6.収まりが悪い
ユーグも復活したようで、ちょうど向かいの部屋から布団やら枕やら持ってきたところだった。
あちらは寝室らしい。
公爵とユーグには壁を向かせ、ジュリエットは侍女に手伝わせて血を拭い、バスローブの下は真っ裸だったオランピアに下着と化粧着を着せ、枕と布団を使って、もこもこにくるんでいく。
その間、カタリナは部屋の中を見て回った。
この部屋から廊下に出る扉は、父が吹き飛ばしたものだけ。
そして、右に1つ、左に2つ扉がある。
左手の奥側は、さっきユーグが布団を持ってきた部屋。
案の定、入ってみるとバカでかい寝台がどーんと置いてある。
暗い赤を基調に、壁にも柱にも縦長の鏡がたくさんはめ込まれていて、かなり異様な雰囲気だ。
眼をそらしつつ一周し、鎧戸が閉まっていることを確認し、寝台の下やカーテンの影なども覗いてみたが、人の気配はない。
もう一つの扉をそっと開くと、左右にドレスがずらりと吊るされたクローゼットだった。
一流のクチュールが仕立てたドレスばかりだ。
ざっくり、ドレスを動かしながら、その影に人が隠れていないかチェックする。
ふと、コースターのような薄い丸板が、寝室側の壁にいくつも貼られているのが目に入った。
なんだこれ?と触れてみると、くるんと回転し、小さな穴が現れた。
覗き込んでみると、寝台が丸見えで、慌てて身を引く。
「……なるほど」
オランピアは窃視症の客にも対応しているようだ。
ユーグの話を聞いていて、客としか思えない紳士が一緒にいるのに若い男に声をかけたこと、さらに紳士が途中で帰ったことがカタリナには腑に落ちなかった。
だが、最初から客に情事を覗かせるためにユーグに声をかけたのだろう。
もしかしたら紳士が、ぽわぽわした若い男がオランピアに誘惑されるところが見たいとかなんとかでユーグを選んだのかもしれない。
せっかく獲った万馬券を差し出さなくても、オランピアの方からじきに誘惑してきただろうに、とカタリナは無の表情になった。
というか、隅の方に、やたらフリフリした特大サイズのドレスが何着もかかっているのはどういうことなのだろう。
どう見ても身幅は自分のドレスの倍以上ある。
丈も明らかに長いし、もしかして大柄な男性が着るのだろうか。
ぶんぶんと首を横に振って、カタリナは余計な想像を頭から追い出した。
サン・ラザール公爵令嬢たる自分が首を突っ込むべき話ではない。
なにはともあれ、こちらも鎧戸はロックされていた。
天井近くに通風孔もあったが、人が通れるものではない。
いったん廊下に出て、2階の造りを確認する。
廊下に通じる扉があるのはオランピアが倒れていた私室だけ。
2階は私室、バスルーム、寝室とクローゼットのみで、私室以外の部屋から直接廊下に出ることはできない。
どの部屋も鎧戸が締められていて、窓からの脱出は不可能だ。
ふむ、と首を傾げて、カタリナは私室に戻った。
書き物机の上には、羽ペン、インク壺、吸い取り紙、鉛筆などの文房具一式がトレーに並べられている。
ドレッサーの蓋を開けると、カタリナも使っている高級化粧品がずらりと並んでいた。
脇には大きなアクセサリーケースがあり、真珠や珊瑚のネックレスが何本か吊られている。
どれも良品で、大きな魔石を飾った、かなり価値があるものもあった。
ブローチ、指輪、イヤリングの類もケースにきちんと分類されている。
オランピアは几帳面なたちのようだ。
一通り部屋の中を見て取ったカタリナは、床の様子を眺めた。
深い緑色の絨毯のあちこちに、血が落ちている。
特に、書き物机のそばで、派手に飛び散っていた。
おそらくここで、首を刺されたのだろう。
そして、血のしずくがドアに向かって続き、外から見てドアの右手の壁、低いところにも血がこすれたような跡があり、絨毯にも大きな血の染みがある。
そこから少し中に入ったところが、さっき父がオランピアを抱え込んでいた場所だ。
んん?と首を傾げて、カタリナは踵を返した。
部屋の奥、父の魔法で窓際まで吹き飛ばされた扉を観察する。
ひっくり返すと、扉の裏側、つまり部屋の内側になっていた方から鍵が刺さったままだった。
襲われてから、鍵を探して挿し込む余裕はなかったはず。
たまに、室内にいる時は鍵を挿しっぱなしにしておく人がいるから、オランピアもそうしていたのかもしれない。
デッドボルトは根本でぱっきり折れている。
つまり、父に吹き飛ばされた瞬間、鍵はかかっていたということだ。
ドアは左開き。
オランピアがしゃがみこんでいたと思われるドアの脇から腕を伸ばせば、ぎりぎり鍵を回すことができる。
顔を近づけて見てみると、鍵の持ち手は血で汚れていた。
扉が破られた後、犯人はいなかったのだから、オランピアが鍵をかけたとみるのが妥当だろう。
そして、ざっくり見た範囲では、ナイフや短剣、ハサミなど凶器になりそうなものはなかった。
凶器が見当たらないのだから、オランピアの自殺未遂ではありえない。
部屋をひっくり返せば刃物が出てくる可能性はあるが、あの怪我では鍵をかけるだけでいっぱいいっぱい、オランピア自身がどこかに隠す余裕はなかっただろう。
襲撃者が持ち去った可能性が高い。
わかったことをつなぎ合わせると──
入浴していたオランピアは襲撃され、とっさにバスローブだけ羽織って逃げようとした。
しかし書き物机のあたりまでいったところで、首を刺されてしまった。
そして襲撃者が凶器を持って外に出た後、片手で傷口を抑えながら、自分で内側から鍵をかけた、という流れが想定できる。
そのまま気を失いかかっていたところに、まず勝手口の側に自分達が来て、玄関から父、その後からまだ床の上に転がってうめいている若者が来た。
先に二階に上がった父が異変に気づいて扉を吹き飛ばし、そのすぐ後に若者と自分たちがなだれ込んだということになる。
「……収まりが悪いわね」
カタリナは呟いた。
なぜ犯人は、瀕死のオランピアにとどめを刺さず、凶器を持って逃げたのだろう。
殺そうと思えば、殺せたはずだ。
オランピアを殺すのが目的ではなく、なにか──たとえば、ユーグのポエムよりもっとシリアスな内容が書かれた手紙──を奪うつもりで押し入り、バスルームから出てきたオランピアを咄嗟に刺して、逃げたということなのか。
しかし、窃盗が目的ならば、オランピア本人と侍女がいるタイミングで押し入るというのがよくわからない。
舞踏会を開催する日なら、オランピアは朝まで帰ってこない。
盗みが目的ならば、その日を狙うべきだろう。
ジュリエット「このシチュエーション、ほんとだったら『密室殺人だー!』って盛り上がれるかもなのに、カタリナ様が秒で『被害者が内側から鍵かけた』って解いちゃうから……」
カタリナ「見ればわかることを謎だ謎だって騒いでも意味がないじゃない」