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もう一度恋をはじめるまで  作者: 晴後くもり


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露骨に/贋物

◇露骨に


 日曜日。迫田さんと牡蠣を食べにいく。ナツキが帰った後、こちらからメッセージしたのだった。節操ないかしら。


 どうしても牡蠣が食べたくなったのだ。迫田さんとは食の趣味が合う。


 牡蠣は薄っすらと濃くて淡い。つやと凹凸、光の反射、陰。味もさることながら、硬い殻の中に閉じ込められている美しい中身のビジュアルにも心を奪われる。


 迫田さんとご飯に行く時、凡そ半分が牡蠣だ。偏っている。牡蠣を食べれないという人は多い。日本酒が苦手だという人もいる。それらの条件を満たし、遠慮なく牡蠣を食べられるというのが私と迫田さんの関係だ。牡蠣を最大限にリスペクトする私たちは、いつも牡蠣を愛でながら、「幸せ、生きててよかった」と言い合って食べる。


 牡蠣を食べながら交わされる会話の一連は、凡そ次の軌道を描く。


「牡蠣ってほんと美味しい」

「この時間のために生きてるわ」

「でもね、やっぱりなにを食べるかもそうですけど、誰と食べるかですよ」

「ほんまそれですね」

「ニッタちゃんがいてくれてよかったわ」

「迫田さんがいてくれてよかったわ」

「いつもありがとうございます」

「こちらこそお世話になっております」


 不毛。


「やっぱり食の趣味合うのが一番やな」

「間違いないね。我々の身体は食べ物で作られてるわけだから」

「そうやんね。いやあ、30歳なっても結婚できんかったら、迫田さんにもらってもらわな」

「いっつもそうやってニッタちゃんは俺のことキープするんだよね」

「最初に言い出したの迫田さんやん」

「そうだっけ」

「そうやで」


 迫田さんとは、いわゆる「最大8時間の関係」だ。お互いにきっちりと線を引く。日中からデートすることも、夕方から夜遅くまでお酒を飲むこともあったけれど、私私(公私というのもおかしい)の隔たりを、幾ばくかの葛藤を持ちながらも確かに保っていた。


 臆病で怠惰な似た者同士で、だからこそ居心地よく、話も合って長く居る。


「じゃあさ、結婚しようよ」


 迫田さんが勢い任せで言う。


「えー、嬉しい」

と、ハンドルをがっちり握りながらそのレールに乗る。ここからはいつもどおり冗談めかし合って、徐々に進路をずらしていく。


「わたしの奨学金も一緒に返してくれるのね」

「返す返す。俺決めたわ。ニッタちゃんのために働く」

「あと200万くらいあるよ」

「俺頑張るよ、実は結構貯金もしてて」

「ほんまに?嬉しいわあ」

「うちの親がさ、早く結婚しろってうるさくてさ」


 どうも迫田さんがハンドル操作に協力的でない。らしくない。まあお互い酒を飲んでいるのだ。この会が終われば次回にはリセットされるだろう。


「ニッタちゃんさえよければ、俺本当に」

「あ、次なに飲みます?」


 その日は、いつもより二本早い電車で帰った。


 帰り道。反省。露骨に避けすぎた。お酒の席の、ほんましょうもないことやのに。


 でも本当に迫田さんとどうにかなるなんて、全然想像もつかない。もしかして、わたしが臆病なだけ? それとも。


◇贋物 


 2LDKの部屋に電気もつけず一人佇む。レースのカーテン越しに街灯の光がぼんやりと、月明かりみたいな顔して入ってくる。


 贋物。


「贋物ってなんだよ」


 だって、毎日差し込んでくるねんもん、光。月明かりは差したり差さなかったりで情緒があってええけど。


「あったりなかったりするのが、ひかり的には情緒なんだ」


 そう。ずっとないのも違うけどな。


「そっか」


「この前男きたじゃん」


 ああ、ナツキ。


「好きなの、あいつのこと」


 いや、わからん。そういうのじゃないし、別にそういうのでもよかってんけど、何もなかったし、多分これからも。


「そっか」


 誰か部屋呼んだらあんたが消えてくれるかな、と思ってんけどな。


「そっか」


 早く帰ってきてよ。部屋広くて寒いねんから。


「……」


 なんなん。残したもん部屋って。しかも賃貸やからな。維持費どんだけかかるおもてんねん。私いま家賃に生活費のほとんどつぎ込んでるからな。


「……」


 嫌いやって言うから写真も撮ってないし。アクセサリーの一つでもくれてたら、それ一つ大事にできたのに。1年も付き合ってなんで何もくれてへんねん。


 ひかりが要らないって言ったじゃん、とか言うんやろな。間に受けんな。遠慮や。察しろや。慎ましい女やと思われたかったんや。


 そやから、そやから。


 急におらんくなるとか、……ほんまあほちゃう。


 日に日に薄くなっていく智紀を何度も何度もなぞるように確かめる。姿かたち、よく着ていたスウェット、笑い声、体温、口癖、背中の丸め方。


 いなくなったものの痕跡を探すのは、生物としての質なのかもしれない。自分に言い聞かせる。


 この部屋だけは私のものだ。この部屋に残った微かな気配だけを大切に抱きしめて、今日も浅い眠りにつく。


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