4.悪女の館
とかやっているうちに、馬車は丘のふもとにあるテルトー広場に着いた。
ここから上りになるのだが、このあたりの住人は夜が早いのか、他の馬車も通行人も見かけない。
だらだらと丘を登る一本道を登りきったところで、「あれです」とユーグは高い塀に囲まれた邸宅を指した。
満月の光に照らされたオランピアの私邸は、小ぢんまりとした瀟洒な隠居所といった風情だった。
全体はL字型で、長辺のまんなかに玄関があり、短辺にあたる部分のみ二階建てになっているそうだ。
ユーグは御者に声をかけ、門の前を通り過ぎ、裏手に回るように指示する。
門扉の間から見えた玄関付近には、馬車は停まっていなかった。
とりあえず、来客はいないように見える。
といっても、辻馬車で来ていたらわからないが。
邸宅の裏手は、馬車を切り返すための空き地になっていた。
その少し手前に辻馬車を止めさせて、三人はぞろぞろと降りた。
裏門は閉じてはいたが、軽く押すと普通に開く。
不用心ね、とカタリナは呟いた。
ユーグが言うには、料理人や下女、御者や馬丁は通いで、夜間はオランピアと侍女の2人らしい。
客を人目に晒さないための習慣なのだろうか。
ユーグを先頭に、そうっと裏庭に入った。
まっすぐ行ったところに勝手口がある。
右手に見える二階から、鎧戸越しに明かりは漏れているが、造りからして厨房や使用人の部屋になっていそうなこちら側は薄暗い。
ユーグはささっと勝手口に近づくと中の気配を伺った。
「ちょっと。あなただって伯爵家の人間なんだから、空き巣狙いみたいなことしないでよ」
カタリナが小声で叱ると「いや、客が来ているかどうか確認したいので」ともがもが言う。
「お客がいないようなら、玄関の方にまわります?」
特に声も抑えずに、ジュリエットがのんきな様子で言いだしたところで、邸宅の表側から物音がした。
車輪が石畳を踏む音。
馬車が入ってきたようだ。
すぐに、ノッカーを打つ音が響く。
「誰か来たようね」
「どどどどうしましょう??」
「いや、オランピアが帰ってきたのかも?」
「平民は、自分の家の鍵を持っているものなんじゃないの?
自分で開ければいいじゃない」
三人がひそひそ話し合っているうちに、迎えが出ないことに苛立ったのか、客?はノッカーを乱打し始めた。
勝手口の向こうで物音がした。
侍女が迎えに出るようだ。
気配はなかったのに、人がいたのかと背筋が冷える。
勝手口の近くでなんとなく息を潜めていると、ぱっと一階の明かりが灯った。
鎧戸はすべて閉ざされているから中は見えないが、窓は開いたままなのか音はよく聞こえる。
期せずして、三人は手近な鎧戸の脇にへばりついた。
来訪者?は、侍女と一緒に二階へ上がったようだ。
遠慮のない足音からすると男性かもしれない。
男性が大声でなにか呼びかけている。
どうも年配の男性のようだ。
そして、二階のドアを連打している音。
すぐに、二階からドンっと大きな音がし、三人はびくっと跳ねた。
周囲の魔素が、波打つように揺れる。
強い魔法で扉を破ったらしい。
なにが起きているのかと三人は顔を見合わせた。
と、ここで玄関の方から新たな客がやって来たようだ。
表の扉が開けっ放しになっていたのか、大声で呼びかけながらどんどんホールに入ってくる。
すぐに新たな客らしき足音が、だだだっと階段を駆け上がり──
「貴様誰だ! オランピアになにをした!?」
若い男の叫びが響いた。
「貴様こそ何者だ!?」
先客と若い男で、争っているようだ。
「よくわかんないけど、なんかヤバいっぽいですね」
ジュリエットがびゃっと動いて勝手口を開くと、中に飛び込んだ。
慌てて、カタリナとユーグも後を追う。
勝手口に入ってすぐは廊下。
厨房や使用人の部屋らしき質素なドアがいくつも並んでいる。
廊下を抜けると、魔導シャンデリアが飾られた吹き抜けの玄関ホール。
ホールには二階へ続く階段があり、上で揉めているようだ。
二階の廊下で、ナイトキャップですっぽり頭を覆い、夜用ガウンをきっちり着込んだ女がおろおろしているのが見えた。
侍女のようだ。
三人は一気に階段を駆け上がった。
階段を上がった少し先、二階部分の真ん中にある扉がなくなっている。
さっきの魔法で吹き飛ばされたのだ。
丸見えになった部屋の中には──
右手で左の首元を抑えたまま、ほとんど失神している黒髪の女。
風呂に入っていたところだったのか、つややかな髪はびしょびしょに濡れたまま。
バスローブ一枚で、真っ白な腿が覗いている。
左側は、血で真っ赤に染まっていた。
言うまでもなく、オランピアだ。
夜会服姿で床の上で女を抱きかかえ、女の手の上から首を抑えている片眼鏡を嵌めた、金髪の年配の紳士。
そして、年配の紳士を女から引き剥がそうとしながらわめいている、これも夜会服姿で、赤毛をつんつんに短く切った若い男。
部屋はかなり広い。
婦人の私室らしく、右手奥に書物をする机、左手奥に大きなドレッサー、手前に寝椅子やら肘掛け椅子やらがゆとりを持って配置されていた。
ユーグが言っていた例の書類入れも窓の下に並んでいる。
部屋の右側に扉が一つ、左側に2つあるが、右手の扉が半開きになっているのがカタリナの眼に入った。
「なんなのよこの修羅場は!?」
カタリナが声を上げると、年配の紳士がはっと顔を上げた。
「カタリナ!? なぜここに!?
本当にお前がやったのか!?」
「パパ!?」
年配の紳士は、カタリナの父、サン・ラザール公爵グイードだった。