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第35話 天の元へ

 ぐんぐんと真っ直ぐ上に向かって飛翔するものだから、始めは落ちないようにアマノさんの角にしがみつき、たてがみに顔をうずめていた。よく考えればシートベルトや安全バーの類いがないから、これっぽっちも安全ではない。


 しかしじきに速度は緩やかになり、身体の向きも縦から横になった。恐る恐る顔を上げると、柔らかな風が頬を撫でた。辺りを見回せば、自分とアマノさん以外何もない。先程までいた森は眼下に広がっている。


「……飛んでる」


〝ああ。おぬしは今、飛んでおるぞ。わしの背に乗ってな。くく。何も喋らんから気絶したかと思ったわい〟


「こんなところで気絶したら落ちて死んじゃいますよ!」


〝落とさぬから安心せい。彗の奴なら飛んでいる最中でも寝ていられるぞ〟


「それはもう彗さんが特殊なんだと思います……」


〝ま、それも一理あるの〟


 それからは私もアマノさんも口を閉じ、暫しゆっくりと空の旅を楽しんだ。本当に龍の背に乗って空を飛んでいるんだという感動と、夢みたいだというふわふわとした感覚とがないまぜになり、白昼夢でも見ているような不思議な心持ちになった。


〝じきに着くが……覚悟しておれよ〟


「へ? 覚……ごわああああああああああ⁉」


 突然ほぼ垂直に落下し始めた。速度こそジェットコースター程ではないにしろ、角度は落下時のそれに等しい。絶叫マシンが大の苦手な私は、太字のオノマトペを上から下へ真っ直ぐ並べるような悲鳴を上げた。


〝あーっはっはっは! いやあ、愉快愉快! 昇る時も怖がっていたようであったから、急に下がればどうなることやらと、楽しみにしておったのだよ!〟


「ひ、ひどい……」


 枯れた喉で不平を溢したが、アマノさんはちっとも聞いていなかった。


 地上に降り立つと、見覚えのある洞窟が目に入った。


「あれって……」


〝ああ。おぬしがおぬしの力を目覚めさせた、あの洞窟だ〟


 二カ月ぶりに訪れた洞窟は、あの時と同じような暗闇をたたえてどっしりと構えていた。


「この奥にあめがいるんですか? でも、何で……?」


〝理由は本人にでも聞けばよかろう。わしの話すべきことではない。……中に入らぬのか? 悠長にしておっても無為な時間を過ごすだけぞ〟


「あ、はい……。でも、あの……」


 またあの暗闇の中を進んでいかなければいけないのかと思うと、やっぱり怖い。ていうかアマノさんは一緒に来てはくれないのだろうか。しかし怖いから一緒に来て下さいと言うのも何だか恥ずかしい。何で私はこういう時に必要な魔法がまともに使えないんだ。


〝ん? ああ、わかったぞ。おぬしも暗闇が怖いから、わしと手を繋いでいきたいというわけだな? くく。困ったものよのぅ。かようにしおらしく頼まれては断るに断れないではないか。よし、よかろう。今回だけ特別にわしが姫抱きをして――いたたたたっ⁉〟


「誰もそのようなことは頼んでいません」


 ぱしゃん、と水の跳ねる音がした。


 水を操る魔法。そしてこの声――。


「舞理さん、一人でご苦労様でしたね。時間稼ぎありがとうございます。これでわたくしも一応魔法を使いましたので、試験を終わらせることができます」


「彗さん……」


『お待たせ。全回復、とまではいかないけど、ある程度回復させることに成功した』


「未琉……」


 いつも以上に顔を白くさせ、辛そうに呼吸をする彗と、得意気な顔をした未琉がアマノさんの後ろからやってきた。


(そんな……。よりにもよって、今来るなんて……)


 今ここでアマノさんを捕まえれば、彗はすぐに花火を上げるだろう。洞窟の奥にいるあめを連れて来てからにしてくれ、なんて言っても、彗が素直に聞き入れるとは思えない。私が中に入っている間に花火を上げる可能性は高い。そうすれば、そうなってしまえば、あめだけ不合格になってしまう。それだけは避けたい。


(だったらどうする……? 未琉を説得して、彗さんを抑えていてもらう……?)


 でもそれは私があめと一緒に洞窟から出るまでの間、ずっと抑えていてもらうことになる。それは可能だろうか。どっちの方が魔法が強いのかはわからないが、体格だけ見れば背の低い未琉が不利だ。それに彗は万全の状態ではないものの、だからと言って大人しく捕まっていてくれるような人じゃない。


 一番確実な方法は……。


「どうかしましたか、舞理さん。そんな悲壮な顔を浮かべて。確かに今まであなた一人で大変でしたでしょうが、これで晴れて試験に合格――」


「アマノさん。彗さんを捕まえていてください」


〝あいわかった〟


「え、は⁉ 舞理さん⁉ 気でも触れましたか⁉」


 唐突な私の裏切り行為と、一つ返事で了承するアマノさんに驚愕した彗。苦悶の表情を浮かべながら迫り来るアマノさんに対抗するが、万全の状態ではないためか押され気味だ。


〝くく。すまんの、彗や。舞理にはやらねばならんことがあるのだ。暫しの間、ここで大人しくしていてもらうぞ〟


「そんな必要ないでしょう! こんなところに引きこもったまま出てこない人間のことなんて、放っておけばよいのです!」


 彗の言葉に、私は目を見開いた。


「彗さん、もしかして、ここにあめがいること知ってたの……?」


「当たり前です。自分の家の敷地内に他人がいるんですから、気がつかない方がおかしいでしょう。まったく、誰がいちいちあんな奥まで食事を運んでいると思っているんですか」


「滅茶苦茶世話焼いてるし⁉」


 ここに来てまさかのまさかすぎる驚愕の新事実発覚。未琉も私と同じように目を丸くしている。


『押しかけ女房?』


「押しかけてきたのはあっちです!」


〝だが持ってこなくてもいいと言われたのに、わざわざ毎日食事を与えてやっているのは彗ではないか〟


「余計なことを言わないでください! あんなところで飢え死にされても困るだけです!」


 あめがここに籠っている理由はさておき、寮内を探しても見つからない理由はよくわかった。


「それに……ふふ……あの傲慢なあめさんがこのわたくしに頭を下げて謝罪しここで修行させてほしいと乞い願ったんですから、これは調教……じゃなくて、躾けてさしあげなくては失礼ではありませんか」


「それどっちも意味同じじゃない⁉」


 何故だかあめがここに来た理由も判明したけど、あめは来る場所と頼みごとをする相手を間違えている。そんなことなら、普通に学校に来て先生に相談すればよかったのに。この性格破綻者に頼んじゃ駄目だ。


(かくいう私も彗さんに特訓させられて今の状態まで持ってこられたわけだけど……!)


 だったらある意味正解なのか?


「ですが……いいですか。わたくしは彼女がここにいることを知っていました。彼女が毎日ここで修行していることも勿論存じ上げております。それを承知の上で、試験に来ない人間のことは放っておけと言っているのです。来ないということは、自分の満足するレベルにまで上がっていないのでしょう。だったら彼女が満足するまで放っておけばいいのです。今退学になろうとも、また来年入学し直せばいいだけのことです。違いますか」


「そんな……そんなの……」


 彗に睨みつけられ、私は身を竦めた。彗の言うことももっともだと思う。あめあめでプライドが高いから、満足のいかない状態で人前に出るのは屈辱かもしれない。きっと勇気がいるのだろう。試験のことは無視して、退学になってもいいから満足するまで修行を続ける。それも一つの手だ。


 でも、違う。そうじゃない。


 それでは私が満足しない。


 洞窟の中で修行を続けるのがあめのエゴなら、これは私のエゴだ。


「そんなの、私が嫌だ」


「……?」


 彗が顔をしかめる。


あめはこのまま試験に不合格になってもいいのかもしれない。彗さんも、あめが満足するまで……いや、もしかしたら諦めるまではこのままでもいいのかもしれない。でも、そんなの、私が嫌だ。私は、未琉と、彗さんと、あめの四人で、一緒に卒業したい。だって、初めてできた魔法使いの友達なんだもん。一人も欠けてほしくない!」


「っ……子供のわがままですか!」


「いいもん! 高校生なんてまだ子供みたいなもんだもん!」


「駄々をこねない!」


「駄々も屁理屈も魔法もこねくり回してやるううう!」


 えいやっと杖を彗に向ける。すると杖から伸びた蔓が彗を取り押さえた。


「何がしたいのですかあなたは!」


あめを迎えに行きたいんだよ、私は! だから彗さん。ここで大人しくしててね」


 何だかよくわからない勢いで彗を大人しくさせることに成功した。もしかしたら私は理詰めで魔法を使うよりも、その場のノリと勢いで魔法を使う方が成功しやすいのかもしれない。うん。新たな学びを得た。


 そのまま私は洞窟の中に突入しようとしたが、奥まで延々と続く暗闇に案の定尻込みした。どうしようかと思いながら後ろを振り向くと、何故か彗がすぐ近くにいた。


「……彗さんも、一緒に来るの?」


「あなたがわたくしを縛りつけたままなので、勝手に連れてこられただけです」


「あー……」


 私は少し考えて、自分の中での最適解を探し出した。


「未琉! 未琉も一緒に行こう! 灯りつけられるよね?」


 遠くにいた未琉に呼びかけると、未琉は肩をすくめた。


『せめてもう少しマシな誘い方をしてほしい』


「えっ? あ、ごめん。えーっと、ここにしかない、魔法薬作りに使えそうな、何かそういったアレがあるかもしれないから、一緒に行こう!」


 しどろもどろになりながら誘うと、未琉が珍しく吹き出した。


『いいよ。一緒に行く』


 笑顔を浮かべながら、未琉がこちらへ来た。これで役者は揃った。


 私はアマノさんへと向き直る。


「そういうわけですので、アマノさん。ここで待っていてくれませんか」


〝ああ、よかろう。待っておるぞ。だが、時間には気をつけるのだぞ。試験の時間が終わってから戻ってきては本末転倒だからの〟


「はい。では、行ってきます」

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