あぁ、これって「人として終わってるな」と思った瞬間
先日、僕の知り合いであるⅠさんとYさんがご結婚された。
新婚ご夫婦とウチは同地域の同業界人であり母から見れば後輩、僕から見れば先輩という立場だったのでお手紙とお金を送ることにしました。
僕の母はウチの業界の中ではそこそこの地位にいるために同地域同業界の総会で結婚を簡単ながら祝う事にしようと提案しました。
――ところが、同地域で裁定権のあるJさんは「総会ではIさんやYさんを知らない初めて出席される方もいる」と言う理由で拒否しました。
まぁ、Jさんの言わんとしていることは分からなくは無いんですが
結婚という人生でも数少ない多くの人から祝われる幸せのイベントだと思うんですよ。
この後、山あり谷ありで色々な苦難が待っているだろうし、
そのあと離婚の危機だってあるかもしれません。
お子さんが産まれることだって今は、不妊治療などで悩んでいる方がいる以上は、大っぴらに祝う事は憚られる状況です。
そんな中、同じ団体の中の人同士で結婚することを祝えないというのは正直、
「悲しい感性」だなと思いました(ちなみにJさんは既婚者でお子さんも3人成人されております)。
更にIさんとYさんは総会の事務方を担っておりその場に集まった人は少なからず、恩恵を受けているわけです。
そのために全く無関係な人間を祝うわけでもなく、初めてその総会に出席された方に関しても問題が無いように感じました。
その後にどうしてIさんYさん新婚夫婦を祝わなかったのか裏話を聞く機会があったのですが、どうやら役員会で一致して「祝わない」ことが決まったみたいなんですよね。
正確に言うとJさんの意向に対して「反対しない」と言う意思決定があったそうなのです。
特に小さい組織ほどリーダーの意向が強いという事が分かりましたね。
そうしないと「和を乱す存在」として扱われてしまうようになりますから……。
ようは周りの“同調圧力”によってJさんの意志に逆らえないような、有無を言わさない雰囲気になっていたと思われます。
◇どうして素直に祝えなくなってしまっているのか?
これはいわゆる「スパイト行動」が起きたのだと思います。
要は他人の幸せを願ったり祝うことではなく、他人を下げたり若しくは何もしないということによって自分がプラスになるといった思考に陥っていたと思われます。
これはとっても悲しい思考法だと思いますし、最近僕が最も危惧している事態です。
なぜならこの考えの延長線上に、最近よく政府税制調査会などで議論されている配偶者控除を縮小廃止しろ! 高齢者の年金を減らして負担額を増やせ!
税制で優遇されている〇〇はズルイ! などといった考えに繋がっていくからです。
パイの奪い合いをしているようでは正直なところ日本が上がっていく道は残念ながらありません。
皆さんがどう思われているか分かりませんが僕はこの「スパイト行動」が日本を沈没させている大きな要因の一つだと思っております。
◇他人の幸せを祝えるかどうか「器の大きさ」で決まる
正直なところ、結婚することを祝わないことが決まったと聞いた時、
「あぁ、人として終わってるな」
とまで思いました。
別に何か犯罪を犯したわけでは無いですし、倫理に違反したわけでもありません。
それでもこの人の下で働くのは嫌だと思いましたし、直接の上司じゃなくて本当に良かったと心から思いました。
こういった「漢気」みたいなものを見せる場面では「器の大きさ」も他者に対して示すことが出来るのではないかと思います。
“別に他人からどう思われても構わない“というので無ければこういったことも留意しておく必要があると思います。
こういった指摘は他人がしてくれることはありません。
ただ、“サイレントマジョリティー”といって言葉にはせずとも、心の中では一斉に周りの方たちが批難している可能性はありますので注意しましょう。
◇合理的に見ても他人の幸せを祝うことは“プラスになる“
特に周囲の人の幸せに対しては妬むのではなく、素直に祝う事が大事になることはなんとなくお判りいただけたと思うのですが、それでも「嫌な奴なんかの幸せを願えないよ」と思われる方がいると思います。
ハッキリ言って僕の周りにも“嫌な奴“程ではなくとも”ヘンな奴“ぐらいはいます。
でもそんな人に対しても幸せを願うことが大事だと思います。
(上の結婚を祝えなかったJさんも不幸なのかもしれないので幸せを願っています)
なぜなら不幸になれば周りに当たり散らしたり喚き散らしたりする可能性が上がり、巡り巡れば自分にとってマイナスになることがあるからです。
ですから“宿敵”と言えるような奴ですら幸せを願った方が良いのです。
どんな人間に対しても“スパイト行動“をとらない方が良いです。
よく僕は様々なエッセイで政治家の批判を様々な角度でしていますがその政治家の方々ですらも、「幸せになって欲しい」と思います。
そしてその幸せを国民に対してどのように分け隔てなくなるべく均等に分け与えることが出来るのか? ということを考えて欲しいように思います
また幸せは「伝播する」という事が分かっています。
カリフォルニア大学のジェームズ・H・ファウラーとハーバード大学のニコラス・A・クリスタキス2008年にまとめた「社会的ネットワークにおける幸福の動的拡散」という研究では、
対象者の1マイル(約1.6km)以内に住む「近所の友人」が幸せになると、対象者が幸せになる確率は25%、隣人が幸福になると、対象者の幸福度は34%向上同居している配偶者の場合、対象者の相手が幸福になると、対象者自身が幸福を感じる確率は8%増え、兄弟姉妹が幸福になると、ほかの兄弟姉妹が幸福になる確率が14%増加することが分かっています。
そのために他人の幸せを願い実際に幸せになることが、巡り巡れば自分の幸せにも繋がるということです。
(仮に政治家が国民の幸せを願っているのなら“今のような政策は取らない”と個人的には思います。“自分の幸せ”しか願っていません)
ということで、自分だけの幸せを願うのではなく、他の人の幸せも願っていき、
全国民全てで上がっていければと思います。
かなり理想論になりますが幸せが巡り巡ればそれこそどんな政治改革だって世界平和だって可能だと思っています。
最後にこれを読んでくれた皆さん全ての幸せを願っています。