蟲喰
どうも、星野紗奈です!
初の、夏のホラー2023参加作品です。
分野的には「意味が分かると怖い話」みたいな感じになりました。
筆者の恐怖耐性の問題であんまり怖くないと思いますので、安心して読んでください(笑)
それでは、どうぞ↓↓
(提供:匿名N)
これは、私が高校三年生の時の話です。
私にはとても仲の良いRという友人がいました。
Rと出会ったのは高校に入学してしばらく経ってからでしたが、お互いの家が近いことや同じ塾に通っていることが分かると一緒に帰るようになり、気づけばたくさんの時間を共に過ごすようになっていました。
特に、高校三年生になって学校と塾と自宅の三カ所を行き来するような生活になってからは、自由時間のほとんどをRと過ごしていたと言っても過言ではないかもしれません。
そんな彼女が変わってしまうきっかけとなったのは、ある日の相談でした。
Rは塾から家に向かっている最中、私にこう言いました。
「私、最近幻覚がひどくてさ。勉強してる時とか、歩いている時とか、しょっちゅう虫が見えちゃって困ってるんだよね」
言われてみれば確かに、彼女の顔色は悪かったような気がします。
その幻覚というのは、恐らくですが受験勉強のストレスによるものだろうと私はすぐに思い至りました。
私自身も時折そうしたものを目にすることがあったので、その現象自体は特に不思議には感じませんでした。
ですが、彼女が大の虫嫌いであることは私も知っていたので、それが彼女にとって私が体験する以上に重大な問題であることはすぐにわかりました。
手のつけようもない深刻な状況になっていたらどうしようと心配になった私は、「他の誰かに相談はしたの?」とRに聞いてみました。
すると、Rはこう返します。
「してないよ。だって、家族に心配かけたくないもん。自分の子どもが頭おかしくなってるなんて知ったらきっと戸惑うだろうし。それに……もし病院に行ったとしても、診療代とか薬代とか、さらにお金がかかるっていうのも、きっと迷惑になっちゃうから」
そう言って力なく笑ったのを見て、私はRが精神的にかなり追い詰められているのではないかと不安になるばかりでした。
とはいえ、彼女はどちらかと言えばしっかりした性格なので、インターネットなどで調べられるような対策はもう既にやり尽くしてしまったのではないかと思いました。
何か別の新しい方法はないものか……そう考えて、私はあることを提案しました。
それは、架空の生物をつくりあげることでした。
現実に存在しないものに対抗するためには、現実に存在しないもので戦うのが一番だろうと考えたのです。
我ながら突拍子もない提案だとは思いましたが、意外にもRは乗り気でした。
同じ単語を何度も書いたりひたすら方程式を解いたり息の詰まるような勉強の時間ばかりでしたから、ちょっとした創作のようなものが息抜きになると考えたのかもしれません。
そうして、私とRは帰りの時間を使って幻覚の虫に対処できる新しい生物の設定を練り始めたのです。
名前は蟲喰。
私たちはそれを「はみちゃん」と呼んでいました。
大きさは小型犬より少し小さいくらいで、体長は約20cmといったところでしょうか。
少々派手ですが、紫色のハンディモップのような素材の毛が全身からイソギンチャクみたいに生えています。
牛みたいに二つに割れた蹄を持つ足は、丸々とした胴体に反して非常に細いです。
特に顔と区分できる場所はなく、胴体の前方にたった一つの大きな瞳がついています。
一見して口に該当するものは見当たりませんが、おそらく胴体のどこかにそういった箇所があるのでしょう。
身体の後部についている馬のような尾の先の房で、私たちの幻覚として現れた虫を捕食するのです。
はみちゃんをつくり出してから、Rの顔色は幾分か明るくなりました。
彼女にとって思いのほか良い薬となったことに私は胸を撫でおろしましたが、しばらくすると異変が起こりました。
いつも通りの帰り道、ふとRが道路わきをじっと見つめて足を止めました。
その視線の先にあったのは、何だかそれっぽい段ボール箱でした。
もしかしてペットでも捨てられているのでは……といてもたってもいられなくなった私たち二人は、躊躇なくそれに近寄っていきました。
中身を見て、私は息をつきました。
空っぽの、ただの空き箱でした。
おそらくゴミとして捨てられたものが放置されていただけで、特に深い事情もないだろう。
そう察して私が踵を返そうとしたとき、こんな声が聞こえたのです。
「あ、はみちゃんだ!」
Rの言葉に私は振り返って目を見開きました。
しかし、そこにあるのは空の段ボール箱のみ。
それにも関わらずRはまるで動物園のふれあいコーナーにでもいるかのように空っぽの箱の中に声をかけ続けているのです。
「かわいい~! ねえ、Nもこっち来なよ!」
初めはドッキリでも仕掛けられているのかと思いました。
しかし、振り返って私を誘うその眼は確かな喜びを映していました。
そして、私はようやく状況を理解したのです。
Rには本当にはみちゃんが見えているのだ、と。
それからRはどんどんおかしくなっていきました。
初めは容姿を褒める言葉を発するくらいでしたが、気がつけばRはペットと接するのとほとんど変わらない感じではみちゃんに触れるようになっていました。
傍から見ればそれはパントマイムのようでしたが、Rの手つきは実在しないものを撫でているにしてはあまりに自然な手つきで気味が悪いと思いました。
またある時には、はみちゃんのために餌を持ってきたこともありました。
はみちゃんの主食は私たちの生み出す幻覚の虫であったはずなのに、という考えはもちろん私の頭にも浮かびました。
しかし、それを指摘するとRはいつもこう返事するのです。
「それはそうだけど……はみちゃん、虫ばっかり食べてたら飽きちゃうでしょ? ほら、犬や猫にだってたまには特別なおやつがあるわけだしさ」
まるではみちゃんに意思があるような物言いでした。
Rは確かにはみちゃんを現実の生物として扱っていました。
もちろんはみちゃんは存在しないので、現実にある物を与えてもそれが消化されてなくなることはありません。
Rが持ってくる餌はリンゴやバナナといった生の果物が多かったので、それらは段ボール箱の前で虚しく腐るばかりでした。
帰り道、集る蝿に眉をひそめながらも、ペットの世話は自分の責務といった感じでRは異臭を放つ果物を拾い上げごみ袋に入れます。
その口を閉めながら、Rはいつも何気なく呟くのです。
「はみちゃん、今日も食べてくれなかったなあ」
私がはみちゃんの存在を疑うようなことを言うと、Rは激怒しました。
普段は比較的情緒がおとなしい方だったので、私はRがあんなに感情を露出したのを初めて見ました。
こんなに性格が変わってしまったのなら周囲の誰かが異変に気づくのではないかと思いましたが、Rがああなってしまうのは不思議とはみちゃんの傍にいる時だけで、普段の家庭や学校での生活は何一つおかしくなっていないようでした。
様子が変わっていく友人を目の前に、距離を置くことを考えなかったわけではありません。
ですが、彼女一人ではみちゃんとの接触を続けてしまったらなんだかもっと恐ろしいことになるような気がしてならなかったのです。
結局、今一人にするのは得策ではないだろうからと自分に言い聞かせて、私は彼女のことを見守ることにしました。
それに、もしRの精神的ストレスが大学受験に起因しているのだとしたら、受験勉強が終わる頃にはきっとはみちゃんの存在に頼らなくても大丈夫になるはず。
そう信じて、私は受験が終わったらちゃんと言おうと決めると、虚無の空間に手を伸ばす彼女の背中を黙って見つめていました。
それから数カ月ほど、私はRの様子をうかがっていました。
おかしくなったとは言いましたが、はみちゃんを実在するペットみたいに扱う以外には特に変わったことも起きませんでした。
目立ったトラブルもなく、至って穏やかな日々でした。
どちらかと言えば、影響されていたのは私の方だったかもしれません。
Rがはみちゃんと一緒にいる間、彼女の言い分に反発するような発言は許されなかったので、私はRに話をあわせていました。
そのうちに、私にも薄ぼんやりと紫色の輪郭が見えてきたのです。
あれがはみちゃんだったのだと思います。
もし私がRのおかしさを気にしていなければ、私は何も考えずにその存在を受け入れていたに違いありません。
酷い話ですが、私はRを反面教師にすることでなんとかそれを耐え忍ぶことができたのです。
そうしてようやく、受験が終わりました。
喜ばしいことに、私たち二人はどちらも第一志望の大学に合格することができました。
「んー、やっと終わって一安心って感じ! もちろん私も嬉しいけどさ、学校とか塾の先生とかも喜んでくれてるの見たら、ほんと、頑張って良かったーって思うよね」
塾に合格の報告をした帰り道、私はRに「そうだね」と頷き返しながら密かに胸を撫でおろしていました。
大学受験が終わった今、彼女のストレスはかなり軽くなったに違いない。
今日こそははみちゃんの存在をきちんと説明し直そうと改めて意気込んだとき、Rがまたあの空っぽの段ボール箱の前にしゃがみこみました。
「はみちゃん、おまたせ! 寂しくなかった? 今日はね、嬉しい報告があるんだよ~」
Rは満面の笑みでいつものように何もいない箱の中に声をかけています。
こういう話を切り出すのは早い方が良いだろうと思って、私は早速彼女に歩み寄りました。
すると、Rが珍しく段ボール箱の中から視線をそらしました。
そして突然叫びました。
「はみちゃん!」
Rは勢いよく駆け出しました。
まるで、私には見えていない何かを追いかけるみたいに。
私は驚きと恐怖と気味の悪さで、唖然として声も出せずにその場に取り残されました。
Rは私のことなど気にも留めずに一人で走り続けます。
そして私がようやく「待って」と口を開けるようになった時には、彼女の身体は既に交差点へと投げ出されており――――。
私は思わず目を閉じました。
キーン、と耳鳴りがしました。
親しい友人の死を目にするのが恐ろしくて、私はぎゅっと目をつむり、耳を塞ぎ、自分の浅い呼吸と微かに唸る血流を感じていました。
それからどれくらい時間が経ったか分かりませんが、しばらくして体の強張りがするすると解けていきました。
恐る恐る目を開けると、視界に広がるのは見慣れた帰路。
交差点に飛び込んでしまったRの姿はもちろんありませんが、はみちゃんが入っていたらしい段ボール箱も見当たりません。
不審に思って、意を決した私は震える脚を引きずって交差点の角の先を覗き込みました。
音もなく息がもれました。
恐れていたRの死体は、どこにもなかったのです。
それどころか、そもそもその近辺にRがいませんでした。
忽然と消えてしまった彼女を探してきょろきょろと見回していると、ふと白い車体が私の目に映ります。
あの時Rを轢いたように見えたトラックです。
しかしトラックは少し先の道路わきに静かに停車しており、乗車していたらしい人がせっせと荷を下ろしていました。
ごく普遍的な、日常の一風景にすぎない光景でした。
そのとき、私はようやく気がつきました。
元々おかしかったのは私の方で、Rなんて最初から存在しなかったのだと。
はみちゃんだけでなく、Rも私にとって架空の存在……いわゆるイマジナリーフレンドというやつだったのでしょう。
どういう経緯でRが誕生したのかは私にも分かりかねますが……。
とにかく、はみちゃんもRもこの世界にはいなくて、そもそも仲の良い友人がおかしくなってしまったという問題すら存在しえなかったのです。
そうと分かってしまえば、随分気が楽でした。
一つ深呼吸をすると全身にまとわりついていた恐怖は蒸散し、私はもう問題なく体を動かせるようになっていました。
はみちゃんも、Rも、全部私の妄想。
私が怖がっていたのは、ただの虚構。
だから、何も怖いことはない。
世界が変わったような、驚くほど爽やかな気分でした。
私は上機嫌に交差点を渡ると、騒がしい人混みを抜け、一人家へと帰りついたのでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました~!