランコエと名乗った。返礼したリンデンの名を聞いた彼女の顔に感情の変化はなく、知っておるよ、と朗らかに言った。


「戦争屋リンデンじゃろう。知っておるよ。優しく強い戦場(いくさば)の子じゃ」

「……あまり聞いたことのない評価だな」


 褒められると背がむず痒くなるのはどういう作用だろう。気まずさに眉尻を下げると、孫を見る目で見上げられた。思わずシーツを圧迫する手が桶の上から移動したらしく、滴る水がしとどにブーツを濡らす。あちゃ、とこぼした声にさえ温い感情を与えられて、慣れない温度に視線を逸らした。

 戦場でこそ程々に名が売れてはいるが、戦に携わらない人間でリンデンの名を知っている人間は珍しい。すでに城内で噂が流れているのか、はたまたこれもこの国の特異性か。

 そこに干して、と指示を得て、安定感のある太い木の枝に洗い物を投げ掛けた。これだけ天気が良ければ乾くのは早いだろう。

 桶をひっくり返して、カランコエはそこに座った。リンデンも井戸の縁に腰掛けて、貰った焼き菓子の口を開ける。2、3個を手のひらに転がした残りを老婆に差し出すと、包み抱くように幸せそうに受け取った。

 そっと菓子を脇に置き、腰の袋を漁る枯れ木のような手。のんびりとした行動を何となく見守って。


「じゃあ、お茶でも入れようかね」

「ちょっと待て」


 出てきた2客のティーセットとポットに思わず声を上げた。


「何次元から取り出した異形だ、それは」

「何を言うておる。今、目の前で道具袋から取り出したろうに」

「どこに繋がってるんだその道具袋!」

「見た目によらずかさばらんよ」

「……陶器を生身でぶち込んでおくことへの非常識感とかな……」

「割れないように気を遣うのは、ババの得意技じゃ」


 しかもあからさまに湯気を立てる温度の液体が入っている。

 何でもない顔をして優雅に紅茶を注ぐカランコエも、やはり非常識国の人間だということか。いやでも物理法則を無視するのは違うような。

 ううん、と頭を抱えるリンデンは、老いた視界には映らないようだった。差し出されたカップを受け取る。焼き菓子をソーサーに転がして、手に残った香ばしい粉をズボンではたいた。

 いつもの癖で匂いを嗅ぎ、舌を湿らせる程度に口に含む。しばらく転がして異常がないことを確認。何故か多くを含めば火傷しそうなほどの温度を保つ紅茶を、時間をかけて体内に流し込む。

 毒を疑われたと嫌な顔一つすることなく、マイペースな老婆もゆっくりと茶を啜った。


「どうじゃ、この国は」

「侍女として?それとも、戦争屋として?」

「そうさな、戦争屋としてじゃな」


 木陰の涼しさに目を伏せたリンデンは、少し考えて答えを返す。

 世間話にしては少し重たい話題だが、長く流れを見守ってきたという自負のためだろう、老輩の人物というのは国という大局でものを見る目に長けていることが多い。


「自分の常識と違うところが大きすぎて戸惑うものの……そうだな、政治的には噂の通り安定してる。城下のスラムも見てきたが、あれは昇華に至れるんじゃないか?困窮はしていても理不尽な暴力はとりあえず見られなかった」

「何が効いているのかわかるかの」

「兵士の投入数だろう。あれだけを回せるのは単純に凄いな。騎士まで出張って街にもそれなりの数がいたから、動員数が多いのかと思ってた」


 蓋を開けてみれば、城に配備するべき兵力を城下に回していたわけだ。侍女という強大な戦力を城内に内包するマカダチ国にしか許されない芸当だろう。

 感心を言葉に込めたリンデンに、カランコエは濁りの混じった赤色の瞳を曇らせた。


「この国の子たちはなあ、平和ボケをしておるよ」

「平和ボケぇ?」


 侍女らしくない侍女たちが、毎日のように城内で戦いに耽っている事実を知らないのだろうか。

 相応しくない単語に思わず声がひっくり返る。飲み干したカップを皿に戻すと、予想より高い音が響いた。あんまり予想外過ぎて動揺したらしい。

 彼女たちは常に警戒している。ひたすら周囲に気を配っている。戦闘の気配を纏わり付かせている。

 粗方の侍女がリンデンに出し抜かれるのは現状における実力の差だ。平和にかまけて鍛錬を怠っているせいではないのは肉体を見れば一目瞭然である。

 老眼か、としみじみ感じ入るこちらの同情の目はやはり気付かれず、老婆は深い溜息を吐き出した。


「敵がどこにいるのかを考えようとせん。襲い掛かるのが悪いこととは言わんよ。防衛が間違っているとも思わん。ただ、想定が甘すぎるんじゃ。侍女たるもの、常に最悪を予期せねばいかんというのに、最近の若いモンときたら」


 年寄りの名言まで頂いた。侍女というのは現在知覚を越えてまだ世知辛い商売なのか。そこを嘆くのなら、襲い掛かることを悪いことだと嘆いてはくれないか。

 断固としてリンデンは主張しよう。罪のない人間に襲い掛かるのは悪いことだと。でもあいつらはリンデンを敵だと断じて襲っているのだから仕方がないといえば仕方が……でもなあ……。

 口を閉じて懊悩する。向けられた視線が和らぎを得ているのを見て、ひとまず侍女たちの敵対状況を横に置くことにした。

 気付けばいつの間にかリンデンの手からティーセットが姿を消していた。動く枯れ木が差し伸べられた覚えはない。

 疑問に思うより先に、元いた場所に帰って行く陶器たちの姿が目を引いた。やっぱりどう考えてもティーポット1つ入らない大きさなのだが、何故あの袋は他愛もなく質量で勝る存在を飲み込めるのだろう。もしかして魔術の一種なんだろうか。便利そうだから是非とも伝授して欲しい。


「外套を取ってくれるかの?」

「もう良いのか」

「特別製での。乾くのが早いよう、魔術を施してあるんじゃ」

「それは便利だな。良い職人が? ツテがあるなら私も頼みたい」

「伝えとくよ、戦争屋殿」


 古布は外套であったらしい。これをマントとして付けるにはちょいとみすぼらしい気がするが、そういうこともあるのだろう。

 触れてみると確かに水分は飛んでいた。太陽の匂いを鼻腔に吸い込みながら引き下ろす。


「あれ、ここ、穴が開いてるな」

「おやまあ。繕わんといかんね」


 小指も通らない小さな穴は、タペストリーの打ち付け痕のように角を陣取っていた。貫通は綺麗なもので、縦横に裂かれた痕跡はない。釘に引っ掛けた類ではなさそうである。繕えば綺麗に塞がるものだろう。

 ただ、土に擦り付けられたのか、白くぼけた汚れが落ちきっていない。洗い直しするべきか少し迷ったが、曲がった腰を上手く使って器用に桶を抱えた老婆は、リンデンの手からひょいとそれを取り上げる。無造作に桶に放り込んで抱え直した姿には、奇妙な安定性があった。


「何なら運ぼうか?」


 親切心で言ったのだが、カランコエは笑顔で首を振った。


「ここまで持ってこれたのだから大丈夫じゃて。あまり年寄りを舐めてはいかんよ」

「そいつは失礼」


 足取りは遅いものの、思ったよりしっかりしているようだった。素直に引き下がることにして、痩せた背中を見送る。

 そういえば、年季の入った人間を城内で見たのは初めてかもしれない。通路や兵の宿舎、食堂、修練所、庭から門まで見て回ったが、「走る」という行為が難しそうな人を見た記憶はなかった。

 少し考えてみれば理由は簡単なことだ。どこで侍女対決が始まるか分からない職場で、巻き込まれた際に場を離れられない輩を置いておくなど危険なことこの上ない。あくまでも侍女同士のバトルではあるが、白熱した人間の拳に手加減は効かないものだ。そこに足元の覚束ないような老人を置いてみろ。最悪ペースト状になる。骨的な意味で。

 カランコエがああして存在しているということは、被害がないよう、逃走という自衛手段を持たない人間が働く場所があるのだろう。

 城内は把握したつもりであったが、ある程度、という前置きは止まない。いきなりリンデンが赴いても怖がらせるかもしれないので、今度出会えたらお邪魔させて貰うことにしよう。

 ひとしきり納得して、休憩を終えて立ち上がる。

 アキレアの部屋(しごとば)に引き上げる道すがら、暇な思考で老婆の言葉を反芻した。


「敵がどこにいるのかを考えようとせん、ねえ……」


 例えば、そこの茂みにだとか、天井の向こう側だとか。想定が甘いというのなら、足元から生えたアクナイトの出現だろうか。

 首を傾げて考えるが、どうにもしっくりこない。

 平和ボケ、平和ボケ、と呟く姿を不気味そうに筋肉を萎縮させた侍女に遠巻きに見られて赤面した。止めよう。今は当面を凌ぎ、あの登頂たる覇王を倒す術を考えることに全力を注ぐべきだ。


 ──きゃあ!


 遠くから高い悲鳴が聞こえてきたのは、思考を修正して拳を固めたときのことだった。反射的に駆け出して、ブーツが床石とかち合う音を響かせる。

 聞き違いでなければアキレアの声だった。

 会って一週間、悲鳴など聞いた覚えはとんとないので自信はない。ないが、間違いなら間違いで問題はないのだ。いや、他の誰かであっても、どこかの侍女でなければ問題にはなるのだが。

 曲がり角の度に鋼材仕込の靴裏を怨みながら滑った分のロスに舌を打つ。何度罪のない衛兵を轢死させたことだろう。折を見て、けたたましい足音がしたら天井に張り付くよう衛兵に仕込んでおかなければいけない。なお、女官は意地でも避けて進行しているので周知の必要はないはずだ。

 程なく見えた扉は無防備に口を開けていた。扉を飾る兵士は固い床に抱かれていた。1ミニリット───60分の1タイリムという致命的な時間の遅れに、祈りながら滑り込む。


「アキレア……クインス!」


 部屋の中は荒れてはいなかった。むしろ、リンデンが出たときのまま、茶器すら片付けられていなかった。あれから3タイリムは経過しているはずだが、何をしていたんだこの主従。視線を動かすまでもなく見付かった主は、毛足の長い絨毯の上にいた。

 仰向けに横たわったまま、ぴくりとも動かない。額に突き立った一本の棒に目を瞠り、青褪めながら大股に駆け寄る。


「おい、アキレアッ……って……」


 寄って、思わず膝を付いた。優美に広がったドレスの裾を下に引いたが、この脱力感の前には些細なことである。

 しばらくは声が出なかった。ようやく搾り出した声も、どこの死に掛けの老婆が発したのかというほど枯れていた。


「……アキレア、起きろ」

「わたくし死にましたわ。額に矢が突き立ったのですもの」


 確かに見間違いようもなく額に矢が突き立っていた──矢尻の代わりに吸着盤が仕込まれた、間抜けな矢が。

 傍らにしゃがみ込んだ影に目をくれる気力もなく、眉間を押さえて声だけ投げる。

 

「クインス、誰の仕業だ?」

「俺もわからん」


 意外な返答に目を丸くして見返した。

 そこには、見たことのない、酷く強ばった顔をした男がいた。真剣な顔をしていると、普段のちゃらんぽらんさとは裏腹に、妙に取っ付きづらそうに見えることに初めて気が付く。


「戸が開いたのは察知したんだけどな、矢を放った瞬間が捉えられなかった。結果がこれだからイタズラだったんだろうが……」


 そうじゃなかった場合を考えると寒気がした。言葉を濁したわけでなく、クインスはただ己を悔いているのだろう。

 状況への呆れと安堵が入り混じった息を深く吐いて、アキレアの額から矢を外した。キュポンと音を立てて従順にリンデンの手に従った矢は、先端の間抜けさを除けば立派な凶器の体である。


「矢羽はこの国のものか?」

「種類があるからわかんねェ。少なくとも騎士団で使ってる形式じゃなさそうだ。調べとく」

「……いや、良い。私が持っておくから、クインスはアキレアの警護を頼む」


 動くのは自分が良いだろう。少なくとも、侍女はクインスやアキレアを襲わない──はずだ。真っ当な(・・・・)侍女であるのなら。

 赤く痕の付いた滑らかな額を指先で撫でると、ぱちりと桃色の瞳が元気に瞬いた。合った目の純真さの眉尻を下げる。死んだ、と明言した彼女には、不甲斐ない付き人を責めるつもりなどないようだった。いっそ責められた方が気が楽になる場合は多い。今のように。

 腹筋だけで起き上がった姫は、クインスとリンデンを交互に見て、快活に笑う。


「アキルスは戦の国ですわ」


 唐突な言葉に顔を見合わせた。目に優しい範囲の桃色の色彩に顔を戻すのも同じで、彼女は蜂蜜のような笑顔を更に深める。


「戦というのは全勝するものではありませんの。小競り合いでは時に負け、相手の出方を見て大局で打ち勝つ。それも勝利のための道程ですわ。リンデンはご存知でしょう?」

「それはそうだが……(トップ)が死んだら基本は大局負けだろう」

「でもわたくし、生きてます」


 あっけらかんと言う少女の目には、仄かに揺れる怯えと、しかしそれ以上の光があった。殺される可能性を理解している。その痛ましさに思わず眉間の皺が濃くなる。

 そんなリンデンの眉間を白い指先でちょんと突いて。


「クインスが止められない誰かの可能性。でも、わたくしを殺そうしているわけではない誰か。それが知れたことは、チャンスでしょう?」

「……ああ」


 そうだな、と言ったリンデンに、アキレアは信頼を乗せて目を閉じた。降りた指がリンデンの固い手のひらに触れて、確かめるように正しく少女の力で握り締める。

 頼りなさに同じく数拍視界を閉ざして、決意新たにゆっくりと目を開ける。


「クインス」

「おう」


 こちらも気を取り直したらしい。エメラルドは光沢を放ち、じっとリンデンを見詰めていた。


「部屋の護りを強化する。防御陣に手持ちがあるから、そうだな、窓と扉、それに壁か。硬質化を施して破壊による進入を防ぐ。それから、窓付近の外壁と扉に人の接近を感知するように仕掛けておくか。警護の補助程度になら使える。詳細はまた後で詰めよう」

「ん、わかった。その辺りは任せる」


 深く聞かないクインスはリンデンを随分と信頼しているようで、自分で言っておいて少し困惑した。そこまでの信頼を向けられることをした覚えがない。こちらの戸惑いを知ってか知らずか、アキレアの乱れた衣服を手際良く整えたクインスは、念のためというように窓の外を確認していた。


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