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第34話 龍を捕まえろ

 私が蔓を伸ばすのと、アマノさんがこちらに突進してくるのはほぼ同時だった。突如眼前に迫った死の恐怖に身を竦ませ蔓を縮めると、脇を通り過ぎていったアマノさんが愉快そうな声を上げた。


〝くくく。あーっはっはっは! いのう、愛いのう! 攻撃されその身を塵と化すのがそんなにも恐ろしいか! ああ、これだから初心うぶな娘の反応を見るのはやめられぬ。彗はもう怖がってはくれぬからの〟


 笑いながら、その長い身体で私のぐるりを取り囲む。


〝安心するがよい。おぬしには傷一つつけるつもりはない。何かの拍子でつけてしまう可能性は否定できんがの。くく。わしはの、おぬしの頑張る姿が見たいのだ。か弱き者が懸命に努力する姿はいつ見ても可愛らしいからのぅ〟


「っ……馬鹿にしないでください!」


 腰が引けながらも、私は杖を握りしめ、先端をアマノさんの頭部に向けた。


〝ふむ……。馬鹿にするなと言うがの、おぬしは赤子が立ち上がろうとする姿を見て可愛らしいと思ったことはないのか? 別の事例でも構わんが、そうした時に、おぬしの中にそやつを馬鹿にする感情はあるのかの?〟


「……ない、です」


 私が答えると、アマノさんはしたり顔で頷いた。


〝それと同じよ。誰かの助けを得られねば生きられぬか弱き者が、己が安全な環境にいるとも知らず、その身を賭して懸命に頑張る姿のなんと健気なことか! のう、舞理よ。わしにおぬしのそんな姿を見せてくれ。わしの楽しみのために〟


 身体を震わせて嗤うアマノさんを見て、私はやっと、目の前にいる存在が本当に人ではないのだと悟った。きっとこの神様は、私が想像できないほど永い時間を過ごしているのだろう。だから人間とは根本的に異なるのだ。善悪が。思考が。快楽が。


 耳元で妖精が囁いた。


〝ええ、そうよ。あの神様の考えは、あなたには理解できないものなの。真面目に相手の話を聞こうとも、自分の考えを理解してもらおうとも思わないことね〟


「うん……」


〝でも大変不本意なことに、あの神様の言う通り、あなたは神様の前で努力する姿を見せなきゃいけないわ。簡単に勝てる相手ではないものね。努力しなければ、角に触れることすらできないわ。だから……冷静に、ね〟


「うん、わかった」


 ありがたいことに、妖精の態度はいつになく真面目だ。お陰でアマノさんに振り回されることなく、自分のペースで奮闘することができそうだ。


 アマノさんが私を見据える。それだけでとんでもないプレッシャーが私にのしかかる。


〝さあ、舞理。いつでもかかってくるがよい〟


「……はい」


 タイムリミットまであと三十分、といったところだろうか。それを超えればきっと回復した彗がやってきて、あめを探すことはできなくなる。それは嫌だ。せっかく知り合えたんだ。初めてできた、魔法使いの仲間達なんだ。一緒に授業を受けたり、街へ出掛けたりもしたんだ。みんな何かしら問題はあるけれど、だからこそ一緒にいて楽しいんだ。誰一人として卒業まで欠けてほしくない。


 だって、普通の生活が嫌で、魔法を信じていることを馬鹿にされるのが嫌で、私はこの世界に来たんだ。


 あっちで問題児扱いされるよりも、こっちで問題児扱いされて、同じく問題児扱いされているみんなと一緒に馬鹿をやる方が、よっぽど楽しい!


〝ほう? 目付きが変わったのぅ。この状況を愉しんでおる瞳だ。くく。怯える姿もよいものだったが、今のそのやる気に満ちた姿もよいものだ〟


「それはどうも。……アマノさんは『千と千尋の神隠し』って知ってますか?」


〝ん? ああ、確か一般社会で流行っているアニメ映画だったかの? ああいったものは、実は魔法界でも人気があっての。わしも彗と一緒に何度か見たものよ〟


「そうですか。それなら話が早いですね。私、ラストシーンの千尋みたいに、龍の背中に乗って空を飛ぶのが夢だったんですよ!」


 杖から蔓が迸る。


 何本もの蔓が龍を捕らえんと掴みかかる。


〝よいぞよいぞ! 本気を出してきたな! だが、まだまだぬるい!〟


「っ⁉」


 蔓を避けようと龍が動いた……かと思いきや、龍は蔓を引きちぎり、喰らいだした。


〝くく。正面突破とは潔いが、甘いのぅ。この程度の攻撃ではわしは捕まえられんぞ!〟


「だったら……!」


 私はもう一度蔓を伸ばした。しかし今度の目標は周囲に生える木々。蔓が幹を掴むと、私は杖を引きながら叫んだ。


「倒れろ!」


 私の命令に従い、木が根元から倒れる。


 その下にあるのは、龍の胴体――!


〝ふむ。そう来たか〟


 龍が素早く身をくねらせる。私は咄嗟に木の倒れる方向を変えようとしたが、あと一歩のところで間に合わずに逃げられた。


〝舞理。たぶんあの神様はあなたに合わせて多少の手加減はしているでしょうけど、だからって簡単には傷をつけさせてくれないわよ。本体を狙うだけじゃ意味ないわ〟


「何それ横の二体を先に倒さないと真ん中にいるボスにダメージ負わせられないとかそういうあれ⁉」


〝どういう何よそれ⁉ 横の二体って何⁉ あなた今何が見えているの⁉〟


「でっかい龍しか見えてません!」


 とにかく手あたり次第に蔓を伸ばし、掴んだものを龍目掛けて投げつける。本人が言ったように私に傷をつける気がないのか、向こうからは一切攻撃をしてこない。逃げているだけだ。しかし、身体の大きさの割に動きが素早く、わざとらしくギリギリで避けるため攻撃を当てるのが難しい。


 しかし、だからこそ、こちらが逃げる必要のない分次の一手を考えるのが楽しい。


 多少どころか滅茶苦茶手加減されているが、こっちはまだレベル十くらいなんだ。それで最終ボス戦とか無理がありすぎる。一番低い難易度で挑んでいるようなものだ。でも、それだっていいじゃないか。遊ぶ楽しさを、どうすれば勝てるのか考える楽しさを感じられるなら。


(攻めるのが駄目なら……!)


 何本も木を引っこ抜いたせいで最初よりも視界が開け、龍が逃げやすい環境になってしまっている。だったら、逃げられないような環境にするまでだ。


 できる確証はないが、それでもチャレンジしなければ無理かどうかもわからない。頼む。そのくらいのポテンシャルを持っていてくれ。


 私は大きく息を吸い、杖を手近な木に叩きつけた。


「伸びろォ!」


 反動による手の痺れを気力で無視し、私はただひたすらにイメージした。木々が今の倍以上に成長し、壁のように私達の周囲を取り囲むことを。


「うわっ……」


 突然足元がふらついた。魔法の使い過ぎで眩暈でも起こしたのかと思った。それはあながち間違いでもなかったが、それだけではない。


 地面が揺れている。


 咄嗟に木の幹に手をついたが、押し返すような力を受けた。ふと上を向くと、空が狭くなっていた。


 私達を取り囲むように、木が太く、長くなっている。空を隠すように枝葉も伸びている。


「やった……!」


 魔法の成功に安堵した私は、ふらつく頭を巡らせて龍の頭部を探した。


「これで、逃げられませんよ」


〝なるほど。考えたのぅ〟


 龍が感心するような声を出した。


〝実を言うとこの程度の囲いなどどうとでもなるのだが、ここはおぬしの努力に免じてこの中に囚われておいてやろう。して、どうやってわしの角を掴む?〟


 そう。一番の問題はそこだ。あの角を掴まなければならない。


 掴んで、天の元へ行かなければ。


 私はもう一度イメージした。木々が枝を伸ばすところを。蜘蛛が巣を作り、獲物を貼り付けさせるように、枝が龍を捕らえるところを。


(できる。私はできる)


 今なら、魔法でなら、なんだってできる!


「捕らえろ!」


 杖を龍に向けて叫ぶと、枝が一斉に伸びた。龍は驚いたように一瞬目を見開いたが、すぐに身をくねらせ枝から逃げようとする。


(いけるいけるいける!)


 逃がしてなるものか。絶対に捕まえるんだ。


 縦横無尽に逃げ回る龍を、あちらこちらから伸びる枝が追う。掴んだと思えばすぐに折られてしまうが、それでも諦めない。諦めたくない。どこまでできるか試したい。


「いっけえええええ!」


 枝が龍の尾を捕らえる。すり抜けられる。前足を捕らえる。引きちぎられる。胴を捕らえる。尾で叩き切られたがその尾を捕らえる。後ろ足を捕らえる。尾を掴んでいた枝が噛み千切られたがその隙に胴を捕らえる。前足を捕らえる。一気に拘束を破らんと飛翔しようとする龍の尾を掴み引きずりおろす。鎌首をもたげるように下を向いた龍の口を縛り付ける。蔓を伸ばし角に巻き付ける。


「連れてって」


 呟くと、蔓は角に巻き付いたまま徐々に収縮していった。


 そして私は、空中に縛り付けられた龍の目の前までやってきた。


〝くく。みっともない顔で杖にしがみつかんでもよかろう。おぬしは――まあ半分以上は手加減してやったわしのお陰だが——わしをこの通り捕まえたのだ。もっと堂々とせい〟


「だ、だだ、だって、これ、落ちたら、し、死ぬ……」


〝あーっはっはっは! これだけ大胆なことをしておいて、死を怖がるか。まったく、これだから人間は面白い!〟


「うわああああ! 笑わないで! 笑わないでください! ゆ、揺れる! 死ぬ!」


 アマノさんが身体を揺らしながら笑うたびに、吊り下がっている私はあっちへゆらり、こっちへゆらり。生きた心地がしない。


〝だったら早くわしの背に乗るがよかろう。おぬしの勝ちなのだから、背中に乗って落ちないように角に掴まっておれば、あの娘のところまで連れていってやろう〟


「う、はい……。あ、安全運転でお願いします」


〝……おぬし、龍の背に乗って空を飛ぶのが夢だとか言っておったのは嘘だったのか?〟


「いえ、その、ほら、映画で見るのと、実際に体験するのとでは大いに違いますし……」


〝くく。よいよい。わしのせいでおぬしが傷つくようなことがあれば、彗に怒られる。おぬしの安全第一で空を飛んでやろう〟


「あ……ありがとう、ございます」


 ようやく背中(と言うよりも頭の上?)まで到着した私は、ごつごつとした角を掴み、ふさふさとしたたてがみに身をうずめた。何だか現実とは思えないような、不思議な感覚がする。


〝ああ、ここに人を乗せるのは久方ぶりだのう。彗が小さい頃はよくせがまれていたんだが、最近はめっきりなくなってしまい少々寂しかったのだ。では、しっかり掴まっておるのだぞ〟


「はい! ……あ、その前に」


〝ん? 何かまだあるのか?〟


「木の高さとか、枝とか、戻しておかないと、と思いまして」


 私は至極真面目に答えたつもりなのだが、アマノさんは大笑いした。


〝あーっはっはっは! 言ったろう。手加減してやった、と。これを元に戻すくらい、造作もないわ〟


「わ……!」


 龍を取り押さえていた枝が、砕け散るように消えてなくなった。通常の何倍にも伸びた木々も、元の高さに戻っていく。


(本当に手加減されていたんだな……)


 先程まで何だか妙にテンションが上がっていたから、いつもよりも強い魔法が使えていたような気がするけど……。それでも魔法の勉強をし始めて三ヶ月程度の私が、何百年、もしかしたら何千年も生きていそうな神様に敵うわけがなかったのだ。


〝さあ、今度こそ行くぞ〟


「はい……! お願いします!」

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