17.泥中の蓮
「でも、オランピアは成り上がるためにお父様を利用しただけじゃない。
嘘から始まった関係だけれど、彼女なりの誠もあったと思うの。
死の瀬戸際で、せめて自分の本当の名前を伝えようとしたのがその証。
致命傷を負って意識が遠のいていく中、助けを拒むようにわざわざ鍵をかけたのは、もう嘘がバレてしまう、お父様に合わせる顔がない、せめて巻き込みたくない、そう思ったんじゃないかしら。
クロディーヌは、自分こそがシグネットリングの所有者、オランピアは偽物の『妹』だとペラペラ喋るに決まっているもの」
カタリナは、言葉を切って振り返った。
「というわけで、あなた。
とんでもない見当違いをしていたことは、わかったかしら。
オランピアが今の地位を築いたのは、あなたからシグネットリングを巻き上げたからじゃない。
彼女が、『オランピア』だったからよ。
誰のものかもわからないリングを奪い返したって、あなたはお父様の妹じゃないし、ましてやこのわたくしの叔母でもないわ」
嫌悪感もあらわに、カタリナは地べたを這う虫でも見るような眼でクロディーヌを見下ろす。
クロディーヌはガタガタと震えながら、床にひれ伏した。
不意に、公爵の胸元からリンと鈴のような音が鳴った。
公爵が懐中時計を取り出して蓋を開く。
<御前、医者が来ました>
執事の声だ。
「わかった」
公爵は蓋を閉じて、カタリナに向き直った。
「カタリナ、お前は『モンド』に戻りなさい。
ジュリエット夫人、彼女の状態は安定しているのだろうか?」
「だいぶいい感じになったと思います!
カタリナ様は私達で送っていきますね」
ずっとオランピアに魔力を注ぎ続けていたジュリエットは、手を放して立ち上がった。
気がつけば、オランピアの顔色に、ほのかな血色が戻っている。
その長いまつげが震え、ふっと眼が開いた。
「ぁ、……」
戸惑う瞳がジュリエットを眺め、肩越しにカタリナを眺め、公爵を捉える。
「ナターリア、お前の本当の名はカタリナというのか」
オランピアはゆっくりと頷いた。
「……はい、……」
娘の推測が正しい、ということか。
諦めたような笑みを浮かべ、公爵はため息をついた。
「オランピア! よかった!
この方が、凄い魔法で君を助けてくれたんだ」
ルネがオランピアの手を握って、ジュリエットを示す。
オランピアはルネに微笑み、ジュリエットを感謝の眼差しで見上げ、そして視線を公爵に移した。
すがるように、その瞳が揺れる。
「どうか、息災で」
短く、別れの言葉を告げると、公爵は立ち上がった。
腹違いの妹か他人なのか、お互い曖昧にしたまま17年の時が過ぎた。
生まれながらに重責を負う立場であるがゆえに孤独でもある公爵にとっては、オランピアの存在が癒やしとなったこともあっただろう。
だが、そもそもの嘘が露呈した以上、もはや他人だ。
おろおろしているヴィクトワールに「後は頼む」と言い置いて、公爵は足早に出ていった。
入れ替わりにやってきた執事がクロディーヌを確保し、医者と看護婦もやってくる。
「わたくし達も行きましょう」
カタリナはジュリエットとユーグをそっと促し、裏口へと向かった。
居眠りしていた辻馬車の御者を揺り起こし、「モンド」へ戻るように言う。
馬車が動き出した途端、ジュリエットはカタリナにがばあと頭を下げた。
「カタリナ様、今日はほんッと、変な話を持ち込んじゃってすみませんでした!
ユーグ君にせっかくいい感じのご縁が出来そうなのに、悪い女の人に邪魔されちゃう!なんとかしなくちゃ!って焦ってしまったんですけど、なんか全然違う話で……」
「義姉さん、僕が悪かったんです。
カタリナ様、お騒がせして本当に申し訳ありませんでした」
ユーグも慌てて頭を下げる。
カタリナは、「いやいやいや」と手を横に振った。
「わたくしは、行ってよかったって思っているから、そこは気にしないで。
それにしても、ああいう人って強運なのかしらね。
あなたがたまたま居合わせなかったら、到底助からなかったでしょうに」
「ってことなんですかね……
というか、ユーグ君」
ジュリエットはユーグに向き直った。
「やっぱり、嘘つくとか、誤魔化すのって悪いことだよね。
最初のとこで嘘ついてたら、その後どんなに頑張っても、信頼って一瞬で壊れちゃうわけだし。
例のお嬢様に、出会う前のことだけど、なりゆきでよくわかんないことになっちゃったことがあるってほんとのことを言った方がよくない?
それでもよいのかどうか、お嬢様に決めてもらおうよ。
ユーグ君、その人のこと好きなんでしょ?
好きな人を騙して結婚しても、いいことないんじゃない?」
「あああああ……そうですね。
確かに、そうだ……」
ユーグは頭を抱えた。
「まあね。だからっていきなり聞きたくもないことを伝えて、『過去の過ちを許してほしい』とかなんとか、相手に許しを要求するのも、理由も言わずに離れるのも傲慢だけれど」
「ご助言、ありがとうございます。
よく、考えてみます。
どうするべきなのか」
ユーグは幾度も頷いた。