第一話‐06
「大丈夫ですか?」
やんわりとした笑みを浮かべ、小柄な男性が手を差し出してきた。
「あ、はい」
その手をありがたく借りて立ち上がろうとするも、彼はフェンネルと比べてもずいぶんと小さく、あまり助けにはならなかった。誕生日パーティーだから、と少し見栄を張って着た洒落た服は水を吸って重くなり、泥も付いてしまっている。
「しかし、ヴィックス」
フェンネルがチョッキの汚れをはらっていると、甲冑の男がうなるような声を出した。どうやら小柄な男はヴィックスという名のようだ。
「神殿から出てくるなど、怪しまないわけにもいくまい。お前はこの少年が神殿の中に入っていくのを見たか? 見ていたのなら大問題だ。ガーディアンの務めを放棄したということになる。見ていなかったのなら、盗賊とともにフェレスとダンツェルを殺して侵入したか、あるいは馬車とともに“神殿の中から”現れたということだ」
「そりゃあ、そうですねえ」
納得したように頷き、ヴィックスがフェンネルを見上げた。
「君、どうやって神殿の中に入ったんです? 中で盗賊たちが暴れていたでしょう、あと大きな馬車も。それは見ましたか?」
「いいえ」
フェンネルは手を止め、首を振った。
「僕が来たときには、この丘には誰もいませんでした。馬車なんて見ていないし……盗賊にも会っていません」
「なんだって?」
ヴィックスと甲冑の男が顔を見合わせた。
「誰もいなかった、だと? そんなこと、あるわけがなかろう。我々ガーディアンはその使命を帯びてから数百年間、一日、いや一瞬たりともこの場所を無人にしたことなどない!」
「三百年前のあの日を除いてはね、ゴードン」
ゴードンと呼ばれたその甲冑の男は一瞬だけ口を結び、しかしまた責め立てるような口調でフェンネルに迫った。
「小僧、下手な嘘はやめるんだな。それともお前は、そう、ヴィックスの言う三百年前のあの日からずっとこの神殿内に身を潜めていたって言うのか?」
フェンネルはすっかり気圧されてしまった。彼らの言っていることがまるで理解できないのだ。神殿を訪れたときは確かに誰もいなかったし、ガーディアンなんて聞いたこともない。一瞬たりとも無人にしていないだって? そんな馬鹿な――。
「まあまあ、落ち着いて下さい、ゴードン。少年が困っているじゃないですか。確かに不思議な話だけれど、盗賊たちは皆ガンガルだったし、この子は本当に関係ないと思いますよ。馬車のことはよくわかりませんけどね……」
「む、しかし」
「少年はいったん帰しましょう。今はフェレスとダンツェルを弔って、ガンガルの盗賊の残党を見付けないといけませんし」
ヴィックスになだめられ、ゴードンはしぶしぶ頷いた。
「わかった、そうしよう。俺はここにいる、お前がそいつを送れ」
「それじゃあ、頼みましたよ」
そういうことになったようで、ヴィックスはさっさと前を歩いてゆく。慌ててフェンネルがその背を追うと、神殿の横に二つの遺体が横たわっているのが目に入った。髪の長い、線の細い青年と、体格のよい黒髪の男。先ほどの会話に出てきた“フェレスとダンツェル”だ。雨に打たれ、その身体の下には水溜りができていた。
丘を下りてフマンの国へと続く小さな橋を渡り、小山の小道にさしかかる。フェンネルはふと振り返って三日月湖を見たが、荒れる湖面に、彼の投げ入れた弔いの花束は見られなかった。
「どうかしましたか?」
背中に声がかかる。少し離れたところで、ヴィックスが立ち止まってこちらを見ていた。
「あ、いや」
「早くしないと風邪をひいてしまいますよ、急ぎましょう」
フェンネルはもう一度だけ振り返り、やはり何もないのを確認すると、村へと足を速めた。雨は、強さを増していた。