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もう一度恋をはじめるまで  作者: 晴後くもり


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スイカゲーム

 うつらうつらしていると、隣の乗客の画面が目に入った。確かスイカゲームってやつだ。画面にはいろんなフルーツがごろりと積まれている。上からスイカだったりりんごだったりが降ってきて、画面を埋めていくようである。


 今日はナツキと会ってきたのだった。こっちの会社で最終面接まで漕ぎ着けたのだという。泊まりだというので、じゃあ会おうかということになった。会うのは春以来である。ナツキの宿泊先のビジネスホテルが九段下だったので、駅の改札で落ち合うことにした。


 久しぶりに乗る、総武線直通地下鉄東西線。いつもなら東西線は見送る。御茶ノ水まで行かないから。


 電車は発車から程なくして地下に潜り、外の景色は失われる。駅から駅までの間は、薄暗い壁と半透明な自分の姿が映る。こんな貧相だったっけ私。窓に映る自分って、普通何割増しかで盛れるんだけどな。いやに明るく感じる蛍光灯の光が醜い私を晒し出す。


 改札を出ると、ナツキが待っていた。「お疲れ」と言い合って(別に疲れてはいない)、とりあえず地上へ出た。


 特にこの辺に詳しいわけでもなかったので、ぶらり歩きながら決めることにする。


「面接どうやった」


「多分内定もらえると思う」


「へー、すごいやん」


「前の面接の時のこと覚えててくれたみたいで、めっちゃ喋りやすかったわ」


 エンジンがかかったのか、ナツキは就活での“武勇伝”を語り始めた。


 最初は大手志向で手当たり次第にエントリーシートを書いていたこと。自分がやりたいことを見つめ直した時に、人を楽しませることが好きだと気づいたこと。テレビ局は箸にも棒にもかからなかったこと。いま受けているのは出版系だということ。そして面接では、小中高全てで図書委員を歴任したエピソードが見事にハマったこと。


「『高校では晴れて図書委員長になり、書架に御社のコミックスを一列並べることに成功しました』でドカンやったわ」


 得意げに語るナツキは少年でかわいい。


「俺も来年から東京やな」


 そっか。ナツキ、東京に来るんだ。来ちゃうんだ。


 東京に来たらいまよりもっと会うことになるのかな。あるいはこっちに友だちがたくさんできてあんまり会わなくなるのかな。どっちにしても逃げられない。自分の気持ちからは逃げられない。


 近くにいると会う口実がないんだ。ナツキにとって、たまたま東京にいる知り合いが私だっただけで、この先もそうだとは限らない。ナツキだってたまに会うから優しくいられる。きっと気も遣わせている。


「で、何食べる?」


とナツキが言い、二人して笑う。話すことに夢中で、肝心の店探しが疎かになっていた。


「一旦お店探しに集中しよ」


「そういえば店選びのコツ、この前聞いてんけど、店先をちゃんと小綺麗にしてるところがいいらしいで」


「なんで?」


「ちゃんとそこまで行き届いてるとこは、料理の端々にも気を配れるから。探してみる?」


 なるほど確かにナツキは日常のあれこれをエンタメにしてしまうところがある。人を楽しませる仕事に向いてるんだろうな。


 二人で店先を評論家気取りでチェックしていく。


 あそこは看板が汚れている。あそこは落ち葉がきちんと掃かれていない。あそこは暖簾が色褪せている。これでは評論というより姑の嫁いびりである。


 そうして一軒一軒じっくり見たが、すぐに飽きた。二人とも姑には向いてないみたい。飽きた矢先、そこそこ小綺麗な店構えの町中華があったので、そこに決めた。


「面接のことも喋っちゃったし、店入る前にトピック出し切ってもたわ」


 言いながらナツキが笑う。私も笑った。


 店では瓶ビールを分け合いながら、他愛もない話をして過ごした。そこそこ小綺麗な店構えの町中華は、木耳の入った野菜炒めが美味しかった。



「じゃあこっちやから」


 ナツキはそう言って宿泊先の方に帰っていった。あっさりしている。このあっさり感がナツキのいいところだ。


 こっちも「気ぃつけて大阪帰りや」とあっさり見送れた。関西弁が素直に出ている。


 たまに関西の人と会うと、変に意識して“似非関西弁”っぽくなる。関西人であるとわかってほしくてか、あるいは日頃抑圧しているものが溢れ出すのか、味付けが濃くなってしまうのだ。素直に関西弁が出るのは実家かナツキくらいのものだ。失いたくないな、と改めて思う。


 まだ22時台だったので、千鳥ヶ淵を一人で歩いた。春には枝垂れ桜が一斉に咲き乱れるここは、いまの季節は裸の木々が立ち並び、寒々と枝を寄せ合っている。


 たしか近くの靖國神社には、桜の開花を告げる標本木があったはずだ。この一本の木の開花を以て、正式に開花が宣言される。


 桜の開花は2月1日から気温を積み上げて600℃を目安に開花すると言われている。仄暖かい光を少しずつ蓄えて、春の麗かなエネルギーに変えるのはなんだか神秘的だ。


 そういう意味では、これまで私はナツキや迫田さんと仄暖かい時間を過ごして、会う度にいくらか温度を積み上げてきたんだろうな。それはそれは神秘的な時間だったのである。それでも私の中の標本木はいつまで経っても花の蕾を膨らませようとはしなかった。


 夜風が目に染みる。鼻の奥がつんとする。


 東西線中野行に乗り込み疎に空いた座席に腰を掛けると、寒い道を歩いてきたこともあって途端に弛緩した。瞼が重い。なんだか“ヘンな気分”になってきた。


 “ヘンな気分”というのがたまにある。昔からずっとあって、未だに名前がつけられない感情。悶々としていて、なんだか虚しくて、どこにも行きたくないけど、ここにも居たくなくて、普段なら絶対にしないようなことーー例えば、急に誰かに電話をかけてみたりーーを無性にしたくるような、けれど決してそんなことはしないような、薄っすらと濃くて淡い感情なのである。


 そんな時にスイカゲームを見たのだった。


 ナツキは私の心をあんな風に丸いもので埋めてくれる。けれど丸いものを積み上げるとどうしても隙間ができてしまう。


 迫田さんは四角。うまくいく時にはピッタリとハマるが、少しでもズレると大きな隙間が生まれてしまう。


 ーー智紀は。


 智紀は、とろり液状だった。知らないうちに私の中に入り込んで、心の隙間を満たした。私は智紀によって満たされていた。それがもうどこにもない。本当に?


 景色の見えない地下鉄は、静かに私を運んでいく。


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