02.侍女
ピンク色の姫、と纏めると、いささか頭に問題を抱えていそうな形容だな、とリンデンは思う。なので、少し詳しく描写を施そう。
アキルス国の姫であるアキレアは、顔立ちだけ見れば、少々我の強さを感じさせるような姫だった。知的で意思の強そうな大きな瞳は濃い桃色。白い肌には染み一つなく、たおやかな四肢は必要な部分はしっかりと張っていて、男の欲を誘うフォルムには女の自分の目さえ惹き付ける。伸ばせば腰に届くだろう、瞳と同系統の淡い桃色の髪は、くるくると弧を描いて揺れている。
甘やかな彼女の色合いは、あまりにも整った人形のような容貌を一層際立たせていた。ピンクという色は、どうしてこうも少女趣味な甘ったるさを演出するんだろう。
リンデンにとって幸いなのは、元が凛としているせいか、プラスマイナスでしっかりとした少女に見せていることだった。それこそ砂糖を口に含んだ、真綿が服を着ているような少女が相手であれば、即座に踵を返していただろう。恐らくは、泣かれたはずだ。目と目が合った瞬間に。
よく言われるのだ、目付きが怖い、と。傭兵慣れした道行くおっちゃんおばちゃんらは気に留めないが、蝶よ花よと育てられたちょっと良いトコの子供は、リンデンと目が合った途端に目を潤ませる。貴族の成人したボンボンでさえ硬直する。生来の容姿と、生き抜いてきた環境による荒みと、一番には多分、かろうじて目を跨いでいない、額から目尻の下まで伸びた傷跡が問題だと思う。
彼女にそうした様子がないのは依頼主としては上等だった。クインスに促され入室したリンデンを見て、あら、と鈴のような声を上げ、口元にちょっとした微笑さえ浮かべて見せた。
「お呼び立てしてごめんなさいね。聞いていると思いますけれど、わたくし、アキレアと言います。よろしくお願いしますわ」
「ああ、リンデンです。こちらこそ、どうも」
何がこちらこそなのだろう、と思いながら曖昧に返す。依頼先とはいえたかだか一般人に随分フレンドリーな姫さんである。
「綺麗な姫さんじゃないか。嬉しい仕事場だろう」
「余分な希望は先に打ち払っとくのが優しさだと思うから言うが、俺はこの人に仕えてから胃痛が絶えない」
「クインス、聞こえてますわ」
「音量落とします」
背後の美貌は何やら不満を訴える。首を傾げてアキレアを見るが、別に異常な様子はない。ヒステリー持ちというのは案外、一見してわかるものだ。多少我侭な性質である可能性はあるが、リンデンを強制的に連行したクインスの鋼鉄の胃が痛くなるほどとは思えんが。
まあいい、クインスの胃が荒れて血を吐こうと、自分には関係ない。
「早速で悪いんだが」
「ええ、お仕事のお話ですわね」
リンデンの横を抜けて壁際に寄ったクインスが茶の用意をし出したのを目を丸くして見守った。優雅にドレスの裾を捌き、柔らかなカーペットを横断する細い背に戸惑いがないことから、これも普段の男の仕事なのだろうことは当たりが付いた。
先日侍女が辞めたという。侍女の仕事の一部をクインスが継いでいるというのなら、胃痛が絶えないというのも嘘ではないのかもしれない。仕えてから、というのは冗談として。女だらけの職場など、嬉しいのは精々最初の一日だけだろう。
リンデンが代わってやる義理もないので、アキレアが着いた窓際のテーブルまで歩を進める。折れそうに細い椅子に掛ける勇気が起きずに視線を彷徨わせた。繊細な造りの家具が目に痛い。アキレアの白魚の指が触れるのはとにかく、リンデンの硬い皮膚が擦れただけで傷が付きそうである。
「どした、座れよ。俺が座っても多少軋む程度だから安心しろって」
「……お前に葛藤を察知されるのは腹立つな」
「何のお話ですの?」
姫さんには一生関わりのない話だよ。
溜息と共に女にしては立派な体躯を落ち着ける。クインスの言う通り、華奢な椅子が不吉な悲鳴を上げることはなかった。
念のため足に込めていた力を少しずつ抜きながら。
「侍女ってのは何の冗談だ。私みたいないかついのがお姫様に侍ってたら、漏れなく嘲笑の的ですよ」
放り投げるように話を持ち出す。
リンデンが鍛え上げられた身体をしているのは、自惚れではなく一目瞭然の事実だった。
右手にカタール、左手にソードブレイカーを握る双剣使いのリンデンは、それに相応しいだけの筋量を備えている。凹凸のある腕だけではない。胸なども8割は筋肉だし、腹が割れているのは当然。背後からリンデンを見れば、10人中9人は男だと推察するだろう。逞しい背中に涙を浮かべて縋り付いた女性は、誠に遺憾であるが少なくない。太い腿と脹脛も、旅をする者としても少々規格から外れた隆起を見せている。
ついでに言えば、日に焼けて色の抜けた赤茶の髪は、耳の横が申し訳程度に風に動くくらい残してあるのみで、ショートと呼ぶにも少し足りない。
これが侍女として控えていた日にゃあ、リンデンなら鼻で笑うより先に目薬を差して二度見する。悪いのが目でなく本当に侍っていたら、幻覚魔術の可能性を思案する。幻覚魔術の可能性すら潰えたら、あとは教会に駆け込んで神に生まれてこの方の行いを告解するしかない。
だというのに、芳しい飲み物をカップに注ぐ男は不思議そうに首を傾げた。
「そういかつくもないだろ」
「男に比べればそうだろうけどな」
「いや、男って言うか、侍女として」
「いや、おかしいだろ」
そうかな、と反対側に首を捻り出した男の頭に同情しつつ、こちらも何故だかウサギのように不思議そうな顔をするアキレアに向き直る。
「こちとら辺境の島国育ちの底辺の人間です。礼儀作法なんぞ知ったことじゃないし、聞いての通り敬語もままならない粗忽者だっていうのに」
「何も問題ありませんわ」
「問題しかないと思うがなあ」
ちょっと早すぎるとは思うんだが、前言を撤回しよう。さすがクインスの主である。彼女も問題のある人間らしい。
頭痛を覚えると、何となく古傷を辿ってしまう。俯きがちにこめかみに指先を彷徨わせながら、どう言えば分かって貰えるだろうと思案する。
結局リンデンには角の立たない言いようが浮かぶほどの教養はなく、近所の女子に声を掛けるようにできるだけ優しげな声を心がけながら口を開いた。
「侍る人間の質見ると、主の程度がわかるって格言があってだな」
「それですわ」
「あん?」
即座に食い付いた一国の姫君に、視線を上げて詳細を促す。
「侍女の質で主の度量が決まる。そのために、あなたにお願いしておりますの」
少女が立派な胸を張る。クインスの視線が吸い寄せられるのを黙認しながら、リンデンは大仰に眉を顰めた。
「……つまりどういうことだ?」
「この国では、侍女に必要なのは戦闘能力であるとのことで」
「ほーお」
意識の大半がお外に遊びに行った。暗くならない内に帰って来いよ、と声を掛けるのは止めた。巣立ちのときである。親たるリンデンは戦争屋らしく、戦場で敵対の再開を懸念するべきだ。どうすれば敵対できるのかわからないが。
ひとしきり綺麗に整えられた庭を眺め倒して、部屋の沈黙に気付き顔を戻した。じっとこちらのリアクションを待つ2対の視線に、そういえば依頼の詳細を聞いていないなと思い出す。
「それで?」
女にしては低い声でリンデンが促すと、少女はハキハキと新兵のように喋り出す。
「わたくしもクインスも存じませんでしたの。マカダチ国での侍女とは、他所に比べ酷く重要な地位なのです」
「今、マカダチ国には正妃がいないってのは知ってるか?」
有名な話である。頷くと、クインスとアキレアは交互に補間を交えながら説明を再開した。
説明の大半を聞き流しながら、戦場で仕入れたこの国についての情報の引き出しを開ける。
マカダチ国にこれといった特色はない。特産物もなく、売りもない。だが治安は良く、経済的にもそれなりに潤っている。それが何故なのかという内情などは興味もなく回ってきていないが、政治が整っているのだということは知っていた。戦争屋の出番の有無──ひいては自分を売るかどうかを決めるためには、王が優秀であるか愚劣であるかは重要だ。ヘタな木偶に雇われたら先に待つのは地獄の一丁目である。
今、この国には側室が4人いる。変わったもので、代々正妃を直接娶ることはしないのだという。側室の中から優秀な者を選定し、正妃として迎え直すらしい。その上正妃になるまで純潔を護って、王の側もお手付きしてはいかんとか何とか。それって后候補とかの扱いじゃ駄目なのかと思うのだが、そこら辺は文化の違いであるとして気にしないことにした。
その内の一人、アキレアはこう語る。
「正妃を選ぶ基準は、1も2もなく、侍女の実力なのです。側室の中で最も優秀な侍女を従えた者が正妃となるのですわ」
「優秀! それすなわち、強いってことだ。いや、国から付いてきた護衛騎士の俺が言うのも何だが、直属の騎士がいるって時点で軽蔑の的でな」
「でも、クインスを国へ返すわけにもいかないのです。何せ、身辺は少々、その、物騒ですの」
「連れてきた侍女が他の姫さんの侍女に襲われて、世話役がいなくなったのも痛いしな」
「誠に遺憾でしたわ……」
開いた出窓の枠で小鳥が戯れていたので、荷物の中から黒パンを取り出して与えてやった。小さく千切った欠片を小さな嘴で啄ばむ様子に心が和む。
動物に嫌われる性質ではないので、追加をてのひらに乗せて差し出してやる。黒い瞳が様子を伺う。くりくりと2、3度首を動かした後、ちょいと指に飛び乗った。突かれる感覚がこそばゆいが、生まれた仄かな幸せを噛み締めた。
「そこで思いましたの。そうだ、クインスの存在を払拭するほど、強い女性を雇えば良い、と!」
「有名なところがリンデンだったんだよ」
突然自分の話が出たことに驚いた。拍子にうっかり腕を揺らしたらしく、青い鳥は弾かれたように飛び立ってしまった。
ああ、幸せが逃げた。
「昔の同僚に聞いたとこでは、いくつもの戦場を渡り歩いた猛者だっつって」
渡り歩いただけで全部参加したってわけじゃない。戦場を横断する程度なら、リンデン以外にもしてる奴は結構いるだろう。
戦場を検分して結局どっちにも雇われなかったり、あるいは長引きそうだとか、金払いが悪そうだとかでとんずらする奴もいるだろうし。
「どこぞの国の高名な将軍と交戦して、剣を折ったことがあるとか」
裂帛の一撃を避けたら偶々背後の岩に当たって折れただけだし、リンデンの携えるソードブレイカーってのはツーハンドソードみたいな厚い剣が折れるような武器じゃないし。
そもそもあの将軍、味方側のつわものと交戦した後だったはずだ。おこぼれに預かったリンデンが褒められるような立派な舞台ではない。
「貴族でもないのに、指揮官をしたこともあるという」
傭兵束ねてた大将が倒れたから烏合の衆に持ち場を与えただけで、指示してたのは時間にしてほんの十数分の話。
あれを指揮官というのなら、そこらの食堂の女将さんなど歴戦の勇者である。
「付いたあだ名が戦争屋」
職業名だが文句あっか。
しばし連ねられる言葉の数々に胸中で反論を続ける。きらきらと子供のように輝く瞳を見て、今度こそはっきりとした頭痛を自覚した。
目尻の傷の終端に手を置いてしばしの沈黙。一つ大きく頷いて。
「そうか、よくわかった。じゃ、お茶ごちそうさんでした」
「なぜそそくさと立ち上がりますの!」
神が時間を掛けて造作したのであろうすらりと長い指先を硬いリンデンの腕に掛け、憤慨露わに輝石が見上げる。
残念ながら、容姿の造作に時間を掛け過ぎたんだろう。中身に使う時間どころか、素材までなくなってしまったらしい。
「奇抜すぎる設定は読者を置き去りにしがちなので、限度を弁えましょう。3点」
「わたくし、嘘を吐いたことがないのが自慢ですの」
当然の棄却に真剣な眼差しを向けるアキレアが何を考えているのかわからない。最近のお嬢さんてのは、こうも次元の違う場所で話をするもんか。いや、その隣でしみじみと意味もなく頷いているクインスの次元も違うようなので、もしかしたらこいつらの国の特色なのかもしれんが。
「そんな国があってたまるか! 嘘ってのはもう少し現実を交えて──」
眉間を押さえて苦言を口にしたその時だった。ふいに背筋に悪寒に似た緊張感を覚えて目を瞠る。
まさか暗殺者が、こんな白昼堂々お出ましか。アキレアを背後に厚い湾刀を抜き放ち、振り向きざまに薙ぎ払う!
鋭い音を立てて弾いた剣戟。すぐに飛び退いた影を視線で追うより先、視界の端に捉えた光をなぞるように剣を斜めに落とした。軽い金属音と共に床に落ちたのは、数本のスローイングダガー。一目で分かる刃の上質さにぎょっとして視線を上げた先に──悪夢がいた。
「ふふ、結構なお手前ですね」
「おい止めろ。その口調と声を今すぐ止めろ!」
大きな扉の前、不動の姿勢で佇む、筋肉の塊がいた。
筋肉の塊。誇張ではない。控えめに言って、筋肉塊と呼ぶに相応しい風体なのだ。
リンデンの太ももほどもある安定感抜群の首。ウエストはあろうという上腕二等筋に、脂肪のふくよかさは一切見えない。分厚く割れた腹筋は勿論のこと、リンデンに比べて随分と大きな膨らみのある胸元すら硬質な筋肉のみで形成されている。
どこを切り取っても筋肉マニア垂涎の勇壮な肉体美が、よりによって侍女服……いや、ここはあえて、より衝撃的に、破壊力を求め、絶望感溢れる名称を使おう。メイド服を装着している。そしてその筋肉塊が、事実に基づかない控えめな姿勢で、あろうことか小鳥のように可憐な乙女の声で喋るのだ。
この事実を、一体悪夢と言わずして何と言おう!
「おい、何の種類の変態だ!」
「リンデン、不躾ですわ。側室のトレニア様の侍女、ジャスミンです」
「おっかっしいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃだろうが!」
崩れ落ちるように床に両の拳を叩き付けた。
別に王宮だの貴族だのに理想を持っていたわけじゃない。わけじゃないが、こんなのは──あんまりである。
侍女である。種類は違うがロマン的にはメイドと同等である。侍女やメイドといえば、勿論美醜は様々であろうが、少なくともリンデンの故郷においては主を映す鏡という言葉があるだけあって、位の高い者にはそれなりの容貌の者が仕えていたはずだ。
「それがこんな!」
びし、と音がするほどの勢いで指をさした先には、何となく陰を背負った隆々たる体躯。
「ちょっと視覚に異常をきたしたのかと疑うほどの筋肉量を誇る筋肉の集合体の、どこが侍女──あれ、どうした?」
「あーあー、かわいそーに」
「指をさすだなんてはしたないですわ。落ち込んでしまったではないですか」
「あ、ああ、すまん。悪かった、ええと」
反り返る人差し指を戸惑い混じりに一端収納。おずおずと、行儀良く揃えた5本の指を、掌を上にして差し出す。
「ちょっと視覚に異常をきたしたのかと疑うほどの筋肉量を誇る筋肉の集合体の、どこが侍女なんだ」
「これだから他所の国の方は……」
気を取り直して、やれやれと太い首を振る。本当に指をさされて落ち込んでいたらしい。意外に繊細な内面に少しキュンとする。こう見えてリンデンは小動物が好きだ。食料としても愛玩としても。
ちなみにジャスミンとやらは、顔だけ見れば普通に可憐な少女だった。いや、少女と呼ぶに相応しい年齢であるかは逞しい肉体のせいではっきりとは言い難い。しかしまだ若いのは確かだろう。
つぶらな蜂蜜色の瞳は人に慣れた子犬のようで、ふわふわとした細い金髪が卵型の顔を縁取る様は童話に見るお姫様のようでもある。
何度も言うが、顔から下を見なければ。
「常識的に、侍女の体脂肪が2ケタもあったら問題でしょう」
「そうかなぁ」
ちなみにリンデンの体脂肪率は1桁と2桁を前後する辺りである。彼女から言えば問題なんだろうが、女で1桁を保ち続ける方が問題じゃないかと思う。
「というか、真面目に侍女なのか」
「はい。改めまして、私は第2側室トレニア様の筆頭侍女、ジャスミンと申します」
「ああ、どうもご丁寧に……リンデンだ」
腰を折って礼を尽くす動作を見ると躾の行き届いた侍女のようだった。
しかし体格だけでなく、揺れるレイピアの刃先が職業を裏切っている。装飾の施された柄はまるで儀礼用だが、鋭い輝きに刃を潰した跡はない。
堂に入った構えに、リンデンは左腰からソードブレイカーを抜いた。一筋縄でいく相手ではなかろう。だらりと下ろした両手で軽く柄の握りを確かめる。
「それで、今日は何の用で?」
「新しく侍女を雇うと伺い、ご挨拶に」
「……」
雇う、という言葉には沈黙で返した。まだ依頼を受けると決まったわけではない……というか断固としてお断りしたいのだが、そもそも一国の側室が戦争屋を侍女として雇いたがっているという事実は好ましくないだろう。あり得はしないが、アキレアの作り話が万が一本当だったとして、これ以上に評判を落とすことはしたくない。
だが、そんなリンデンの心遣いは即座に裏切られた。
「あら、もう情報が漏れておりますの? 駄目ではないの、クインス」
「そう言われても。リンデンに繋ぎ取るために色々動かざるを得なかったんですよ。アクナイト辺りに推察されたんじゃないですか」
「そう、じゃあ仕方ないですわね」
「おまえら」
ぐっと噛んだ奥歯がぎしぎしと堪えるような軋み声を上げた。
「何だそののんびり加減。アキレアが狙われてるんじゃないのか」
「いいえ」
否定は敵方から返ってきた。
刃腹を向けて突き出した短刀が細剣の突撃を辛うじて逸らす。手首を捻って刃の櫛で捉えようとするが、凶刃はそれより早く撤退する。追撃に伸ばした右腕の湾刀は空を薙いだ。
伸ばした先で返るレイピアの刃。カタールの護拳で受けるべく距離を見切る。
殴り付けるように一撃を弾くのと、側部を強襲させた蹴りが厚い腹斜筋にめり込んだのは同時だった。
「く、ふっ」
「いきなりご挨拶だな」
「そうです。ご挨拶に伺いました、と申しました」
よろけた体躯は折れなかった。常人であれば嘔吐に苦しむ入りだったのだが、息を詰めて苦しげな顔をしただけってのはどういうことだ。
その表情もすでになく、ジャスミンはどこか満足した表情でリンデンを見据えている。
「侍女は矛であり盾。わが国の矛は、盾を貫くことで自身の武力を示すもの。わが国の盾は、矛を防ぐことで自身の防護を知らしめるもの。それゆえ侍女が己の実力を発揮するのは、位不在でない限り侍女に対してのみと決まっております」
「……つまり、この場でお前が狙うのは、私のみ、という」
「そうですね」
何てことだ。くらりと揺れた眩暈の中で、視界が黒く染まる錯覚に陥る。
この娘がアキレアの妄想に付き合う共謀者でないとすれば、つまり、真実なわけだ。侍女に必要なのは戦力、とかいう馬鹿げた事態が。
否定したい。心底否定したい。しかし悲しいかな、リンデンは生死のやり取りを数え切れないほど経験した死神だ。レイピアの鋭角に乗った本気の殺意を見ない振りはできない。
リンデンの負け寄りの葛藤に気付くことなく、ジャスミンは朗らかに笑った。
「アキレア様は現在最も立場の弱い第4側室とはいえ、わが国の貴妃。あなたが侍女に相応しいお方かどうかを試してみようという算段もあったのですが、ふふ、お見事です。きっと皆さん納得なさいます」
皆さんて何だ。納得しなくて良い。
むしろ自分は辞退したい───否、辞退するのだ。もうそんな曖昧な返事をしている場合ではない。いらない、という意味での結構です、が肯定に解釈されるだろうメンバーであることは明白である。
ところで口を開こうとすると漏れなく邪魔が入るのはわざとだと思って良いんだよな。
「それでは今日は失礼致します。戦争屋リンデンさん、皆さんには実力は噂に違わず、とお伝えしておきますね」
「ちょま」
伸ばした手は制止に届かなかった。スカートの裾を翻し、軽やかに巨体は部屋から姿を消す。
最後にひらり、と扉から手を振って。
「どうぞ今後ともよろしくお願いします」
だから。
即行で扉が壊れる勢いで開き、弁解のため廊下に乗り出したというのに、最早影も形も見えないのは何故だ!
「つうわけで、今後ともよろしくなー」
「よろしくお願いしますわ、わたくしのリンデン」
だから!
「受けねェっつっっってんだろ―――――ッ!」
血反吐を吐くような高らかな咆哮に、再度窓枠に寄って来ていた2羽の小鳥が飛び立った。
幸せの青い鳥は、もう二度とこの部屋に近寄ることはないだろう。