第六章 一夜の過ち
「あれ? こっちのほうから声が聞こえた気がするんだけどなぁ」
智晴は裏山から子供の泣き声が聞こえた気がして、つい先程から山道を歩き回っていた。
幼い子供の泣き声……と言っても、きっと人間の子供の声ではなく、妖怪の声だ。それでもずっと泣き続けている声を無視することが、智晴にはできるはずもない。
「危ないから一人で出歩くな」
そう我鷲丸には口を酸っぱくして言われ続けているが、生憎、我鷲丸は出掛けていて夜まで戻ることはない。もうすぐ日が沈みそうだが、寺の近くだったら大丈夫だろう……智晴は心の中で我鷲丸に謝罪しながら、どんどん山奥へと進んで行った。
そんな智晴も一度だけ、我鷲丸に子ども扱いするなと言い返したことがある。いくら駆け出しの陰陽師だとしても、門限は日が暮れるまで……なんていうのは馬鹿にされたような気分になってしまう。
そんな智晴に我鷲丸は呆れたようにこう言い放った。
「逢魔が時は危険だっていつも言ってるだろう? それに、あの山には桂男っていう、厄介な妖怪が住んでいるんだ」
「桂男?」
「ああ。見た目は絶世の美男だが、あいつの使う術がすげぇ面倒くさいんだ。本当に質が悪い」
「面倒くさいって、どんな術を使うの?」
話の続きが知りたくて我鷲丸の着物の裾を引っ張れれば、明らかに迷惑そうな顔をされてしまう。
「簡単に言えば喰われちまうってことだよ」
「喰われるって……桂男は人間を食べるのか?」
「あのな、喰われるっていうのは色んな意味を持つんだよ。まぁ、お子様のお前にはわからないだろうけどな?」
「な、なんだよ! 俺にだってわかるよ!」
口の端を吊り上げて意地悪そうに笑っている我鷲丸が、突然真剣な顔をしたから、智晴は思わず息を呑んだ。
「いいから、夜の山には絶対に行くなよ」
「……わ、わかったよ」
「よし」
桂男について聞きたいことは山ほどあるが、いくら我鷲丸を問い詰めたところで、これ以上は何も教えてくれそうにない。渋々引き下がる智晴の頭を、我鷲丸が乱暴に撫でてくれたのだった。
辺りは夕日で真っ赤に染まり、烏が群れを成して飛んでいる。きっと巣に帰っていくのだろう。一番星が空で輝き始めたから、もうすぐ夜がやってくる。
「早く見つけないと」
少しだけ焦りを感じてしまった。もし我鷲丸が話していた桂男に遭遇してしまったら……そう思う、今更ながらに恐怖心が湧いてきた。
寺から少し離れたところまで来ると、少しずつ子供の泣き声が大きくなってくる。
「どこだ……」
辺りを見渡すと、獣を仕留めるための罠に足を獲られた小鬼がいた。
「子供の鬼だ」
一瞬血の気が引くのを感じる。子供と言えど鬼は鬼だ。罠から助けてやった途端に自分が襲われる可能性もある。
「痛いよぉ、痛いよぉ」
それでも、人間の子供のようにボロボロと涙を流す小鬼を智晴は放っておくことなどできなかった。
「大丈夫か? 今外してやるからじっとしてて」
「貴方は……もしかして陰陽師様?」
「うん、そうだよ。まだ駆け出しだけどね」
「陰陽師って、僕達鬼を祓うんじゃないの?」
「正直に話すとそうだど、君みたいな小鬼を祓ったりなんかしないよ。それに、君は俺を襲ったりなんかしないだろう?」
「うん、しないよ。約束する」
「よし、いい子だな。もう少しの我慢だからね」
涙でグシャグシャになった顔を綻ばせる小鬼の頭をそっと撫でてやれば、いつの間にか涙が止まっていた。その姿がとても可愛らしい。
渾身の力を籠めて罠を広げれば、バチンという大きな音と共に、小鬼の足を締め付けていた鉄枷を外してやることができた。しかし、罠に挟まっていた足には痛々しいほどの傷があり、血が噴き出している。
「痛い、痛い……」
「可哀そうに。今何とかしてあげるからね」
再び泣き出す小鬼を宥めるように、もう一度頭を撫でてやる。なんとかしてやりたい、智晴はその一心だった。
「うまくいくかわからないけど……神楽に習った呪いを試してみよう」
懐から護符を取り出すと、小鬼の傷口に巻き付ける。それから大きく息を吸って吐き出した。この呪いを試すことは初めてで、少しだけ不安を感じてしまう。でも、今はそんなことを言っている暇はない。
護符に手をかざし小さな声で呪いを唱えた。
「その身を亡ぼす邪悪な力よ、今すぐに立ち去れ。急急如律令」
護符が淡く青白い光を放ったかと思うと、小鬼の足が少しずつ温かくなっていくのを感じた。ドクドクと溢れ出していた血も自然と止まっていく。小鬼の顔がパァッと明るくなった。
「よかった、成功したんだ」
「凄い、貴方は立派な陰陽師様なんですね。ありがとうございます!」
そう嬉しそうに笑う小鬼を見た智晴まで、嬉しくなってしまう。一気に肩の力が抜けていくのを感じた。
「さよなら、陰陽師様」
「うん。これからは気をつけるんだよ」
「はい!」
ニコニコと笑いながら山奥へと帰っていく小鬼の姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
「さて、帰るか。ヤバイ、もう日が暮れちゃってる」
辺りを見渡せば暗闇に包まれ、真っ黒な空にはガラス細工のような星が瞬いていた。
夜になると妖怪が騒ぎ出す……早く寺に戻らなければならない。智晴の本能が警笛を鳴らした。
その時、近くの茂みが大きく揺れる。ビクッと体が跳ね上がるのと同時に全身の血の気がスッと引いていくのを感じた。
――まさか、また鬼じゃ……。
心臓が張り裂けそうなほど高鳴り、呼吸がどんどん浅くなっていく。幸い護符は持ち合わせているが、鬼のような妖怪に襲われようものなら、ひとたまりもない。
ゴクッと唾を飲み込んでから、音をたてないよう静かに後ずさった。
「おいで」
「……え?」
「おいで。さぁ、私の元に……」
震える智晴の耳に、優しくて低い声が聞こえてくる。誰だ……恐怖から体が震えているのに、まるで足に根が生えてしまったかのように動くことさえできない。
智晴が暗闇に目を凝らすと、息を呑むほどの美青年が三日月を背に立っていた。濡れ羽色の髪は腰まで伸び、その肌はまるで蝋のように白く透き通っている。空に浮かぶ三日月に似た切れ長の涼しげな目元が、彼の容姿を更に引き立たせていた。
「すごく綺麗な人だ……」
思わず、本当に自分と同じ男なのだろうか?と目を疑うほどの美貌に、言葉を失ってしまう。智晴は、その男に視線を奪われてしまった。
「君、陰陽師だよね? しかも我鷲丸が住んでいる寺にいた子だ」
「貴方は俺と我鷲丸を知ってるの?」
「我鷲丸とは知り合いというか、腐れ縁というか……あまり好ましい関係ではないけど。まぁ、昔から知っている仲だよ」
我鷲丸を知っている……その言葉を聞いた瞬間、智晴の体が強張る。もしかして、武尊に恨みを持つ妖怪だろうか? 智晴が全身に力を籠めて身構えると、喉の奥でくくっと笑う声が聞こえてきた。
「君、面白い子だね。襲われるかもしれないのに、あんな小鬼を助けるなんて。私、初めて君を見たときから凄く興味があったんだ。あの我鷲丸がこんなにも大事にしているなんて、どんな子なんだろうって。僕に君のことを教えてよ? さぁ、僕の所においで? 一緒に行こう?」
「一緒に、どこへ行くの?」
「ふふっ、いい所だよ」
「いい所……?」
この男の目を見てはいけない……そうわかっているのに、視線を逸らすことができない。まるで底なしの沼に落ちてしまったかのように、釘付けになってしまった。綺麗な漆色の瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。
「おいで。私といい所に行って、気持ちいいことをしよう?」
「気持ちいいこと?」
「そうだよ。私がうんと可愛がってあげるから」
男の瞳を見つめ続けているうちに、少しずつ意識が遠退いていくのを感じる。いつのまにか辺りに立ち込める甘い香りを、智晴は深く吸い込んだ。
まるで夢を見ているようで、頭の芯がボーッとしてくる。心地いい。逃げなくちゃ……という考えなど、とうに頭の中から抜け落ちてしまう。体が火照りだして、智晴自身に熱が籠っていくのを感じた。
「……俺、気持ちいいことしたい」
「ふふっ。素直でいい子だね。可愛いよ。ほら、こっちにおいで」
目の前にいる男が智晴に向かい手招きをすれば、体が勝手に動き出す。
――俺はこの人に抱かれたい……。そうか、我鷲丸の言う喰われるって、こういうことだったのか……。
初対面の人物を相手に、しかも同性に抱かれたいと思うなんて……自分の考えが、間違っているなんてことはわかりきっているのに。体が疼いて仕方がない。全身が火照って、誰かにこの熱を冷ましてほしいと思った。
「おいで」
「うん。今行くね」
男が智晴に向かい腕を広げる。その腕の中に吸い込まれるように歩き出した時、物凄い力で抱き寄せられてしまった。
「おい、馬鹿が! あいつは桂男だぞ!」
「……桂男?」
誰かが自分をきつく抱きとめている。
その声が忠告めいた色をするのに、それが今の智晴にはひどく耳障りだった。
「そんなの関係ない。俺はあの人の所に行きたいんだ。お願い、離して」
「ほら、言わんこっちゃねぇ! 既に術にはまってるじゃねぇか!? あんな奴の所に行けば殺されちまう。智晴、しっかりしろ!!」
それでも男の元へと行きたくて、その腕から逃げ出そうと体を捩れば、更に力を籠めてその腕の中に閉じ込められてしまった。
誰だ……そう思いながら顔を上げれば、そこには明らかに激昂した我鷲丸がいた。髪の毛が逆立ち牙を剥き出している。こんな風に感情を露わにした我鷲丸を、智晴は初めて見た。
「久しぶりだな、影千代。貴様、こいつにお得意の術をかけただろう?」
「我鷲丸よ、相変わらず不作法だな? それが久しぶりに会った竹馬の友に会ったときの態度か?」
「うるせぇよ。こいつに術をかけたかを聞いてるんだよ!」
怒り狂う我鷲丸が余程可笑しいのか、影千代と呼ばれた男は、形のいい唇を吊り上げてニヤリと笑う。その不敵な姿に、我鷲丸が舌打ちをした。
「私は昔からお前が気に入らなかった。だからその子を我がものとして、お前が悔しがる姿を見たかったのだ」
「なんだと?」
「その子には申し訳ないが、強制的に欲情させる呪いをかけさせてもらった」
「強制的に欲情だと? チッ、やっぱりな……姑息な術をかけやがって」
「武尊の生まれ変わり……なんていうからどれ程のものかと思ったけれど、簡単に術にかかってくれるんだもん。まだまだ子供で、可愛いったらないね?」
「貴様、舐めた真似を……」
「だからこそ、めちゃくちゃにしてやりたい……そう思うだろう?」
「ふざけるな!!」
我鷲丸が智晴を抱えたまま影千代に掴みかかろうとすると、懐から取り出した扇で簡単に防がれてしまう。智晴を庇いながらでは、さすがの我鷲丸も本気を出すことはできないのだろう。
「よせ、その子が怪我をする。今日は私も大人しく退散するから、お前たちも大人しく寺へ戻るがいい」
そう言いながら、影千代が空高くへと舞い上がる。いつの間にか高い杉の木の枝に腰を掛けていた。
「その子は今、私の術で欲情している。せいぜい楽しい夜を過ごすがいい」
「馬鹿か? 俺と淫魔である貴様を一緒にするな」
「もしかしてまだ手を出してないとか? ふふっ。なら余計に燃えるじゃないか?」
「ふざけるな!!」
怒り狂った我鷲丸が影千代に向かい狐火を放てば、ひらりとかわされてしまう。杉の葉の焦げた匂いが辺りに充満した。
「じゃあな、我鷲丸。今日は一旦退散するけど、その子は実に興味深い。機会があればまた会いに来るよ」
「うるせぇ! こいつは俺のもんだ! 手を出したらただじゃ済まさないからな!」
「あの我鷲丸がそんなに夢中になるなんて……本当に興味深い子だ。できれば、お相手願いたかった」
突然突風が吹き荒れたと思った瞬間、森中の木々がザワザワと音をたてて揺れ始める。目も開けていられない程の強風に、我鷲丸が智晴を抱いたまま身を硬くして必死に堪えた。
風がピタリ止んで、再び静寂が訪れる。
そこに影千代の姿はなく、夜空には三日月が浮かんでいた。
◇◆◇◆
「我鷲丸、体が熱い……熱いよ……」
「いいから布団に横になれ。あー! こんなときに神楽がいないなんて……いや、いたらいたで面倒くせぇか」
低く唸った後、我鷲丸が頭を掻き毟る。
「ねぇ、我鷲丸……」
「いいから黙って寝ろ!」
「そんなの無理だよぉ…」
「お前なぁ。いい歳して泣くな! お前は淫魔である影千代の術にかかって欲情しているだけだ。一晩寝て起きたら術も解けるだろう。だから今日は大人しく寝てくれ!」
我鷲丸に担いで蓮香寺まで連れてこられた智晴は、布団の上に放り投げられてしまう。こんなにも辛いのだから、もう少し優しくしてくれてもいいではないか? そう思えば悲しくて涙が溢れそうになる。
智晴は、これまでの間に恋人と呼べる存在はいなかった。恋人どころか、本気で恋をしたことさえない。
ファーストキスの相手は目の前にいる我鷲丸だし、体が切なく疼く……など体験したこともない。だから今のこの状況は智晴にとって未知なる体験だ。
体は火照って仕方ないし、体の奥がジンジンと疼く。誰かの温もりを感じたくて、触れたくて。頭がおかしくなってしまいそうだ。
「ねぇ我鷲丸……俺を抱いてくれないか?」
「はぁ?」
我鷲丸の耳がピクッと動くのと同時に、切れ長の目を見開ている。余程驚いているらしく、口を開けたまま呆然と智晴を見つめていた。
「頼む、俺を抱いて? 体が熱くて……」
「おい、智晴ちょっと待て!」
「お前はそういう経験があるんだろう? だからお願い、抱いて?」
耳元で囁きながら我鷲丸の体を引き寄せると、尻尾が一気に膨らんだのがわかる。
「……え? なんだ、これ……」
その瞬間、見たことない光景が頭の中に浮かんで……まるで走馬灯のように蘇った。
「武尊、辛くないか?」
「大丈夫。気持ちいから」
「ならよかった」
「ん、あ、あぁ……」
「武尊……」
――これは、なんだ?
智晴の頭に浮かんだのは、荒い呼吸を繰り返す我鷲丸だった。頬は紅潮し長い前髪が汗で額に張り付いている。その、あまりにも艶めかしい姿に息を呑んだ。
そして武尊の乱れた呼吸と、甘い嬌声。いくら初心な智晴でもわかる。これは武尊と我鷲丸が……。
――やっぱりこの二人はそういう関係だったんだ。
知りたくなかった現実を突きつけられた瞬間だった。智晴の心はまるでナイフで切り裂かれたかのように痛み、体が小さく震え出す。
――嫌だ、我鷲丸が俺以外の人に触れるなんて……。
「智晴、泣いてるのか?」
突然黙り込んでしまった智晴の顔を、我鷲丸が心配そうに覗き込んでくる。そんな我鷲丸を目のあたりにした智晴の目からは、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
「なんでだよぉ! 武尊のことは抱いたんだろ? なんで俺は駄目なんだよぉ!」
「なんだよ、突然……。お前、何を言いたいんだ」
「俺はお前たちの関係を知ってるんだぞ! 恋人じゃないなんていいながら、体の関係はあるんじゃん!? やっぱりお前はエロ狐だ。我鷲丸の馬鹿野郎。こんな記憶、見るんじゃなかった。本当に最低だ……!」
「ちょ、ちょっと智晴、少し落ち着け!」
「落ち着いてなんかいられるかよ! 俺だって我鷲丸に抱いて欲しい……俺だってお前のことが……ん、んん、はぁ……」
今まで感じていた不満を全てぶつけてやりたい。そう思っていたのに、我鷲丸に唇を奪われてしまいそれは叶わなかった。
「ん、んん! はぁ……」
布団に組み敷かれて身動きすらとることができない。無遠慮に入り込んできた我鷲丸の熱い舌に翻弄される。慣れないキスを無我夢中で受け止めた。
「いいから少し黙れ」
「嫌だ、俺だって我鷲丸に抱かれたい……」
「いいから黙れ! 明日になれば影千代の術も解けるから!」
突然の我鷲丸の大声に、智晴の体がビクッと大きく跳ね上がる。肩で息をしながら我鷲丸を見上げた。
「お前は武尊と違って子供だから、大事にしたいと思ってた。だから、お前に触れたくてもずっと我慢してきたのに、人の気も知らないで……」
「我鷲丸……」
「お前、覚悟はあるのか?」
「……え?」
「俺に抱かれる覚悟はあるのかって聞いてるんだよ?」
我鷲丸の余裕のない声が静かな空間に響き渡る。それでも、そんな我鷲丸を見て智晴は気付いてしまった。
――あぁ、我鷲丸も欲情してるんだ。
荒い呼吸を繰り返しながら、ギラギラとした視線を自分に向けてくる。紅潮した頬に、興奮からか隠しきれていない鋭い牙……その全てが猛々しくて、智晴はブルッと身震いをした。
「覚悟はあるのかって聞いてるんだよ?」
「うん、ある。だから抱いて?」
「馬鹿が……大事にしようと思ったのに」
「ねぇ、我鷲丸も影千代の術にかかってるの?」
「あいつのふざけた妖術なんか、俺には効かねぇよ」
「そっか、じゃあ我鷲丸は俺を見て……」
嬉しくて胸が熱くなる。我鷲丸の赤く染まった頬を優しく撫でた。
「後悔するなよ」
「しないよ」
興奮を隠せない我鷲丸に、綺麗に結ばれた帯を強引に解かれてしまう。着物の中に手を差し込まれ、胸の飾りに触れられただけで「んッ」と甘ったるい声が鼻を抜けていく。
髪を優しく撫でられながら与えられる濃厚な口付けに、体はどんどん火照っていき……無意識に我鷲丸の体を抱き寄せた。
襟首を掴まれ前をはだけさせられてしまえば、羞恥心から体を硬くする。今更ながら、術をかけられた勢いで我鷲丸を誘惑してしまったことを後悔してしまった。
「ごめん、我鷲丸。俺、武尊みたいに綺麗じゃなくて」
「そんなことはない。お前は十分可愛いよ」
「我鷲丸……好き……」
「その言葉は正気のときに言ってほしいもんだ」
「ん、ん、あ、はぁ……」
「大丈夫だ、優しくする」
我鷲丸の優しい声に全身の力を抜く。「我鷲丸も俺のことが好き?」、そう聞きたかったけれど、答えを聞くのが怖くてそっと口を噤んだ。
それでも、だらしなく垂れた尻尾と耳を見れば、少なくとも嫌われていなことは感じることができる。
「我鷲丸が好き」
智晴の呟きは、静かな夜に吸い込まれていった。
◇◆◇◆
「ん、んん……朝か……」
眩しい朝日に薄目を開けるが、まだ寝足りない智晴はもう一度目を閉じる。すぐ近くには温かくて抱き心地のいい枕があったから、それに顔を埋める。
「気持ちいい……」
再び夢の世界に戻ろうとした智晴は、一瞬で現実世界に引き戻された。勢いよく飛び起き、自分の身に起きていることを確認した智晴から、サッと血の気が引いていく。飛び起きた瞬間、腰に鈍い痛みを感じ思わず顔を顰めた。
自分が抱き枕だと思っていたものの正体は我鷲丸だった。今までも我鷲丸となんやかんやで一緒に寝ていたこともあり、それは許容範囲ではあったのだが……問題は、自分も我鷲丸も一糸纏わぬ姿で抱き合って眠っていたということだ。
唇は腫れぼったいし、泣き腫らしたかのように目元が熱を帯びている。先程感じた鈍い腰の痛みと異常な気怠さ……明らかに、二人の間で何かが行われたことは確かだった。
「昨日俺は、影千代の術にかかって……」
少しずつ昨夜の記憶が蘇ってくる。それと同時に、顔から火が出そうになった。
「抱いて」
そう我鷲丸にせがんだことを思い出した智晴は、気を失ってしまいそうになる。
――俺は一体何をしたんだ……。
いくら影千代の術にかかっていたとはいえ、あんな風に乱れてしまった自分が腹立たしい。よりによって我鷲丸と……。想像していた以上に呆気なく陰陽師と式神という境界線を越えてしまったことに、驚きを隠しきれない。
そして、普段はあんなにぶっきらぼうで素っ気なくて、意地が悪いくせに、まるで蝶を扱うように大切に抱いてくれた。
その時のことを思い出すと、恥ずかくて消えたくなってしまう。少し頭を冷やそうと、そっと布団を抜け出そうとしたとき、ギュッと腰を抱き抱えられてしまう。
「おい、やることだけやっておいて逃げ出す気か?」
「我鷲丸……起きてたの?」
「昨夜はあんなに可愛らしく乱れたくせに、それはねぇんじゃないの?」
「な、なななな……何言ってんだよ……」
「今更照れたって仕方ねぇだろうが? お前は俺に抱かれたんだよ」
そう言いながら大きな欠伸をする我鷲丸。智晴の腰に顔を埋めて再び目を閉じた。
「すまん、またお前の初めてを奪っちまったな」
「…………」
「でも、お前の抱き心地……最高だったぜ?」
「離せ、この変態!! もう忘れてくれ、頼むから!!」
「馬鹿が。一生忘れるもんか」
あまりにも恥ずかしくて涙が溢れてきてしまう。
そんな智晴のことを、愛おしいといった顔で我鷲丸が見つめていたなんて……智晴には気付く余裕もなかった。




