61 ケンゾーは名前を憶えられない
その頃の8課ご一行です。
サメ映画『セーヌ河の水面の下に』を鑑賞! 『ジョーズ』みたいな正統派サメ映画で始まるのだけど、
物語中盤あたりから、どんどん雲行きが怪しくなって、最終的にはとんでもないことになっちゃうという大傑作です。いい人なんだけど人の話を聞かない環境保護団体娘とか、手柄優先の市長とか、とにかくいろいろみんなサメ退治を邪魔してくるんです。ずっとヒリヒリした緊張感が漂っていて、それがまた心地よいです。未見の方はぜひぜひ!
「パノラマ、パノラマ、パノラマ♪」
じりじりと進んでいくハイエースの中で、ヒルヒルが歌う。
「『白いハイウェイ』だよなそれ。なんで君は知ってる?」
「サブスクは充実している世代ですから」
和三郎のツッコミを軽くいなし、巻上公一チックに熱唱するヒルヒル。
「しかし、進まないねえ」
田部サンが2本目のウイルキンソンをぷしゅっと開けた。
「途中で迂回させてるはずっすよ。なんせ緊急事態ですからね」
カデちゃんが言うとおり、壁を乗り越えてアレソレがスタンピードを起こしているのだ。普段は光化学スモッグが発生しましたとか、5時になりました、お家へ帰りましょう。なんていう牧歌的なお知らせを告知するスピーカーからは、警告音と家から出ないようにというアブなかっしい告知が流れている。
「一般車を迂回させてる地点までたどり着ければ、さくっと行けるはずっス」
その分、アレソレとの遭遇率も上がって、危険度も上がるんだよねえ。
「和三盆、とりあえず何人か召喚んで、先行してもらおうか」
「るるー」
ケンゾーが提案する。確かにこの進み具合では派出所が悲惨なことになりかねない、というかもうなっているだろう。
「そうだねえ、先に行ってもらうと山梨県警も助かるかもだね。お願いできる?」
ケンゾーは頷いたが、困り顔になる。
「やっぱり名前憶えてないのか」
和三郎が指摘すると、ケンゾーはうなずく。
「ローマ時代の魚醤と同じ響きなんだよね」
「あああー、こないだあんなにたくさん召喚んでたじゃないっすか」
「ごくりだっけ?」
「それ指輪物語の方。もーガルムっすよ、ガルム!」
ケンゾーはカデちゃんを指差す。
「それな」
懐からカードを取り出すケンゾー。その掌でマルクト魔導札乙式は表面に円錐型の突起を生成した。
渋滞で止まったまま動かないハイエースから、ケンゾーは道路のわきへと向かった。
円錐形の先端がパリンと割れて、ガルム鼻先がぴょこりと現れた。前回召喚んだ時同様にガルムは頸だけ出すと、周囲をクンカクンカとかぎまわった。最終的にケンゾーと目が合うのも前回でおなじみの情景だった。初めてガルム出現シーンを目撃した和三郎とヒルヒルが、眼を輝かしてケンゾーの一挙手一投足を見つめている。
「やあ、ガルム達。先行して白いヒョロヒョロを迎え撃ってくれないかい」
「わふっ」
ガルムは気持ちよく返事を返すと、にょろにょろとカードから姿を現した。全部で5匹のガルムがにょろにょろと這い出してきた。突然、普通車サイズの狼が5匹もワラワラと現れたものだから、周囲の運転手が涙目になっている。5匹は鼻をぴくぴくさせると、ハイエースが向かう道路の先をひたっと見据えた。どうやら白いヒョロヒョロ(本栖湖派出所の第一報でアレソレはそう呼ばれていた)は、確かに居るらしい。
「じゃあ、頼んだよガルム達」
「わふっ」
ガルムは気持ちいい返事を返すと、巧みに車をよけながら疾走を開始。瞬く間にその姿は見えなくなった。
「ケンゾさん、ケンゾさん!」
勘解由小路檸檬がケンゾーに声をかけた。ケンゾーはぼんやりとハイエースの運転席側から身体を乗り出しているカデちゃんをみつめた。
「蜘蛛姉ぇもお願い!」
ケンゾーはゆっくりと頷くと、しばし考えだした。ゆっくりと首をひねり出した。
あ、これは憶えてないやつだ。
ケンゾーは困ったように和三郎を見つめて口を開いた。
「織物対決の勝者! なんだけど対戦相手に殴り殺されちゃう女!」
「ひどい所業だね、ギリシャの女神様ったら。周辺情報はきっちり記憶してるくせに。
アラクネー! アラクネーだよ!」
ケンゾー大きく、うなずきつつ指を指す。
「それな」
「いやいや、それなじゃないよね、リンちゃん」
「る?」
リンちゃんは口の周りを黒蜜ときな粉塗れにしていた。信玄餅と格闘中故、今のやり取りに気づいていないのだ。
「あー、なんでもないよ。たんとお食べ」
「るるるっ!」
ほんとに8課の人たちは緊張感がないと思う。




