第一話‐05
ひんやりとした空気が、彼を包み込んだ。やはり白一色のそこは美しかったが、薄暗く、物音ひとつしないため、不気味でもあった。
フェンネルはゆっくりと足を前に出す。中には通路があった。カーペットこそ敷かれていないが、左右にはいくつもの柱が等間隔で並び、それが彼を真っ直ぐ奥へと導いている。それに従い、フェンネルはひたすら進んでゆく。途中いくつか小部屋のようなものが見られたが、ひとまず彼は奥まで行ってみることにした。
最奥部だろうか。突如、人が通るには大きすぎるほどの巨大な扉が現れた。高さはゆうにフェンネルの背丈の倍はあり、幅は、大人二人が手を広げても足りないほどだろう。ドアノブは見当たらず、しかし押してみてもびくともしない。扉の中心部には、拳大ほどのエメラルドグリーンに輝く丸い石が埋め込まれているが、もちろんそれは取手でも何でもない。
他には特に何も見当たらず、行き止まりとなっている。フェンネルが諦めて引き返そうとしたとき、足下に何か転がっていることに気が付いた。腰を折り、よく見てみる。それは人骨であった。フェンネルは驚き、身を引いた。しかし不快感や恐怖心なんかよりも好奇心の方が上回り、彼は骨をつついたり服をめくってみたりと、その人骨を調べ始めた。そうしているうちにフェンネルは、少し離れたところに、大きな剣が落ちていることに気が付いた。立ち上がり、それを拾い上げる。獣の牙のように大きく湾曲した刃。剣を握ったことのなかったフェンネルは興味深々にそれを振った。しかし初めて握る剣は重く、手からすり抜け、勢いよく飛んで行ってしまった。そして直後に響いた、大きな乾いた音。振り向くと、剣は扉に当たったようで、再び音を立てて床に落ちるところであった。神殿内部にこだまする余韻。それが消えさる前に、異変は起きた。
「え――」
思わず漏れた声。剣が当たったのだろうか、扉の中心に埋め込まれていた石が砕け、その石を失った丸い窪みの上下に光の筋が走り、ひとりでに扉が開き始めたのである。それはまるで意思を持ち、ゆっくりと両手を広げてフェンネルを呼んでいるかのようだ。
フェンネルはその不思議な光景に驚き、そして見惚れた。彼の足が無意識に、扉の向こうから溢れる光へと向かうほどに。吸い込まれるように扉の向こうへ、包み込まれるように光の中へ。フェンネルの視界は白に覆われた。
「――うわっ!」
不意に、背中を押されるような力を受け、フェンネルは前のめりに倒れた。顔を上げればそこは薄暗い神殿の中で、目の前には来る時に通った通路が伸びており、あの眩い光はすっかり消えていた。振り向けば、扉はかたく閉ざされている。いったい何が起こったのか、と首を傾げるフェンネルであったが、すぐに顔を強張らせた。足下に五体の屍と、わずかではあるが血痕が見て取れたのだ。フェンネルは混乱する頭を振り、足早に出口へと向かった。
外は雨が降っていた。それから、人がいた。神殿から出ようとしたフェンネルは見知らぬ男に取り押さえられ、地面に組み伏せられ、喉元に切っ先を突き付けられた。
「お前、盗賊の仲間か? それともあの、不気味な馬車のほうの仲間か?」
鋭い目付きと口調で問いただすその男は、甲冑を身に纏っている。フェンネルはあ然と彼を見上げた。
「と、盗賊?」
わけがわからない、と首を振ると、もうひとつ、別の声が頭上から降って来た。
「違うみたいですね。だってその子、どう見たって盗賊って身なりじゃないし……ああ、貴方と同じフマンじゃないですか?」
フェンネルを押さえ付けていた男が、訝しげな顔をしながらも身を起こしたおかげで、フェンネルの視界にもう一人の人物の姿が映った。甲冑の男に比べ軽装で、背が低く、くるくると渦巻く巻き毛は雨に濡れてぺしゃりと潰れている。二人ともフェンネルよりもずっと年上の、大人の男性であった。