13.結末
「すげえ、溶けたなぁ」
「……溶けたし、折れたな」
剣だったものたちの残骸を前に、リンデンは少なからぬ哀愁を負って溜息を吐く。
半ばで折れたソードブレイカーと、高熱で刃が溶解したカットラス。戦争屋としての大半、長らくのときを共に歩んできた相棒である。覇王を切り付けるための犠牲と覚悟はしていたが、こうして見直すとやはり気は落ちるものだ。
「打ち止めで油断誘って隠し玉かあ。まあ、ベタだけど効果的だよな。あ、そういやあの石みたいなペンダントって魔石だったんだな」
「形整ってなくて魔石っぽくないからバレ難くて丁度良いんだ」
「治癒属性?」
「そう」
「折角だし、怪我治そうとか思わなかったのかよ」
「……治癒目的に使ったら、酷い目に合うんだ」
「何で。あり得ないくらい強力だったじゃん」
「あり得ないくらい強力過ぎて、手足が余分に生えてきたりするんだ……」
「お、おお、壮絶だな」
「戦争屋になる私のために、妹が初めて作った改良型の治癒魔石なんだ。治癒ってのは元々作成難易度が高いんで、魔物に試してみたのが幸いだった。どうも細胞のそれぞれに再生を促すのか、復活した細胞が重複するらしくてな」
「……うっかり使ってたら、それはそれでおもしれえ構図だったような」
「よしわかった」
「俺が悪かったからこっち向けないで!」
──武闘会の終結は、リンデンは期待していたものの、周りにとっては拍子の抜けるものだった。
身を犠牲にして類稀なる切れ味を手にしたカタールが覇王の肉体を切り裂く直前、ローテローザが悲鳴のように降参を叫んだ。
勿論それで止まるような生半な勢いで振られた剣ではないし、傷付いた身で抑止できようはずもない。しかし、こちらとしても覇王を亡き者にしようという気はなかった。
予定通り、厚い胸板に切り込みを入れる程度の進路を違えることなく通過した一閃は、鮮血をまき散らしこそしたものの、致命傷にはほど遠い。むしろそれまでに削られたリンデンの身体の方が、満身創痍と呼ぶに相応しい様相だっただろう。
髪を振り乱してフィールドに上がった赤薔薇は、浅い傷を見て膝の力を抜かした。覇王はリンデンが付けた切れ込みからブチブチと強力な繊維質を引き千切って、慌てて彼女の豊満な四肢を支えた。
無事を喜び、佳人が泣いて逞しい首筋に取り縋った姿は感動ものであった。
「……まさか、ライクじゃなくてラブだとは思わなかったんだ……」
「俺はまあ、見てきた時間が長い分、薄々」
「そりゃ、結婚させたくないなら、自分に勝てる可能性がある人間が現れたら発破も掛けるよな」
「その割に本気で向かってくる辺り、融通がきかないよなー」
熱い口付けを交わした2人に降り注いだのは、囃し立てる歓声だった。王宮の人間に留まらず、国民総じて緩い国だ。
まあ、同性恋愛に偏見を持つリンデンではないので、幸せそうなら何よりだと思う。それでなくとも、一方がアレなせいでどう見ても男女にしか見えないし。美女と野獣というか。そっちが美女でどっちが野獣かとまでは武士の情けで言及すまいが。武士じゃないが。
……心なしかローテローザの方が積極的に食い付いていたのは気のせいか。あわやともすれば、あの巨体を衆人環視のもと押し倒しそうなくらい。どちらかというとマリーゴールドの頬が赤らんで、まるで乙女のごとき反応を返していたように見えたのは勿論リンデンの視力が死闘の末にガタ落ちしていたための錯覚だろうと明瞭な視界を閉じて己に納得させる。
同性恋愛に偏見は持たないが、そういう、その、立場関係は、文句言うわけじゃないけど、何か嫌だ。
「トレニアもなあ……随分朗らかに祝いを述べると思えば、主従揃って神官になるのが夢だとか」
「最初っから辞退しとけば良いだろっつうな」
親に言おうかどうかモジモジしている間に側室に上げられ、今更言い出せなくなってしまったという。何だその、悪戯がバレそうでモヤモヤしてる子供みたいな理由。
いつだったか目にした首飾りに覚えがあるわけだ。教会なんぞ足を運ぶに程遠い場所だったので思い至らなかったが、シスターたちが胸元に下げる飾りと同じものだったらしい。
教会のシンボルを簡略化したような形は、知り合いのエセ神父兄弟が身に付けてもいたが、奴らは神父というか悪魔の類なので連想の足しにもならなかった。むしろ遠退かせたというか。何にせよあの悪魔が所持して平然としている時点で破魔の効果がないことは証明されているので、より神秘性を帯びたいのなら形を変えると良いとリンデンは思う。簡略化を止めるとか。そりゃ、作るのにコストは掛かると思うが、こう、分かりやすさ的な意味も含めてオススメしたい。
「性格も良いし、顔も良いし、世の中の男共はさぞや嘆くことだろう」
「え?」
「あ?」
「あれ、リンデン知らねェ? 最近は神官って結婚できるんだぜ?」
「は?」
「さっきは言わなかったけど、俺は知ってるぞぉ。旅の神官にお熱なんだぜ、彼女。何でも2人組の神官の、兄の方に一目惚れしたとか聞いた。ジャスミンは神官の弟にあわーい恋心を」
「待て待て。旅の神官?」
「そう」
「……神官、の、兄弟?」
「そうそう」
「止めとけ」
「ん?」
「そいつらだけは止めとけ!」
「そんな全力で俺に言われても」
治癒師に怒られたので、上げ掛けた腰を下ろして姿勢を正す。痛くないのかと呆れる視線こそが痛い。
患部は痛いには痛いが、そこそこ麻痺しているので見た目よりは平気である。
未だ鳴り止まない拍手と太い歓声。フィールドの縁で座り込んだリンデンに向けられるそれらに適当に手を振り返すと、また治癒師に怒られた。右手は振動に軽くやられて痺れているだけだから支障はないのに。
「……あー、シビリカは、そういうのないのか。なんつうか、恋とか、愛とか」
「……。…………」
正面を陣取って黙々と筆を走らせるシビリカに視線をやる。ピタリと静止した無感情な視線と、高速で動き続ける手のギャップが怖い。
手持ち無沙汰に、膝の上を陣取る頭を撫でた。ちらりと見上げてくる子犬のような視線に曖昧な笑みを落とす。重いから退いてくれないか、という意思を込めて。視線をシビリカに戻すと、キャンバスを色付ける作業のスピードがより一層増していた。止めてくれ。
「いる、といっているわ……」
「何が」
「シビリカさま。あいする人」
負傷したリンデンに膝枕を強いた岩がやっと喋った。足は先に治癒を施してあった上、拗ねさせた自分が悪いと思っての承諾だったが、予想を遥かに超えた凝縮された質量にそろそろ足が死にそうなので、喋ったついでに早く退け。
願いも空しく、膝上のアクナイトはころりと寝返りを打ってリンデンの腹に顔を埋めた。圧迫の位置が変わって少し楽になる。
「わたしたちの国の人間は、みんな一途なの……」
「お前ってクインス好きじゃなかった?」
「真実の愛……であうまではわからないものね……」
「振られた俺は潔く身を引くぜ!」
「そういう小芝居いらないから。で、好きな奴がいたのに、政略のため結婚って押し付けられたパターンか?」
「……、………、…………」
「おい、通訳、寝るな」
ぺん、と緩く後頭部を叩くと、仄かに頬を赤く染めたアクナイトは首を上げて主を見て、また元の体勢に戻った。
「かわいそうなシビリカさま……。そろそろ現実をみろと……父王さまにおいだされてしまったの……」
「手の届かない恋かー。そりゃ王族としちゃ仕方ないかもだけどなあ」
「シビリカさまはあんなにあいしているのに、永遠に声をかわすこともできないの……」
「そう、か。それは辛いな」
死別か、と悔やみの言葉を述べるべきか迷うリンデンの前に、シビリカから一枚の絵が差し出された。
神妙に受け取る。騎士のような格好の男の絵姿だった。なるほど、世の中の女性が黄色い悲鳴を上げそうなイケツラをしている。騎士にしては多少体格が細い気がするものの、戦闘スタイルによってはガタイを必要としないこともある。骨を太くして筋肉で覆い、長い髪を切って、漂う落ち着きを取っ払えば、どことなくクインスに少し似ているかもしれない。
横から覗き込むクインスが、あれ、と声を上げた。
「これ、結構前に人気あった恋愛小説のヒーローじゃね?」
「すきな人と次元がちがうなんて、シビリカさまかわそう……」
「俺、こいつに微妙に似てるっつって城のメイドに昔……どしたー、リンデン」
「同情した過去の私に同情してるところだ」
いい加減、オチの付かない良い話はどこぞに転がっていないものか。俯くと秀麗な顔が転がっているだけだったので、頭を抱えて空を仰ぐ。眩しい。暑い。そろそろ日陰に撤退しても良いか。
「リンデン!」
「おおわああ!?」
突然背後からタックルを食らって、転がる巨躯を挟んだ腰がイカレるかと思った。
首元に絡んだ細い腕。背に当たる柔らかい肉の塊に、遠くから険悪な視線が向けられるのを無視して、溜息を吐きながら首を回す。
「……よう、満身創痍の侍女をほったらかして一直線に王とイチャコラしに行った薄情な主さま」
「嫌ですわリンデンたらイチャコラだなんて。照れてしまいますわ」
「ああ、うん、前向きって良いことだと思うぞ。今後もその調子でな」
嫌味は一瞬で諦めた。この先、王妃としての苦難の数々が彼女を襲ったり襲わなかったりするのだろうし、今は幸せの頂点に君臨させてやるのも大人の優しさだろう。
妻を奪われたバルサティロが眉間の皺を深めるのを遠方に見て鼻で笑ってやる。早く回収に来いということだ。冷静そうな見た目を全く裏切って、ことアキレアに関しては挑発に乗りやすい野郎なので、すぐに引き止める部下を振り切って来ることだろう。
「お怪我は治りましたの?」
「粗方塞がっ──あ、まだか、ごめん。表面は塞がったみたいだけどな」
返事の途中で治癒師の半眼を食らって片手を上げる。
淡い光を食う傷口を見詰めていると、ふいに試合中のアキレアの様子を思い出した。
「そういえばお前は止めなかったな」
「そうですわ。褒めて下さいな」
「えらいえらい」
「わー、おざなり」
「うらやましいったらないわ……」
「えええ、そうかあ?」
「何を褒めてるか自覚がないですわ! もっと心を込めて、丹念に頭を撫でて下さいましッ!」
「それで嬉しいなら断ることでもないが」
肩口に引っ付いた頭に手を置くと、小鳥の毛のように柔らかな感触が硬い手のひらを癒した。目を細める様も小動物のようで愛らしい。
「ありがとうな、信じてくれて」
ゆっくりと細い髪を撫でる。
自覚がないとアキレアは言うが、実を言えばそうでもない。あの泣きそうな顔で、今にも倒れそうに青褪めた顔で、それでも目を背けずひたすらにリンデンを見守っていたのは、そういうことだ。
この子は前もそうだったな、と思えばくすぐったさが心に湧く。直向な信頼に悪い気がしようはずもない。
「……当然ですわ。負けないって、最初に約束してくれましたもの……ねえ、リンデン」
「ん?」
「ありがとうございました。わたくし、あなたに会えて幸せです」
「どうも。でも今後はそういうのは王様に言ってやれ」
「いつも言ってるから大丈夫ですわ」
「そういう惚気が聞きたいんじゃなくてな。嫉妬の心が私に向かって迷惑だから止めてくれという」
「ま。感謝の心を無碍にするなんて、リンデンてばいけず!」
「やーい、乙女心を弄ぶ悪魔ー」
「…………」
「あ、あ、止めて、無言で治癒もどきの魔石向けるの止めて。ほら、アクナイト転がってるぞ」
アキレアを背に張り付かせたまま、今度こそ尻を浮かした。
治癒もどきと称された呪いの魔石、じゃない。掛け替えのないお守りには、既に魔力は残っていない。いずれ充填されるだろうが、いつの話になるのやら。
とりあえず、しばらくはクインスへの牽制として使用できそうなので、有効活用しようと思う。
背を伸ばすと、立ち上がろうとしないアキレアを首にぶら下げる形になった。当然首が絞まるので引き剥がそうと手を伸ばし──触れる前に、引き剥がされた。
「仲が良さそうで何よりだな」
「挨拶は済んだから引き取って貰って結構だぞ」
アキレアを胸に収めた王が、不機嫌そうに立っていた。対外的に簡易な敬礼を送ると、偉そうに返礼が届く。音声はどうせ喚き散らす観客たちには届いていないだろうからどうでも良い。
ふん、と鼻を鳴らしたバルサティロの右手が高く上がる。水が引くように客席からの大歓声が止まった。
「アキレアが侍女、リンデン。見事であった。リンデンの勝利を認め、ここに、アキレアを正妃とすることを宣言する」
いつの間にか、最敬礼を取るクインスの姿が隣にあった。イチャついていた赤の主従が寄り添うようにこちらを見ている。未来を夢見てほのぼのしていた金の主従が拍手を始めた。観客席からの拍手と同調し、乾いた音が怒涛と化しボリュームを増す中、青の主は新しいキャンバスに筆を走らせ、青の侍女は抱き着いてくる。お前ら、良いのか、国民の前で王に向かってその態度。
何にせよ、だ。これでリンデンの出番は終わった。
カッコ笑いとか語尾に付く、侍女とかいう本場の侍女に謝罪するべき馬鹿げた職から、また戦争屋に戻る。人を殺し渡り歩く自分に戻る。
奇特な体験だった。根本的におかしいが、不思議と悪くはなかったと思える日々だった。
ゆっくりと頭を下げて、達成感と、一抹の寂しさを覚えながら両人に祝福を述べる。
と。
「ではこれからもアキレアをよく支えるように」
「待て」
聞き捨てならない一言に、勢い付けて顔を上げた。
聞き返すか反論をするか。とにかく口を挟もうとしたリンデンに、繊細な刺繍の施された手袋の平が向けられる。
「誤解をするな。私がいないときに限ってのことだ」
「そういう話じゃない。ちょっと待て、いいから」
「王妃には王族専門の侍女が付くが、やはり気心の知れた侍女はいるべきであろうからな」
「だからな」
「バルサティロ様……そんな、そこまでわたくしのことを……!」
「勘違いをするなよ。アキレアの心を慮ってのことではない。警護の面で、アキレアの行動を知るお前がいれば安全性が増すというだけの話だ!」
「あのな」
おかしい。さっきまで、確かに威厳というものがこの男には存在していたはずだ。どこかに出掛けたとかそんな距離じゃない。精神魔術に強いはずだったリンデンが、まさかの幻に包まれていた可能性を考えるべきほどの変わり身である。
始まったイチャイチャを気にせず更に湧く太い歓声を一身に浴びて、リンデンはうっすらと笑みを浮かべた。
諦念。脳に生涯のない人間がリンデンを表すのなら、正しくその二文字を言い当てることだろう。
「……私は逃げるからな」
「駄目だって。報酬はちゃんと受け取ってけよ」
また座り込んだクインスが足元で笑っている。お前も、良いのか、他国の王の前でそう堂々と。
深い溜息を吐いて、しかしリンデンも彼に倣うことにした。アクナイトが再度膝を寄越せと強請る有様なので、リンデンばかりが気を遣う必要はないのだろう。
「意外に落ち着いてんなあ。もっとわーってなるかと思ってたぜ」
「……教えてやろうか」
「何を」
「私の本名」
いたく興味を持ったように、クインスが身を乗り出した。膝の上のアクナイトはお休み3秒、寝たらしい。
ぴーすーと健やかな寝息に荒んだ心を和ませながら、心の中に大樹を抱き、ここ数年口にもしなかった本名を告げる。
「フィカスレリジオサ。種別違いの菩提樹。悟りの木だ」
「あー……それでリンデンか」
「ちなみにクインスってのは、ボケの木の別称でな」
「八つ当たり止めて!」
まあ。
ここに来て、見上げた大樹も乗り越えた。散った装備も整える必要があるし、もう少しばかりは滞在するのも悪くない。次はどこへ向かうかも決まっていないことだし──まずは何より、休みたい。
隣に座るクインスの肩に頭を預けて、リンデンは目を閉じた。逃げるも残るも、目を開けて、それから考えよう。突然八方上手く収まる良いアイデアが閃くこともあるだろう。
大樹の下で、悟りを開くように。
ガールズラブタグとか付けるべきか否か…いや、間違いなく不要だと…でも、いや…。




