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もう一度恋をはじめるまで  作者: 晴後くもり


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2/14

先週の帰省

 母親に連絡すると、「交通費も出すから、年末くらい帰ってきなさい」と言われた。気が進まなかったが、しぶしぶ了承し、気の重い日々を過ごした。京都に帰るのは約1年ぶりだった。


 最も歓迎してくれたのは母だった。「もう直ぐ着きます」とメールすると、1分経たずに、「待っています」と返ってきた。


 扉を開けると母が出てきて、「久しぶり」と言った。恥ずかしかったが、「久しぶり」と返した。玄関には住んでいた頃のまま、クマの木彫りと光沢のある鞠が飾られている。曾祖母が鞠を縫うのが得意だったらしい。まだいくつもあるらしいが、そのうちの一つがこうして特別な誂えもなく淡白に置かれている。


 父は縁側で腕を組んで煙草をふかしていた。窓越しに目が合うと、煙草の手を少し上げたが、中に入ってくる様子はない。


 トモキくんは元気? 母が訊く。多分、元気やと思う。最近会ってへんの。まあ、そうやなあ。ふーん。


 久しぶりの関西弁で、不安定に訛りながら話す。歯切れの悪いわたしをみて、母は何かを言いたそうにしている。


「さっちゃんやないの」


 祖母が六畳の方から出てきた。

 遮られた母は呆れて「さっちゃんじゃなくてひかりちゃん。さっちゃんはあなたの妹ですよ」と訂正する。


「あらイヤや。ひかりちゃんひかりちゃん。最近ほんまおかしいねん。堪忍な、呆けてきてんねやわ。イヤやわあ。久しぶりやねえ、ひかりちゃん」


と祖母は繰り返した。母は聴こえるようにため息を吐く。


「この前もらったおかきがあるから食べへん?美味しいねんえ」


 祖母は棚からおかきの入ったカンカン(祖母は缶の容れ物のことを“カンカン”と呼ぶ)を取り、ひろげる。手際よく、ポットから人数分の湯呑みにお湯を淹れ、茶葉を入れた急須へと戻していく。大きく5回、小さく2回急須を回し、少し蒸らした後に空気を含ませながら湯呑みへ注ぐ。茶は明るく透き通っていた。


 少し苦みの効いた二煎目を飲み終えたところで、


「学校の勉強大変でしょ」


と、祖母が訊いてきた。


 一言で場の空気が澱む。ざわざわする。母はそそくさと茶器の片付けをはじめ、台所へと移動する。背中で視線を感じ、そうなんだよね、と広がらない一言を選んで返す。空気が重く、心なしか部屋が少し暗い。


 祖母は構うことなく、


「テレビ観ててもねえ、いっつもひかりちゃんのこと思い出すのよ。なんやったかいな、この前の、向日葵の。ピカソやったかいな」


「ああ、ゴッホ。向日葵やったらゴッホやわ、おばあちゃん」


「ゴッホな。あの人も苦労しはったらしいなあ」


「そんな知り合いみたいに言わんでも」


「ひかりちゃんも昔から絵上手やったもんなあ。おばあちゃんな、死ぬまでに一回ひかりちゃんの展覧会行きたいねんよ」


と目元を濡らしながら祖母は言った。鼻がくすぐったくなった。


 祖母は私が大学で絵を描いていると思っている。実際、中学までは美術部だったが、高校では帰宅部。大学は推薦で東京にある私立の文系大学に入った。その大学も去年中退したのだった。


「おばあさん、お昼寝しなくていいの。また夜お風呂入られへんようになるよ」


 洗い物を終えた母が、手を拭きながらテーブルに戻ってくる。


 祖母は怪訝な顔をして

「そんな悪者みたいに言わんでもええのに」

と言う。


「悪者になんかしてないでしょ。こんなに大切に扱わせていただいてるのに。そんなん言わんといてえな」


 母が疲れた声を漏らすと、祖母は

「みんなして私をいじめはんねん」

と訴えの眼差しをわたしに向ける。わたしは、うん、とも、うーん、ともつかない、んーのような半端な声を発する。


 祖母はわたしの援護射撃に期待するのを諦め、母に向けて

「はいはい邪魔者は帰りますよ。ほなさいなら」

と言い放ち、六畳へと戻っていった。母は大きなため息を吐き、「大変やろ」とわたしに同情を求めた。


 夕飯は豪華だった。蟹鍋。身の外れやすい、冷凍の脚を一人最低5本は割り当てられた。無心で殻をほじくり身をかき出した。出汁が沁みて、懐かしい味がする。つゆで色が変わったウェットティッシュで拭くと、口元と指先が痒くなった。祖母は夕方から眠ってしまって食卓につかず、こころなしか母は元気に見えた。近頃の暮らしぶりを当たり障りなく話し合った。


 シメの雑炊まで食べ終え、火照った顔に手の甲を当てながらソファに座る。携帯に通知がきていた。迫田さんからだった。


《あけましておめでとうございまして、

9日の夜空いてたら、ごはん食べませんか。

食べたいものとかあったら教えてください》


 真面目と不真面目のちょうど間くらいの丁寧語を使う迫田さん。意識を舌に移して食べたいものを考えるが、満腹感が邪魔をする。いま胃の中は、蟹雑炊が日本酒の池で踊っている。食べもののことを考えるのも嫌だ。


「4日私仕事やけど、あんたどうすんの」


 母が訊ねてきた。メッセージ画面を閉じる。

 もう仕事行くんや。大変やなあ。などと他人事のように答えると、母は少女がするように口を尖らせて、「遊んでばっかりおられへんのよ」と言い、で? と詰めてくる。


「じゃあ初詣でも行くわ」

「晩ご飯は」

「食べてくる、と思う」


 アテがないわけではなかった。一旦迫田さんのタブを閉じ、幼馴染のナツキに連絡する。ナツキはいま大阪の大学に通っている。齢は1つ下。すぐに既読がつき、ふたつ返事で承諾を得た。ナツキが、少なからず私に好意を持っているらしいことを、私は知っていた。知っていながら誘った。


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