1.社交場「モンド」
「カタリナ様、お願いです!
私達と一緒に、オランピア?のところに行ってください!!」
「は??」
真夏が近づいてきた夜、王都随一の社交場「モンド」。
10時過ぎに、婚約者のエスコートで登板したサン・ラザール公爵令嬢カタリナは、貴族学院の同級生だったジュリエットにがばあと頭を下げられて面食らった。
ジュリエットは、代々御料牧場を管理しているフォルトレス男爵家の長女。
ピンク色の髪に蒼い瞳が愛らしい。
田舎育ちで、乗馬に巧みな一方、社交界のマナーやら適切な振る舞い方に疎く、学院時代は「野生の男爵令嬢」と呼ばれて皆に愛されていた。
貴族学院を卒業と同時に、ピノー伯爵家の三男と結婚し、既婚女性らしく髪をふんわり大きく膨らませて結っているが、今もその野生っぷりは変わっていないようだ。
「オランピア? まさかあのオランピアのことか!?
その……去年、女神ヴェヌーシアに扮して、王都の画家7人に競作させた」
カタリナの婚約者、モントルイユ侯爵の跡取りであるフランソワがジュリエットに問いただす。
婚約は、先月披露をしたばかりだ。
一度言いよどんで、無理やり絵の話を持ち出したのは、カタリナのような淑女の前で裏社交界の話題を持ち出すのは無礼だからだ。
描かれた7枚の絵は一般公開されて大人気となったし、娼婦のことなど普通は取り上げない高級紙もモデルの立場をオブラートに包みまくって報道していたから、ギリギリでセーフと判断したのだろう。
「え? そんなことあったの?」
ジュリエットは振り返って、焦げ茶の髪がもじゃもじゃっと鳥の巣のようになっている青年に訊ねた。
「それです、そのオランピアです」
人の良さそうな青年は、こくこく頷いた。
フランソワは不快げに眉を寄せ、カタリナの腰に手をかけた。
「カタリナ、君はそんな話を聞くべきではない。行こう」
移動しようと促すフランソワの腕から、カタリナはするりと抜け出す。
「久しぶりに、可愛いジュリエットと会ったんですもの。
少し、お話していきますわ。
積もる話もたくさんありますし。
あなたもお友達と愉しんでいらしたら?」
微笑みながら、カタリナはジュリエットといかにも仲が良さげに腕を組み、ちらりと吹き抜けのホールの上の方に視線をやってみせた。
フランソワの知人か、暗い色のドレスを着た女性が一人、こちらをじっと見下ろしている。
フランソワは少し慌てた顔になった。
「しかし……」
「もちろん、『わたくしが聞くべきではない話』は抜きで」
ね?とカタリナはジュリエットに眼をあわせた。
「も、もちろんです!」
ジュリエットが慌ててにっこりしてみせる。
今日も濃い金色の髪を巻きに巻いて豪奢なドレスをまとったカタリナは、誰もが二度見するレベルの美人だが、なにかにつけて圧が強い。
芝居や恋愛小説に出てくる「悪役令嬢」っぽいところがあるのだ。
「じゃ、そういうことで。
きりの良いところで、談話室に参りますから」
フランソワの返事は聞かず、カタリナはジュリエットと腕を組んだまま、足早に奥へと向かった。
おろっとしながらジュリエットの連れがついてくる。
諦めたのか、フランソワは追ってこなかった。
「連れの方は?」
挨拶してくる友人知人を会釈でかわしながら、華麗にサロンを抜けたところで、カタリナはジュリエットに小声で問うた。
「ダーリンの弟のユーグ君です。
今、王立大学の1年生で」
「ユーグ・ピノーです」
慌ててユーグが頭を下げる。
カタリナとジュリエットは今年21歳になる。
今、大学1年ということは、2学年下だ。
「そういえば貴族学院で見た顔ね。
オランピアのところ、つきあってもいいわよ」
「え? いらしてくださるんですか!?」
てっきり断られると思っていたジュリエットが、テンションを上げる。
「後日というと立て込んでいるから難しいけれど、今日ならね。
彼女には興味があるの。
一度、歌っているのを聴いたことがあったのよ。
やけに、心に染みるような歌で……」
遊び足りなくて紛れ込んだ、あまり品のよろしくない社交場でのことだ。
夜明け前、まだ陽は出ていないが東の空が明るくなってきた頃。
既に楽団は演奏を止め、遊び疲れた人々があちらこちらでうつらうつらしていた。
豊かな黒髪をおろし、耳元に赤い花を飾った美しい女が、回廊の手すりに背を預けて、マンドリンを爪弾きながらけだるげに歌っていた。
歌う女には左右から2人、膝に1人、飲みすぎて潰れたらしい男が仲良くもたれかかっている。
歌う姿はしどけないが、正統的な発声法を使っている。
子供の頃から練習しないと出ない声だ。
孤児院出身の「女優」か「踊り子」だろう、とカタリナは思った。
神殿併設の孤児院だと、子どもたちを訓練し、合唱団として活動させるところもあるのだ。