12.決戦(前編)
無駄に広い。暗い。明かりの絶対量が少ない。隅っこに待機していてなお寂しいほど広い。絶対造りがおかしい。
薄ぼんやりとした思考は、戦いに赴く前の常だ。戦いのことはあまり考えない。結局場当たりで対処することが一番で、下手にパターンを限定しておくと型にはまった対応しかできなくなるためだ。型にはまった対応とはつまり罠へと誘い込む布石なので、非情に頂けない。
通路は長い。頑丈そうで、あと広い。マリーゴールドが10人は横整列できる入場口に一体どんな需要があるというのか。筋肉舞台の行進でもするのか。騎士団のお披露目に使用するには国が国だし。
しかもこのだだっ広い通路が東西南北に一つずつあるというのだから、会場の広さは恐ろしい規模である。これだけ空洞を広くすると、老朽化に伴いいつか観客席が落ちてきそうなものだ。それは少し見たいと思う。
設計士と一度話がしてみたい。本人がこの構造を考えたんだとしたら、そもそもどうしてこんなやたら広く長い迷路のような通路を設置したのか一晩かけて問い詰めたい。
絶対にこの設計はおかしい。
静かな通路にふと響いた砂利の擦れる音に顔を上げた。暗い通路の向こうから、消す気のない足音。
対峙した巨体は、闇が揺れるほどの闘志に満ちて存在を誇示していた。冷たい壁に付けた背を僅かに浮かせたのは全くの反射で、おまけに触れた剣の柄に眉を寄せる。
己を静めるべく長く息を吐くリンデンを、最強の座を冠する赤の侍女は静かに待った。
「戦争屋」
「……何だよ、覇王。あんたの登場はあっちだろう。ここからご一緒でもするか?」
「否」
角張った口元は緩みもしない。
ゆるやかに振られた首に滲む玉の汗に、彼女が既に戦いの用意を終えていることを確認する。そういえば通路に至る前、小虫のように飛び回るアクナイトと、無駄に振り幅の大きな動きで歩くジャスミンを見かけた気がする。
生憎リンデンは3人を相手取るにあたり、体力でまともに張り合える自信がないので最低限の準備運動に留めてきた。良いよな、有り余る体力を保持する輩は。
「調子は良いようだな」
固い素材の通路の中、マリーゴールドの重低音は地獄の底から響くようだった。
分散する声を拾い上げ、肩をすくめる。
「コンディションも整えられないで戦争屋が名乗れるか」
「それは僥倖だ。うぬが崩れておれば、この戦いに意味はない」
「こっちにばかり集中されてもな。あと二人いるだろう」
「表層の小手先しか見せぬ実力者を警戒する。それの何がおかしい?」
思わず黙ったリンデンに、覇王は熱を湛えた獣の瞳を向けた。日頃の静謐が嘘のような荒々しさに息を呑む。
「金と青、どちらの実力も既知のもの。いくら戦術の手数が多岐に渡れども、我も含め、深みを帯びるほどの界隈で武を振るってはおらぬ。本性を見極めるはさほど難しいことではないわ」
「……そーかい」
ずるずると壁に付けた背を落とす。耳障りな鎧の悲鳴が上がっていたのだが、傷が付いたところでショックを受けるほど大事にしているわけじゃないのでどうでも良い。というか、鎧に傷が付いてショックって本末転倒だし。
「戦争屋リンデン──アキレア姫が侍女、リンデン。実力の発露をことごとく避けた手腕を見逃すほど、我は目端が利かぬように見えたか」
「利かなければ良いとは思っていたけどな。あと、買い被ってるようだから言っておくが、別に隠していることを隠していたというほどの細工は施してないぞ」
「そうであろうがな」
珍しい。笑った。
闘争の気配をそのままに、けれど目を細めた覇王は実に──楽しそうだった。見上げる視線に返る目は、威圧というより期待に満ちている。
期待は果たして、全力でぶつかれる相手を見付けたという喜びからだろうか。そうであるなら結構なプレッシャーである。転ばせ所を未だ掴めない、蔓延る根を持つ大樹の王を楽しませろというのだから。
まあ、負ける気はないが。
「いっぺん言ってみたかったんだ、若造に遅れは取らんよとか」
「随分先の言葉に聞こえるが」
「戦士の寿命なんて短いものだろ。言えるときに言っておかないとな」
「ならば、実行して見せろ」
「言われなくても勝つさ。安心しろ」
闘志が膨れるか、ひょっとしたら挑発に乗るか。どちらの反応を示すかと思えば、彼女はどこか安堵したようなの表情を見せた。気のせいかと思うほどの変化を怪訝に思うより早く、大きな踵が返される。
通路を占めるような隆々たる背中を見送って、リンデンは首を傾げた。
「……勝って欲しい、ってことか?」
まさかな、と首を振って、残り少ない時間で戦闘への集中を開始した。
『レディイィィィィッス、エエエエェェェェンッ、ジェントルメェェェェェェェェェェェンッ! ついにこの日がやってまいりましたッ、この国の未来を担う、正室の座を賭けた聖戦の行方やいかに! 血で血を洗う闘争の果て、リングに立つ猛者は誰なのか! 実況は私、宰相の──』
何やってんだ、ブレイン。
実況席、と横断幕の掲げられた机の向こうで、ヒゲ面の男たちがヒートアップしている。拡声器を片手に、右手を固い握り拳に。そして乗り出さんばかりの勢いで机上に乗った片足が、遠目でも分かるほどのテンションの高さをまさしく体言していた。
青空の下に出てみると、広いと思っていた通路をやけに狭く感じた。広い。何が広いって、すり鉢の底、一段高く盛り上がったリングそのもの──ではなく。
──うおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!
リングを囲む、観客席が。
端の人間は何を見に来てるんだと思うほどに広い。収容人数を知りたくないほどにバカ広い。
これはもしかしてマカダチ国の全人口をカバーできるんじゃなかろうか。はははまさかな、と笑う脳内の自分の頬に、一滴の汗を見る。もしかして、もしかするかもしれない。
ちなみに観客席最前列たる実況席には、恐らく要職に就いているのであろう数人の中年の他、何故だか王もいる。お前は言ってしまえば賞品であるからしてもう少し荘厳な場所にいるべきじゃないのかと思うのだが、イロモノ際立つ不思議とマッチして見えないこともない。
なお、正妃の座を奪い合う現在の側室、主たちはセコンドである。
「リンデン、わたくし信じてますわ。あなたがこの世とあの世の境目をフラフラしながら、きっとこの世に留まってくれること」
「えーっと、リングは大体直径15メラトルくらいの正円。演出を派手にするため、コンクラリート石よりちょっと柔らかい硬さの石材で作られてて、衝撃に弱い。審判の試合開始の合図でリング上の人間に呪いが刻まれて、試合終了の合図の前にリングから降りると、竜が気絶するレベルの電撃食らって気絶に追い込まれるみたいだな。逃亡防止、兼、リングアウトは即刻退場ってことか。気を付けろよー」
「退場ってこの世から?」
「『※安全設計なので安全です』って注意書きがあるけど」
「多分根性次第でどうにかなりますわ」
「死にたくなければ勝ち残れってことで良いな」
よし、気合が入った。入れていたつもりだったがより一層のこと入った。
腰に止めた数本のナイフの位置を調節し、同じくベルトに下げた鞄の留め具を確かめる。片手で憚りなく取り出せることを確認し、片手に纏めていた2本の剣を引き抜き、鞘を捨てた。どうせ戦闘中に剣を戻すだけの余裕もないだろう。
剣の柄を離した後ろ指で胸元のペンダントを掬う。妹たちから贈られた、お守りのようなものだ。祈りを込めて軽く口付けを落とし、胸当ての内側へと放り込む。
気合を入れたリンデンではあるが、生憎、装備はここ数ヶ月と同様だった。つまり、戦争に臨むいつものリンデンから考えれば、信じられないほどの軽装である。
理由は簡単だ。何せ意味がない。普通の人間は拳で鎧を殴り付けてくることはなく、万が一凶行に走ったとしてもこちらは痛くも痒くもないが、今回ばかりは鎧を通り越して人体が凹む可能性が高いからだ。
アクナイトやジャスミンの刃に対しては有効だろう。しかし、彼女たちは暗殺者であり、魔剣士である。毒を纏うか魔力を纏うか、言い換えれば当てれば終わり戦法を取りがちなのが彼女たちである。
万が一にも鎧を貫き通すことがあれば終わる。対1戦闘ではないのだから、一瞬でも攻撃を防いで動きを止められれば他方から襲撃を食らって負ける。
ならば、超衝撃を受けてはならない。できるだけ身軽で、面積が少ない方が勝ち目は高いと踏んだわけだ。吉と出るか凶と出るかは分からないが、メインの戦闘に備えるならば、軽量が望ましい──覇王との戦闘には、鎧など何一つ用途を果たさないだろうから。
リングに上がったリンデンに、3対の闘志溢れる目が向けられた。熱い視線を向けられると、身に染み着いた戦場の習い、首の後ろを這うようにして思考が冷え固まっていく。どんな状況よりも透き通って見える視界。
広くなった視野の中、外した首飾りを握り祈りを捧げるトレニアが、スケッチブックを構えて正眼にリングを見つめるシビリカが、硬い面もちで覇王の名を呟くローテローザが映り込む。
反面、彼女たちの侍女には緊張はあまり見られない。とりわけはっきりと笑みを浮かべる覇王に、リンデンの脳はひたすら働きを増していく。
細く、長く、息を吐く。余計な雑音が意識から消える。相変わらずがなり続ける実況の声を綺麗に取り除いたこの場で、届くのは僅かにリングの石床を擦る靴の音、衣擦れの音。
『──それじゃ行くぜ野郎ども! 第101回天下一侍女武闘会、兼、第1回正妃決定戦!れでぃいいいいいいいいいいい…ッ』
ところで雑念が削除しきれなかったので一つだけ突っ込んで良いか。
『ファイッ!』
年1の大会の第一回で優勝してるカランコエは何歳の化け物なんだ?
いや、知りたいわけじゃないので答えなくて良い。
石畳を蹴る音が同時に響く。数は3つ。方向は皆同じである。すなわち、マリーゴールドへと向けて駆ける。
迎撃の姿勢を見せた彼女の構えはあまりにも堅牢だった。その身体を倒すための術は相変わらず浮かばない。
全員が同じ考えだったのだろう。一人で倒す術が見つからないのであれば、対多に持ち込んで優先的に叩こうということだ。
先に覇王と交戦を開始したのは、言うまでもなくアクナイトだった。閃光の速度で解き放たれた針の数々が、鋼の拳に叩き落とされる。次いで飛翔する刃物。先人に違わず地に落とされた。
手首で広く花咲いたような袖口から、怯むことなく凶器が射出されるのに、飽いたように覇王が足を踏み締める。
リンデンに少し先行したジャスミンの顔に僅かな焦りが浮かんだ。半月前の速度から予想していたより随分とアクナイトの足が速くなっていたことと、予想以上の実力差に対する焦燥。ここでアクナイトが脱落しては覇王に勝てる確率が低くなると見たのだろう。彼女の意識が前方一転に集中し──たと思ったのだが。
「な……ッ!?」
もう少し、警戒網が残っていたらしい。反射で生んだ強度の低い魔術壁が割れるかん高い音が天高くに響き渡った。大きく横に跳んだジャスミンは、信じられないものを見る目しながら、おぼつかない足取りで着地する。
視界の端、驚愕に目を開くアクナイトの姿があった。マリーゴールドの表情からは驚嘆が見て取れた。
追って迫る刃の走りを、寸前で受け止めてジャスミンが叫んだ。
「リンデンさん、どうして!」
止められた右手のカタールから手を離すと、押し返す力が行き場を失って体勢が崩れる。重ねた手が振り下ろす、ソードブレイカーによる渾身の一撃。
本来の用途を発揮することなく、ただの剣として扱われたそれはやはり不満があったのだろうか。これまたギリギリで防がれる。まあ、そこまでは予想の範疇だった。
身を低くしたリンデンに、乱れた集中の中、魔石の助けを得てようやっと紡がれた魔術が発動しようとした──矢先。
リンデンの足がジャスミンの懐を抉った。思わずといったように開かれた口をめがけて放り投げた黒い魔石。一瞬の後、石は一筋の煙に変わり、ジャスミンののどに吸い込まれた。
「──ッ、」
魔術は基本的に沈黙を不得手とする。多くの場合に発声を起爆剤とし、組み上げた効力を発動させるのである。
発声を必要としない魔術の起爆の例外はいくつでもあるが、分類すると、技量を上げるか、意匠を懲らすかのどちらかとなる。彼女の魔術は観察の結果、残念ながら基礎を必要としないほどに錬磨された一流のものではないことがわかっていた。
およその場面、彼女は「それらしい」言葉を紡がなかったが、つまりはどのような形態であろうとも発声を行っていれば良いわけだ。
刺客に放つ雷撃の一撃には高笑いの一環。チョーカーの突然の爆発は、発声を行っていないかと当時は思っていたのだが、よくよく考えてみれば音声の大小は関係ない。風を切って肉薄したリンデンの耳に届かぬ音量など、いくらでも下限があっただろう。
厳密に言えば、音量は魔術の展開規模にある程度の関わりを持つらしい。が、首という発声器官の至近距離にある魔術具を発動させるだけの場面であったことを考えれば、沈黙の中気付かれないよう痰を切るような微音で、十分に役割を果たすはずだ。
というわけで、放り投げた魔石は、沈黙の魔術を込めたシロモノである。
意志を込めて魔力を込めれば、魔石は封じた効力を解き放つ。封じられる効力は大したことがなく、大方キャンプの共に使われたり、ジャスミンのように己の魔術の添え物として多用するのだが、リンデンはこれを好んで戦術に取り入れていた。
魔術が使えないリンデンにとって、唯一の属性攻撃である。氷だの炎だのは言うに及ばず、バッドステータスを与えられるにあたり何という利便性か。あと発動が非常に早いのも途轍もない利点。
勿論、制限は強い。沈黙の魔石は極上品であっても舌に触れさせる必要があるが、大体の場合は魔術師に肉薄した時点で勝敗がつく。そのため高価な魔石に頼ることなくぶちのめすのが普通である。
が、対魔剣士となれば話は別だ。中近戦に強いジャスミンから魔術という火力を取っ払ってしまえば、後に残るのは慣れない非魔術戦闘にうろたえる彼女なわけで。
具現化し損なった魔力が霧散した。色濃く流出した無駄に終わった魔力に動揺と理解の色を浮かべたジャスミンだが、それでもすかさず振るわれたレイピアの軌跡はさすがのものだった。
しかし、それはあくまで補助をなくした状態では、との注釈。魔術補助を受けずにひたすら剣を振るってきたリンデンが押し負けるほどの腕ではなく、まして膂力の乗らないレイピアであれば、結果は見えたものである。
「悪いな」
「……策も実力、ですね」
競り負ける直前、彼女は僅かに微笑んだ。
走る剣筋に合わせて響く硬質な金属の悲鳴。落ちた切っ先が石床に跳ねる音は、巨体が倒れる音に紛れて消えた。
爆音のように湧き上がった歓声に耳を傷めながら、リンデンは外敵に向き直る──と同時に、太陽光を受けて存在を表した極小の針の数々を見て取り、慌てて手首に装着していた爆発魔石を起爆した。
爆風に煽られて遠退く凶器に息つく暇はない。疾風の勢いで踊り掛かる青の巨体から身を翻し安全を確保、したと思ったが、飛んできた鞭のような何かに腕を絡め取られた。
「わたしとリンデンの強力タッグ、たのしみにしていたのに……!」
「なぜそういうことを勝手に楽しみにする。残念だったな。次回に期待しとけ」
渾身で引かれる勢いに逆らわず駆けた。
驚きに身を竦ませた、相変わらず精神的小動物な彼女に向けて、リンデンは腕を開く。
「アクナイト、おいで」
「王子様!」
「ていッ」
「あうッ」
にっこりと笑んだリンデンのどこに騙される要素があったというのか心底不思議でならないが、何にせよ、無防備に胸に飛び込んできたアクナイトの意識は首筋への手刀であえなく落ちた。
筋トレの効果か物理的に一回り大きくなっていたアクナイトだが、まあ、板状筋を鍛えたからってあんまり関係ないよな。こういうのには。
倒れ来る巨体をするりと避ける。砂埃を上げた大地との抱擁を交わす彼女の横顔は、何となく幸せそうに見えなくもなかった。
「ひ、卑怯者!」
「ひとでなしー!」
「乙女の恋心を弄ぶとはなんたる外道! 鬼ヶ島へ帰れー!」
「うるせェなぁ。こんなもの、勝てば良いんだ、勝てば」
大歓声が熱烈なブーイングに変わる。熱中症を危ぶむほどの熱気から、火傷の可能性を心配する熱気に変化した空気に思うことはない。大変煩いので声帯をかっ切ってやろうかと片隅に浮かぶ程度である。
目的のために手段を選んで何とする。2つも3つも勝利条件があるのならできるだけ角が鋭くなさそうな多角形を選ぶが、勝率を下げてまで他人を慮る人間が戦争屋なんぞやってられるか。
一応クッションとして膝でキャッチしてから床に落としてやった優しさを噛み締めるシーンであると観客どもは知るが良い。
「……アクナイトが私をどうのって話がどうして広まってるんだ」
「分からぬ。だが、シビリカ姫の絵は国を超えて評判だ」
「ええと、何が分からないって?」
ちらりと横目で青の主を確認すると、侍女の昏倒を心配するでもなく一心不乱に筆を走らせる儚い姿があった。顔色の悪い侍女が差し掛ける日傘の下、山のように積み上がった紙片はもしかしてそのスケッチとやらなのか。
目が合う。能面のような表情が、硬い決意を宿しているような気がした。こくりと一つ心得たように頷いて、初めて見る素早さでキャンバスを掲げ持った。
眩暈がした、気がした。意識は刹那遠のいたかもしれない。思わず近所に転がっていたアクナイト図体を蹴り飛ばして距離を置く。
白いキャンバスの中、そこには見事なタッチで描かれたリンデンとアクナイトが抱き合う姿が!
「ふむ、姫にしておくには勿体ないほど優れた動体視力だな」
「おいこら、頸椎に向かう私の手の向きがあからさまに正しくないぞ、青いの! 勝手に修正加えて事実を捏造するんじゃないッ!」
「…………」
「聞かなかったフリして続きに向かうなっつうクインス、どうにかしろッ」
「俺、面白そうな事態を招く方の味方だから」
「アキレアああぁぁッ!」
「右に同じですわー」
『宰相こと審判より! 場外攻撃は禁止だぜぇ? 混色コーナー侍女リンデンは危険物の投擲を即刻中止しろよぉ! 危ないだろぉ?』
「危なくさせる以外に何の意図があって危険物を投擲してると思ってんだヘリウム重鎮! 重いか軽いかどっちかにしろッ!」
『キャラ立ってるだろぉ?』
「うるせーバーカ!」
もう疲れたよパトラッシュ。
ちなみにヘリウムとは非常に軽量で知られるガスの一種で云々。あとパトラッシュとは某国の王に従い共に命を投げた、忠義で知られる護獣の一種でしかじか。テストには出ないから覚えなくて良い。
とりあえず、余分なものを青陣営に向けて全て射出し終わったので大分身軽になった。対魔剣士と対暗殺者戦用に準備したアイテムの数々が不要になった今、覇王に対しては大半がただのお荷物だったのである。断じて激昂の余りヒステリーを起こしたわけじゃない。断じて。
肺の中の息を残さず吐き出して、抜けた集中を取り戻す。いらんところで気が削がれた。
こめかみを揉みながら、中央にどっしりと根付く覇王に向き直る。
「気は済んだか」
「気が済むまで待機してくれるって言うなら、会場全体平らに耕すところまで待っててくれ」
「……必要であれば手は貸そう」
「あれ、ほんとか。じゃあ今はいいや。後でで良いから手伝ってくれ」
「リンデーン、思い留まって欲しい」
「止めてくださいな、死んでしまいますわあ」
うるせえバカども。
獣の眼光で一瞥すると、ごめんなさい、とでも言うように二人揃って頭を下げた。現金な主従である。良い子の謝罪をされるとこの腹立ちを収める場所がなくなるからむしろ止めろ。別に謝罪したからと許すことが決まっているわけでもないが。
誰に鉄槌を下すにしろ、とにかくやることやってからである。どこかへ飛んでいったやる気の数々を捜索すべく視線を宙に浮かせるリンデンに。
「……意外だな。3対1に持ち込むが定石だと思ったが」
「持ち込んだとして」
マリーゴールドはどうやら付き合ってくれるようだった。
戦闘を再開するのなら即座にコンディションを戻せる自信はあるのだが、待ってくれるというのなら気持ちに甘えようと思う。随分気が利くことである。
ついでに軽くなったポーチの中身を整理しながら続きを紡ぐ。
「どうにかあんたを倒した後、次に狙われるのは多分、私だったろうな」
「アクナイトはうぬを好いている」
「戦争に好きも嫌いもあるか。理由なんぞ色々付く。敵と味方に分かれて戦わざるを得なくなった悲劇の恋人設定とかな。2対1で襲われて対処できるほど、私は単身対多戦に長けちゃいないんだ」
そもそも、闇討ちを得意とする暗殺者はともかく、戦闘強者の魔剣士とガチンコバトルをかまして勝てるかどうかすら疑問が残る。
本気とは、つまり先日のじゃれ合いめいた戦闘ではない。範囲もクソもなく魔術を発動されたなら、リンデンにはそれを避ける手段が──あるにはあるが、正直きつい。
「魔術は得意か、覇王さんよ」
「……さあな」
「ふうん。侍女の制服は大事?」
「当然だ。ローザ様より賜った品ゆえ」
「じゃあ、得意でも肉体強化派だろう。この間の襲撃の後、服に傷付けたくなきゃ魔術で一掃するだろうに、あんたの服はボロボロだった。それだけヒラヒラした服が、武器も持たないあんたの近接戦闘に耐えられるわけないんだよ」
言葉遣いがいくら鷹揚であっても、マリーゴールドの忠誠は疑う余地もないものだ。その彼女が、ローテローザの侍女の証たる紅の着衣に、好き好んで焦げや切れ込みを入れるとは思わない。例え魔術を厭うていたとしてもである。
なんせ、リンデンと会話しているだけで殺意を隠そうともしない侍女であるので。
放出系魔術使いの怖さとは、各自が好き勝手に魔術を開発することができるため、画一的な戦術を期待できないことである。これは隠し武器を備えるアクナイトにも同様のことが言えるだろう。
思わぬ副因の確率の高さ。すなわち、勝率の不安定感。必勝を求めるにあたり、リンデンはそれが怖い。
「肉体派なら、倒す算段は付く。勝率が低くても、高くする努力はできる。あいつらはそれをひっくり返す可能性が高くてな。ならまあ一騎打ちに洒落込もうかと思った次第だ」
「なめられた──訳ではなさそうで、何よりだ」
「難しいこと言うなよ」
苦笑を滲ませたリンデンを、僅かに細められた視線が射抜く。
試すように、あるいはまるで願うように、慎重に言葉がこぼされた。
「我に敵うか」
「敵う」
即答。
両手に提げた剣を一振りし、今度こそ雑念を払う。片足を引いて両腕は下げたまま、リンデンは覇王を見る。ゆっくりと息を吸って、飛んでいった神経の数々を再び張り巡らせて。
「今が敵わないなら、今この場で、敵うまで育つ。人はそういうもんだろう?」
「是」
そんな経験があるのかないのか。もしかしたら、最強を謳われた祖母に、そう培われた過去でもあるのかもしれない。これが終わったら、人となりを交わすような些細な会話をするのも良いだろう。
全ては終わった後のこと。
急速に研磨される意識。指先の脈までを感知するような、気持ち悪いほどの鋭利に感覚が全身を支配する。締め上げた全身の筋肉が波打つ。
対面で、同じようにリンデンを見据える血の色の目が笑っていた。
「決勝戦といこうか、覇王──マリーゴールド」
「望むところだ、戦争屋──リンデンよ」
リンデンがマリーゴールドって呼んだ瞬間、多分クインスとアキレアが超笑顔で噴き出してる。




