踊り場にて
私は、いつからか階段から下りられなくなってしまった。かといって上る事も出来ない。階段に留め置かれたままの人生を送る事となった。
階段より他にはどこにも行けない。だが、階段であれば幾らでも大丈夫のようだった。どれほどの高さを上ろうが、恐ろしい程の深さへ下ろうが、這って上る様な勾配であろうが、ビイ玉が転がるにも切っ掛けを必要とする様な、真っ平らにも見える階段であろうが、どれだけ延々と歩き続けようが全く構いはしなかった。一度、緊急用の避難梯子から降りようと試みたが、上下運動をひたすらに繰り返すのみであった。
そのかわり、階段以外の場所では全く動けなくなるのだった。
階段で食事をとり、階段で手を洗い、階段で靴の紐を結んだ。
階段の踊り場に住居を構え、壁に穴をくり開け空も人々が行き交う道も見た。
私が居る此処は、私個人の場所ではない。多くの人が私とすれ違って行く。同じ方へ行く人が居ても、やがて道連れは居なくなっていくのだった。
階段より他に何処へも行きはしない。誰かしらが置いていったものばかりで自然と物は増えていく。これをどこかへ追いやる術を持っていない。
階段に開けた窓を飾る額縁、階段の壁を刳り貫いて作った本置き場、同様にどこかの部屋へ繋がっていただろう水道管を掘り当てて、それから水を引いた。
寝るときも、階段でだった。手すりに頭を寄せて柵の隙間に腕を絡めて座ったままであったり、横に寝転んで背中も足も階段の一段にぴったりとはりつけ、その段を占拠し、この階段を上ろうとする人々を見上げもした。勿論夢を見もしたが、それも階段での事だった。
駅のホームに降りる階段であったり、デパートなのか停止したエスカレーター、どこかの古びた豪奢なホテル、その中核をなしていると言わんばかりに堂々と作られた階段。
どれもこれも、朝早くであるか、夜遅く。人が失せたか、人がまだ来ないのか。
普段喧噪に満ち満ちた場所の、人の不在はどうしてこうもあっけらかんと哀しいのか。これは、階段に留め置かれた私に似ている様に思う。