11閑話.小鳥の囀り
拍手にて「返信不要」を冒頭に、
「兵士視点の話が見たい」
とご要望を頂いたんですが、これってつまり、
「いいんだいいんだ何も言わなくてもわかってる。書いてくれるんだろ?」
って考えられてると思えば良いんでしょうか。
お待たせ!メイド視点だよ!
兵士?何ですかそれ。
「何持ってきた?私、名前入りタオル」
「鍛錬の後っていったら、やっぱ水分でしょ。レモンと蜂蜜入れて冷やしたお、み、ず!」
「私は焼き菓子よ! 聞いてよ、こないだ焼き菓子お渡ししたら笑顔で受け取ってくれたんだけど、その後お礼に飴玉くれたのー!」
「ちょっと、何それ、羨ましいッ!」
「いいなぁー」
侍女とメイドの違いと言うと、結構答えられない人は多い。
侍女とはその名の通り、侍る女である。侍るということは、侍る対象が存在するわけだ。個人付の世話役、と言えば分かりやすいと思う。
対してメイドに明確な主人はいない。敢えて「付く」という語を用いるならば、対象は多分、建物を指す。屋敷だとか、現状の場合は城だとかの中を忙しなく回り、手分けして雑事を片付ける人間だろう。
以上が一介のメイドたる自分が考える、一般的な区分けである。
しかしながら、この国においては答えられない人がいないほどに、侍女とメイドの明確な区分けがある。
見た目に分かるところで、戦闘能力の有無。あるいは誇るべき筋肉美の所有。スキルに伴う事柄として、実力によっては貴族騎士すら凌駕する圧倒的な権威。
他所の国の人々にとっては耳の異常を疑う、衝撃が時間差で訪れるほどの驚愕の事実だけれど、マカダチ国にとっては5歳の子供でも知っている常識だった。
外国から越してきた自分にとって、昔は異常で、今となっては常識だ。
そこかしこでマッチョな女性を見掛けるたび、その戦闘能力がたゆまぬ努力により与えられたものと知っているから、敬意を抱いて礼をする──その肉体美は矛先が狂えば自分を一捻りにできるものだと知っていたから、おそれを抱いて接近を避ける。
生粋のマカダチ国民は、侍女を遠巻きにしながら、こっそりと黄色い悲鳴を上げるのだ。勇ましい姿に頬を染め、礼で見送った後にキャアキャアと小声で眼福を反芻する。自分も、侍女さま方かっこいいなあ、と最近は思っていた。
でも、誰も話し掛けよう、近寄ろうとはしない。
例えば伯爵家令嬢トレニアの侍女、ジャスミン。とてもとても優しげで朗らかな方だけれど、その完璧な佇まいと、囲む侍女たちの兵士のごとき統率が人の足を阻害する。
例えば沿岸小国の末姫シビリカの侍女、アクナイト。冷たく凝る瞳と切れ味の鋭そうな青い髪が、雪国の氷のように怜悧な美貌を煽って無性に恐ろしい。
例えば侯爵家宰相令嬢ローテローザの侍女、マリーゴールド。群を抜いて桁違いの実力と人を寄せ付けない威圧感、並外れた膂力は、少しでも触れたら途端に肉が爆ぜそうな錯覚をもたらすほど。
近寄って賛辞を浴びせるには、彼女たちは立場があまりにも違いすぎた。遙か高みで見下ろす視線に、争いに向かない人々は耐えられなかった。
有体に言えば、飢えていた。何がって──女性としての本能を満たす対象に。
愛でる対象が必要だった。目で愛でて、近寄って声を掛け、返る反応に一喜一憂するような、他所の国で言う、軟派な貴公子的、皆の王子な存在が。
そりゃあこの国にだって騎士は存在する。気障なセリフと甘い顔立ちで女性を渡り歩く人がいないでもないが、結局、侍女の強烈な存在感の前ではあまりにも役者が不足しているのだ。
アキルスの姫、アキレアの輿入れに同伴した護衛騎士のクインス。あれは惜しかった。男くさ過ぎずなよなよしいわけでもない立派な体躯と、どこぞの王族かと思うほどの整った顔立ち、極め付けは陽気で人懐こい人柄。どれを取っても我らがアイドルとなるに相応しかったにも関わらず、ただ一点、ここがマカダチ国で、彼が護衛騎士だったという不運だけで声を掛けることは躊躇われた。
側室に護衛騎士が付いているというのは、余りにも外聞が悪い。あくまでもこの国に限ったことだが、物凄く悪い。飢えているとはいえ、厭うと言っても過言ではない存在に食い付くほどに形振り構わないわけではなかったので、ぐっと堪えてメイドたちは我慢した。
そして今、タオルを両手に握り締め頬を紅潮させた自分がここにいる。物陰から顔だけを出した自分は、あちらから見れば誠に怪しい奴だろうとは思う。しかし止められない。
「もっと重心落とせ、足元掬われたいのか!」
「是非ッ!」
「おっかしいだろ、反省しろよ! ホラ次!」
「ああんリンデンさんもっとぉ」
「お前あんまアレな発言するようならタマ潰すぞ」
「すいません」
──羨ましい。
ギリリと響いた歯軋りの音は自分のものだけではなかった。不快音の大合唱に、偶々近くを通りすがった庭師が身体を震わせる。
視線の先で、いくらかの兵士が輪を作っていた。数人が輪の中で剣を構え、余裕を残して立つ人に猛然と突撃を掛ける。
右手の湾刀が厚い刃で渾身の一撃を流した。叩き込まれた柄は腹を守る鋼を通し、内蔵を揺らす。
身体を折った男の陰から飛び出した兵士の刃は、左手の剣、櫛状の峰に絡め取られた。競り合いを避けて一歩を引いた動きに追い付けず、兵士の身があからさまに傾ぐ。側面から強襲した固い膝が落ちた男の米神に打ち込まれる。
兜に阻まれるからこそ狙った部位だろうに。衝撃に倒れ、動かなくなった男を面倒くさそうに見下ろし、彼女は腰を下ろした。固く装着された兜を外し、頬をぺちぺちと叩く。手付きは無造作ながらどこか優しい。
リンデン、という。アキレアが侍女として雇ったその人物は、女性の身で戦争屋などという過酷な職に就く、強い人だ。
前言の噂を聞いた城内の人々は恐らく、彼女をまず侮っただろう。傭兵に劣る共食い屋風情が側室に仕えるなど片腹痛いと嘲り、それを成したアキルス姫に対しても嘲笑を浮かべたと思う。ハイエナごときが我らが侍女に刃向かおうなど、なんという身の程知らず。かく言う外国出の自分すら、その内の一人だった。
冗談ではない。彼女は強かった。悠然と通路を歩く姿は暗い色の鎧と相まって草原を行く獣王のようで、躍り掛かる侍女をいなす手腕は正しく歴戦のつわものだった。
初めて目にしたのは、3人の侍女を相手取る彼女だった。掃除道具を両手に抱えた自分は、侍女服を纏わぬその人物にきょとんと目を瞬いた。隣を歩いていた同僚も、同じく呆然と目を見開いていたと思う。
しなやかに鍛え上げられた後ろ姿の力強さ。侍女たちの隆々たる肉体に比べ随分と細いのに、打ち据えられて砕ける想像が浮かばない。丸太の腕に向けて振るわれる腕は、それこそが刃のようでもあった。
いつもであれば、諍いに慣れた一般国民は、開戦と同時に身を翻す。余波の及ばぬ範囲まで逃げおおせ、離れた場所から彼女たちの勇姿を見守るのが日常だ。
その時ばかりは避難を忘れた。当然そこにないものと考えていた侍女の攻撃は、メイドたちを慮ることなく──気が付けば、視界一面を広い背中が埋めていた。
「お前ら、いいかげんにしろよ……!」
打ち落とされた飛び道具の数々が散らばっていた。
獣の唸り声に似た低い喝破に、申し訳なさそうな顔をした侍女たちは、深く頭を下げて去っていった。良い人たちなのである。悪気が全くないのは理解していたし、むしろ場を後にしなかった自分たちが悪いので、逆に申し訳なく思う。
頭一つほど上から聞こえてきた溜め息に、恐る恐る顔を上げた。同僚は自分の腕に縋ってガタガタ震えていたので、お礼を言うならまだ冷静さを逃していない自分である。
揃えるという言葉を知らないようなざんばらの短い髪。頬にかかる横髪だけは顎までのラインをあちこち跳ねながら縁取って、健康的な肌色を透かしていた。
視線に気付いた横顔がこちらを見下ろす。堂々たる大木の皮のような、落ち着いた濃い茶の目に自分が映る。
衝撃が走った。目つきはどう贔屓目に見ても悪いとしか言いようがないのに、中心に鎮座する瞳だけは妙に凪いでいるのだ。容貌の苛烈さからは伺い知れない静謐は、目の横を過ぎる引き攣れた傷跡の印象を飲み込むほどだった。
重い靴音に我に返る。いつの間にかリンデンが身体ごと向き直り、惚けて立ち尽くす自分をどこか心配げに込んでいた。
「大丈夫か?」
「……え、あ」
「武器が届く前に処理できたと思ったんだが……まあ、あんなもんが突然飛んできたら、普通は怖いよな。巻き込んで悪かった」
「い、いいえ!」
大丈夫です、と咄嗟に叫んだ自分を喝采したい。緊張しきった声帯が突然の仕事をこなせたのはメイド教育の賜だった。
軍人よろしく返した自分に、いささか驚いた様子でリンデンは安堵を見せた。そっちも? と腕に縋る同僚に向け、壊れた人形よろしく頷きを返されて薄く笑う。緩んだ瞳は優しそうだった。
「あ、の」
「うん?」
「ありがとう、ございました。その、助けて頂いて……」
不思議そうに首を傾げる様子に、侍女を伸した戦士の面影が薄れる。威圧感のない空気。伸びた首筋の無骨さにキュンとしながらギャップに震える。
それを誤解してくれたリンデンには、今となっては拍手を打ち鳴らすしかない。別に全く恐怖を引き摺っていたわけではないんだけれど。
乱れた己の髪に乗った骨張った手。一頻り震え終えた同僚がギラ付いた目で自分を見るのが恐怖と言えば恐怖だった。
気を取られて、降ってきた落ち着いた声への反応が遅れた。
「掃除」
「え?」
「ありがとうな。お陰で快適に過ごさせて貰ってる。巻き込まれてそう言ってくれるくらいなら、お礼だとでも思っておいてくれれば良いよ」
「……え」
呆然と見上げる視線に、困ったように眉が寄る。ぽんぽんと頭を丸く撫でて、仕事頑張って、と彼女は去って行った。
後に残されたのは、湧き上がる熱を胸に抱く自分と、妬ましさを隠そうともせず自分を睨み付ける同僚。
気が付けば控え室に駆け戻っていた自分がいた。驚愕露わに見返す同僚の数々に、飛び出した言葉すら無意識であった。
「我らがアイドルの誕生に乾杯ッ!」
──当然しばしの間、皆から優しくされたのは言うまでもない。あなた疲れてるのよ、など、どこの夫に向ける慰めだというのだ。失礼な。
しかしながら、共感を帯びるのに掛かった時間はそう多くない。控え室で花咲く話題がリンデン一色に染まったのは、彼女の登場から3日が経過する頃だった。
目つきの悪さが一見近寄り難そうながら、会話に乗ってしまえば随分と気の良い人だった。
何より侍女という立場への気負いがないのが良い。彼女自身はどうも、この国の侍女制度に不満しかないようで、侍女というよりはただの護衛のつもりらしい。兵士には対等に声を掛け、メイドには宿屋の店員に向けるかのような労いの言葉を投げる。それがえもなく心地良い。
初めて突撃したのは何を隠そう自分だった。以前のお礼という名目で差し出した手作りの菓子をさしたる警戒もしないまま口にした彼女は、役得とでもいうように微笑んだ。甘いものは嫌いではないらしい、と強い筆圧で刻んだ心のメモ帳には着々とリンデン情報が増え続けている。意外と可愛いものも好きだとか。
これだ。これが求めていた人材だ。時々あちらから声を掛けてくれる上、たまに市井のお菓子を分けてくれたりする庶民っぽさが堪らない。
毎日が楽しい。特に言えば、通路を歩くのが楽しい。廊下掃除がやけに人気プレイスであることに、メイド長が頭を抱えていても問題なく楽しい。
しかしながら最近、ちょっと仕事の人気が偏り過ぎたらしい。メイド長直々のお達しにより、就業現場の割り振りが厳しくなった。
決められた配置から飛び出て廊下をウロウロしていると、警備兵からメイド長にチクられる。その上ひたすら廊下を磨き上げ続けていたメイドたちだったので、廊下の掃除が楽になった。滞在できる時間が短くなり、さりげない接触がし辛くなったという痛恨の仕様に変わってしまった。
そこでメイドたちは考えた。そうだ。
さりげない接触が難しいのなら、正面から接触すれば良いじゃない!
そういうわけで、名目が立ちやすい鍛錬の時間、各々これぞというものを持ち寄ったのである。
近く先輩メイドたちの手により発令されるだろう抜け駆け禁止令の施行前に、どれだけ出し抜けるかが鍵だ。あの人たちは仕事が多いので、休憩時間が削れることが多い。その隙にリンデンへの接触を計る後輩たちに嫉妬しないわけがないというのが、若年メイド陣参謀の見解だった。
今が最後のチャンスである。握り締めた各自の得物を見栄え良く整え、ターゲットを再度確認。後方に向けて片手を挙げ、リンデンの一撃で剣を落とされた男との会話に聞き耳を立て。
「ッだぁー、もう駄目ッスよ!」
「動きが大き過ぎるからすぐバテるんだ。でかいの狙うなら隙を見付けてからにしとけ」
にしても、と顎から落ちた汗を手で拭う。
「これだけ暑いと、さすがにきっついな」
──今だ!
タオルがある。水がある。小腹が空いているだろうと仮定して菓子もある。今が隙でなくていつが隙だというのか。
突撃、と挙げた手を振り下ろした。おお!と小さな、だが力強い掛け声が輪唱した。
鏡に向かって訓練した至上の笑顔をシールドに、揃った一歩を踏み出した。
矢先。
「リンデンお疲れさーん。ほれ、水分。こっちが飲む用でちょっと味付けてあって、こっち普通の水。頭から掛けるとすっきりするぜー。あ、これタオルな」
ちょっと。
物陰から出んとした足がもつれた。後ろからぶち当たってきた同僚が可愛くない悲鳴を上げる。押されて半分ほど飛び出たまま、壁を支えに顔を上げる。
「そういや腹減ってね? 城下で人気の菓子買ってきたんだよ。ほい、濡れ布巾」
「ああ、すまん、ありがと。……お前って時々妙に気が利くよな」
「姫さんの面倒見てるとなあ。マメな男かっこいいだろ」
「口にしなければ」
「あ、今喋ったの俺じゃなくて、第二、第三の俺だから。俺は自画自賛なんかしてねェぞぉ」
「俺って言ってるじゃないか。そういう意味の分からん姑息な事実拒否は、鬱陶しさと合点で評価下げるぞ」
「ああ言えばこう言うなぁ、リンデン」
「こう言えばああ言うよな、クインス」
何をしている、あの男。
自分たちが考えに考えて持ち寄った、気軽に受け取って貰えるだろう些細だが気遣いの見える品を全てコンプリートした上、手拭などという更なる細やかさを足して、その上砕けた雰囲気で仲良くお喋りだと?
「ちょっと」
「何、あれ。まさか私たちに気付いた上での、妨害……?」
「わからないわ」
思いも寄らぬ強襲に、さすがの王宮仕えの猛者たちも動揺を隠せない。
呆然と二人のやり取りを見詰めていた彼女たちの瞳は、虚ろを経て──やがて燃え上がる焔と化した。震える手がボトルを、菓子を握り潰す。かく言う自分も無意識にタオルを引きちぎっていて、ぱらぱらと落ちた繊維が風に流れていた。
これまで出したこともないような低音が口からこぼれる。我ながら、ぞっとするような声音だった。
「わからないけど──敵よ」
「……そうね」
「その通りよ。全メイドに通告する必要があるわ……」
続いた声も、やはり平穏ならぬものだった。視線を合わせる。皆の表情がことごとくの心情を物語っていた。
すなわち、排除すべしと。
護衛騎士はやはり護衛騎士だった。ろくなものじゃない。美形だから何だ。美形か否かなど何も問題ではない。※は必要ないのだ。心引かれた過去の自分を憎む、憎む、憎む。
一斉に向けた視線の先に、今だけはリンデンは映っていなかった。アイドルを楽しむのは、邪魔者を排除してからだ。
何万通りという嫌がらせを脳裏に張り巡らせるこの時が、よもやある意味での娯楽となろうとは当時は思いもしなかった。
人はそれをイジメとか何とか呼ぶらしい。
「クインス、あの子たち、お前に用なんじゃないか?」
「俺、美形なんだ」
「そうか」
「突っ込まれないのも寂しいんだけど」
「構って喜ばせるのは癪に障るだろうが」
「じゃあ俺を美形だと認めてくれたと思って喜んどく」
「人の意見を捏造するな」
「で」
「うん」
「……俺に用だとしても、何か近付くと後悔する気がするからおうち帰ろうリンデン」
「あー、いい加減暑いしな」
「根拠はないけど怖い」
「涼しくて良いんじゃないか?」
「俺怖いの駄目なんだよなー」
「芯まで冷えて素晴らしいな」
「……あんま虐めると、氷で冷やした手で夜中に首筋触って起こすかんな」
「剣持って寝る私の寝相に気を付けろよ」




