「こんなの」と言われた令嬢は、何もせずに流される
ざまぁはありません。モヤモヤするかもしれません。
「何で俺がこんなのと婚約なんてしなきゃならないんだよ!」
7歳、婚約者との初対面の日、私は「素敵な男の子だな」と胸をときめかせた相手に「こんなの」呼ばわりされた。
私、シャウラ・ロレーヌはロレーヌ子爵家の次女として生まれた。
厳格な父、そして美しい母によく似た兄から、他家と比べてどうかは分からないけれどそれなりの愛情を受けて育った。
母は私に婚約者が出来る前に亡くなってしまったけれど、私の事をずっと心配してくれていて優しかった。
父譲りの灰色の髪は「女の子なのにくすんだ髪色だなんて」と周囲からの評判はあまり良くないけれど、亡くなった母譲りの綺麗な金の瞳だけは「そこだけ母親に似て綺麗」だと言われるので、お気に入りではある。
そんな私の婚約者であるアサンティン子爵家の長男ファイ・アサンティンは、1つに束ねた艶やかな黒髪に、宝石のように綺麗な青い瞳をしていて顔立ちも綺麗。何度会っても「好きだな」と思ってしまう。
彼は私に会う度に言う。
「こんなのと婚約してやってるだけ有難いと思え」
幼い頃からずっとそうだった。
13歳で学園に入学してからもずっと。
私はただただ、彼に従う。口を開くなと言われたら開かないし、ただ黙っているだけ。
好きな人に言われた事は、出来るだけ聞きたいの。
「顔も良くない愛嬌も無い、男を立てる事も出来ないろくでもない女だ」
これから4年間、人前でこう言われながら彼と過ごすのかと少しだけ思った。ちくりと胸が痛む。
けれどそれでも、私はファイを「素敵な男の子」だと思っていたから。
私の顔は確かに人並みかもしれないけれど、これでも出来る限りの努力はしてきた。
愛嬌は、せめて笑顔でいようとしたら「人を馬鹿にしてるのか」と言われたから、ファイの前で笑う事はやめた。
男を立てる事も出来ないと言われても、せめて勉強だけでも頑張っていればファイの隣に胸を張って居る事が出来ると思って頑張ったら、ファイのテスト結果が散々だったから。
「こんなのが婚約者なんて本当に俺は運が無い」
私はいつも、ファイの一歩後ろでそう言われてきた。
それでも私は、出来る事ならファイの隣に居たかった。隣に立てるよう、出来るだけの事はしたの。
けれど私はどんなに頑張っても美人にはなれない。
勉強だって、テストの結果は比較的上位に居るというだけで、生徒会に入ったり先生たちに褒められたりする程の成績の良さではない。
仲の良い友達は出来たけれど、ファイにとって気に留めるような交友関係は私には築けない。出来ても読書仲間だけ。
分かってたいたの、私はどんなに頑張っても、ファイに認めてもらえない事を。
好きな人に認めてもらえないまま、きっと私たちは結婚するのだろう。
それでも入学してから1年目と2年目は良かった。
入学前と変わらない日々だったから。
3年目から、変わっていった。
「ファイ様、お弁当を作ってきました!」
「ありがとうイエラ」
入学したばかりの商家の女子が、ファイと仲良くなった。最近貴族の間でも流行している、異国の髪飾りを作って売っている商家の次女。
淡いピンクの髪が白い肌にとてもよく映える子だった。まるで物語から抜け出してきたようで愛らしい子。
通り過ぎる時にいつだって良い匂いのする彼女に、時折私は「婚約者の居る方にあまり親しくしてはいけない」と注意をしていた。
こんな事、ファイだって分かっているはずなのに。
私には見せた事の無い微笑みを彼女に向けるファイを見て、私はただただ涙を堪えるしかない。
4年目の学園生活。
ファイは学園で年度始めに行われる下級生たちとのパーティでも、そんな調子だった。
「俺はイエラと入場する。お前は1人で行け」
婚約者としての役目すら放棄して、ファイは彼女にドレスを贈り入場する。
3年目までは入場だけは一緒に居てくれたのに。
私は周囲が婚約者と入場する中、1人で、去年までと同じサイズだけを直したドレスで入場した。
「ねえシャウラ、貴方から子爵に婚約の解消をお願いしたら?」
パーティの最中に、唯一学園で出来た友人のパティが私に言う。
私は困ったように笑うしかなかった。
婚約解消なんて出来ないわ、だって私は、ファイが好きなのだから。
「私がいけないの、だって私は『こんなの』だもの。見た目も頭も良くないし、何も出来ないから」
パティは呆れた顔をして、「いつか後悔するわよ」と言って去って行く。
愛想尽かされちゃったかな、せっかく沢山の本の話が出来る友人だったのに。
パティが去った方向とは反対を向けば、私の婚約者はとても輝いていた。
軽快なステップに、パートナーのドレスが翻る。その空間だけ世界が違うようにキラキラしていた。
まるで物語のようだわ。
私も物語の主人公だったら良かったのに。
「お前との婚約は破棄させてもらう!」
卒業パーティで、ファイは隣のイエラを庇うようにして言った。
何でこうなってしまったんだろう?
「俺の前では口は利かない、その癖イエラには嫌がらせをしていたそうじゃないか!笑いもしないし気味の悪い髪色をして……こんなのと今まで婚約を続けていたのが馬鹿だった!もっと早くにこうするべきだったんだ!」
そうね、もっと早くに婚約が無くなっていれば。なんて、考えてももう遅い。
私の周囲では小声で「シャウラ嬢のような大人しい令嬢が?」という驚きの声が聞こえる。
私は確認の為に、久しぶりにファイに言葉を発した。
「お父様方からの了承は…?」
「当然だ!うちの父はイエラの家と繋がれて喜んでいる」
私はゆっくり瞳を閉じて、泣き出したいのを堪える。
「かしこまりました、後日両家で婚約時の取り決めについての処理を進めましょう。それと」
大きく、息を吸って。
「ずっと、貴方が好きでした。どうかお幸せに」
せめて最後は、微笑みを。
私はファイ、ずっと貴方だけを、好きだった。
私は卒業パーティを抜け出し、帰宅してから部屋に閉じ込もりひたすら泣いた。
どうすれば正解だったのだろう。
沢山の物語の中で、物語の主人公の彼女たちは幸せを掴んでいた。
ある少女は突然目覚めた不思議な力で世界を救って。ある少女は持ち前の人懐っこさで身分違いの恋を叶えて。ある婚約破棄された少女の物語では、身分の高い方々に認められる才能で元婚約者を見返して。
「私は?」
不思議な力なんて無いの。現実で王太子殿下に馴れ馴れしくしたら問題なの。才能なんて私には無いの。身分の高い方々のお知り合いなんて居ないの。だって知り合いになるにも、うちはどこの派閥にも属していないのにいきなり近寄るなんて出来ない。
ねえ、何も持っていない人間は、物語の主人公にはなれないの?
泣いて泣いて泣いて。
私だって、あの子のようにファイの隣で、お話に出てくるような恋をしたかった。
もっとファイに笑って欲しかった。沢山話をしたかった。
けれどそれはもう叶わない。
ロレーヌ家とアサンティン家での婚約破棄の手続きは、あっさりと終わって私とファイの縁は切れた。
「まさかよりにもよって卒業パーティで婚約破棄されるとは…」
私と同じ色の髪をワシワシと掻き乱しながら、お父様は苦々しげに言う。
「何故ファイの心を他人に許した!あのような場で婚約破棄された娘を貰ってくれる家なんて…」
「申し訳ございません、私が至らなかったのです」
私がもっと努力をしていたとして、何が変わったのだろう。
そう思ったけれど私は口には出さなかった。
「……1つだけ、婚約破棄の噂が貴族の間で駆け巡って直ぐに婚約の打診をしてきた家がある」
今まで見た事の無いような怖い顔で、お父様は吐き捨てるように私に告げた。
「イオライ辺境伯が後妻をお求めだ。こんなのでも欲しがってくれるとは有難い事だな」
イオライ辺境伯は確かお父様と2歳しか歳が変わらない方だ。以前奥様がいらっしゃったものの、跡継ぎを成す事無く奥様はお亡くなりになった。それから何度か再婚相手を探していたらしいけれど、婚約者不在の女性が居たとしてもその家の当主が拒否するので今まで再婚相手は見付からなかったはず。
……なんかもう、いいかな。
私は静かに頷いて、イオライ辺境伯の元へ嫁ぐ事が決まった。
私は父にとっても「こんなの」だった。
仕方ないわ、家の為だもの。私が「こんなの」なんだもの。
ねえ、けれど「こんなの」が主人公の物語はつまらないかしら。
ただただ、好きな人の、父の、きっと次は辺境伯の言葉に従うだけの存在の物語なんてつまらない?
ふふっ、そうね、きっと誰も読まないの。
けれどこれが現実だから仕方ないの。
辺境伯家でもきっと私は変わらない。
「君がシャウラ嬢か」
初めてお会いした辺境伯は、私を見て申し訳ないような顔をしていた。
「アート・イオライだ、アートと呼んでくれ」
「シャウラ・ロレーヌと申します、至らぬ点が多いかと思いますが、何卒よろしくお願い致しますアート様」
綺麗な銀髪に、鋭い深い青い瞳。
ファイと同じ青だけど、ファイより綺麗。
眉間に深く刻まれたシワはどうしてかしら。年齢によるものではない気がするわ。
「先に言っておくが、君が望むのなら白い結婚で構わない。親類に男児が生まれさえすれば跡継ぎとして養子に迎える予定だし、その後離縁すれば君は自由だ」
「そうですか、やはり『こんなの』との結婚は嫌ですよね」
白い結婚をして離縁したとして、私はどうやって生きていくのだろう。
だって私は「こんなの」で、何の価値も無い人間で、何一つ出来やしないのに。
「あまり自分を卑下するのはやめなさい。婚約破棄の噂や君の学園での評判を聞いた限りでも、君は何も悪くない」
「いいえ、私の努力が足りなかったのです。どうか、今後アート様が納得されるまで、努力を致しますのでおそばに置いてください」
困ったような顔をして、アート様は「いつまでも居ればいい」と言った。
イオライ辺境伯家に嫁いだ後私は、書類関連から仕事を始めた。
このくらいなら、いくら何も出来ない私でも出来る。
アート様はそれだけで喜んで褒めてくださった。
それだけでなく、頻繁にアート様に外出のお誘いをしてもらって。
「こんなのを隣に置くのはアート様の評判に傷が付いてしまうのでは…」
「それを言うのなら、こんな年寄りと歩く君の方ではないか?」
「アート様は父より年下なのですから、年寄りなんて言わないでください」
少しずつ、アート様との距離が縮んでいる気がした。
他愛ない事を話して、他愛ない事で笑って。
アート様は私を褒めてくださる、こんな私を。
何だかとても心地好くて。
「シャウラ、君はいつも自分を『こんなの』と言うが、やめないか」
「何故です?婚約破棄された愛嬌も無いこんな女なのに」
真っ直ぐに、私の目を見て。
「私はシャウラ、君が好きだ。好きな女性が『こんなの』と言うのを許せる男は居ないんだ」
「アート様…」
「もちろん、君が望むのであれば離縁は…」
「しません。きっと私ももうすぐ、アート様を…」
好きになってしまうかもしれません。
その言葉が言えなかった。
どんなにアート様に言われても、私は婚約者にも父にも「こんなの」と言われてしまう女なのだから。
「離縁しないのなら少しずつでいい、どうか、私の言葉を受け入れて欲しい。想いではなく、言葉を。君は誰が何と言おうと素敵な女性だ」
それからは、毎日アート様は私に想いと言葉を伝えてくれた。
「愛している」「君は自己評価が低過ぎる」「君以外有り得ない」「もっと自信を持っていい」……沢山の言葉を私にくれた。
私はそれでも、まだ怖い。
けど
「アート様」
今ならきっと、あの時より笑顔で言えるだろうなとは思う。
「好きです」
私の言葉に微笑みながら、そっと唇に触れたのは。
きっとつまらないかもしれない。だって「こんなの」と呼ばれた女の話だもの。
けれどいいの。目の前に居るこの人が、私を愛してくれたから。
これは、元婚約者と父の言う事に従って、父とそんなに歳の変わらない方の後妻となった私の、私だけの物語。