8.消えた犯人
「それで、学校が夏休みになったので、友達の実家に遊びに行ったことにして、一週間ほどここにいました。
彼女が別館の舞踏会に顔を出す日は、ここで留守番して」
「え、一週間も居続け!?」
一夜でさっくり放り出されたユーグが素っ頓狂な声を上げる。
皆の視線が集まり、ユーグはもがもがと黙り込んだがなにやら胡乱な眼でルネをガン見している。
自分と明らかに対応が違う理由を、ぐるぐる妄想している様子だ。
ルネは、ユーグの視線を避けるようにうつむいて話を続けた。
「地方にいる友達が王都に出てきてて、彼女にも勧められたんで、今日は夕方から街に出かけました。
一晩飲み明かすつもりだったけど、俺がいない間に、誰か来るんじゃないかって不安になって、戻ってみたら、凄い音が聞こえて。
玄関が開けっ放しだし、慌てて2階に上がったら、その……閣下が血まみれの彼女にとどめを刺そうとしているように見えて、つい……」
ルネは次第に消え入りそうな声になる。
はっきりと公爵の名を口に出さないのは、本来、平民である自分が勝手に話しかけてよい相手ではないからだろう。
「お父様の馬車の音は聞こえたけれど、あなたの馬車の音は聞こえなかった。
どうやって戻ってきたの?」
「丘のふもとの広場まで辻馬車で来て、歩いて坂を上がりました。
ゆっくり上がってきたんで、30分近くかかったと思います。
不意打ちで戻ったら、信頼していないのかと怒らせてしまわないかとか、本当に誰か来ていたらどうしようとか、色々迷いながらだったので」
「なるほど。
上がってくる途中、誰か見かけたかしら?」
「ええと……辻馬車が後ろから来て、脇に避けて。
あとは今、前庭に停まっている黒塗りの馬車に追い越されたくらいで。
歩いている人も馬で移動している人も、見た覚えはありません」
タイミングからして、辻馬車は、今も裏手で待機しているカタリナ達の馬車、黒塗りの馬車は公爵の馬車ということだろう。
「降りてくる人もいなかったの?」
「降りてくる人はいませんでした。馬車も人も馬も」
ふむ、とカタリナは頷いた。
ということは──
「ちょ、ちょっと待ってくれ。
それじゃ犯人はどこに消えたんだ?」
ユーグが声を上げた。
「え? どゆこと?」
ジュリエットがきょとんと問い返す。
「この様子じゃ、彼女が刺されてからそんなに時間は経ってないはず。
だけど裏口には僕らがいて、正面からは閣下とルネが来た。
そしてルネはあの一本道を降りてきた者を見てないってことは、犯人はまだこの家の中にいるってことですか!?」
「その可能性は、それなりにあるわね。
ま、犯人がわたくし達を巧くやり過ごしたってことも考えられるけれど」
カタリナは頷いた。
もう少し言えば、カタリナ達3人、父、ルネにはオランピアを刺すことはできなかったはず。
これでもし一階や庭に犯人が潜んでいなかったら不可能状況ということになるのだが──
「お父様。もう一度伺いますけれど、彼女となにがあったんです?
このままではわたくし、お父様を容疑者として官憲に突き出さねばなりませんわ」
カタリナは、一階や庭を家探しするより先に、父に再度問うた。
父の執事が、御者や従僕に周辺を警戒させているはずだから、仮に犯人が逃げ出そうとしたらすぐに捕えられる。
それよりも、父がなぜここにいて、なにを見聞きしたのかが先だ。
実際には、カタリナは父が犯人だと思っていない。
そもそもたかが高級娼婦一人、父がみずから手を下さなくてもいくらでも消しようはある。
だが、警察沙汰になれば、第一発見者である父がまず疑われるのは明らかだ。
公爵は低く唸った。
「これから儂が言うことを、生涯他言せぬと正義の女神ユスティアに誓ってほしい。
カタリナ、お前もだ」
きょとりとしたままジュリエットが誓い、おどおどとユーグとルネ、侍女も誓う。
最後に、露骨にめんどくさそうにカタリナが誓った。
公爵は深々とため息をついて、ちらりとカタリナを見上げる。
「ナターリア・シャレー……通称オランピアは、おそらく儂の腹違いの妹、お前の叔母だ」
は!?とカタリナはのけぞった。